日常のお話 童編
童編の『童』は、座敷童か祟勿怪かそれとも『ヒト』かの『童』です。
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彼女はずっと永く『呪い』の沼に囚われていた。
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その地域では、長らくある儀式が行われていた。
今は長の家系にのみ遺されたそれは、家の繁栄を願う『呪い』だった。
数十年に一度、初めて産まれた女子を贄とするそれはある意味、最も忌むべき事だった。
しかし家の繁栄の為、その儀式は現代まで続けられていた。
その代償が、幼子の苦痛だという事からも目を逸らし。
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気が付くと、暗く暗く狭い小さな部屋にいた。
生活感などまるでない。家具一つ照明一つ存在しない。
体を起こす。
背丈よりも随分と高い障子戸の前には注連縄が張り巡らされていた。
部屋を囲むように、グルリと。
恐る恐る手で触れようとすると、バチリと音が鳴った。
痛みはない。しかし何か、壁のような感触があった。
生暖かく柔らかい透明な壁だった。
以前の事は何も憶えていない。
まるで真っ白。元よりなかったように。
しかし記憶を辿っていく内に、自身の名前であろう一つを思い出すことができた。
―――オトハ、ごめんなさい。
オトハ。それだけを。
どれほどの歳月が経っただろうか。
あっという間のような、気が遠くなるような。
その間、部屋に立ち入る者は誰もいなかった。
ごくたまに、障子戸の向こうから子どもの声がしたこともある。
しかし彼女が近づくと悲鳴を上げ、去っていってしまった。
長い時間を過ごす間に、彼女は幸せの中にあった記憶を思い出していた。
父の顔を。祖母の顔を。祖父の顔を。そして、母の顔を。
頭を撫でられた。抱き締められた。皆が笑顔だった。皆が幸福だった。
その中にいたのだから、きっと自分も幸せだったのだろう。
そう思い続け、彼女は正気を保っていた。
きっと迎えに来てくれる。いつか、必ず。
だが同時に心のどこか、反する記憶があった。
頭を叩かれた。叱られ続けた。皆が険しい顔をしていた。
不幸な苦しい、辛い記憶。
間違いなく経験したのに、どこか他人のような。
苦しいのに辛いのに、何か遠い。
心を蝕む『何か』に苦しみながら、彼女は待ち続けた。
―――
待った、待ち続けた。
気が遠くなるほどに。
そして思い出した。全てを。
自分は『悪意』を押し付けられて育てられ、何かに『悪意』を抱くように仕向けられた事を。
何故かは知らない。知りたくもない。
『お前が悪い』『全て、お前のせいだ』『お前さえいなければ』
首を絞めて殺されながら、そう言われた。
それを自覚した頃からだろう、部屋の中に黒い靄がかかり始めた。
清浄な空間を冒すかのように。そして本能的に、これが『呪い』なのだと理解できた。
しかしその僅かも障子戸に触れる事はなく、その密度を増していった。
それがどう作用するのか、彼女にはわからない。
だがそれでも、外にいるであろう誰かに『呪い』が降り注ぐのならば、それでよかった。
そんな負の感情に満ちていた中、唐突に障子戸が開いた。
今までの彼女の苦悩など知らないように。
黒い靄はまるで犠牲者を求めるように、開け放たれた戸から出て行った。
自身の半身ともいえる黒い靄の動きは手に取るようにわかる。
山を降り人を喰らい、地を水を冒すのだろう。
一帯はもはや、何者をも許さない土地となる。
どうでもよかった。もう何も。
『あら、面白いわね』
そんな声が、耳に届いた。
同時に、手足と同等の黒い靄が欠片も残さずに掻き消えた。
思考が晴れる。
今まで『悪意』に満ちていた事が信じられない。
あれが自身の本性なのかと思うと、怖気が付いた。
『ザシキ…とは違うわね。タタリ、とも違う。中間存在かしら? 初めて見るわ。けど…』
黒い靄を消したであろう、何やら黒い衣装に身を包んだ女は呑気に言う。
女が手に持っていた白い紙が青い炎を上げて消え失せた。
『どうでもいいわね。アナタ、何かやりたい事でもある?』
―――怨みたくない。誰も、何も。
『そう。ならば学びなさい。誰も怨まないように。強くなりなさい』
差し伸ばされる細い腕。
しかしそれは蜘蛛の糸。
取らないという考えは、彼女にはなかった。
・乙葉/音葉
設定:
幼い頃、ある儀式の生贄にされた双子の姉妹。
乙葉は姉である。幸福の中で生き生かされ、幸福のまま贄となった。
音葉は妹である。不幸の中で生き生かされ、不幸のまま贄となった。
乙葉の魂は黄泉へと渡れず、音葉の魂は黄泉へと渡らず。二つの魂は小さな部屋へ幽閉された。
『法則』に従い、幸福は『願い』を叶え得る場となり、不幸は『呪い』を生み出す場となる。一つの魂は『座敷童』と成り、一つの魂は『祟勿怪』と成った。
しかし幼い姉妹は孤独を嫌い、半身ともいえる姉と、妹と混じる事を望んだ。
彼女はその為、中間存在である。
幸福に振れれば『座敷童』として『願い』を叶え、不幸に振れれば『祟勿怪』として『呪い』を
生む。
どちらでもない、ではなく、どちらでもある、である。
苗字は豊野。
しかし産まれた家は、お世辞に言っても豊かな野ではない。
儀式によって、辛うじて保たれてきた。
・黒い衣装の女
設定:
気紛れに全国を旅している女性。
津々浦々に風来坊をしていた所、微かなしかし強大な『呪い』の気配を感じた。
気配に惹かれるように近づくと、古びた、しかし大きな屋敷が聳えていた。
人の気配の絶えて久しい敷地に入り、離れの小屋の障子戸を開ける。
すると濃密な、禍々しい『呪い』が溢れ出た。そして小屋の中には『座敷童』と『祟勿怪』の中間存在が。
彼女にとっては気にも留めない程度の『呪い』だったが、里へは壊滅的な被害を予測しその全てを滅した。
その場にいたオトハの異質さが目に留まり、その身柄を預かり教育を施した。
その後、自身が創設者となっている大学を薦め、オトハの幸福を祈りながら送り出した。
・儀式
設定:
数十年に一度、長の家系で執り行われる、生贄を伴う儀式。
儀式が執り行われる年、初めて産まれた女子を生贄に、家の繁栄を願う。
『三つ子の魂百まで』…幼い頃の性情はいつまでも残る。
『七つまでは神のうち』…七つを数えるまでは『神』である。
これら『法則』により『幸福』に満ちた『神』の魂を囚え『座敷童』とする。
これが儀式の詳細である。
しかし乙葉/音葉の場合、双子として産まれ落ちた。
片方を『幸福』とし、片方を『不幸』とする。
それは『願い』を叶えながらも『呪い』を生み出す矛盾を孕み、周囲一帯が『呪い』に飲み込まれる要因となった。
どうしてそのような儀式を執り行ったのか、どうして双子を生贄としたのか。
関係者の全てが死に絶えた今となっては、それを知る者は誰もいない。




