幼子の季、朝の訪れ (上)
わいわいと賑やかな帝都スカウフィアを、宮廷の屋上から一望しつつ、その絢爛豪華な衣装に身を包んだ少年は不機嫌そうに床を蹴った。
実際に不機嫌なのだろう、その視線は鋭く帝都に向けられているし、表情はいかにもなむくれっ面だ。
「主君」
「そう呼ばないでよ、クラク。ここには僕達しか居ないんだから」
「メイル様」
はあ、と。
仰々しいため息をついて、メイルと呼ばれたその少年は、クラクと彼が呼んだ少年へと視線を向ける。
二人の姿はまるで違い、絢爛豪華なメイルに対し、クラクは質素極まる服装である――とはいえ、その服装はけっして安物では無く、むしろ高級品である事は一目でわかり、それが彼の複雑な立場を顕しているかのようだった。
ここは帝国、帝都、宮廷。
この屋上で不機嫌そうに帝都を眺めているこの少年は、この帝国の第四王子、正式名称メイル・ジ・ウォムス。
一方、その少年に声をかけた、メイルとよく似た少年は、そのメイル・ジ・ウォムスの帝室従者。
帝室従者とは、王子が誕生した際に民から献上された、同年に生まれた赤子の事を指す。本来の親とは基本的には再会は出来ない。
献上された赤子は英才教育を受け、その身体に一つの呪いを宿して、帝国の王子を護るモノとなる。
それは物であって人ではなく、人としての権利はそのほとんどが無い。
その代わりいかなる場面においてでも、王子の許可さえあるならば、どこにでも同行する事ができるのだ――例えば本来ならば帝室に連なる者でしか入れない場所であろうとも、あるいは各王子の自室や寝室の中であろうとも。
それに、人として扱われないというのは基本的な場合であって、それぞれの王子がそれぞれの裁量で、人として扱う事は出来る。
今ここに居るメイルの従者、クラクと呼ばれた少年もその一人だし、メイルの兄である第二王子ベルティンもまた従者を人として扱っているが、ベルティンは自身の従者を絶対に裏切らない駒として人扱いしているのに対し、メイルは唯一対等に近い友達としてクラクを人扱いしているなど、そこには微妙とは言えない程度に、大きな大きな相違点もあるのだった。
メイルに言わせれば、この帝室従者などという奴隷制度はさっさと無くすべきものであるし。
同じくベルティンに言わせれば先祖が汚名を被ってまで残してくれた一つの手段であると、それを維持するべきだと思っている。
どちらが間違いと言うわけでもない。ただ、どちらも正解では無いと言うだけだ。
「何度も言うようだけど。メイル、って呼び捨てしてほしいんだけどね、僕は」
「それはできません。我々は、『物』。ヒトであるメイル様を呼び捨てするなど」
「じゃあ、こうしようか。クラク。君は僕のものなんだよね?」
「はい。その通りです。我々はヒトではなく、物ですから、我々の全てはメイル様、あなたのものです」
やだなあ、なんて。
そんな感情を露わにしたかのような表情で、しかしメイルは言葉を紡いだ。
「ま、いいや。じゃあクラク。君に命令しよう。僕の事は可能な限り、呼び捨てで呼んで。一般教養に『友達』という概念の項目はあったでしょう? それのようにふるまってくれ。大丈夫、失礼には当たらないし、無礼にもならないよ。だって君は物だから。ヒトが皇帝の血筋を呼び捨てにしたら、それはちょっと問題だけど、物が言う分には誰も目くじら立てないよ。それと、その畏まりまくった口調もやめてほしいな。僕の友達なんだから」
「…………。メイル様がそれでよしとしても、他の皆さまがそうとも限りません。どうか、ご容赦を」
「僕と二人きりの時、だけでいい。それでも駄目かな?」
暫くの沈黙の後。
割り切ったのか、クラクは笑みを浮かべて頷いた。
「解りました。いや、解った。これからはそーするよ、メイル。……って感じで良いのか?」
「うん。完璧」
それは、メイルがクラクと出会って一か月ほどしたころ……帝室従者と言う道具を渡された儀式を経て、お互いの関係性も理解し始めたころ。
「で……そうだなあ。クラクはさあ。ここから見る景色、どう思う?」
「さて? ……まあ、楽しげではあるかな。繁栄した都市をこうやって見下ろすなんて、なかなかない機会だし」
「繁栄した都市、ね」
メイルは笑みを浮かべて数度頷く。
もっとも、その笑みは嘲笑に近い。
「確かにその通り。この帝都、スカウフィアは栄えている」
賑やかな街並み。
色とりどりの灯り。
なるほど、これを繁栄していると言わずして何と言うべきか。
この宮廷の屋上からでは、人は随分と小さくしかみえないけれど、それでも行き交う人たちは多いし……それに、そんな行き交う人たちは、そのほとんどが裕福そうな身なりをしている。
たまにそれほどでもない者も居るが、そうした者は武器を携えていて、彼らが冒険者であることを示唆している。
冒険者は見た目のきらびやかさよりも実際の性能で物を選ぶ傾向が強いからであって、必ずしも貧相であるというわけではないのだ。
「スカウフィアは栄えているけど、帝都を出れば貧困が蔓延している。民を下から支えるべし、そうして作られた貴族と言う制度が、民を上から搾取する存在になり果てている。帝都で暮らす人々がお金を持っているんじゃない。帝都で暮らすためにはお金が必要なんだ。だから皆、裕福に見える。裕福じゃないと立ち行かないから、そう錯覚する。……この国は。帝国は、歪みきってしまっている」
すう、と意気を大きく吸って、吐いて。
メイルは、クラクに視線を向けた。
「僕はこの国を変えたい。一部の特権階級が欲しいがままにする国じゃなく、民が貧困に喘がずに生活できる国にしたい。……それが、僕の理想」
「夢」
「そう。夢だ。実際には、どうだろうね……。僕が皇帝になったなら、多少はこの国を改善できるかもしれない。けど、それは本当に多少なんだ。なにもしないよりマシ程度でしかないだろう。僕から先の皇帝たちが、僕の遺志を継いでくれれば、いつの世代にかは理想に現実が追いつくかもしれない……。でも、多分無理だ」
「なんで、無理だと思うの?」
「そもそも僕は皇帝になれないよ」
ウォムス帝国では、帝位の継承権を持つ者を、男女に関わらず王子と呼ぶ。
メイルの上には三人の兄姉がいて、メイルが末っ子だ。
帝位は原則長子が継承し、長子に大きな問題が遭った場合でも年齢順。
つまり、メイルが皇帝になるためには、帝位を継承するためには、三人の兄姉が悉く何らかの理由で帝位を継承できない状態でなければならない。
それは、到底実現不可能なことだ、と言って。
「ガントレー兄さんは穏健派だ。国を変えようとは思わないだろう。ベルティン兄さんは軍人だ。実力主義で考えるだろう。リングス姉さんは現状に満足している。替えたいところなんて無いだろうね。……ガントレー兄さんにお願いをしても、聞いてくれないだろうしなあ」
困ったように笑って、メイルはあーあ、と大きく伸びをした。
「僕が長男だったら……、なんて『たられば』は、意味が無いか」
「メイル……」
「友達にする話じゃ無かったね……妙な話をしてごめん。忘れて」
「ああ。わかった」
「さてと」
居住まいを正し、メイルはクラクに手を伸ばす。クラクは当然のようにその手を取って。
「お腹もすいたし、そろそろ戻ろうか。今日は僕とクラクの誕生日でもあるからね。晩餐会がある。そこにはクラクも参加して貰うよ」
「え、俺も?」
「うん。ていうか、クラクに限らず、全ての帝室従者が揃うしね」
ま、お腹いっぱい食べて、ゆっくりと寝て、そして次の何かに備えよう。
そう言って、メイルはクラクの手を引き、宮廷の中へと戻って行った。
この時、メイル・ジ・ウォムスとクラクは、共に五歳。
子供でありながら子供であることを許されなかった二人の少年は、こうして出会いの日に歪な友人となり……。
竜を辿った幼き帝と、小猫が探した仲間の噺。
敢えてその噺の開始点がどこだったのかと言えば、それはつまりこの時のことであると。
後に姿を消したとある小猫は、そう誰かに語ったと言う。
竜を辿った幼き帝と、小猫が探した仲間の噺
断章 幼子の季、朝の訪れ