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異常のお話

「なーなー丁稚よー」


 湯気が立ち上る湯呑を机に置いて天之(あめの)は話を進める。

 榮が『万屋 矢尾』でアルバイトを始めた最初期から度々、店を訪れるお客様だ。


「はいなんでしょうか。けど私は、丁稚じゃないですよ」


 体面に座る彼女の対応も慣れたもの。

 以前とは違い頭髪から色は失われ白色となってしまっているが、その内面は寸分も違っていない。

 いつも通りの対応で、いつも通りの応対だった。


「嬢ちゃんがどーにかなってもさー、こっちゃどーでもいーんだけどさー」

「どうにかなりましたか? 私」


 榮の返答は無視し、天之は机に置かれた布包みを開く。

 布が開かれると、そこには見慣れた物が。


「あ、砥ぎ終わったんですね。ありがとうございます」


 そう言い榮はペコリと頭を下げた。

 『極楽丸』の砥ぎを依頼して一週間。

 こうしてわざわざ包丁を携えて『万屋 矢尾』を訪れたのは、何か意図があってのことだろう。


「嬢ちゃんさー、なんか変なモン斬ったかー?」


 変な物。

 心当たりは…ありすぎて困る。

 コンクリートを切ったり炎の塊を切ったり、黒い靄を切ったり自身に突き刺したり。

 尋常な包丁だったならば最初のあたりで砕け散っていただろうに。


「変なモンってのは、あれだ。神だよ、神」

「あー…なるほど」


 つまり、だ。

 お客様―――もう偽る意味もない―――神様である天之が言うことには、こう言うことだ。


『お前、神を斬り付けたか?』


 そんな所だろう。


 つい二週間前の事。『万屋 矢尾』で店番をしていた時だ。今でも鮮明に憶えている。

 友人である諏訪の家で崇める神様…健と言うらしいが、彼が刀を持って襲い掛かってきたのだ。極楽丸曰く『神刀』だったらしいが、そんな事はどうでもよい。

 重要なのは、自分が神様と相対し、少なくない手傷を与えたという所だ。矢尾曰く『私が知ってる限り、あんな事をしたのは私以外で初めて』らしい。

 おかげで一週間ほど死にかけていたらしいが、今こうして生きているのだから些細なことだ。

 貴重な体験もできたし、感謝しよう。


 では報復か? と脳裏によぎる。

 まあ、今更あれこれ考えても仕方がない。そう考え、榮は素直に肯定した。


「えっと…はい。健という神様と、ちょっと一悶着」

「あー…あの諏訪んトコの軍神か。そりゃ道理だ」


 そう言い天之はしげしげと極楽丸を眺めている。

 何かあったのだろうか?


「悪いがな嬢ちゃん。この包丁は、もう手に負えねえな」

「手に負えない、というと?」

「俺の『力』を超えちまってる。逆に取って喰らわれそうだ。多分、嬢ちゃん以外にゃ持つ事もできねえよ」

「え、えっと?」

「子や孫が、祖の『力』を超えるってのも悪かねえ。冥利に尽きるってもんだ」


 何か一人で納得して頷く天之。

 しかし榮には訳が分からない。


「あの!? つまりどういうことです!?」

「もうこいつぁ『妖刀』じゃねえよ。んー…あれだ『神刀』だな」

「えーっと…包丁なんですけど」

「些細な事だろ。刃が付いてりゃ似たようなモンだ」


 ―――鍛冶師がそれを言いますか!


 心底愉快そうに言う天之に対し、榮はうんざりした気持ちだった。

 取りあえず、机に置きっぱなしになっている包丁を受け取る。

 小憎たらしいほどにピカピカだ。


 そんな時、榮の背後の襖がカラリと音を立てた。

 振り向くといつも通り、上から下まで黒衣のドレスに身を包んだ、妙齢の女性が立っていた。


「あら、来ていたの天之」

「まあなー」

「さっさと帰りなさい。用事は済んだんでしょう」

「おうよ。もう未練もねえしな」


 そう言って天之は満面の笑みを矢尾に向けた。

 もう悔いなどない。そう言っているかのように。


「…そう。さよなら」

「あばよ。そんじゃな、嬢ちゃんも。ババアに虐められんなよ」

「あ、はい。ありがとうございました」


 手を振り、笑顔で去っていく天之。

 それきり榮は、彼と会う事はなかった。




―――




「まあさあ、榮がそう言うんなら止めはしないけどさ」

「うん」

「諏訪がなんて言ったもんかねえ。榮に依存してるじゃん、アイツ」


 ケラケラと笑いながら言う岡谷。

 対して榮は苦笑してしまう。


 いつもの学食。周囲が賑わっている中で対面して座る榮と岡谷。

 ここ数日、色々な手続きで忙しかったのだ。こうして一緒にお昼を食べるのも久しぶりだった。


 しかしなんでか。

 数週間ほど前に復帰して以来、岡谷の諏訪に対する言葉に遠慮がなくなっている気がしていた。


「けどなんでさ? わざわざそんな事しなくても、夏休みとか春休みとか長期休暇に行けばいいじゃん」

「んー…どうせならサッパリしちゃいたいんだ。けじめ、っていうのかな」

「ふーん。やっぱり面白いね、榮は」

「そう? 普通だよ」


 そうして箸を進める榮。

 今日の昼食はハンバーグ定食。付け合わせのニンジンがいやに水っぽい。

 体面に座る岡谷は、いつも通りに変わらずうどんである。やはり変わらない。良い事だ。

 そのハンバーグ定食も食べ終わる頃だろうか。


「さ、さかえっ! お、お昼、一緒に…食べて、いい?」

「ん、いいよ。食べ終わっちゃったけど、待ってるから」

「あ、うん、ありがと…」


 そう言い、榮の隣に腰かける諏訪。

 巾着から包みを取り出しおにぎりを食べ進めた。いつもと変わらない。


 以前、榮が諏訪に謝り。諏訪が榮に謝り。

 その時の事とそれまでの事は、水に流したつもりだった。

 しかし諏訪は、今までの態度とは変わっていた。明らかに委縮している。

 これが岡谷の言う依存なのかは分からない。けれど、このままではダメだと思った。


 誰の為にもならない、と。


「ねえ、諏訪」

「う、うん! ど、どうしたのさかえっ!」


 だから、決めたのだ。

 変わらない事は、良い事だ。けれど、変わらなければならない。

 決して誰かの為ではなく、自分自身の為に。


「私ね、退学する」

「………え?」


 そう言われた諏訪の顔は、呆気に取られていた。

 それもそうだ。今まで何気もなく隣にいた相手が、急に退学すると言ったのだから。

 しかし、榮は決めたのだ。


 誰かに話したのは今朝、矢尾さんが初めて。極めて淡白な反応だった。

 ただ『ふぅん』の一言だけ。けれど、それがかえって安心した。


 次に岡谷。何故だか話したくなったのだ。

 きっと、自分が急にいなくなっても変わらないだろうが、けじめとして。


 母へ言っていないのは、きっと大した興味もなさそうに『あっそ』とだけ言うのだろうと確信しているから。


 そして、諏訪。


「ど、どう、して? わ、わたしの、せい、なの…?」

「ううん、違うよ。諏訪のせいじゃない」

「け、けど、わ、わたしのせい、で、さかえ、ひとじゃ、なくなって」


 涙を流しながら諏訪は言った。

 諏訪の言う通り、榮はもう『人』ではなかった。

 自身の事である。それは榮が一番自覚していた。


 体はヒトのそれではなく。

 『鬼』である先輩とは取っ組み合いをしても、容易く組み伏せた。

 『狐』である先輩にはまるで化け物でも見るような目で見られた。

 『邪』である先輩にはこれからの幸運を祈られた。

 『童』である先輩には『力』とやらの使い方を教え込まれた。

 只者ではないと感じてはいたが、まさか『日本全国特産研究会』の面々が人ではなかったとは思わなかった。

 とはいえ見る目が変わるわけでもない。もはや自身も人ではないのだから。


 魂はヒトのそれではなく。

 矢尾曰く『貴女の、そうね。魂はもう、人の域を超えているわ』だそうだ。

 つまり『神』のそれになっているのだという。とはいえ自覚できる変化があるわけでもない。

 もう神様に対して『怨み』を抱いているわけでもない。

 お客様は神様だということからも、目を背けてはいない。


 だから、もう、大丈夫。


「ねえ、岡谷」

「なにさ」

「私がヒトじゃなくて、神とか妖になってるって言ったらどうする?」

「ん? 別に。中身が変わってなきゃ気にすることもないでしょ」


 肩を竦めて当然のように言う岡谷。

 そしてなおも続けた。


「死んでるわけでもあるまいし、今生の別れでもないじゃん。別に悲しむことでもないけどね。てか榮、死ぬの?」

「んー…分かんない。何年生きるんだろ」

「あーりゃりゃ。八百比丘尼でもあるまいし。ま、羨ましいとは思わないけどさ」


 そう言って、岡谷はお盆を持ち上げる。

 返却口へ向かいながら、気易く言った。


「それじゃあね、榮。ま、気が向いたら遊びに来なよ。お茶くらいは出すからさ」


 手を振りつつ、去っていく。

 最後の最後まで自分の芯を貫くその生き方は、どこまでも眩しかった。


「ねえ、諏訪」


 榮はそう言って諏訪を抱きしめた。

 周りの視線など気にすることもなく。


「私ね、退学して、旅に出ようと思うんだ。日本だったり、海外だったり。何処へでも」

「やだ、やだよ…初めての友だちとやっとあえたのに…また、お別れなんて…」

「お別れじゃないよ。一年に一回は、絶対に戻ってくる。諏訪に逢いに」

「ほん、とう…?」

「うん。絶対に。嘘は吐かないよ。死ぬまでずっと、逢いに行く」


 ジッと、諏訪の眼を見つめる。

 透き通った眼だった。あの頃と、小さい頃に出逢ったあの頃と、全く変わりのない。


 グシグシと目を擦り涙を拭う諏訪。

 赤くなった眼を榮へと向ける。強い、何かを決意した視線だった。


「うん、さかえ。また、ね」

・名前:(さかえ)

 性別:女

 職業:大学生

 好物:誰かと食べる食事

 設定:

 至って普通の大学生。

 『万屋 矢尾』でのアルバイトはいつも通り。

 いつも通り変なお客様と対話しながら、いつも通り変な事を巻き起こしている。

 なんだかぎくしゃくした仲の諏訪とは、今まであまり話せていなかった。

 自身へのケジメとして大学を退学することを決意。

 それを一番に伝えたのは矢尾。次に岡谷。最後に諏訪。

 母へ伝えないのは、自身に興味がないと確信しているから。

 諏訪へ別れを告げ約束をし、そして彼女は大学を去っていった。


 以前、矢尾に自らの本音/本心を吐露した事が原因で『神』への(と偽っていた自身への)『怨み』/『悪意』が消失した。その結果『妖』の身体と『神』の魂を持ちながらも、その心は『人間』のまま生き続けることになった。

 どれでもない(・・・・・・)ではなく、どれでもある(・・・・・・)

 『神』として『妖』としての『力』はまだ手探り状態。

 そして本人曰く『何年生きるかわからない』らしい。

 

・名前:極楽丸

 性別:不明

 職業:包丁

 好物:菜汁・菜肉

 設定:

 太刀が鍛え直された包丁。

 刀鍛冶の『神』に砥ぎに出されていたが、彼曰く『自分の力を超えている』との事で、手を加える事ができなかった。

 数週間前、最上位に近い『神』による爆縮・解放で『力』を至近距離から浴びた彼は、自身の『力』によってそれすらも喰らい(その直前、血を取り込んでいたのも加わり)彼/彼女は『妖』ではなくなった。それも『神』の『力』の一部として揮われる神剣ではなく、自身の意思と強大な『力』を持った『神』に。

 その影響か、元あった『力』の一部は使えなくなったが、結果的にはそれ以上の『力』を得ることに。


 榮が旅に出た際、彼/彼女も同行している。

 そして攘魅(ぬすみ)も同様に。


・名前:岡谷(おかや)

 職業:大学生

 好物:うどん

 設定:

 短髪で陽気な大学生。

 いつも通り食堂で、榮と共にうどんを食べていた。

 榮が退学するという話を聞いても、そして『人間』でなくなったとしてもそれほど態度を変えず、そして『羨ましいとも思わない』と言った。

 しかし『お茶くらいは出す』と言うあたり、友情は感じていたらしい。


 彼女は頑なに変わる事を拒む。

 それが矜持であり、彼女が彼女である意味。


・名前:諏訪(すわ)

 性別:女

 職業:大学生・祓い師

 好物:御御御付け

 設定:

 大和撫子な大学生。

 少し遅れて学食へ。榮が『人間』でなくなった事に対して自責の念を持ってしまっている。そのせいか、榮と話す事ができぬまま時間が経ち、その決意に気づく事ができなかった。

 『初めての友だち』であり『同類』でもある榮は、彼女にとって得難い人物だった。

 榮との別れを拒むも『一年に一度、再開する』という約束により、涙ながらに別れを受け入れた。

 

 並行世界では同じ道を歩んでいたものの、この世界では袂を分かつ結果となった。

 これから先、ただ一人の親友との再会を心待ちにしながら、これからの人生を生きる事に。


・名前:矢尾(やお)

 性別:女

 職業:万屋店主

 好物:酒

 設定:

 路地を何本も進んだ先にある、古びた万屋の店主。

 榮から大学を辞めると伝えられ、ただ『ふぅん』とだけ返事を返した。

 そして共に旅をしようと約束をし、榮の退学後は全国を旅する事になった。

 

 先祖と果たせなかった約束は、その子孫によって果たされる事になった。

 死から逃れる一人。そして死から捨てられたもう一人。

 その最期は、きっと『法則』が変わるまで。

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