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古屋敷のお話 前編

 今日も今日とてバイトが入っていた。

 大学帰り、借家に戻ることもせずに『万屋 矢尾』へと向かう。


 今日はどら焼きを買ってきた。いつも通りのお茶請けだ。

 裏口から『万屋 矢尾』に入ると、話し声が聞こえた。

 

 玄関で靴を脱ぎ、ガラリと扉を開ける。矢尾の姿は無い。

 ならば古物買取受付か、と見当をつける。扉一枚隔てた先からはやはり、声が聞こえた。


 とりあえず、矢尾が話を終えるまで待つしかないと思い、鞄から漫画を取り出す。

 とある町の三丁目を舞台とした漫画だ。


 十数分程読んでいると、ガラリと音を立てて戸が開く。榮はパタリと漫画を閉じ、顔を上げる。

 戸を開けたのは、上から下まで黒尽くめの服を着込んだ妙齢の女性。

 『万屋 矢尾』の店主、矢尾だ。


「随分長いお電話でしたけど、万屋の方へ依頼ですか?」

「ええ、依頼よ。上得意さんでね。随分昔からご愛顧頂いているわ」


 ふむなるほど。古馴染みのお客様ならば、世間話で盛り上がったのだろう。

 珍しく長話だと思っていたのだが、それならば納得だ。


「ねえ榮。次の土曜日、空いてる?」

「土曜日ですか? 授業はありませんけど…」

「そう? 悪いんだけど、一緒に来てもらえない? 私一人だと時間がかかっちゃってね」


 話を聞くと、依頼は虫干しだという。

 その上得意さんは大層な物持ちらしい。しかし蔵に仕舞ったままで、出す事も滅多にない。

 そのままでは虫に喰われ、大切な所蔵品が台無しになってしまう。なので虫干しをすると。

 だが、人手が足りない。なので年に一度『万屋 矢尾』へと依頼をし、それを手伝う事にしていると。


 なるほど、道理である。


「遠い場所なんですか?」

「ここから車で二時間程の場所よ。山の中の辺鄙な所でね、舗装もされてない道を通るの」


 榮は車が苦手だ。

 数十分も乗っていれば気持ち悪くなってしまう。

 舗装されたコンクリート道でそれなのだから、山の中の舗装されていない道では、それはそれは酷い事になりそうだ。


 榮が断ろうと声を出す前に、矢尾が言う。


「特別手当」


 心が動く。しかし、博物館に行く予定もある。

 電車で二駅ほどの場所にある博物館で、特別展が開催されるとお達しがあった。

 それが、次の土曜日からなのだ。

 中々そそられたので、是非とも初日に行きたいと思っていた。


 やはり断ろう。


「博物館に―――」


 行きたいので、と言おうとすると、矢尾が言葉を遮った。


「三倍出すから」

「―――はいつでも行けますからね! さあ行きましょう矢尾さん! 大自然が私を待っています!」

「あら、それは良かった。それじゃあ、よろしくね」


 封筒を手渡された。

 中身を確認すると、弐千円札が三枚入っていた

 急いで鞄に仕舞う。


「それじゃあ土曜日ね。出発は朝の九時だから、遅れないようにね」

「はい! よろしくお願いします!」


 何を思ったのか、ビシリと敬礼をした榮。

 その時の彼女の目には¥のマークが浮き上がっていたとかいなかったとか。




―――




 ガタガタガタン、ガタゴトゴト。


「…気持ち悪い、です」

「もう少しで着くから、我慢して」


 ハンドルを握る矢尾の隣、助手席で


 ガタンガタガタン。


 揺れる揺れる、恐ろしく揺れる。

 おそらく、雨でぬかるんだ地面を車が通り、轍の形でそのまま固まったのだろう。


 今更ながら、榮は後悔をしていた。

 

 朝の八時半頃に『万屋 矢尾』へ着くと、矢尾が車庫から車を出そうとしている所だった。

 今まではシャッターが閉まっており、特に用事もなかったので気にすることもなかった。


 バックで車庫から出てくる車。荷台があり、運転席と助手席のツーシーター。

 シルエットは軽トラックに似ていた。


 軽トラか。そう思ったのもつかの間。

 前輪を見て、榮は驚愕した。前輪が一つしかなかったのだ。

 それは、この前読んだ漫画に出てきたような車。


 そう、矢尾の愛車はオート三輪だった。


『さ、ちょっと早いけど出発しましょうか』

『は、はい…』


 車を見た瞬間に逃げ出せばよかったのだが、特別手当も貰っている。逃げる訳にはいかなかった。

 出発してから、もう少しで二時間になるだろうか。


 少し前には小さな集落を通り過ぎ、坂道を上る上る。

 斜めの道は酔いを加速させる。口の中が酸っぱくなりつつも呑み込み、我慢する。


『―――の森』


 朽ち果てた看板が見えた。

 あっと言う間に通り過ぎてしまい、辛うじて読み取れたのは、森という文字のみ。


「森…ですか?」

「ええ、この山はまよい(・・・)山っていうの。だから、まよい(・・・)の森。ちなみに、上得意さんの山よ」

「え…地主さんなんですか?」

「そうよ、ここ一帯の山やら土地やらのね。初春は山菜が獲れるし、秋頃には松茸が獲れるらしいわ」

「へぇ…」


 榮は山菜の天ぷらが好きだ。

 以前、山菜を天ぷらにしてコッペパンに挟んで食べたら絶品だったのだ。

 しかし、スーパーには中々置いていないし、あったとしても手の出しにくいお値段。

 

 天ぷらにしたのも、矢尾から頂いたからである。

 もしや、その上得意さんから送られてきた物なのだろうか。


「それと、下に集落があったでしょ? あそこも治めてたみたいでね。かなり前にお山の上に引っ込んだのだけれど」

「え…」


 なんだそれは、初耳だ。

 もしや、とてもお偉いさんなのではないか。


「それに、政財界にも顔が利くわ。機嫌を損ねたら、社会的に殺されちゃうかもね」


 笑いながら言う矢尾だが、榮は冷や汗を垂らした。


 ―――やっぱり、博物館に行ってればよかった…


 そんな榮の嘆きを余所に、二人を乗せたオート三輪は山道を上る。

 道の先に建っている大きな大きなお屋敷が見えた時、榮は覚悟を決めたのだった。




―――




 車が何十台も停められるような駐車場にオート三輪を停める矢尾。


 同じ駐車場には数台の車が停められていた。

 赤い車体に嘶く馬のエンブレムが付いていたり、黒い車体に跳ぶネコ科動物のエンブレムが付いていたり、やけに車体が長い車だったり。

 恐ろしくて近寄りもしなかったが。


 矢尾が先頭に立ち、後を榮が着いて歩く。

 榮の身長を優に超える壁が延々と続いている。どれだけ大きい家なのか。

 数分程歩き続けただろうか。


 榮の前には、立派な作りの頑丈そうな朱塗りの門が聳え立っていた。

 決めた覚悟が砕けそうになる。


「あの、生きて、帰れますか?」

「おかしな事を言うのね。虫干しに来ただけよ?」


 矢尾にそう言われ、改めて気づいた榮。

 そうだ、虫干しに来ただけだ。何も恐れる事は無いのだ、と。

 奮起し、再び覚悟を決めた。


 ギギイィ…


 重たい音を立て、朱塗りの門が開かれた。

 

 白髪を真ん中で分けグレーのスーツを着た、縦長の顔に細い目の男性が出てきた。

 門の向こうにペコペコと頭を下げながら何人かの黒いスーツの男に取り囲まれ、そそくさと開かれた門を抜けて行った。


「あの、さっきの人…」

「お客じゃない? 占い紛いの事もしているから」


 何代か前の総理大臣に顔が似ていたような。

 いやきっと気のせいだろう。


 開けられた門を、何の気負いもなくくぐり抜ける矢尾。

 一人にされては堪らないと、遅れないように榮も門をくぐる。


 ギギィ…ガコン。


 重い音を立て、門が閉じられてしまった。

 もう逃げられない。榮は最早、諦めの境地にいた。


 数百メートル先には見上げるような屋敷が立っている。日本屋敷、という表現が適切だろう。

 そこまでの道のりには石畳が敷かれている。左手には柳が植えられ、その近くには池が敷設されている。

 右手には、小石が敷き詰められた海に七つの苔むした石が生えている。それぞれの石からは波紋が漂っているように見える。枯山水だろうか。


 そして正面。

 二人から数メートルほど離れた位置に、人が立っていた。


「遠路、御足労頂き有難う御座います。矢尾様」


 仰々しい前置きを垂れ、深く頭を下げる人物。

 藍色を希釈したような袴に、白い小袖に身を包んだ女性。

 光の加減か、藍色にも見えてしまう長髪には後ろで一本に纏められた、凛とした麗人。

 恐らく、榮と同年代だろう。


 その恰好に榮は、ハイカラだなと思った。


「久しぶりね、浅葱。菫は?」

「菫様は占星の最中で御座います。今暫くお時間を…矢尾様、其方の御方は?」


 浅葱と呼ばれた女性は、キリリとした切れ長の眼で榮を睨みつけた。

 まるで敵でも見つけたかのようだ。


 この視線に、榮はぶるりと身を竦ませる。

 まるで首元に刃物でも当てられているような恐怖感。

 

 ―――こ、殺される…!


 ジャンピング土下座をしようとするが、ジャンプする直前に矢尾が言う。


「私の店の店員よ。少し前に雇ったの」

「矢尾様のお店で、ですか」


 怪訝な顔で、浅葱はそう返す。


「あら、おかしな事を言ったかしら?」

「…占星が終わられるまで、しばらくお時間を頂きます。昼餉は御用意しております故、此方へ」


 クルリと翻す浅葱。


「そう。じゃあ行きましょうか、榮。浅葱の作るご飯は美味しいわよ」


 浅葱の後を歩く矢尾。

 無言で首肯してその後を着いてく榮。


 途中、一代で会社を大きくした社長、テレビ番組に出ていた有名人を見たが、気にしない事にした。

 ヘタに首を突っ込むとマズイ事になりそうだと思ったからだ。見なかったことにした。


 浅葱に連れられ通された小部屋。

 真ん中には座卓があり、挟むように座布団が二枚置かれていた。


 矢尾が床の間を背にして正座をする。その対面に榮は座った。

 

 浅葱がお盆に置き、運んできた料理。

 白飯、味噌汁。茄子の漬物に何品かの天ぷら。

 そしてお茶が入った湯呑み。

 一汁二菜といったところだろうか。


「それじゃ、頂くわね」

「あ、はい。頂きます」


 手を合わせ、一礼する二人。


 まずは茄子の漬物に箸を付ける。

 カリカリコリコリ、漬物といえばこの歯応えだろう。

 少しばかり塩気のある味が癖になりそうだ。


 次は天ぷらだ。小皿には塩が盛られている。

 衣が薄くタネの色が透けて見える。緑、紫、薄緑。

 まずは紫を箸で摘まみ、一口齧る。トロリとした触感、おそらくナスの天ぷらだ。

 緑を摘まみ、齧る。サクサクとした衣の後に続く、僅かな苦み。ピーマンだ。

 薄緑。渋みにも似た苦み。しかし嫌いではない。フキノトウ、だろうか?

 どれも美味である。

 

 味噌汁の具はタマネギとニンジン、それにナスにジャガイモ。

 多くの野菜を入れたその汁は、濃厚でありながらしつこくない。

 祖母の家の味噌汁を思い出させる味だ。


 矢尾の後ろで正座をしながら睨みつけてくる浅葱の視線に戦々恐々としながら、榮は残さず食べきった。


 食後に濃い目のお茶を淹れられた。

 それで喉を潤していると、矢尾の後ろの襖が開かれた。


「久しぶりねぇ、矢尾。また逢えて嬉しいわぁ」


 腰に届くほどの金色の長髪に、ぱっちりと開かれた碧眼。

 そして、矢尾の着ている服と似た、紫色のドレスのような衣服。

 肘まではある白い長手袋だが、その肌は透けるように白い。


 佇まい一つ。視線一つ。声一つ。

 それだけであらゆる者の心を奪うような、人外とも思える美。

 美とはこの人物の為にあるのだと、魅了される。


「それでぇ、其方の貴方が矢尾の助手ぅ? まるでちっぽけねぇ」

「あ、はい、ちっぽけな人間です。けどバイトなんです。あ、口ごたえなんかしてすみません」


 平身低頭という言葉がこれほど似合う事もないだろう。

 機嫌を損ねないように、正座をしつつペコペコと頭を下げる。


 なぜだか『万屋 矢尾』に来店するお客様は、いつも自分を矢尾の助手扱いするのだ。

 ただのバイトなのに、恐れ多い。


 扇をパタリと開いて口元を隠す菫。

 細められた冷たい視線が榮を射抜いた。


 一層委縮する榮。

 圧力を持った視線に射抜かれるのは初めてだった。


 数秒、榮にとっては数分にも感じられた。

 興味を失ったかのように、その視線を矢尾へと移す。


「矢尾が見込んだと言うからどんな変人かと思えばぁ。まるっきり普通の人間。詰まらないわねぇ、いまさら耄碌でもしたのぉ?」


 小馬鹿にしたような言葉使いで、矢尾に問いかける菫。


「耄碌したのはあなたじゃない? こんな辺鄙な場所に居を移して低俗な輩に触れて、あなたも汚れたわね」


 矢尾は矢尾で、挑発的に菫へ返す。

 二人の間で辛辣な遣り取りが交わされた。


 ニコリと、笑みを浮かべる菫。

 負けず劣らず、矢尾も笑みを浮かべる。


 二人とも、絶世と言っても差し支えないほどに美女である。

 しかし二人の間に流れる雰囲気は、まるで異界のようだ。


「それじゃあ矢尾、蔵の方は任せたわぁ。浅葱」


 そう言い、入ってきた襖から部屋を出て行く菫。


 予め用意していたのだろう。浅葱は何かを矢尾に手渡す。

 遠目に見えたそれは、恐らく鍵だろうか。

 それと、ファイルのような冊子を。


「行きましょう、榮。日が暮れる前には済ませるわよ」

「あ、はい」


 部屋を出た矢尾に続く榮。

 振り向くと相も変わらず、榮を睨みつけている浅葱の姿があった。

・名前:(さかえ)

 性別:女

 職業:大学生

 好物:コッペパンの天ぷら挟み

 設定:

 至って普通の大学生。

 三倍の特別手当に目が眩み、上得意だというお客様のお屋敷へ行く事になった。

 車酔いしやすい体質。


・名前:矢尾(やお)

 性別:女

 職業:万屋店主

 好物:酒

 設定:

 路地を何本も進んだ先にある、古びた万屋の店主。

 上得意のお客様から依頼を受け、山の上のお屋敷に出向いた。

 愛車はオート三輪。


・名前:(すみれ)

 性別:女

 職業:占い師

 好物:味の無いもの

 設定:

 まよい山の中腹ほどに建てられている大きな屋敷の主。

 紫を基調としたドレスのような衣服に身を包んだ美女。年齢不詳。

 旧友である矢尾に、蔵に収蔵されている骨董品の虫干しを依頼した。

 彼女の下には政財界の重鎮、名の知れた会社の社長などの大物が集まる。彼女の『占い』を信じる者は少なくない。

 『未来を手繰る占い師』『胡散臭い女』『占い一回五百万』と呼ばれているとか。

 神様ではない。


・名前:浅葱(あさぎ)

 性別:女

 職業:召使

 好物:甘いもの

 設定:

 菫に仕える、榮と同年代と思われる召使。

 藍色の袴に白色の小袖と、実にハイカラな恰好をした麗人。

 屋敷へと到着した矢尾と榮を出迎えた。

 何故か榮に敵意の籠った視線を向けている。

 矢尾は彼女の作る料理を美味しいと評している。事実、榮が食べた料理は質素なものの、一品一品のクオリティは実に高かった。

 ただの人間、のハズ。

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