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日常のお話 鬼編

鬼編の『鬼』は、鬼がヒトに好意を抱くまでの経緯の『鬼』です。

―――




 彼女はずっと『嘘』の中で生きていた。




―――




 彼女が産まれ落ちたのは山深い場所に位置する、ある村落の長の家だった。

 上には四人の兄。後には三人の弟が。八人兄弟唯一の女として生を受けた。


 彼女は鬼子だった。

 生まれついて歯は生えそろい、産湯に入る前に乳を飲み、次の日には立ち上がり歩き始めた。

 それは尋常な出来事ではない。

 事実、彼女の母は恐れた。長の後継に嫁いだ内の一人。事情など知る由もない。

 対して女の父は歓喜した。一族に伝わる伝説に立ち会えたと。


 一族にはある伝説が伝わっていた。


 一人の人が一人の鬼と交わった。

 一人の鬼は一人の子を産んだ。

 一人の子は多くの子を産んだ。

 多くの子は多くの子を育てた。


 一族は男系家族だった。

 事実、男子しか産まれる事はなく、外から女を迎え入れその血を繋いできた。

 しかし何代かに一人産まれ落ちる女子は例外なく、強い『力』を持つ。

 それは先祖返りとも揶揄される事象。


 彼女は鬼子だった。


 比喩でなく、事実として。

 彼女の身体には間違いなく、鬼の血が流れている。

 人が産み落とした異質な生き物。人と妖との禁忌の存在。

 尋常であれば祝福されることなく、その瞬間に奪われる命。


 しかし一族は違う。

 僅かながらに流れる鬼の血を崇め讃え拠り所にし、数代に一度誕生する『力』を持つ女子を頭首とし、奉る。

 そして将来的に、兄弟の一人と交わり血統を繋いでいく。それが連綿と続けられていた。


 かつて一人の鬼と愛し合い子を成すまでに至った人間を、狂気といえばそれまでだ。


 だが子々孫々がそのような思惑を知る由もない。

 崇める父に、色目を送る兄弟に。もはやどちらが鬼なのか。

 それに疑念を抱く者は、どこにもいなかった。



―――




 ―――紅葉。兄弟と子を成し、血を繋げ。


 幼い頃からそう乞われ、彼女は育ってきた。

 年の離れた四人の兄からも、年近い三人の弟からも姫の如く接される。


 彼女は幼い頃から尋常ならざる力を発揮していた。

 兄弟にはない、彼女の『力』のせいだった。


 自身よりも遥かに大きい大岩を片手で持ち上げる。

 崖上から落ちても傷一つ付かない。

 異常な怪力、異常な耐久力。

 しかしこれらは『鬼』としての基本的な『力』だ。驚異的であれ特別ではない。

 程度の差はあれ『鬼』ならば体質として説明できる。


 彼女固有の『力』は、あらゆる異性から好かれる事。

 兄弟からまるで雲上の者の如く接せられるのも、そのせいなのかもしれない。


 しかし彼女自身、この『力』を嫌悪していた。

 全ての感情も過程も何もかもを無視し、好意のみを強制的に抱かせる。

 無関心の人物からの好意ほど、意味のないものはない。


 そして、何より―――




―――




「鬼無里さん? どうしたんですか、ボーっとして」


 そう声をかけられハッとする。

 どうにも、好きな者が好きな物を食べている姿を見ていると、意識がどこかに飛んでしまう。

 声をかけたのは、彼女の後輩。とはいえ同じサークルや部活、研究会の後輩というわけではない。

 同じ大学に在籍する、学年が二つほど違うだけの後輩だ。


 後輩との出会いは、どうにもパッとしない。

 一つ後輩である麻績が、隠されているはずの『日本全国特産研究会』の部屋の前で誘い、発表会の席にて顔を見たのが一番最初。

 当初はどうして人間がいるのか、よもや『業界』の関係者なのでは、と勘繰ったのだが、それも今は昔の事。


 正直な話、第一印象は最低だと断言してもよい。

 顔は良く人当たりも良い。興味はそそられないが食指は動く。

 それに諏訪の跡取りと親交があるというのだから。グチャグチャになるまで弄び、ドロドロになるまで依存させ、そして捨てる。

 そうすれば諏訪の跡取りへ意趣返しにもなる。


 これまでにも何度か行ってきた事だ。自身の、本能ともいえる部分を発散させる行為。


 ハッキリ言うと性的な目で見ていた。同じ女性を。

 それは幼い頃から、今の今まで変わらない。

 兄弟から受ける愛の言葉に肌が粟立った。異性から向けられる視線に吐き気を催した。

 理由があるわけではない。ただ、そういう性情なだけ。

 傾国と讃えられるその美貌は、身体の異性へは欠片も向けられていない。


 しかし女性を、そういう(・・・・)対象で見ていたのは、目の前の後輩が最後だった。


 第一印象は最低の一言。しかしそれ以降の、第二第三以降の印象は、随分と変わった。


 第二印象は、初めて会った次の日の事だ。

 魅了しようと、講義が終わる時を狙って近づいた。

 そして『力』を発揮する美貌を向ける。ただの人間ならば抗いようもなく、心を奪われる。

 男は美貌へ。女も同様に。男女の区別なく。

 どう声をかけたのかは憶えていない。


 しかし後輩はただ頷き、手を繋いで共に歩き出した。

 これに面食らったのは彼女自身だ。

 赤面もせず照れもせず、ただ淡々としている者は初めてだった。

 彼女は逆に慌ててしまい、部屋の前まで同行してからどうでもよかった用事に向かう事で難を逃れた。


 第三印象は、その次の日の食堂での事。

 顔見知りの同輩と共に昼食をとっている所で出くわした。

 彼女は気まずさを覚えたが、しかし後輩は何の気兼ねもなく至って普通に接してきた。

 それは今までにはない事だった。

 

 外面などには欠片も興味を示さない。

 よくよく観察すれば、後輩は誰とも関わろうとしていない。

 諏訪の跡取りや同輩と共に食堂で昼食を取っているが、それ以外に友人はいないようだった。

 作れない、というよりも作ろうとしていない。

 同輩から話を聞くと、諏訪の跡取りとは過去に親交があったようだ。


「あの、鬼無里さん?」

「ん、ああすまないね。見惚れてしまっていたよ」

「も、もうっ! からかわないでくださいっ!」


 歯が浮くセリフを言えば、顔を真っ赤にして言う後輩。

 以前までの後輩ならば軽く受け流していただろうに。

 それは仲が進んできた証拠だと、彼女は過去を振り返った。




―――




 『鬼』である彼女は、誰よりも何よりも『嘘』に敏感だった。

 理屈があるわけではない。酷い目にあったわけでもない。誰に教えられる事なく、正義感からでもなく。


 ただ、許す事ができなかった


 弟が嘘を吐いたことがあった。

 小さな嘘だ。幼い事を考えれば悪戯の範疇。


 彼女は許せなかった。


 半殺しにした。

 肋骨が三本折れ右肩が脱臼、頬は腫れ上がり全身が痣だらけ。

 まだ『力』の使い方が上手くなかったのが幸いしたのだろう。その程度で済んだ。


 それは成長しても変わる事はない。

 しかしそれは、生きるだけで彼女を、自分が自分を苦しめている事を意味していた。


 彼女は女性が好きだったのだ。

 いつからかは分からない。ただ気が付いたらそう(・・)だった。

 誰かに打ち明けたことはない。しかし、それは『嘘』なのではないかと、そう思って苦しんでいた。


 奇しくも、その思いが晴れたのは、心奪われた一人の後輩の言葉だった。


 その日は忘れもしない。雨が降りしきる梅雨の一日。

 『日本全国特産研究会』の発表会が終わり、二人の後輩と先輩が去った後、忘れ物をしたと言って後輩が戻ってきた時の事。


 好意を持っていたのは事実だ。

 付かず離れず。追われず責められず。深く入り込もうとせず、絶妙な距離を保つ。

 心地よかった。

 だから、だろうか。

 思わず、打ち明けてしまった。


 自分がずっと、嘘を吐き続けていると。


 しかし後輩はこう言った。


『どうして嘘になるんです?』


 あっけらかんと。

 本当にどうしてそう思っているのか、心の奥底から疑問を持っているように。


『誰かを騙すから嘘なんですよ。けど、誰にも言っていないんですよね?』


 誰にも言っていないから嘘は吐いていない。

 そんな詭弁のような物言い。

 

『嘘なんてついていませんよ。一人で溜め込んで苦しかっただけですよ」


 そう言いジッと見つめる後輩。

 心の奥底を見透かされるような視線だった。

 貶すでもなく肯定するでもなく。ただ、ありのままを言ってのける。心の底から、嘘偽りなく。


『気持ち悪いとは…思わ、ないのか…?』

『どうしてですか? 人は違いがあってこそです。私は好き、ですよ』


 後輩にとっては些細な一言だったかもしれない。

 けれど彼女にとっては何よりも得難い言葉。


 彼女の心は、間違いなく救われた。




―――




「まったくもう…どうしてそんな恥ずかしい事を…」

「恥ずかしくないさ。間違いない本心だからね。しかしキミも、ようやく顔を赤らめてくれるようになった」

「むむぅ…だってあの時よりずっと魅力的なんですもん」

「魅力的?」

「前は、その…まるで鬼みたいに険しかったんです。けど最近は、なんだか和らいでいて。あの、その…素敵です」

「…ふむ、ところで提案なんだが―――」

「せんぱ~い。頼まれてたコロッケのお店を―――げぇっ!」

「あ、穂高さん」


 そんな後輩同士のやり取りも慣れたものだ。

 少しばかり嫉妬を覚えてしまうが、それはそれ。

 

 どちらも共に、愛すべき後輩なのだから。

紅葉(もみじ)

 設定:

 山深い村落で産まれ落ちた鬼。百年ほどに一度誕生する鬼女。

 その『力』は、異性を魅了する事。怪力はただの基礎能力。

 幼い頃から、身体の性と同じ者を好いていた。

 それはきっと、言われ続けた『兄弟と交わる事』に、無意識的に嫌悪を覚えたからかもしれない。

 誠実とも違う、自身の根源から湧き上がる『嘘』への嫌悪感。しかしそれは、ずっと『嘘』の中に生きてきた彼女自身を苦しめる事を意味していた。

 誰にも打ち明けられない苦悩は、しかし後輩である人間によって呆気もなく解消することになった。

 そして同時に、彼女に対する好意はストップ高。他の人間など、どうでもよいほどに。


 性格は至って真面目。祭りは好きなので時にはっちゃける。


・後輩

 設定:

 紅葉が在籍する大学の後輩。紅葉よりも二つ下の学年。女性。

 彼女は誰をも嫌いではない。そして誰をも好きである。

 まるで聖女のようだが、それはきっと自身に『価値』を、引いては『意味』を感じていないから。

 だから『誰か』に付かず、離れず。そして『誰か』を追わず、責めず。

 そうしよう(・・・)という意思はなく、そうしなければならない(・・・・・・・・・)という無意識領域での強迫観念によって、空っぽのまま生きている。

 自分に『価値』を付けようと躍起になってもいるが、彼女は『価値』が分からない為、それが叶う事はない。


 性格は至って真面目。しかし現状に満足してしまっている。


・『日本全国特産研究会』

 ある大学に設立されている研究会。

 その名の通り東西南北、津々浦々、日本全国の特産を取り上げて発表をする事を目的としている。

 寂れた村落での秘祭(異界より堕ちた神の首がご神体)を取り上げたり、霧に包まれ血と錆に塗れた街を取り上げたり、紅い蝶が飛ぶ村を取り上げたりと。

 現在の研究会員は五人。一人は勝手に書類を出されている。

 また、所属には会長の同意が必要。これだけは代々継承されている。


 所属した全員が、人間ではない。

 大学に学籍している妖怪が籍を置く研究会である。

 人間が所属した例も僅かにあるが、そのいずれも人間側が狂う形で離脱している。

 現在、一人だけ人間が所属しているが、近い将来人間ではなくなるので、特に問題ではない。

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