番号のお話 箪笥編
箪笥編の『箪笥』は、箪笥が意思を持っておかしいか! の『箪笥』です。
我輩は箪笥である。名は無い…いや、黒装束の人間は『オンモラキ』と呼んでいたか。
言葉の意味は分からんし知る気もないが、何となく心地良さを覚えた。うむ、これからはそう名乗る事にしよう。
とはいえ、最早我輩の事を知る者もおるまい。
身動ぎ一つ出来ぬ矮小な一棹の箪笥なのだ。
何を隠そう、我輩は名のある神社で祀られていた大樹であった。
樹齢は数千年程。誰も彼も気付きはしなかったが、ただ植わっていただけでない。
多くの人間の『怨み』を引き受け昇華し『妖』へ転じる事を未然に防ぐ。僅かばかり『呪い』が飛散するが知った事ではない。
それが我輩の使命であり存在意義である。大いなる彼の御方から託された。その記憶は未だに鮮明である。忘れられる訳がない。
磨耗しつつある記憶の奥底を改めて回想する。
二十尺はあろう黄色の怪物が我輩を倒そうとした。それに何十人かの人間が。
そして呆気もなく、切り倒された。
酷い仕打ちではないか。永く地界を護ったというのに。
そのまま消え去るものかと諦観していれば、なんの因果かこの様な姿で気を取り戻した。
それもこれも、目の前の人間のせいだ。いや、おかげと言うべきか。
―――お腹減ったなぁ。お昼何にしようか。
―――大根に人参に茄子生姜。一杯あったじゃねえか、それにしろよそれに。
―――野菜切りたいだけでしょ、それ。
何やら出刃包丁に話しかけている人間の事だ。
あの出刃包丁も尋常ならざる『怨み』と『悪意』に満ちてはいるが、其方は門外漢だ。
我輩は人間の『怨み』を喰らうしか能がない。
あの人間、人の形をしてはいるがその実、今までに見たどの人間よりも異質である。
時には転じる寸前の『怨み』を喰らい、時には『妖』から人間を護った。
万を超える無数の人間の『怨み』を喰らった我輩だからこそ判る事。
人の身には有り余る、大き過ぎる『怨み』をその身に宿す。
平常の人間が持つ『怨み』の限度が百ならば、あの人間は億か兆かそれとも京か。はたまた那由多の彼方か。
しかし反して、欠片ほども『悪意』がない。
異質だ、余りにも。『悪意』から『怨み』が生じるのが常というのに。
それに、意識か無意識か『怨み』が辺りに満ち満ちている。至極濃密な『怨み』である。非常に美味だ。
これほどに澄んだ混じり気のない『怨み』とは初めて出逢った。もう他の『怨み』など喰らえるハズもない。
飛散する『呪い』も今までとは比べるべくもない、非常に強力に仕上がった。
だが部屋に住む人間に変化は見られない。不思議な事もあるものだ。
この狭い部屋だ。常人ならば、立ち入るだけで狂いかねない。
噂に聞いた紅葉鬼や九尾狐でも耐える事は不可能だろう。
それに、たったの数ヶ月傍に居ただけで許容の限界を迎えてしまった。
その内にはち切れるだろう。そうなればそれまでだ。周囲一帯が『呪い』で満ちる。
しかしそれも良いだろう。せめてもの意趣返しだ。
だが、因果なものだ。
彼の御方に託された使命を、護るべき人間に断たれ。
彼の御方と似通った人間の『怨み』で、人間を冒すなど。
生とは如何にも、奇々怪界である。
・箪笥
どこかの店の二階に置かれている、高さ160cm 奥行60cm 程の箪笥。
随分と年季が入っており、造られてからかなり時間が経過していると思われる。
がたつきやつかえもなく、箪笥としては一級品。買えば結構な値段がしそう。
部屋に住む人間は使っていないが、箪笥に入れた衣服は虫に喰われない。
造った人間は『樟脳イラズ』とも揶揄していたとか。
・大樹
どこかの神社に聳えていた大きな樹。
樹齢は数千年。誰も彼も気付かなかったのは、幸か不幸か。
神社が取り壊された際、同時に切り倒された。
その際『事故』が多発し、不幸な『事故』で数人が亡くなったと記録されている。
『彼の御方』から地界を護る使命を授かり、人間の『怨み』を喰らい『妖』へ転じる事を食い止めてきた。
同様の使命を授かった『樹』が他にも存在するかもしれない。
神社周辺に残る民話には『拝むと悩みから解放される樹』として伝わっていた。
・怨貰木
どこかの神社が取り壊された際、切り倒された大樹を使って造られた一棹の箪笥。
意思を持ち、付喪神の亜種と推察される。
彼は、人間が抱いた『怨み』を喰らい『呪い』へと変換する『力』を持っていた。
その『呪い』の強さは、人間の『怨み』の強大さや純粋さに左右される。
通常ならば『呪い』は無差別に飛散するが、箪笥と成った今、その『呪い』は引きだしに蓄積されている。
蓄積上限を超えた際は周囲に発散されるが、衝撃が加わるとその方向に蓄積された『呪い』が投射される。防御本能の一種か。
数多くの人間を見てきたせいか、その眼は確か。
部屋に住む人間の異常性/特異性を見抜いた最初のモノ。
部屋内が人外魔境になった大元。
・部屋に住む人間
漫画ばかり読んでいる人間。
出刃包丁に話しかけるおかしな人間。
箪笥があるのにカラーボックスに衣服を入れている変な人間。
最上位の『妖』でも耐えられない『呪い』の渦中で生活している摩訶不思議な人間。
人の身には有り余る『怨み』を宿した人間。
人間? 人間。
部屋内が人外魔境になった原因。




