涯の彼方、帝の決意 (考察編)
イースガルから報告を受けたエリシエヌは二分ほど黙りこみ、「そうね」と言った。
「一体あの子、どこで歴史を学んだのかしらね……。私が持ってる情報よりも、遥かに詳細まで知っている風だし。そしてその提案自体、実にあの子らしいわ……実現は不可能に近いでしょうけれど」
が、軽く首を振り、エリシエヌは、「ああいや」と続ける。
「別に、いいのか。成功したら成功したでいいし、失敗しても別にいい……のか。なるほど。益々あの子らしい提案だわ」
「どういう事ですか、女王陛下」
伝言者たるイースガルの問いかけに、エリシエヌは苦笑を浮かべて言う。
「彼からの長ったらしい伝言は、簡単に言えば『帝国の限界』と『それらの打開策』を伝えてきているわけよ。それは良いかしら?」
「良くありません」
「そう。じゃあ簡単に説明するわね」
帝国の限界。
それは、イースガルが既にその目で見たように、富のバランスが悪すぎると言う点だ。
裕福なものはより裕福に、貧しい者はより貧しく、両極化が進み過ぎている。
その過程で、現在の帝国の街並み……つまり、『全て裕福な街』と『全て貧しい街』という両極化が出来上がってしまったのだろう。
まあ、それはそれで一つの国家の形と言えない事も無いのだが、しかし全くのノーチャンスというのは問題だ。
『生まれが全てを決してしまう』状況が国全体を包み込んで長きに亘り、一定の閾値を超えてしまえば、ヒトはあらゆることを諦めてしまう。
どうせ自分はここに生まれた、だからここで生きてここで死ぬ、そして何も変わらず次に続く、そういった諦めはヒトを国を停滞させるのみならず、衰退させる事も少なくない。
帝国はまだ何とかなる、つまり閾値を超えていないとメイルは昔は思っていた、だが最近はもうとっくに閾値を超えていて、つまりは限界を超えていて、ヒトは、民は、諦めていた――『帝国は限界を迎えていた』と、そう判断したのだろう。
「国の限界……」
「そう言う意味では、私たちのこの国……聖王国も、あまり帝国の事を言えないわね。たとえばこの聖なる都においても、中央の貴族街、少し外れた住宅街、更に外れたスラム街とでは格差がある。それでもまだこの国が限界を迎えていないのは、機会があるからよ」
「チャンス、ですか」
「そう。成りあがれるチャンスがね……貧しく暮らしていた民でも、才能を認められれば貴族なり商人なりに見初められてのし上がるとっかかりができる可能性はあるわ」
「…………」
言葉を濁してはいるが、その機会とは人身売買を指している。
聖王国の実情はメイルが思っているよりも悪いのだ――それがある程度の選択肢になってしまうほどには。
しかも、聖王国はそれに制限を掛ける形で合法化している。
死を前提にした売り買いが発覚すれば極刑……年に数回、これで処刑される者が居るのだから救いが無いように見えるが、それでも売られた先で大成したという例が無いわけではない。
「私たちにも課題はあるわね。で、次よ」
メイルが言うところの、打開策。
それは『聖王国による統治をお願いしたいのです』という、最後の一言が全てである。
「併合……いや、併呑ということですか?」
「ええ。それが理想でしょうね」
国家統合。
帝国はそもそも王国と公国が合わさって出来た国家なのだ。だからこそ、その選択肢も出てくる。
とはいえ、ほとんど無条件で全てを差し出すと言うわけだから、これが上手くいくわけが無い。
「率直に言って、聖王国側にとっても、帝国側にとっても、反対する者のほうが多いと思うわ。帝国領では商売に貴族の許可がいる――なんてのは有名な話でしょう? 最低限それが解消されない限り、まず市場としての価値が無い。市場としての価値が無ければ国内の商人は、むしろ荷物が増えると怒るでしょうね。得られるものより支払うものの方が多すぎる」
「では、帝国側は?」
「聞くまでも無いでしょう。あの子の決断が発布された途端に暴動が起きて、暗殺どころか普通に殺されておしまいよ。いや、殺されておしまいならまだマシね。凌辱された上で嬲り殺しが妥当かしら……」
さらりと怖い事を言いつつ、エリシエヌは「けどね」と続けた。
「あの子にとっては、そうなったらそうなったで『別にいい』のよ」
「…………?」
「もし聖王国への臣従と併合が成功すれば、それ自体が刺激になるわ。もしそんな事をするならば、当然だけど聖王国の貴族を帝国に派遣して、帝国の貴族は適性検査、駄目だったら聖王国の法のもとに貴族不適格で死罪。大丈夫ならばそのまま貴族として頑張ってもらうけど、そうして帝国領の改造、つまり聖王国を基準とした改革を断行することになるでしょう。それはいいわね?」
はい、とイースガルは頷く。
「じゃあ、臣従と併合が失敗したら? その場合、あの子は間違いなく殺されるわ。どんな酷い目にあわされるかまでは想像がつかないけれど、凌辱されて嬲り殺されて、間違いなく苦痛の中で死ぬでしょう。そうなれば貴族たちはどう動くかしらね。かつて公国を作り上げた頃ならば政を優先して、また大公と言う制度を復活させて帝国を続けるでしょうけれど、今の帝国の貴族は『商人気質』よ。自分の利益のために、より強い権限を求める……まず間違いなく、皇帝の座を狙って内戦が起きるわ。幼い皇帝陛下の死をまともに悼むこともしないでね。でも、内戦をするには力が必要よ。力と言うのは領民で、領地が持つ力でもあるわ。最初の内は貧困層だけが駆り出される地獄の様相を見せるでしょうけど、すぐにそんなのは成立しなくなるわ。貧困層が貴族に反乱を起こすでしょうね……そしてこの場合の民は、領主を殺しても良い口実がある。だって、領主、つまり貴族は、皇帝を殺している。貴族自身が『上位の存在を殺し』ていて、その上で自分が皇帝になろうとしているのだから、それの一段階下が許されない道理が無い。『民が領主を殺して領主になる』という道理が通るのよ」
「それは……いや、でも、さすがにそれは暴論なのでは?」
「そうね。平時からすれば暴論でしかないわ。極論ですらない……考えるまでも無く無理のある言葉よ。でも、戦時なら十分通る大義になるわ。しかも皇帝が凌辱されて嬲り殺されていれば。それを正当化する意味合いも兼ねて貴族たちは民にそれを大々的に『成果』として報告するでしょう。『実父や兄、姉を殺すのみならず、帝国を滅ぼそうとした逆賊だったメイル・ジ・ウォムスを、~して~して嬲り殺してやったぞ』とか。『貴族が皇帝を殺しても良い』のだから『民が貴族を殺しても良い』、その理論は何重にも破綻しているけれど、いくら諦めきっている民だって、無駄死にしたいわけじゃないわ。だから、そのくらいの事は起きて当然……ってワケ。そうなると、内戦が起きている帝国各地で、領民と領主の間での内戦が起きるわ。大混乱ね。そしてそうなれば、もはや誰にも制御ができなくなる。『帝国』は、『無くなる』わ。そして消去法で幾許かマシな誰かが、幾許かマシな新たな国家を作るでしょうね。それで目的は、帝国の現状打開は成る」
「…………」
つまり。
「メイル・ジ・ウォムスの目的は唯一つ。帝国を滅ぼす事よ――帝国を終わらせることよ。聖王国への併合でも、内戦による崩壊でも、あの子の目的は達成できる。そのためにはあの子自身がどんな目に会おうとも構わない、そんな強い決意がそこには有るのね」
「皇帝ともあろう人物が、そんな事を考えるものですか?」
「考えてしまうほどの何かがあったんでしょうね。過ぎ去った過去か、襲い来る未来か……そこまでは解らないけれど」
そう言ってエリシエヌは肩をすくめる。
「『帝国の行く末を。僕の末路を。』あの子は伝言でそう確かに言ったわ。あの子は自分の死を見据えている。そうしてまで、あの子は帝国を壊したい……か」
「どうなされるのですか」
「そうね。とりあえずは正式な要請を待つ形になるでしょうけど……、じゃないと可能性を手繰る事も出来ないわ。でも、正式に要請させたらその時点であの子、殺されるわよね。かなり夢見が悪くなるし、それは避けたい……うーん。いっそ聖王国に亡命させる……、駄目ね、暗殺の線がいつまでたっても消えないわ。イースガル、あなたの率直な感想を聞きたいのだけど、この状況でメイルはどうやれば生き残れるかしら?」
「率直な感想でよろしいので?」
「ええ」
「どうやっても死ぬでしょう、その状況。詰んでますよ」
「そうよねえ……」
女王と言っても無力よね、エリシエヌはそう呟くとゆっくりと目を閉じた。
これまで、彼女はメイルの事を友として認識していた。年の離れた友人だ、しかし不思議と、その関係は心地が良かった。
メイルは唯一、エリシエヌが認めた同格の存在だった。だからこそ、この状況が既に終わっている事は、伝言を半ばまで聞いた頃には気づいていた。
この状況は終わっている。
既にメイルの死は決まっている。
そして帝国の滅びも、決まっている。
あとはそこに至るまでの道程が、多少変わる程度だ。
間違いなく、メイルは楽に死ねないだろう。
あらゆる苦痛と恥辱を経て、それらの中で死ぬのだろう。
あまりにも幼い皇帝は、あまりにも辛い状況に陥っても、その強靭な精神力が故に気絶する事も発狂する事も出来ず、延々と約束された死を待ち続けるのだろう。
そんなことはあまりにも、救いが無さ過ぎる。
「…………」
生まれが全てを決める、と。
彼は自身でそう言った。
だから、その死はきっと、帝室にメイルが生まれた時点で決まっていたことなのだろう――
「……イースガル。リージ伯を呼んで頂戴」
「リージ伯……ですか? また、唐突ですね」
「そうでも無いわ。他に選択肢がないようだから……だから、彼を使うの」
――ならば、せめて。
◇
聖王国には数多くの貴族がおり、貴族には通常、領地が与えられている。
貴族の責務とは民を支える事。
それが出来るのは当然であり、それを出来ない者は聖王国の貴族としては不適格として断罪されるが、それが出来る者であれば厚く遇される、そのような立場だ。
だが、聖王国の貴族の全てが、必ずしも領地を持つわけではない。
例えばマクマルト・ディエ・リージ伯――エリシエヌ・アム・エイレルフィルト女王に呼び出されたその壮年の男性は、伯爵位を持ちながら領地を持たない、その特殊な貴族の一人だった。
「わたくしめをお呼びと聞き、馳せ参じました」
「堅苦しい挨拶は結構です。リージ伯。あなたに頼みたい事があるのです」
「なんなりと、お申し付けください」
領地を持たぬ貴族は、代わりに何らかの役割を与えられるのだ。
それらは例えば河川の整備であったり、例えば外国との交渉であったり、そういった専門性や継続性が要求される役割であり、領地を運営するどころではない激務が待っている。
だからこそ、そんな領地を持たない貴族たちは貴族たちからでさえも尊敬されている――リージ伯も、そんな、貴族からさえ尊敬される貴族の一人である。
より正しく表現するならば、リージ伯に関しては、尊敬されているというよりも、不思議がられている貴族、なのかもしれない。
なぜならば、リージ伯が一体何を担っているのか、それが公表されていないからだ。
にもかかわらず、信任は圧倒的に高い――事実上の側近であるイースガル・ル・ウーノ、彼と比肩しうるほどに。
だが、やはりその例えは正しくないだろう。
イースガルに向けられる信頼と、リージ伯に向けられる信任とは似て非なる者なのだから。
「此度は大任。到底、あなた以外に頼むことはできません。期待に答えていただけますね?」
「はっ」
「それでは、命じます。リージ伯。帝国の皇帝、メイル・ジ・ウォムスとその従者を、痛みも苦しみも与えること無く、一瞬にして確実に、殺してきなさい」
「大任、承りましてございます」
マクマルト・ディエ・リージ伯爵。
今年五十一歳になるその壮年の男性は、聖王国において唯一、『暗殺』を専門とする貴族である。
――メイル・ジ・ウォムスの命は、もはやどのような状況でも救えない。
そう判断したエリシエヌの解答、選択は、ならばせめて、苦しみも痛みも感じずに死ねるように介錯するというものだった。
あらゆる苦痛や恥辱の中で、発狂も出来ずに死を待つよりも、解らないうちに死ねるならばまだマシだ。
いや、マシもなにもありはしない。死んでしまえばそれまでだ。
だからそこにあるのは早いか遅いかというだけであり、其れを見届けるエリシエヌの気持ちがどこに置かれるかと言うものである。
もしもなにもしなければ、エリシエヌはその苦しむメイルを見なければならない。
同族として同類として同志としてそれを見届け、そして語り継がなければならない。
それは考えたくもない……最悪の未来だった。
だから、自分で殺す。
そうすれば、辛い目にあったのだという事を語り継がずに済む。
語り継がれるのは自らの汚名だけで……それならば、自分が我慢をすればいいだけのことだ。
それはメイルのためであり、それ以上に自分自身のためであることをエリシエヌは自覚している。
ただ、それと同じくらいに確信もしていた。
(あの子はきっと……私が暗殺を選択する事も読んでいる)
(リージ伯が暗殺者であると気付けば、あの子は歓迎しながら逝くのでしょうね……)
なんて感傷をしている余裕すらも無く。
エリシエヌはメイルを殺すべく、暗殺者を放った。
そして。




