葬送の灯、凶の死月 (四)
ナーメンロースの監査役についたメイルは、それまで以上に情報に対して強い反応を見せるようになっていた。
また、ナーメンロースの秘伝とも言うべき精霊魔法を習得できてしまったのは、精霊の共感者という才能というより、単にメイルが持った才能がずば抜けて高かったと言う事なのだろう。
ともあれ。
監査役としては言った筈のメイルは、しかし一年としないうちにナーメンロースを掌握。
事実上、メイルが保有する機関となり果てていたのだが、国王や兄姉はそれを知らない状況である。
そしてメイルが九歳になった年の四月。
「メイルよ。旅芸人の噂、聞いたか?」
「旅芸人……、ですか?」
家族が揃った会食の場、話題を振ったのはベルティンだった。
「マッシ一座……、くらいですよね? 今、帝都にいる旅芸人は」
「いや、そういう本格的な物じゃあない。ギター一本にヒトが一人の、旅芸人というより流しの吟遊詩人かね」
「へえ……そんな希少種、実在してるんですね」
うむ、とベルティンはメイルに答える。
「かくいう俺もリングス姉上に聞いて、聞きに行ったんだがな」
「……リングス姉様が反応したと言う事は男性ですか」
「そういうことよ。でも、十年早かったわね。流石に幼すぎるわ。十二歳くらいの子供ね」
確かに十二歳は早い気もするが、リングスもまだ十八歳である。
年上趣味、というわけでもないのだが。
「でも、唄の方は……、なんて言うのかしらね。あれは、魔法を思い出すわ。魔法を思い出すのに、魔法じゃない。ただの技術なんでしょうね」
「魔法を連想させる唄、ですか」
「ええ、戯曲とでもいうべきかしら。謡は帝国の創世史で、教科書のような内容だったわ。けど、不思議ね。『ずば抜けて上手』なんて印象はまるで無いのに、今でも全部思い出せるわ」
なるほど、それは魔法を連想する。
しかし他人に記憶させる魔法など、そうそう簡単に行使できるものではないし。
まして、精霊の共感者であるリングスにそれは通用しないといっても過言ではない。
するとしたらそれこそ、精霊のお気に入りなどの、上位互換の才能を持つ者と言う事になるが……少なくともこの百年間、精霊のお気に入りは観測されていない。
「へえ……。リングス姉様とベルティン兄様が褒めるとは、随分なんでしょうね。けれど、十二歳かそこらの子供がそんな謡をできると言うのは、なかなかどうして」
「才能って奴だろうな。あくまでただの旅芸人だと彼本人は俺に言ってたが」
「十二歳で旅芸人? 冒険者でも難しいでしょうに」
「俺が聞いたのは歴史をなぞる演目だったが、他にも演目があるのかも。あの腕だ。そこそこ人気の戯曲をやれば、収入は随分だろう。どこかの貴族が囲い込みにかかってもおかしくない」
「大絶賛ですね……。いっそ宮廷に招きますか?」
冗談っぽくメイルが言うと、「それがね」と。
リングスが声を挙げる。
「私がお願いしたのよ。そのあとベルティンもお願いしたみたいだけど、まあ、宮廷に仕えてみないかって」
「ああ、既に提案済みでしたか。で、答えは?」
「……こほん」
わざとらしい咳払いをして。
リングスは声を真似るようにして、
「『にー。お気もちは有難いんだけど、おいらはあちこち自由に行きたいからねー。だからごめん。受けられないやー』。だそうよ」
「……口調が何かいらっとしますね。十二歳ならば子供なので、仕方ないのかな……」
「ああ、それに猫人だった。もしかしたら純血かもしれんな。尻尾を隠せる、みたいな事も言っていた」
「純血の猫人……? このご時世にそんな希少種、まだ残っているのか?」
ベルティンの推測にガントレーが声を挙げる。
この時代、半人半獣と呼ばれる者たちは、基本的に混血が進んでいたし、純人にしたってそうである。
いまや純人とは半人半獣の中で獣の要素を持たない一つの種族、程度でしかないし、純血の純人もやはり希になってしまったのだ。
希。
まあ、希少なりに居ないわけではないのだが……、しかし、その数は恐ろしく少ない。
世界をくまなく探しても、一種族あたりに十二人さえ揃わないかもしれないほどに。
それらの話を聞いて。
僅かに、メイルの表情が深刻になる。
もしかすると。
正直、諦めていたのだが……見つからないと思っていたのだが、その猫人はまさか、あの時聖王国で見た書物にあった、それの何かか。
だとしたらそれは星の巡りというか、運命と言うか。
あるいは……転換点か。
「姉様。兄様。僕も大分興味が出てきました。その旅芸人とやらの謡を聞いてみたいのですが、まだ帝都に居ると思いますか?」
「居るはずよ。今月いっぱいはとどまる、見たいなことを言ってたし。興味があるなら後で酒場の地図を用意するわ」
「ありがとう、姉様」
そして、少年は小猫と出会う。
◇
小猫、フレイ・マルボナとの出会いについては既に語られたことだから、ここでは省くとして……。
一応補足しておくと、メイルはその小猫が真実、フレイ・マルボナ本人であるとは思っていなかった。
だが、彼はその本人で。
帝国の建国に関わる歴史の真実を、ほかならぬ当事者から聞き終えた後。
「……ティヴ」
「はい。メイル様」
「どうやら僕は思い上がっていたらしいね」
「…………」
自嘲気味にメイルは、同行したティヴにそう言った。
「僕は……正直、話を聞くまでは、帝国が帝国であるままに、本来の方針に戻せると。修理できると、そう信じてたんだ。思いこんでたんだ。思いあがってたんだ」
誰にだって理想はある。
子供のメイルには、理想というより夢というべきか。
けれど、それはきっと頑張れば実現できるという夢のはずだった。
だが。
それは理想よりも、遥かに遠いものだった。
いわば幻想。
或いは夢想か。
それは、どう頑張っても実現できないものであることを、メイルは悟ってしまった。
修理できる……戻せるという目は、もはやない。
残っているのは狂う事だけ。
狂い方を少し制御してやれば、まあ、本来の形とは大分かけ離れるが、それでも今よりかはマシになるかもしれない。
だが、それで良いのか?
真の歴史を知って、メイルはそこで悩んでいた。
もし。
もしも帝国を作った『スカウフ・ウォムス』、『アサイアール・ジ・モール』、そして『アンスタータ・フーミロ』という三人の遺志を継ぐならば。
「ティヴ」
「どうしましたか、メイル様」
「君は、僕についてきてくれるかな」
「もちろんです。友達ですから」
「そう。他の二人もそうかな?」
「でしょうね。ほとんど断言しても良いと思いますが、ムーニはむしろ先に突っ走りそうです」
「あり得るね……あの無邪気さと無鉄砲さからして」
はあ、とため息をひとつつき。
「まだ手が足りないし、足りたとしても届かない。僕の腕はまだまだ短いからね……、まだ、まだその時じゃあない」
けれど、手が足りて、届くようになれば。
もはや躊躇はしない。
やるべきことは見えた……帝国が、少なくとも帝国を作った者たちが目指した場所は、見えた。
おそらくこんな決意をすることを、フレイ・マルボナというあの猫人の振りをした悠久の時を生きる存在は、読みとっていたのだろう。
その上でフレイはメイルに全てを伝えた。
余すことなく伝え切った。
フレイは自ら干渉しなかった。
けれど、きっと最初の三人の遺志を誰かに伝えようとしていたのだろう。
誰かに伝えて、そして最初の三人の遺志を為させようとしたのだろう。
だからこうやって。
メイルが『帝国を滅ぼして、作り直す』と言う決意をすることも、いわばあの小猫の思い通りなのだろう。
「ティヴ、まずは手を。僕たちの仲間を揃えよう。手伝ってくれるよね?」
「もちろんです!」