幼子の季、朝の訪れ (中)
クラク。
その名を付けたのは、メイル本人である。
というのもそれまで、クラクに名前は無かった。帝室従者とだけ呼ばれていたからだ。さすがに不便に感じて、メイルは彼に名前を与えた。それがクラクだ。
苦楽を共にする。
それは、そんな意味でつけたのだと、メイルはクラクに語っている。
友でありたいというメイルの言葉は、まるでその全てが本心だったのだ。
帝国の後継者候補、帝位継承権を低いながらに持つメイルには、そう言った心の許せる友が作れなかった。
幸い他国のように帝位継承権を持つ者同士で暗殺合戦……等と言う事はないが、だからといって無条件で救いの手が差し伸べられるわけでもない。
それに、互いに弱みを握ろうとはしている。それは誰が皇帝になった後でも、それを材料に交渉できるからである。
その行為には年齢は関係ない。既にメイルの兄や姉はメイルの弱みを握ろうとしているし、メイルも兄や姉の弱みを握ろうとしている。
この時、メイルは先立って六歳の誕生日を迎えたばかりであると考慮すると途方もなく奇妙な構図ではあるのだが、これは帝国の血統における習性のようなものらしい。
おそらく過去に情報調査あるいは情報操作が得意なものが居て、その血が流れ続けていると言う事なのだろう……もっとも、名前は歴史に残っていないので、何か別の要因があるのかもしれないけれど。
「第四王子、メイル様のご到着!」
ともあれ。
メイルはクラクを伴い、宮廷、謁見の間へとやって来ていた。
謁見の間の王座には、メイルの実父の姿がある。
最低限の敬意と礼節を伴う仕種で、メイルは実父の前へと移動し、クラクはメイルから三歩ほど斜め後ろで跪いた。
「父上が僕をお呼びと聞きましたが、何用ですか」
「用事が無ければ呼んでは駄目かね。親子なのだ、顔を合わせるのは悪くあるまい」
「それはごもっとも」
言葉は多少厳しめで、というより六歳児と大人の会話とは思えないようなやり取りではあるのだけれど、互いの表情は柔らかい。
いつものこと。
そう、いつものことなのだ。
そしてこのいつものやりとりは、この親子の愛情の形でもある――世間一般のそれと比べてどうかはさておいて。
ともあれ。
メイルの実父、アーチ・ジ・ウォムスは威厳溢れる服装と、風貌だった。
メイルの豪華絢爛な衣装よりも尚豪華絢爛な、紫を基調にした服装。その身体には金と黒の帯のようなものがさりげなくアクセントのように付けられていて、それは奇妙なものではあった。
戴く王冠は黄金色で重厚感が強いが、まるで重さを感じていないかのようだった。それは金剛竜の竜鱗で作られているが故であり、黄金とは違って軽いのだ。価値的には数万倍するのだが、それはそれ。大国の王冠となれば、そのくらいの見栄が必要と言う事だ。
しかし、そんなアーチ・ジ・ウォムスには、奇妙なシルエットが付きまとう。
シルエット。
それは、尻尾だった。
狼のような、というより狼そのものであり、大きく太く、しかしもふもふとしたシルエット。
よくよく見れば、長い髪と王冠に隠れてはいるが、耳も狼のそれであるらしい。
そもそもアーチ・ジ・ウォムスは狼人と純人のクォーターである。また、その実子であるメイルは狼人と純人のワンエイスでもあるが、メイルは純人の特徴を持って産まれたようだった。
「で、本当に何の用事ですか?」
「うむ。春に聖王国で、晩餐会が開かれるのは知っているな?」
「もちろんです。確か、帝国側にも招待所が届いたはずですけれど」
「そうだ。そこで、お前に頼みたい」
「は?」
ものすごく失礼な解答をするメイルだが、六歳児である。
子供だからこそ許される、そんな解答だった。
「いやいや。父上。ちょっと、それは荷が重いです。僕はまだ子供なので……、それこそ、ガントレー兄さんに頼めばいいでしょう」
「ガントレーは前回出席した。連続で行くのは駄目だ」
「ならばベルティン兄さんは」
「軍事演習がある。出席できん」
「リングス姉さん……は怪我か。無理ですね」
「うむ」
「なら父上か母上が出ればどうですか」
「我々はこの帝国の柱だ。帝国を離れるわけにはいかん」
消去法で、残っていたのがメイルだけ。
だから行って来いという命令に、メイルは大きくため息をついた。
「拒否権はなさそうなので、賜りました。近衛はこっちで編成して良いんですか?」
「ああ。軍から適当に選んで行け。人数はお前が決めて良い」
「なら一個中隊借り受けます」
「それだけでいいのか」
「戦争しに行くわけでもあるまいし、大所帯で行っても多方面に迷惑になるだけです。大体、兵士を動かすだけでどれほどの食料と金が必要になる事やら。帝都はともかくその他の地域をごらんなさい、父上」
「うむ……」
なにやら窘める側と使う側の立場が逆転しているような気もするが、アーチは狼のような耳をぱたりと倒しながら頷いた。
「で、聖王国の晩餐会の日程は」
「春。三日間だな」
「宿泊周りは相手側に任せて良いんですよね」
「無論だとも。ただし、最低限の護衛は付けろよ」
「解りました。じゃあ、僕からは一つだけ条件を付けさせてください。クラクも連れて行くので、僕の部屋には寝具を二つです。二人が泊りに行くようなものだと、相手方に伝えてくださいな。もしも僕だけが特別扱いされてクラクがおざなりだったら、その時点で帰ります。失礼にもほどがある」
「いや、さすがにそれは無」
「無理かどうかを決めるのは父上じゃありません」
言葉を遮りにっこりと否定する六歳児と、その六歳児に気押される父親、括弧、皇帝。
決してアーチは気が弱いわけではないのだが、所謂親馬鹿が多少入っているようで、子供に限っては弱いのだった。
「他に用事は?」
「いや、特にないな」
「そうですか。ならば僕は、近衛の選定に入ります。クラク、手伝ってね」
「はい、畏まりました」
「ん」
二人きりの場所ではないが故の他人行儀と解っていても、一瞬だけ表情を歪めつつ、メイルはその場を去っていく。
そして、部屋を出る直前に。
「ああ、そうだ。父上に一つ、報告があるんでした」
「うん? 報告?」
「ええ。僕の手のものによると、マリナル都市国家連合で政変の兆しがあるようです。そのあたり、把握してますか?」
「…………、その報告は確かなものか?」
「僕が敢えて言葉にする程度には。もっとも、詳細までは解っていませんから、詳しくはちゃんと帝国の諜報部で調べてください」
「うむ。大義である」
そして今度こそ部屋を出て、メイルは暫く、クラクと友に歩みを進めて。
ふと、呟いた。
「にしても、聖王国かあ……」
「メイル様は聖王国に訪れた事は?」
「一度。もっとも、覚えてない頃……まだまだ赤ん坊だった頃に一度、あるらしいよ。そう言うクラクは?」
「今回が初めてになりそうです」
それもそうか、とメイルは頷く。
「あの国は、なんていうのかな。本来、帝国が目指した場所に近いんだ。そのものじゃあないけどね」
「目指した場所」
「貴族が民を支え、民は王に仕え、王は貴族を労う。帝と王の違いはあるけれど、それは本来帝国が目指した場所に瓜二つでしょう?」
帝国建国創世記、と題された本がある。
それは帝国がどのように作られたのか、そんな記述が為された本だ。
もっとも。
「帝国建国創世記は、どうも脚色って言うか……、誇張されてる部分、情報が操作されてる部分が目につくんだよね。大筋でさえ信用できない。『初代皇帝』の名前くらいは正しいんだろうけれど」
「初代皇帝、アタイア・ジ・ウォムス陛下」
うん、とメイルは頷く。
アタイア・ジ・ウォムス。
ウォムス帝国の全て、その始まり。
もっとも、ウォムスの国号自体は帝国以前にも存在していた以上、アタイアが全ての始りであるかのように書かれたその本はその時点で既に信憑性が薄い。
少なくともメイルはそう判じている。
「そう言う意味では、もうちょっとまともな歴史書がどこかに残ってたりしたら嬉しいんだけどね……国内には期待できないか」
「ならば、その聖王国において閲覧できる範囲で閲覧させてもらうとか」
「もちろん。それはやるよ。前提だ。せっかくの機会だしね……けれど、それもあんまり期待できないだろうなあ」
ふう、とメイルは息をつき、視線をクラクに向けた。
「他国の歴史書って、そうそう簡単に見せてもらえるもんじゃないからね。こっちからも手土産は必要になる……それがあっても、全面的な閲覧は出来ない。なにを持って行くか、考えないと」
そうですね、クラクはそう頷くと、そのまま深く礼を取る。
そんな突然の行動に、メイルは誰かが接近していることに気付き、クラクの礼の方向に視線を送ると、クラクとは比べ物にならないほどに浅い礼を取った。
「ご機嫌麗しゅう、メイル」
「ご機嫌麗しゅうございます、姉上」
リングス・ジ・メイル。
その背後には六人ほどの青年が整列している。
『お気に入り』。
リングスは気に入った男を自分の周りに置いておきたがる、そんな傾向がある。その一環であり、今更メイルが驚く事はない。
「これから謁見ですか」
「ええ。呼ばれましたの。そういうメイル、あなたは?」
「僕は別件です。ちょっと軍部に顔を出さないと……」
「それは大変ですわね。まあ、それもまた帝室の勤めですわ。それでは、ごきげんよう」
「はい。姉上も、ごきげんよう」
何事も無かったかのように歩み出したリングスたちと、それと同じように何事も無かったかのおように歩きだすメイルたち。
姉弟という関係は、それなりに仲が良い。互いに弱みを握ろうとしているだけで、決して仲が悪いわけではないのだ。
「とりあえず、軍部に行こう。近衛編成しないとだ」
「はい。一個中隊というと、何人くらいになりますか?」
「二十人くらいだね。これでも多すぎるかも」
尚、他の兄弟が聖王国を訪問した際は、大概は二百人規模である事を、クラクはそれとなく知っていた。
なので余りにも少なすぎるような、そんな印象は受けたが……。
「精鋭二十人ですか?」
「そう。適当な二百人じゃなくて、精鋭を連れていく。具体的には最低でもクラクと戦って死なないのが二十人かな。そういうわけだから、クラクにはちょっと戦ってもらうよ。無論、クラクは制限付きで」