表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/56

祭事のお話 它編

它編の『它』は、它神すらも恐れる人間の存在は果たしての『它』です。

『健よ、久し振りに酒でも呑まんか』


 そう知己の『神』から誘われたのは『お嬢』の友人が泊まった一週間ほど後の事だった。

 半月になろうかという日。雲一つなく綺麗な月だった。


 手酌で酒を注ぎ、猪口を傾け流し込む。

 ツマミはない。必要がない。隣同士で座り合い、黙って酒を進める。

 口を開いたのは、健と呼ばれた男からだった。


「んで、どうしたよ。お前さんからなんて珍しいじゃねえか。何年ぶりだ?」

「…いやな、次代に跡を継がせる時期も迫ってきての。年が明ければ儂も消える。今まで売ってやった分の恩は気にせんでもよいぞ」

「はっ、よく言うぜ。お前さんの神社、創ってやったのは誰だと思ってやがる」

「ふん、両腕千切れかけて逃げ延びてきたお前を、治してやったのは誰だと思っておる」


 そうして視線を合わせる二人。

 口元は愉快そうに綻んでいた。


 チン、と猪口を合わせる。

 コクリと飲み込み、健はふうと息を吐いた。


「…そうか、寂しくなるな」

「何を言うか。必要のなくなった『神』が消えるのは自明の理だろうに。今更の事よ」


 健の知己の『神』…ミシャグはそう言う。

 その起源は、恐らく健よりもさらに永い。彼が地上へと降りてきた時には、既に畏れられていたのだ。

 『神』としてのその『力』は祟り(・・)に特化していた。

 古来より人々から畏れられ、あらゆる存在を祟る(・・)。それは同種の『神』すらも。

 とはいえ、それも遥か昔の話。

 今は自身を祀る神社から離れることは出来ず、その殆どを諦め(・・)て次代の『神』に跡を継がせる事に注力していた。

 しかしそれも上手くいかず、幾星霜を無為に過ごしていた。


 それなのに、だ。


「あのちっこいの、どうしたんだ」


 健がいう『ちっこいの』とは、ミシャグが言う次代(・・)の事だ。

 今のミシャグよりも更に幼い、本当に生まれたての『神』


 そう尋ねると、ミシャグの顔が曇った。

 そうして、言う。


「…儂は、諦めておった。何年も、何百年も次代を望みながら、だが叶わず。このまま何も遺せずに消えるものだと、諦めきっていた」

「ああ、知ってるぜ」


 何をしても、何をしても何をしても。

 次代など望めず諦めが募り、そして蝕まれていく心。

 その苦悩が、その心境が、その諦観が。


 間近にいた健にはハッキリと見て取れた。


「今度もダメだった。そしてもう、全て諦めておった」

「―――待てよ、諦めていた? ならあのちっこいの、どうした」

「…アレは、儂の『力』だけでああ(・・)成った訳ではない、混ざっておる」

「何があった?」


 健を見るミシャグの眼は、至って真剣だ。

 自嘲するわけでもなく、だからといって侮るわけでもなく。

 ただ、事実を述べた。


「アレはな、白凛、というのだがな。名を付けられて、一気に『力』を開花させおった。儂が名付けたのではないぞ。人間が名付けた」

「人間が? あり得んのか、そんな事」

「儂も初めての経験なのでな。しかし、起こった事は信じる他あるまい。事実、アレは『神』となったのだからな」

「誰だ? 矢尾…いや、アイツが来るわけもねえ。他に…は、思い当たらねえな」


 『神』を遥かに凌ぐ『力』を持つ人間の心当たりなど、そうはない。

 唯一、心当たりがあるのは、結界の奥で引き篭もって『万屋』を戯れに運営している人間。名は矢尾という。

 彼らの『業界』では『神殺』と名の知れている、しかしただの人間だ。

 化物染みた『力』を持つが、それでも『人』の領域に留まり続けている。

 そもそも、現象の体現である『神』を凌ぐ事など不可能なのだ。次元が違う、とでも言えばいいか。極一部の例外を除いて、あり得ない。


 そして『神』の成り立ち。

 一定以上の『力』を持ち素質(・・)を秘め、尚且つそれ以上の『力』を持つ『神』が名を付ける事で、次代の『神』となる。

 ミシャグは『力』を持つ眷属を生み出す事に難儀していた。

 そして一定以上の『力』を持つ眷属を生み出す事に、永い年月をかけ一定の成果を得る事が出来た。

 しかし、同時に素質(・・)を秘める眷属を生み出す事が出来なかった。


 先ほどのミシャグの言葉。

 あれでは丸きり逆だ。過程と結果が逆転している。

 あるいは、それ程の『力』を持つ者だったのか。


 思考に陥る健だったが、それを遮るようにミシャグの声が発せられた。

 まるで、秘める心を打ち明けるように。


「―――儂は…儂は、奴が、あの人間が恐ろしい」

「…神が人間を恐れちゃ、商売あがったりだ」


 確かに、彼の横に座るミシャグは、全盛期とは比べるべくもなく『力』が衰えている。

 科学が全盛となり、多くの現象が解明され『神』の正体が知れてから百余年。

 これまでも多くの『神』が消えて行った。信仰されなくなった『神』の末路など、惨めな物だ。


 しかしその『力』は、その司る祟りは、一人の人間程度など簡単に殺す事は可能だ。


「儂は、あの『泥』に襲われた時、もう諦めておった。次代は既に逃がし、もう存在する意味もない。呑み込まれて、そのまま消えるものだと、覚悟しておった。だが―――」


 まるで吐き気を抑えるように口に手を当てるミシャグ。


「奴が、あの人間が、助けに来おった。人間ならば、入った瞬間に冒される『呪い』の真っただ中にな。その上、儂を背負いおった。儂を冒していた『泥』に触れても、奴は平気の平左だった。なんなのだ、奴は、あの人間は」

「…お嬢の友だち、だとか言ってたな」

「奴は、本当に人間か? 現に、お前さんを視て儂を視ている。そんな人間が、そうそう現代に顕れて堪るか。もしかすると小娘に近づいたのも、あるいは…」


 健の眼をジッと見て言うミシャグの言葉は、言外にその人間は『妖』かそれに類するナニカと言っているようだ。

 確かに健も知る、彼の子孫である『お嬢』も通う大学にはそういう類、つまり『妖』も在籍している。

 しかしそれでも『お嬢』には届きえない。そして『神』にも当然ながら。


「…あの人間から『悪意』は感じられねえ。そういうのには敏感なの、お前さんも知ってるだろうが」

「確かに。儂も同様だった。しかし、な。奴が、儂を『泥』から逃がした時、奴は、奴は―――」


 グイと猪口を傾け酒を呷り、まるで現実から逃げるように飲み干した。

 そして口元を拭いながら、吐き出すように言った。


「―――笑っておった」

「笑ってた、だと?」

「笑っていた。自分が『泥』に呑み込まれながら。それに『悪意』も『怨み』も何も芽生えさせずに。あり得ん。あり得んだろう。自分が死ぬかも知れん時に、欠片も悪感情を抱かんなど。それに…」


 震えを抑えるように自らの身体を抱き締める。


「それに奴は…奴は、心の底から何も望んでいなかった。信じられるか? 命を懸けて助けに来ておきながら何も望まんなど。怒りもせず望みもせず、見返りも求めず。何もかも諦めておるようだった。そんな奴、人間ではなかろう」

「…」

「気を付けろよ、健。排除しろ、とは言わん。しかし敵にはなるな。奴にはそれだけの『力』がある」

「おいおい、落魄れたとはいえ俺は軍神だぜ。たかが人間に―――」

「侮るな。過去そう言って、矢尾の様な人間に滅せられた『神』も少ないながら存在する。人間は不完全とはいえ、だからこそ進化の余地がある。我らとは違ってな」

「…お前さんは昔から、人間に憧れてるような口振りをしてたが。どうも本当みたいだな」

「憧れ、か。愛する者と交わり子を成し、そして死ぬ。それはきっと、幸せな事なのだろうな。ただ永く生きるだけの我らと違い」

「そりゃあ…俺も一度はそう思ったさ。だがな、生きてくれ、って言われちゃあな。子を護ってくれ、孫を護ってくれってな。子孫をお願いされちゃあ、消える訳にもいかねえ。これまでも、これからも、な」

「そうか…そうだったな。いやしかし、お前のような者を縛り付ける言葉など、まるで『呪い』ではないか」

「間違っちゃいねえさ。死に際の人間が遺した言葉は、何よりも強い『呪い』だ。絶対に解けねえし無視もできねえ。だが、それがなけりゃ今もねえんだ。感謝してるさ」

「そうか。お前が良ければ儂が言う事はない。せいぜい、永く生きろよ」


 そう言って笑うミシャグ。

 こんな無邪気に笑う姿を見るのは、何年振りだろう。

 もはや『神』の責務から放たれ、後は消えるだけ。


 余生を楽しむとだけ言い残し、ミシャグは部屋に戻って行った。

 健は一人、酒を呑み続ける。

 その心境が分かる者は、きっとどこにもいなかった。

・ミシャグ

 県内随一ともいえる神社に仮住まいしている神様。

 久方ぶりに『健』と酒を飲み交わし、彼の以後の健勝を祈った。

 その口ぶりから『人間』に対してある種の憧憬を抱いていた様子。

 しかし同時に『奴』と呼ぶ一人の人間について、建に忠告をした。

 他を助け自分の身に危険が訪れようと僅かも『悪意』を抱かず笑みを浮かべ、少しもその見返りを求めず、人格を否定してもただ困ったように笑うだけだった『奴』は、彼女に恐怖を与えるには十分すぎる事だった。


 永く待望していた『次代』へと全てを継がせ、年が明けるとともに消えようと考えている。摩耗し堕ちる寸前だった彼女の『魂』は、これで救われる事になった。

 建とは永い永い付き合い。彼が、両腕をボロボロにしながら逃げ込んで来て以来の。

 

・健

 県内随一ともいえる神社で祀られている神様。

 久方ぶりに『ミシャグ』と酒を飲み交わし、彼女が消える事を寂しく思った。

 彼の子が、孫が、子孫が自身を祀っている。一人の人間と交わった結果。

 現在は、過去の誰よりも強い『力』を持つ『お嬢』を可愛がっている。

 ミシャグの言葉を笑いながらも、彼女を恐怖させた『お嬢』の友人に対して、一定の警戒心を抱いた。


 かつて、一人の人間に『呪い』を掛けられた。

 絶対に解く事は出来ないそれを、彼は好ましく思っている。

 ミシャグとは永い永い付き合い。喧嘩に負け、両腕をボロボロにされながら投げ飛ばされ、そして逃げ込んだ先で介抱されてから。


・『奴』

 『お嬢』の友人。大学生。人間。

 一週間ほど前、健を祀る神社へお泊りをした。

 健からは、失礼な奴と言われた。

 一週間ほど前、死にかけたミシャグを助けた。

 ミシャグからは、人格を否定され人間か疑われた。

 一週間ほど前、次代の神を生み出した。

 次代の神からは、最も大切な人間と愛されている。

 一週間ほど前、友人を殺しかけた。

 友人からは、大恩と共に好意を向けられている。


 彼女は全てを分かっている。理解しながら全て知らぬ振りをしている。

 かつてそのせいで、最愛の友人をなくし、愛する肉親に『呪い』を掛けられたから。

 掛けられた『呪い』は何よりも強く、何よりも大きい。他の『呪い』など、意味を成さない程に。


・『呪い』

 それには弐種類存在する。

 一つ。

 ナニカの『悪意』と『怨み』が凝り固まった存在。

 無差別に無秩序に、或いは一定条件を満たした者に牙を剥く。

 一つ。

 最愛の者が遺した最期の言葉。

 それは絶対に解く事が出来ない、何よりも強い想い。絆の亜種。

 何かを害する事はないが、それは確実に『呪い』である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ