葬送の灯、凶の死月 (一)
メイル・ジ・ウォムスが八歳になった頃。
それはつまり、クラクも八歳になった頃。
益々メイルとクラクは似たような姿形に育っていた。
無論、普段であれば、そして注意深く見ればどちらがどちらであると言う事は判別がつき、特にそれは目に顕著で、メイルは少し垂れ気味なのに対し、クラクはそうでもない。
他にも鼻の高さが僅かに違い、身長もごく僅かにクラクの方が高い。
が、それは比較した時に解るような特徴、差異であって、どちらか片方しか居ない場合は、それがメイルなのか、あるいはクラクなのか、これを断定できるのは肉親くらいだろう。
少なくとも、時々宮廷に訪れる程度である貴族には、この判別は難しかった。
しかもただ難しいだけならばともかく(それでも十分問題なのだけれども)、方や皇帝に連なる者、方やたんなる『物』と、決して扱いを間違えてはならないのだからさらに困る。
いや、普通の帝室関係者と帝室従者であるならば、恐らくその判別は簡単なのだ。自分の所有物として扱っているわけで、服装面や装飾面で差異が出る。
しかしメイルはクラクの事を唯一無二の友として扱っていて、服も殆どメイルと共用している。
当然その行為は本来ヒトには許されないのだけれど、ここで帝室従者という制度が出てくる。つまり、帝室従者はヒトではなくモノなのだ。モノであるそれには、ヒトのために用意された法が通用しない。
これについては皇帝が勅命で処罰を下そうと思えば下せるとは言え、他でもない所有者たるメイルがそれを許可し、それを推奨しているのだから、それを処罰するには筋が通らない。だからメイルとよく似た帝室従者を、現皇帝アーチはある意味において愛おしくさえも思っていて、それが更にクラクという帝室従者をメイルと近づけているのだが、それはそれ。
ともあれ。
彼らにとっては八歳の年。
それは、帝国の根幹を揺るがしかねない事件が起きた年であるが、この時の彼らは、当然それを知りえないのだった。
「メイル……ねえ、メイル。聞いてるのか? それとも寝てるのか?」
「……ん。いや、寝ては無いけれど」
ぱたん、と呼んでいた本を閉じ、メイルは自身に対して気軽に声をかけてくる、自分とよく似た少年、クラクに向き直る。
「本を読んでたんだ」
「ああ……ごめん。邪魔したかな」
「まさか。本は逃げないし、気にしないで。で、どうしたの?」
「うん。これを」
クラクはメイルに一通の手紙を差し出す。
手紙は真っ黒な封筒で、銀色の文字がまるで刻まれているかのような、そんな視覚的な感覚を受けつつも、メイルはそこに書かれた文字、つまり『メイル・ジ・ウォムス王子様へ』という標題と、差出人としての『特務機関ナーメンロース』という文字列を確認するや、足を組み替えて手をクラクに伸ばす。
するとクラクは言われてもないのにペーパーナイフを渡し、メイルは「ありがと」と小さく答えて封筒を開けた。
取り出された紙はやはり真っ黒で、しかし文字は書かれていない。
それを確認してメイルは目を細めると、ぼそぼそと何かを呟くだけで、手紙からは黒が剥離して行き、白い紙に黒い文字が書かれた手紙だけが残っていた。
「精霊魔法による暗号化だなんて、また妙な手を……」
「いや、その妙な手を一手目で解除してるほうもしてるほうだけどな?」
「まあね。けど、クラクだって気付いてたでしょ?」
「それはまあ」
『精霊のお気に入り』――インテウル・ヴェスペイロ=オルフォ、と呼ばれる才能がある。
そんな才能を強引に再現したもの、それを『精霊の共感者』と呼び、メイルとクラクはそれに当たる。
本家本元のそれが『概念を問答無用で理解する、精霊の告げ口』というものだとしたら、精霊の共感者が持つ力は劣り、『精霊がちょっとした事を教えてくれる』程度に過ぎないが、精霊魔法が使われているかどうかくらいの判別は即座に出来る。
尚、この才能は帝室の血統に連なる者はただそれだけで獲得できる血統としての才能で、帝室従者は呪いを受けることでそれを獲得するなど、微妙に入手までの経緯が違うがそれはそれ。
「なんて書いてあったんだ?」
「僕がこの前、調べ事をしたいからって、宮廷地下にある蔵書の閲覧許可を求めたの、覚えてる?」
「うん。てことは、その許可?」
「いや、不許可」
不機嫌そうにメイルは言い捨てる。
「ナーメンロースの連中、僕にはどうしたって見せたくないものがあるらしいね。変に隠すのが無駄だって解ってるからか、『どうしても見せることが出来ないものがあるため、お控えください』ときたものだ」
「それは、また。……なら、俺が見に行こうか?」
「いや、そもそもクラクだって入れるかどうか……あー。うーん」
普段から友人として扱っている。
そしてメイル自身、クラクが人間であることは知っている――身体の隅から隅まで、自分と大差が無い事も、一緒に風呂に入ったりしているし、知っている。
ただ、違うのは生まれだけだ。
メイルは帝室に生まれた。クラクは一般の家庭に生まれた。生まれた時間に大差はない。あっても一日二日だろう。
それ以外の条件はほとんど同じだ。メイルもクラクも男だし、髪の色も瞳の色も肌の色も、身体のあらゆるパーツの大きさも誤差の範疇だ。
少し目つきが違うけれど、言ってしまえばそれだけだし、そんなものは気分次第である程度は変わって見えてくる。だからあまりあてにはならない。
本当に、鏡写しのように同じなのだ。ある一点を除いて。
そしてその一点とは、呪いによる、まるでラベルのように張りつけたかのような赤い痣の存在だ。
クラクに聞いたところによれば、そのラベルのある部分においてはあらゆる感覚が無いらしい。触れた感覚も痛みもなにもかも。
これは流石に嘘じゃないかと思い、メイルはその部分をつねってみたり舐めて見たりと試しては見たが、どうやら本当に何も感じないようで、驚くよりも呆れてしまった。
幸い、面積的には小さいし、この数年間を共に過ごす間、その痣の形は一定だった。それなりに数年で成長したがそうだったわけで、恐らくこれからもそうだろう。
ともあれ。
そんな、ほとんど『同じ』である存在と、生まれた環境が違ったと言うだけの理由でメイルは帝位の継承権を獲得し、クラクはヒトとしての権利の全てを失いモノになった。
それを理不尽と思う事すら、クラクにはできない。そもそも最初からクラクはモノとして扱われ、自分がヒトではないと教え込まれている。
クラクはあくまでモノとして、その所有者であるメイルの願いを聞いているだけなのだ。『友達』という役割を、演じているだけなのだ。
そこには感情があるようでまるで無い。
心などと言うものはそもそもないし、自我と言うべきものも薄い。
呪い。
呪い。
竜種が扱うとされる竜種魔法。
なるほどそれらは、確かに呪いなのだろう。
けれど、メイルにして見れば。
(クラクがかかっている呪いよりも)
(帝国がクラクたちに架してるもののほうが、よっぽど『呪い』なんだよね……)
いわばヒト種魔法か。
魔法ですらない気もするが。
ともあれ。
確かにこの状況。
「俺はメイルにこそ『友達』として、『ヒト』として扱ってもらえてるけどさ。やっぱり『モノ』なんだよ。『モノ』が紛れ込んだとしても、忍び込んだとしても、それを禁じる法はない。そうだろ?」
「…………」
その通りなのだ。
メイルにはできない。メイルは皇室の、しかも継承権を持つ一人だ。
だから、そういう勝手をするわけにはいかない……現皇帝、つまりメイルの父親アーチからの許可があって初めて、その子供たちは権能を振るえるのだ。
だが、それはヒトの都合。
モノの都合は、そもそも考慮されていない。
そして、メイルの代わりにクラクが這入り、目的のものを調べられるかと言う点においても、メイルは一切の疑問を持たない。
問題なくクラクは完遂するだろう。それほどまでにクラクのもつ能力の絶対値は高いのだ。
だから、ここで問題になるのは道義である。
普段ヒトとしてクラクを扱っておいて、必要があればモノとしての振る舞いをさせる。
それのどこが友達なのだろうか。
いくら、その友達からの申し入れだったとしても、友達だからこそそれは断らなければならない。
「とはいえ、他に方法もない、か……」
「珍しい。メイル、そこまで見てえのか?」
「うん。見たいし、知りたい。どうしてもね……。クラク。お願いを一つ聞いてあげるから、代わりにお願いを一つ聞いて。そっちのお願いは?」
「んー。じゃあ、今晩から一週間くらい、俺が先に寝る。ってのはどうだ?」
「そんなもんで良いなら安いもの……、安いものかな? あれ? どうだろう?」
本格的にメイルは考え始めるが、先に寝ようが後に寝ようが大差が無い。
つまり、そういう意味である。
「まあ、いいか」
「うっし。じゃあさ、メイルのお願いは何かな? 一応、確認しておくぜ」
「うん。僕のお願いは――」
竜を辿った幼き帝と、小猫が探した仲間の噺
第一章 葬送の灯、凶の死月