旅立ち
「リーン。日本には大福というお菓子があるそうだ。大福が食べたい。もちろん茶は日本茶で。作ってくれ」
旦那様は子供のように無邪気な笑顔でそう言った。
「はい。かしこまりました。調べるのに少々お時間を頂いてよろしいでしょうか?」
リーンがメイドスマイルを顔に張り付けると、旦那様は嬉しそうな表情を浮かべた。
主人の部屋を退出してすぐ、リーンは青ざめた表情で頭を抱えた。
大福って何?どんな菓子なの?想像もつかない菓子に戸惑いつつ、日本の事が詳しく書かれている資料を探す。
旦那様は英国紳士であるが、同時に親日家である。日本の蔵書が書庫にたくさん保管されており、たくさんの資料があった。
そして旦那様のこんな無茶ぶりも割と良くある事だった。
旦那様の無茶なお願いをかなえる為に、必死で調べている間に、日本語の簡単な読み書きや日常会話くらいは出来るようになっていた。
「えっと……大福……餡子を餅で包んだ菓子……。餡子?餅?」
よく調べてみると餡子は小豆という豆を砂糖で煮た物で、餅は餅米という特殊な米を蒸してついて、固まりにした物のようだ。
「豆を甘く煮る……。想像もつかないわ。しかも米も蒸してつくなんてどうしろと……そもそも英国で材料が手に入るのかしら?」
リーンはさっそくレイモンドに相談した。
「旦那様にも困った物ですね。わかりました。材料の調達は私がどうにかしましょう。リーンは調理方法をよく調べて頑張りなさい」
材料は用意してもらえるようだが、結局作るのはリーンであった。大きくため息をついて、また書庫で調理方法を探し始めた。熱心に資料を読みふけるリーンの姿はどこか楽しそうで、微笑ましい物だった。
「エクセレント! この大福というのは美味だ。斬新でオリエンタルで実に良いね」
旦那様はリーンが苦心して作り上げた大福を絶賛しながら食べていた。旦那様の満足のいく物を、作り上げる事ができてリーンはとても嬉しかった。
「ああ……そうだ。リーン。今度山に狩りにいくんだが、ついてきてくれるかい? 狩りの休憩中に君の紅茶と菓子を食べたいな」
「かしこまりました旦那様。野外でも美味しく召し上がれる軽食とお菓子をご用意させていただきます」
旦那様のお願いに即座に返事をしてリーンは退出した。そういえば、森に行くなんてどれくらいぶりだろう……とリーンはふと思った。
生まれ育った村は山の中だったが、あそこを出てからずっと都市部で生活してきた。あの頃が遠い遠い昔の事の用に思えた。
しばらくして旦那様の狩りの日がやって来た。菓子と軽食は事前に作ってバスケットにいれ、野外用のやかんとガスバーナー等紅茶を入れる道具を持ち、リーンは旦那様と供に山へ行った。
もちろん他にも付き従う召使いもいたが、旦那様はリーンをことのほか可愛がり、よく話しかけていた。
「リーン。ほら、あそこに綺麗な花が咲いているよ。可憐で君の用じゃないか」
旦那様はニコニコしながらそう言って、リーンの頭を撫でた。旦那様の屋敷で働き始めて数年。旦那様の菓子係になってからは、毎日のように話をして、旦那様はリーンを可愛がっていた。
我が子の成長を見守るような優しさを、ただのメイドであるリーンに向けている。父親の記憶がないリーンに取っては、憧れの父親のような存在だった。
このままずっと旦那様の側でメイドをしていくんだ。もっともっと恩返しがしたい。
リーンはそう思いながら、旦那様の語る言葉を聞いていた。
「鹿をしとめたよ。今夜の食事は鹿肉を調理させようか」
旦那様はニコニコと獲物を持ってはしゃいだ。たまにこういう子供のようなそぶりをみせるのも、旦那様の魅力だ。そう思って微笑ましくリーンは見つめている。
旦那様がゆっくりと馬から下りて一息をついた時、ふと近くの茂みがわさわさと動く音がした。
リーンと旦那様がそちらの方を向くと、茂みの中から一匹の熊が現れた。獰猛に唸り、激しく興奮している様子だ。
熊の視線の先には旦那様が持つ鹿の死骸に向けられていた。血の匂い惹かれてやってきたのかもしれない。
「旦那様!」
とっさに旦那様を庇うように、リーンは熊と旦那様の間に割って入った。
「リーン! 辞めるんだ!」
背後から旦那様の叫び声が聞こえた気がしたが、リーンは目の前の熊と対峙するので精一杯だった。
熊がうなり声をあげて片腕を振り上げたその時、リーンの体がとっさに動いて熊の懐に飛び込んだ。
リーンの体を赤い炎のようなオーラが包み込む。リーンは無意識のうちに熊の腹に蹴りを入れた。
熊は大きく体勢を崩しつつ、その腕をリーンの体に落とす。しかしリーンの体は揺るぎもしなかった。
リーンの姿に恐れをなした熊はその場から逃げ出した。
狩りから帰るとすぐにリーンは検査された。体のどこにも異常はなく、周りの大人達は驚いた。
リーンの事を薄気味悪く見る他の大人達に囲まれ、リーンはとても不安な気分になった。
その時旦那様が少し考えるような表情でリーンの前に現れた。
「旦那様。わ、私……無我夢中で……なんだかよくわからなくて」
震えるような声でそう言うと、旦那様はリーンを宥めるように肩に手を置いた。
「リーン落ち着くんだ。検査の結果が出た。君にはアウルの適正があるようだね」
「アウル?」
リーンが困惑の表情を浮かべると、旦那様は首を傾げつつ話を続けた。
「天魔という敵を倒す、選ばれし勇者、撃退士。その撃退士が持つ能力だよ。つまり君は普通の人間じゃない。超能力者だ」
自分が普通じゃないと言われても、リーンはすぐには受け止められなかった。それを察したのか旦那様は、リーンを宥めながら部屋へと帰した。
一夜明けて、どこか他の使用人達が浮き足立ってるのを感じた。リーンから目をそらすような不自然さを感じる。居心地の悪さを感じながら仕事をしていると、旦那様からお呼びがかかった。
「ただいま参りました。何か御用でしょうか?」
旦那様はいつものような笑顔ではなく、少し難しい顔をしていた。
「ちょっと話がある。そこに座りなさい」
ソファを指し示す姿に困惑しつつリーンは従った。普通使用人を主人の前で座らせる事などありえない。
何があるのか震えながらリーンは旦那様の言葉の続きを待った。
「リーン。君は学校に通った事がないと言っていたね」
「はい……。でも学校に行かなくても、勉強は出来ますし、仕事もできます」
旦那様はこつこつと机を指で叩いて言った。
「日本に久遠ヶ原学園という学校がある。撃退士が通う専門の学校だ。そこに行ってみないかい?」
リーンの顔がみるみる青ざめる。仕事をまたクビになるのかと恐ろしくなった。
「悪い話ではない。その学園では皆アウルを使える。リーンも普通の学生として過ごせるのだ。撃退士を目指すなら、学費は無料だし、時々依頼をすれば報酬も支払われる。働きながら学べる学校だ。とても自由で楽しい学園のようだよ」
旦那様の説明を受けても、リーンはまだ受け入れられなかった。主人に逆らうなど許されない。わかっていてもつい本音がこぼれ落ちる。
「でも……私は旦那様の側ですっとお使えしたいです」
リーンの震える声に、旦那様は優しい言葉をかけた。
「リーン。君はもう立派なメイドだ。このまま大人になっても、一生メイドとして働けるだろう。しかしまだ若いし可能性はいくらでもある。その可能性を試してみないかい?」
リーンはまだ俯いたまま旦那様を見る事ができなかった。
「私はずっと思っていたのだよ。君はメイドとして完璧だ。だが普通の子供としてはどこか欠けているとね。君はその欠けた部分を補う為に学校に行った方が良いと思っていたんだ」
旦那様はリーンに近づき、優しく頭に手を置くと言った。
「リーン。君が久遠ヶ原学園に行って、学び、無事卒業して、その頃になってもまだ私の所で働きたかったら、またメイドに戻っても良い。でも……もし学校に行く事で、新しい道を目指したくなったら、それも良いだろう。だから君は自由に将来を選んでいいのだよ。こういう言い方は好きではないが……これは私の命令だ……と言った方が従うかい?」
リーンはそこまで言われて、首を横に振る事ができなかった。
「かしこまりました。旦那様のご命令であれば……日本に行きます」
その時のリーンは旦那様の側にいられない事が、どうしようもなく悲しかった。
すでに旦那様が学園に入る為の手続きなどを行っていたらしい。それほど時間もかからずに、あっさり入学の許可がでた。
「リーン……そういえば君には国籍も名字もなかったね」
「はい……」
「せっかく日本の学校に入るのだし、これを機会に日本国籍を取得してみたらどうだろう? と言ってもすでにほとんど手続きは終わってるんだがね」
「日本……国籍ですか?」
「ちゃんと日本人の名を考えたよ。斉凛。それが君の新しい名だ」
「いつき・りん……」
リーンが口の中で小さく呟くと旦那様はにこっと笑った。
「It is Kirinn 麒麟というのは中国に伝わる幻獣の名だそうだよ。そして麒麟児というと才能に優れた将来有望な子供の事を言うらしい。どうだい? 良い名前だろう?」
旦那様が最高に良いイタズラを思いついたという表情で、ニコニコとリーンを見つめた。
リーンはその旦那様の深い愛情に心をうたれ、ひと雫の涙をこぼした。
「素敵な名前をありがとうございます。新しく生まれ変わって日本で頑張ります」
こうして凛の新たな日々が始まった。
ここで小説は終わりです。
この後の凛の人生は「エリュシオン」というゲーム世界となります。
学園のカオスすぎる空気にすっかり染まって……
いつのまにか、釘バット振り回して追いかける、血まみれ撲殺メイド……に、なってました。
どこで道を間違えたんだろう……(遠い目)
学園での凛の生活をみたら、旦那様は笑って喜ぶでしょうが、エヴァンスさんは白目をむきそうですね。




