即位の宴、漆喰の翼 (起)
皇帝アーチの逝去と、それに伴うメイルの即位が発表されると、帝国内には驚きというよりもやっぱりか、といった空気が流れていた。
こうなればもはや兄姉そして父をも殺したと見られておかしくない、というかそう見る方が妥当だよなあとかメイル自身も思いつつ、皇帝の印である王冠と金と黒の帯を継承。
前皇帝の逝去に伴う国葬はしめやかに、新皇帝の即位に伴う祝事は華やかに行われた。
王冠と帯の継承は儀式的なもので、王宮の大広間において行われる。
国内の全ての貴族が招集された場において、異議の声無く幼すぎる皇帝、メイル・ジ・ウォムスは誕生した。
その場で行われたメイルの演説の一部を抜粋しておこう。
『僕たちは余りにも多くを失いました。しかし、まだ残っている。まだこの国は残っている。御旗を掲げたこの帝国は健在です。僕はまだ幼い。帝国の全てにまでは目が届かないでしょう。ですから……貴族の皆さん。どうか僕を支えてください』
彼自身が皇帝殺しをしたと考えていた大半の出席者にとって、それは白々しい言葉でしかなかった。
それを悟っていても尚、メイルが敢えてその言葉を口にしたのは、本心だったからに他ならない。
そう。
まだ残っている。
まだ帝国は残っている。
まだ帝国が残っている。
◇
帝国で幼い皇帝が生まれた事に際して、かつてその皇帝が参加した晩餐会を開いた聖王国は、即座に使者を出していた。
使者として帝国に訪れたのはイースガル・ル・ウーノという羊人の青年で、彼は聖王国現女王エリシエヌが最も信頼する部下である。
彼が帝国に来ると知り、メイルは彼を国賓として招く旨を伝えたのだが、エリシエヌはそれにこう答えた。
『ありがとうございますわ、皇帝陛下。けれど、その申し出、半分だけにしていただけませんこと?』
半分。
つまり、帝国の帝都、宮廷に居る間のみ……。
それは羊人という種族の特徴に由来する依頼であることをメイルは知っていた。
羊人は特別扱いされることを極端に『恐れる』のだ。
その理由までは解らないが、ともかくほとんど全ての羊人はその特徴、あるいは特性を持っている。
まあ、そんな特性を持つ者を使者として送ってくる方は正直どうなのかという点においては、そもそもエリシエヌは状況さえ許すならば、自分自身が赴くつもりだったのだ。
しかし聖王国内部でもちょっとした事件が起きていて、今、国を離れるわけにはいかなかった。
だが帝国の新皇帝、メイルとは色々と話さなければならないこともある――彼の父親や兄、姉に関する事も含めて。
そういった事は、流石によほどの信頼ができる者にしか頼めず、そして信頼度という観点で見た時、なんとかそれを満たしている物がイースガルしか居なかったのである。
不向きである事は百も承知。
メイルに対しては失礼にあたるかもしれないが、それでも他には頼めない。
そんな事情をエリシエヌはメイルに隠すことなく話すと、メイルは『別に構いませんよ』とあっさり応じた。
この辺りの割り切りの良さはさすがだなとエリシエヌは思う――その割り切りの良さが、いっそ不気味なほどではあるのだが、しかし考えて見ればメイルが己の従者三人を友人として扱っているのと同じなのかもしれなかった。
つまり、エリシエヌを女王としては見ているが、同時に友人としても見ている。
そして友達からのお願いで、まして負担があるわけでもないから、二つ返事で応じた。
(私が女王になって以来、友と言えるような存在はいなくなりましたからね……)
(ふふ、私の思い込みかもしれませんが。それでも嬉しいものは嬉しいものです)
とはエリシエヌの思いつき。
もっとも、それはほとんど真相だったとも言える。
メイルの考えを大まかにとはいえ読みとれるエリシエヌ・アム・エイレルフィルトという人物は、つまり、メイルと同格か、メイルより格上の人物なのだろう。
さて、イースガルは帝国領の港町、ポートサンクに到着していた。
帝国・聖王国間の大陸間定期船はここ以外にも七種のルートがあるが、敢えてイースガルがこのルートを選んだのは、港町から帝都までの道のりを推考した結果だ。
そしてポートサンクという街を見て、率直に思う。
(思ったよりも活気がないなあ……)
港町。
それも貿易港なのだ。
ある程度の活気があってしかるべきなのだが……。
もっとも、帝国には帝国の事情があるのだろうし、そう言った事にはあまり口を出せる立場でも無い。
イースガルは馬車泊を探すと、当然、すぐに帝都行きのものが見つかった。
御者に話しかける青年は羊人らしく少しおどおどとした、美しくふんわりとした短く白い髪に黒い瞳だった。
「帝都まではどのくらいかかるんですか?」
「ん、お客さんかい? この馬車は最短の道を使うから、一週間くらいだろうな」
「ふむ」
馬車、それも乗客が多いようなものには、そもそも移動速度は遅いものだ。
客が多ければその分だけ荷物は増えるし、荷物が増えれば重くなる。
重くなったら馬は疲れる、馬にも休養が必要だ。
それを考えると、一週間と言うのはむしろ早すぎる。
「ああ、お客さん。パスヴィーラの街をしっているかね?」
「パスヴィーラの街と言うと、たしか帝国第三都市。商人たちの街、でしたか」
「そう。そこで馬車の馬を交換する。丁度道程の半分くらいだ」
「なるほど。それで早いのですね」
そういうことだ、と御者は笑みを浮かべて言った。
「ただ、早い分だけ、この馬車はちょっと高いぜ。価格的な事を言うなら、向かい側のあっちの馬車を使うと良い。十日は掛かるが、価格は二割ほど安いぞ」
「二と三日か……」
青年、イースガルは少し考えると、結局は笑みを浮かべて「いえ」と言った。
「この馬車を使わせて下さい。おいくらですか?」
「毎度。道中の水と食事つきで、金貨二枚になる」
「では、これを」
懐から財布を取り出すと、イースガルは金貨を三枚取り出し御者に手渡した。
「見ての通り、羊人ですからね。特別扱いされるとどうしても恐怖感が出てきてしまうのです。そういうのをやめてもらう対価だと、そう思っていただけますか?」
「ふうん? まあ、別にいいけどよ」
御者は受け取った金貨の一枚をイースガルに差し出して言う。
「逆効果だろ。変に追加で渡されたら、その分だけ特別に扱っちまうぞ」
「なら、微々たるものとは思いますが、食事の質を全体的に上げてください」
「ほう。良いだろう」
「それで、出発はいつになりますか?」
「二時ごろだな」
ちらり、とイースガルが時計に目をやれば、時計が指すのは一時過ぎ。
「微妙な時間だなあ……。もう載っててもいいですか?」
「ああ、構わんよ」
「では、失礼」
結局、馬車に乗って待つ事に。
馬車と言っても幌馬車で、日差しは遮られている。
旅客用の椅子とテーブル、それと奥には棚がおかれていて、その棚には『ご自由にお使いください』との但し書き、中身を見てみるとコップなどの器が入っていた。
どうやら水は頼めば持ってきてくれるようだ。コップはここのを使っても良いし、自分が持っているならばそれを使っても良いと言う事だろう。
(うん……水準は、やっぱり聖王国と同じくらいですね)
(でも、だからこそ……ちょっと、おかしいかな?)
水準……つまり、客に対する心配りのそれは、聖王国に引けを取らない。
だが、イースガルにはこの街が、少し侘びしく見えるのだ。
それは単なる気のせいか。
それとも、何か意味があるのか。
(パスヴィーラ、そしてスカウフィア)
(それらの街を見れば、この違和感の正体も分かる……か)
かくして彼は馬車での旅を始めることになる。
当初の日程は十日間。
多少天候に恵まれ無くても、十五日もあればつくだろう。
何事も、なければ。
竜を辿った幼き帝と、小猫が探した仲間の噺
第二章 即位の宴、漆喰の翼




