祭事のお話 破編
早朝である。日が昇る少し前。
榮は朝もはよから台所に立っていた。
出汁を加えた卵を焼いて出汁巻き玉子。大根おろしを添えて食べてもサッパリ。
塩味の強い新巻鮭のハラミを焼いて、付け合せにはシイタケとピーマンと。
お味噌汁は簡単に豆腐とワカメ。しかし飽きがこない組み合わせだ。
アラームが鳴った炊飯器の蓋を開けると甘い匂い。しゃもじでひっくり返してしばし蒸らす。
ふう、と一息ついて台所を出る。布団に包まって眠っている矢尾を起こしに行くためだ。
肌寒くなってきた今日この頃。水仕事は手が悴んでしまう。
しかし、悪い気分ではない。誰かの為に生きていると実感できるからだ。
サラリと襖を開けて部屋へ入る。
『万屋 矢尾』一階の寝室。本棚がいくつかある事を除けば、榮の部屋とそう変わりはない。
どうやら彼女も、多くの物に囲まれるのは好かないようだ。
布団で眠る矢尾に近づき、その体を揺する。
「矢尾さん、朝ですよ。起きてください」
「んぅ…」
相も変わらず綺麗な寝顔だ。
数分ほど待っているとモソモソと動き、布団をはぎ取って体を起こす。
その衣服はいつもの黒いドレスではない。流石に寝る時は着ないようだ。
「お早うございます、矢尾さん。朝ごはんが出来てます」
「…おはよ。すぐ行くから、用意しといて」
大きく口を開けて欠伸をしながら立ち上がる矢尾。
その上半身は裸だった。下は穿いているが、上は何も着けていない。
彼女はどうも、夜眠るときは着けない質のようだ。初めの時は驚いたが、今はもう慣れたものだ。
台所に戻り配膳を済ませる。
丸いちゃぶ台。
そこに乗るは、お茶碗に盛られた白いご飯、お椀に入れられたお味噌汁。
それに焼きたての塩鮭に玉子焼き。
良い匂いが食堂に立ち込める。ぐぅうと榮のお腹が鳴った。
さて、学園祭も二日目となった。
今日も大学へ向かう予定だ。約束通り、諏訪と一緒に回るつもりだ。
初日は中々エキサイティングな一日だった。
実戦空手では人が吹き飛び、実戦柔道では畳が飛び上がり、実戦功夫では床が割れた。
それらの演武を見ていた観客の方々は拍手喝采。なんでもかんでも実戦を付ければいいものではないと思ったが、榮も驚き拍手を送ったものだ。
なにやら岡谷は魂が抜けた顔をしていたが、きっと驚き呆けたのだろう。
その次は妖怪屋敷へ。
教室を二つくっ付けた大規模な作り。
そして暗い室内、妖怪の仮装をして驚かしてくる、というものだった。
飛頭蛮や二口女にろくろ首、河童に小豆洗いに幽谷響。
跳び出してくるその場その場で岡谷の説明が入ったので至極分かりやすかった。妖怪マスターの面目躍如といったところか。
妖怪屋敷ではなく妖怪博物館ではないかとも思ったが、しかし榮としては冗談では済まない。
何度も気絶しそうになったが、茜さんを思い出して何とか耐えきった。
身近に幽霊が居るのだ。仮装した妖怪如きで気絶するわけにはいかない。
部屋を出た榮は息絶え絶えだったが。
そして休憩がてら喫茶へと入る事にした。
ウルトラスーパーデラックスと名付けられた巨大なパフェには度肝を抜かれた。隣の机に座ったお客さんが一人で平らげたのには更に驚いたが。
榮はその姉妹品、スーパーデラックスを注文した。何の変哲もないパフェだったが。
岡谷はエアライドと名付けられた今川焼を、諏訪はドロッチェというクレープを。
中々おいしく食べられた。それに岡谷が和菓子好きというのは初めて聞いた。
今度、近くのお煎餅屋の煎餅を差し入れするのもいいだろう。
そして夕方になり、初日は幕を閉じたのだ。
カラリと襖が開く音。
目を向けると、いつもの黒いドレスに身を包んだ年齢不詳の女性。
『万屋 矢尾』の店主、矢尾である。
「お早う、榮。今日も学園祭?」
「はい。お昼は冷蔵庫に入れておきましたので、温めて食べて下さい」
「ええ、分かってるわ」
二人で食卓を囲み、一緒に食べる。
彼女たちの間に会話は少ない。しかし、榮の心は不思議と満たされていた。
「矢尾さんは、学園祭にはお越しになられないんですか?」
「行かないわ。ああいう混み込みした所、嫌いだから」
「そうでしたか。残念です」
どうせなら、矢尾と一緒に散歩をしてみたかった。
一緒に出店を回って、一緒に出し物を見て、一緒に喫茶に入って。
食事も済み、手慣れた様子で食器を片づけた榮。
鞄を肩に提げ靴を履き、戸を開ける。
「それでは矢尾さん。行ってきます」
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
自転車の鍵を外して大学へ向けて漕ぎ出す。
昨日同様、よく晴れている秋空だった。
―――
文化祭、二日目。
しばし岡谷の家で寛いだ後、諏訪との待ち合わせ場所へ行く。
岡谷の住む家は大学から十分程度の距離。時間を潰すのに丁度よいのだ。
自転車は岡谷の家の前に置いておいた。学園祭の期間中、駐輪場は封鎖されてしまっているのだ。
「いや全く、榮はやっぱり榮だね」
「どゆこと? 説明を求めるよ」
大学へ行く道すがら、岡谷から何か失礼な事を言われた気がした。
『榮は榮』果たしてどういう意味なのか。
「だってさぁ。あの鬼無里さんに気に入られてて、それに穂高さんを気軽に抱き締めて。しかも麻績さんと豊野さんとも上手くやってるんでしょ?」
確かに、鬼無里さんには好意を向けられているし、気安く穂高さんを抱き締めてたりしている。それは事実だ。
しかし後の二人。麻績さんと豊野さんと上手くやっている、には色々と物申したくなる。
豊野さんとは『日本全国特産研究会』に所属する唯一の四年生。一つ前の会長だった方だ。
そして『日本全国特産研究会』に所属する面々の例に漏れず、これまたエキセントリックな人格の持ち主だ。
榮よりもずっと小さい背。
それに日本人形のような和服に身を包み、そして腰に届くくらいに長い黒髪のおかっぱ頭。
しかし、はんなりとした外見に反して、その内面は苛烈の一言。
『ぶち殺すぞ』が口癖な所からも、その人格が窺い知れるだろう。
初めての邂逅は、榮が『日本全国特産研究会』の前に立っていた時。
クイクイとズボンの裾が引っ張られ下を見ると、彼女が立っていたのだ。
『そんな所に立っていると邪魔だ。ぶち殺すぞ』
満面の笑みを浮かべてそんな事を言われては、もう文句の言いようもない。
しかし一言二言、三言四言話してみれば、案外話せる人だった。
ユーモアとジョークに富み、話をしていて面白い。
就職活動をしている為、ここ最近はあまり顔を合わせられていないが、また会ってご挨拶をしたいものだ。
麻績さんは言わずもがな。
あのエキセントリックな風体にハチャメチャな言動。
ここ数年の『日本全国特産研究会』の評判の殆どは、あの方による物とも聞いた。
「それにさ、あんなに人付き合い悪い諏訪にも懐かれてて。もしかして榮ってさ、変人誘因体質なんじゃないの?」
「それって岡谷もなんじゃない? うどんキチだし」
「確かにね。けどさ、考えてもみなよ。好きな物に狂うってのは、人として当然の事だよ」
また屁理屈を言う。だが一理ある…気もする。
そして尚も、岡谷は続ける。
「たまに居るじゃん? 好き嫌いがないって人」
「うん、いるね」
それは間違いなく自分の事だ。
大抵の物は食べられる。
苦手な物も僅かばかりあるが、それは進んで食べないというだけだ。
これといって嫌いな物はない。
「好き嫌いなくなんでも食べる、ってのは良い事だと思うんだ。残すのは勿体ないし。けどさ、思うんだよね」
はあ、と溜息を吐く岡谷。
「これが好きっ! て感じでさ、好物一つない人なんて、わたしゃ信じられないね。だっておかしいじゃん。そんなの、何も好きじゃないのと一緒だよ」
そう言う岡谷の顔には『悪意』は欠片もない。
だからだろう。榮の変化に気付かなかったのは。
「…そう、だね」
「まあ、そんな人なんて滅多に…って、榮。なんか顔色悪いよ? 寝不足?」
「少し、はしゃぎ過ぎたのかも。ほら、昨日さ」
「あー…妖怪屋敷ですっごい怖がってたもんね。夜ちゃんと寝れた?」
「ちゃんと寝れてなかったのかも。今日は少し早めに戻るよ。諏訪と岡谷には悪いけど」
「そうしときなよ。無理に学園祭に出る必要もないし。諏訪も無理な事は言わないでしょ」
岡谷と駄弁りながら歩き、大学へ到着した。
門は既に開かれ、昨日と同様に多くの人達が訪れていた。
そして門の真ん前に一人。榮と岡谷の二人を見つめる者の姿があった。
今は珍しい、着物に身を包んだ黒髪の女性。
もはや絶滅危惧種といっても過言ではないだろう大和撫子だ。
「さかえ! こっちだよっ!」
諏訪だ。
腕を上げて元気よく、手を振っていた。
榮も小さく手を振り返す。
「お早う諏訪。出るの早かっただろうけど大丈夫?」
「うん! ちゃんと朝ご飯も食べて来たから!」
胸元で握り拳を揃え、まるで元気が有り余っているように振る舞う。
確かに、朝ごはんを食べると一日頑張れる気になれる。
そしてその明るい顔をススス、と榮の耳元に近づけた。
「…あのね、お昼食べたら、西棟の裏に来てほしいんだ。は、話したい事があるの」
―――西棟とな?
西棟は、大学敷地内の西に建てられている実験棟の通称だ。
アルファベットが付いた面倒な名前があるが、西にはこの一棟しかないので専らこう呼ばれている。
それに、無駄に広い敷地内。実験時にしか使わないという事もあり、人通りは極めて少ない。
「話したい事って、ここじゃダメ?」
「えっと、人が多い所だとちょっと…それに、岡谷が」
チラ、と岡谷の方を見て言う諏訪。
長い付き合いの幼馴染にも話せない程の事を話されても手に余ってしまう。
それになんだろうか。わざわざ人気がない場所で話す事とは。
「いいよ。お昼食べたらだね。あ、それと。話が終わったら今日は早めに戻るよ」
「え! ど、どうして!?」
「諏訪。榮の顔色見て見なよ。寝不足なんだってさ」
「ね、寝不足?」
そう言い、諏訪は榮の顔をペタペタと触る。
スベスベとした掌と少しばかりヒヤリとした冷たさが何とも言えない。
「ホントだ! いつものハリがない!」
「…榮、諏訪いつも頬っぺた触ってるの?」
「え? うん、授業前に」
一緒の授業になる際、諏訪とは隣同士に座っている。とはいえ示し合わせたわけでは無い。自然とそうなったのだ。
そしたら必ずといってもいいほどに頬っぺたを触ってくるのだ。
榮としても、嫌と言うわけではないので文句は言わないが。
腕を組んで変な顔を作る岡谷。
「まあいいや。それじゃ行こっか」
「そうだね。今日はどこ回ろう。行きたい場所ある?」
「行きたい所ある! えっとね、古今映画研究会の自主制作映画でね…」
そうして、三人は連れだって歩き始めた。
―――
三十分ほどの自主制作映画を観終ってしばらく。
諏訪は次の映画も観たいと言い、しかし榮と岡谷は小腹が空いた。
結局、次の上映時間まで十分ほど間があるという事で、榮と岡谷は二人で摘まめる物でも買いに出たのだ。
岡谷はたこ焼き三つを。榮は飲み物を三本。
自販機で飲み物を買った帰り、背後から声を掛けられた。
「よーよー、丁稚じゃねえか」
自分を『丁稚』と呼ぶ者など、榮には一人しか心当たりがない。
苦笑いをしつつ振り向く。するとそこにいたのは案の定の人だった。
「天之さん。お久しぶりです」
白髪交じりのボサボサの黒髪に、さえない印象を与える顔をした男性。名前は天之。
彼は、榮が『万屋 矢尾』でバイトを始めた最初期に訪れたお客様だ。
しかし秋だというのに紺色の甚平を着ている。榮の周りにこういう方が多いのは偶然なのだろうか。
「へー、ここにいるってこたぁ丁稚、ここの学生だったか」
「はい、そうですよ。天之さんはどうしてこちらに?」
「この大学ぁ結構有名なんだぜー? 悪い意味でも良い意味でよー。所で、あの包丁はどうだい?」
包丁。包丁というと、あの極楽丸の事だ。
今までにも何度か、天之さんの鍛冶場へ郵送した事もある。主に強請られた時や約束をした時に。
しかし、その住所を考えると日帰りは難しい距離だ。
わざわざこの大学に来る程に惹かれる事がここにあるのだろう。
「ええ、毎日使っていますよ。研ぐ必要もなくって助かってます」
「そうかー。アイツも気難しい奴だからなー。いや、上手くやってけてるんならいいんだがなー」
そう言い『んじゃあな』と手を振って、天之さんはさっさと人混みに紛れて消えてしまった。
最近は『万屋 矢尾』を訪れていなかったが、無事で何より。極楽丸を研ぐ事が出来るのはあの方だけなのだ。
岡谷が待ちかねているだろうと思い、榮は急ぎ『古今映画研究会』へと向かった。
案の定、部屋の前には岡谷が立っていた。
「榮、遅かったじゃん」
「ごめんごめん。お客様に会ってさ」
「お客って…万屋の方の?」
「うん、ご挨拶しただけだけどね」
飲み物を一本岡谷に手渡し、戸を開けて部屋へと入る。
中は薄暗い。天井からはスクリーンが降ろされ、プロジェクターの強い光が当たっている。
今は何も流れていない。休憩時間だ。
「諏訪、お待たせ。飲み物どっちが良い?」
「えっと、こっち!」
指差した方を諏訪に渡し、残る一本の蓋を開けて喉を潤す。
コクリと飲み下した程で、部屋の灯りが完全に落ちた。
「只今より、自主制作映画『残酷王と水晶の竜』の上映を開始します。ご静聴をよろしくお願いします」
―――
『私が彼と出逢ったのは、少しばかり寒い季節の頃だった』
透き通るような高い声。
純白を体現する巨大竜。
四本の脚はしっかりと地を踏みしめ、翼は体長程に巨大。
白い西洋竜。
水晶渓谷に棲む竜の、独白形式で進む物語。
かつて残酷王と恐れられた者が旅の果て、寿命の間際にその渓谷を訪れた。
そして水晶の竜と邂逅し、彼は自身の遍歴を語り始める。
初めは僅かな仲間たちだけだった。
僅かな仲間を護る為に、自らの力を揮った。
結果、多くの仲間となった。
多くの仲間を護る為に、自らは力を揮った。
結果、彼らは大きな国となった。
国を護る為に、彼は自らを力と揮った。
いつしか、彼は残酷王と呼ばれていた。
僅かな仲間たちは何処かへと居なくなった。彼は独りとなった。
多くの仲間たちは残酷王を畏れ讃え続けた。彼は人でなかった。
大きな国は残酷王の力を恐れ簒奪を遂げた。彼は一人となった。
『何を望む』
水晶の竜は数千年ぶりに声を発した。
十七年前、憎悪に満ちた人間に乞われた時も。
六十年前、怨嗟に囚われた人間が訪れた時も。
四百年前、願いを叶えようと人間が来た時も。
千百年前、命を奪おうと人間が武装した時も。
ただ喰らう為だけに、口を開いただけだった。
水晶の竜は全能だった。そして気紛れだった。
誰よりも強い力を持った者が、劣る力に排斥された。何故か。
そしてどうして自らが居る場所を訪れたのか。
復讐の為か。復活の為か。それとも。
どうしてか、水晶の竜は残酷王の願いを聞き入れたくなった。
そう尋ねた水晶の竜に、残酷王と呼ばれた者はこう答えた。
その名に相応しくない柔らかな笑みを浮かべて。
『誰かに聞いて貰いたかった』
そう言い遺し、残酷王と呼ばれた者は果てた。
まるで眠るように。安らかに。
誰かの為に力を揮い続けた男は、最期の瞬間だけ自分の為に生きた。
水晶の竜の独白はこれで終わった。
残酷王と呼ばれた彼の遺骸を、水晶の竜が慈しむように眺めていた。
―――
どうやらこれで終わりのようだ。時計を見るとあっという間に三十分が経っていた。
『古今映画研究会』午前の部はこれでおしまいとの事。
諏訪と岡谷と連れ立って部屋を出る。
「いや、私にゃなんだか難しかったね。結局、何がなんだか」
岡谷がそう言いだす。確かに、作品とは何かを伝える物だ。
作者の信条を、心情を。何がしかのメッセージを籠めて然るべきだ。
では先ほどの『残酷王と水晶の竜』は。
その前に上映された『パンプキンメンタル』とは、映像のレベルが違うようにも思えた。
まるでハリウッドでも使われているように、違和感のない仕上がりだった。
しかし、榮は内容と映像の質に相関はないと考えている。
もしそうならば、過去の名作は名作ではなくなってしまうからだ。
『古今映画研究会』の面々がどういった者なのか、榮には知る由もない。
もしかしたら、尋常ではなく深い意味が籠められているのかもしれない。もしくはその逆か。
「多分、嬉しかったんだと思うよ。あの竜は」
「嬉しい、ねえ…って榮、映画とか詳しかったっけ?」
「あくまでも私の意見だよ。そう思っただけ」
「ふーん。んで、その心は?」
「笑ってたよね、あの竜。だからそう思ったんだ」
慈しむ視線と共に、竜の口元は僅かに微笑んでいた。
少なくとも、榮にはそう見えた。
「あー…なるほど。他に来た四人は欲望の為に。最後の王様は…って。王様、何か言ってたっけ?」
「言ってたよ。ほら『誰かに聞いて貰いたかった』って」
人は誰かの記憶に在る間は、生きていられる。
榮はそう考えている。
『誰かに聞いて貰いたかった』
弱みを見せたのだ。
誰かの為に戦って、力を揮って。
自らが護った者達に裏切られ立場を追われ。
それでも誰かを怨む事もなく、最期の最期まで強くあった。
だがきっと、最初で最後の弱みを見せた。
誰かから忘れ去られてしまう前に、永く生きる竜に話を聞かせた。
「それだけ? そんなのが嬉しいって言っても。何かちょろいね」
「今まで人の悪い面しか見て来なかったから、人の弱みを見た事がなくて。だから心が揺れ動いて望みを叶えようとしたんじゃないかな」
「それを聞くとあれだね。神様みたいな感じ。ほら、洪水起こしたり言葉乱したり。殺したり助けたりなんてさ」
「うん、神様なんていないけどね」
ケラケラと笑いながら岡谷が言う。
全くその通りだ。
全知、全能。
それはきっと。
人が憧れる余りに創りだしてしまったのだろう。
あり得ない。あるハズがないのに。
「わたしは、違うと思うな」
今の今まで黙りこくっていた諏訪が言う。
「違うって? 私にゃ映画の良し悪しは分からないけど、榮の言ってた事にも一理あると思うけども」
「ううん。映画の話じゃない」
ジッと、諏訪は榮の眼を見つめる。
睨み付ける訳でもなく。悪意も何も持たずに、ただ。
「神様はいるよ、さかえ」
突然、そう言った。
脈絡など無視して唐突に。
まったく、と榮は思う。
以前その事で冷たい態度をしてしまってから、その話題はトンと触れられてこなかったのに。
まったくもって仕方ない。
「え、あ…榮? 顔、怖いよ?」
「いないよ、諏訪。神様なんて。これだけは絶対に譲れない。絶対に絶対に」
「いるよ。いるんだよ、さかえ。神様は絶対にいる。わたしがいる事が、その証」
―――証?
諏訪の頭の上から足先まで見ても、特に取り立てて変な所はない
とても。素晴らしく見目の良い女性である。しかしそれだけだ。
「いや、諏訪もさ。意固地になんないでもうちょっとこうさ―――」
「意味わからないよ。諏訪がその、証って事が。神社の跡取りだから? それとも巫女だから? そんなの証明にならないよ」
何処にだっている。少しばかり由来のある神社にならば。
だからそれは証明足り得ない。根拠どころかその前提条件から破綻している。
「けど、けど…!」
「私、戻るね。少し、気分が悪いから」
目元から涙を流し、まるで縋るように手を伸ばす諏訪を尻目に。
榮は踵を返し門へ向かおうとする。
取りつく島もないその態度に、岡谷は言葉を失った。
諏訪を睨み付ける視線に。
普段ならばあんな眼はしない。もっと能天気な優しい視線をしているのに。
まるで仇敵を怨むような、怨敵を仇と狙うような。
初めてだ。こんな敵意の籠められた視線は。
しかし諏訪はたじろがない。
なおも食ってかかる。諏訪は元来、頑固で意固地な質なのだ。
「だって、だって―――」
そして諏訪の口から放たれた言葉は、榮にしてみれば信じ難い事で。
だからこそ、聞き逃す事が出来なかった。
「矢尾さんのお店に来る人はっ! みんな神様だからっ!」
「―――は?」
―――お客様が、神様? 笑えない。そんな妄言。だって、神様なんていないから、神様なんて、神様なんて、神様なんて。
一瞬、思考が途切れた。その隙に。
榮の両肩に手が置かれた。諏訪の手だ。
両者の背にそれ程違いはない。視線が交わる。
榮の眼は震えていた。しかし対して諏訪の眼は真っ直ぐに。
「眼を逸らしちゃダメ」
「…逸らしてなんか、ない」
「嘘だよ榮っ!貴女は嘘を吐いてるっ! 全部、何もかも視えているのに…知っているのに知らない振りをして!」
―――視えている? 何を? 知っている? 何を? 知らない振り? 知らない、何も知らない。
「神様は、今は殆どいないけれど! 視える人はほんの一握りになって、私、小さい頃に貴女と出逢えて、救われた。だから…今度は私の番」
何かを決意した諏訪の視線は、榮には眩しすぎて。
しかし逸らすことは出来なかった。
「昔、あの森で出逢った、あの神様に―――」
―――神様? いや、知らない。知るはずがない。だって知らないのだから、森にいたあっちゃんなんて。
―――あっちゃん? あっちゃんって誰? 知らない、知らない。あっちゃんなんて神様、知らない。
―――だから。だから神様なんて…
「―――もう一度、逢えばっ!」
―――もう一度? 何も、知らないで!
「何も…何もっ! 知らないくせにっ!」
雑音が消えた。
雑踏の中、大きな声を出した榮。
その剣幕に、流石の諏訪もたじろいだ。
「私は…何も知らないっ! 神様なんて! あっちゃんなんて! いないんだ!」
「榮っ! 落ち着いてっ!」
「知らないっ!」
肩に置かれた手を振り解き、榮は頭を抱えて叫んだ。
その様子はまるで錯乱したように。
眼の焦点は合っておらず、周囲の状況も頭に入っていない。
初めて直面した明確な拒絶に、諏訪の顔が驚き歪む。
掛ける言葉もなく。
そしてそのまま、榮は大学を走り去っていった。
・名前:榮
性別:女
職業:大学生
好物:玉子焼き ~大根おろしを添えて~
設定:
至って普通の大学生。
学園祭二日目。やはり諏訪と岡谷と共に繰り出している。
『古今映画研究会』で自主製作映画を観賞後、諏訪と口喧嘩に。
最も信じる諏訪から『お客様は神様』と妄言(彼女はそう断言した)を吐かれる。頑なに否定するも、しかしかつて、幼い頃に親交のあった諏訪からは『目を逸らしている』『知っているのに知らない振りをしている』『嘘を吐いている』などと言われる。
しかし彼女がかつて強く信仰していた『神様』に触れられた為、錯乱しながら大学から立ち去った。
三人中一番の狂人。
彼女は頑なに『神様』を信じない。
信じた結果、こうなったのだから。
・名前:岡谷
職業:大学生
好物:うどん
設定:
短髪で陽気な大学生。
好き嫌いがない人を『それは何も好きじゃないのと同じ』と言った。榮は傷付いたが、彼女に悪意はなかった。
自主製作映画を観賞後、それを『よく分からなかった』と言った。
以前、諏訪に言われたように彼女には映画が分からない。過去の出来事と結びつける事が苦手だから。
三人中一番の常人。
彼女は『神様』を信じてはいる。
しかしそれは、榮ほどでも諏訪ほどでもない。
・名前:諏訪
性別:女
職業:大学生・祓い師
好物:御御御付け
設定:
大和撫子な大学生。
学園祭二日目。彼女の発案で三人は『古今映画研究会』へと赴いた。
本人としては中々楽しめたようだが、趣味ではなかったようだ。
彼女の趣味は、血飛沫飛び散るバイオレンス映画や、屍人が跋扈するゾンビ映画なのだ。
『神様なんていない』という榮の言葉を受け、西棟裏でする予定だった話をしてしまった。しかしそれは、最悪のタイミングだった。
その結果は、やはり最悪な事になってしまった。
三人中一番の変人。
彼女は『神様』を信仰している。
だからこそ、絶対に相容る事が出来ない。
・豊野
性別:女
職業:大学生
好物:牛乳
設定:
『日本全国特産研究会』の座敷勿怪な四年生。
小さい子どものような外見、背丈に合った着物に身を包んでいる。
しかしその外見を裏切るように、口から飛び出す言葉は苛烈な一言。
だが何故だか、榮とは気が合い意気投合。
曰く『一緒にいて何か落ち着く。あれだ、長く使ってる毛布みたいなもんだ』だとか。
・残酷王と水晶の竜
『古今映画研究会』に所属する二人が撮影した映画。
コンセプトは『法則との対話、その方法と結果』
その映像はまるで実写の様なCGで構成されている。
直前に上映された『パンプキンメンタル』と比べると雲泥、月と鼈もの差。
特に『水晶の竜』の鱗や翼膜など、有るはずのない実物を想起させるほど。
誰も彼も気付かなかったし気付けるハズもないけれど、異世界で撮って来たとか。




