大社のお話 麺編
麺編の『麺』は、ご飯よりもパンよりも麺の『麺』です。
食べ終わり空になった容器をゴミ箱に捨てた。
腹ごなしは済んだ。あとは勝負に臨むだけだ。
「おいバイト! 呑気に飯なんて食ってんじゃねえぞ!」
「お昼くらい食べますよ、そりゃ。飯食わずに生きていられる人間なんていませんし」
「成せば成る、成さねば成らぬ何事も、だ! 人間三食抜いても死なん!」
「そんな根性論、今時流行りませんって」
そう言いつつもバイトは、食べ終わった容器をゴミ箱に捨てた。
店長の無茶ぶりなどいつもの事だ。
一に根性、二に根性、三四に根性、五に根性。
根っからの根性主義者だ。それを自分に課すのは構わないのだが、他人に押し付けようとして来る。
面倒なので受流してはいるが、それでも面倒くさいに尽きる。
これだから、自分以外のバイトが次々と辞めていくのだ。
「外出てチラシでも配ってこい! 目指せ完売だ!」
「店長、ここってビラ配りも客引きも禁止でしょう」
「根性で見つかるな! 隠れて配れ!」
「はいはい。そろそろ始まりますよ」
バイトがそう言った数秒後。パン、パンと花火が打ち上げられた。
同時に客波が押し寄せてくる。ドドドド、という足音は誇張でもなんでもない。
多くの店店の前にはすぐに行列が並ぶ。それは、店長の店も例外ではない。
あっという間に百人ほどの行列が出来てしまった。
バイトは接客をして注文を受け器に出汁を注ぎ、店長は湯切りし薬味を乗せる。
二人の息はピッタリだ。次々と行列が消化されていく。
『饂飩屋 平谷』
彼が店長を務める店の名前はそれだ。
繁華街に店を構え、連日盛況だ。繁盛している方だと自負も持っている。
十年ほど前、彼はしがないサラリーマンの一人だった。
趣味は偶の休日に打つうどん。シイタケや節を中心に出汁を取り、小麦粉から麺を手ずから打つ。
そうして出来上がったうどんは、それまでの仕事の疲れを癒してくれる至高の逸品だった。
そう、彼はうどんが好きだったのだ。
それなりの腕だと自負はしていた。そんじょそこらのチェーン店には負けない味だと。
ある日、近くの多目的アリーナで『麺の広場』と名を冠した催しが開かれる事を知った。
見物交じりに立ち寄り、会場で食べた一食のうどん。それが彼の人生を変えた。
薄い汁にネギが乗せられたとてもシンプルなうどんだった。
驕りが無かった、といえば嘘になる。しかし侮っていたのは事実だ。
このような会場で出されるうどんなど、作り置き伸びきった麺に塩辛い汁。
そう決めつけていた。
ズズズ、と汁を啜る。彼は目を見開いた。
途端、熱が噴き出し目から熱線が射出された。もちろん比喩である。
ズルズル、と麺を啜る。彼は唾液を溢れさせた。
途端、体に電が走り口から光があふれ出た。もちろん比喩だが。
今までに食べていたうどんが過去の遺物であるかのように思えた。
今までに打っていたうどんが粗末な代物であるかのように思えた。
感涙してしまった。これが、これこそが、自分が求めていた物だと。
その瞬間、彼に湧いた感情は、妬みや嫉みを始めとした悪感情ではなく、羨望だった。
純粋に尊敬した。
どのような技術があれば、どのような想いがあればこのような味が出せるのかと。
自分自身でうどんを打っているからこそ、それが分かった。
うどんを打っていたのは、自分と同年代と思われる男。
その若さで、どうやってこの域まで練り上げたのか。
その後の行動は早かった。
休み明けには退職願を認め引継ぎを済ませ、次の月には弟子入りを果たしていた。
当初は難色を示されたものの三日三晩の間、店前で土下座をしてなんとか承諾を貰った。
その店の名前は忘れる事が出来ない。
『饂飩屋 月読』
平谷の人生や価値観を変えた店だ。
繁華街に店を出せば行列必至の味。
しかし人通りからかけ離れた路地の先の先に店を構え、近所の住民を中心に商売をしていた。
一度、何故表通りに店を進出しないのかと聞いた事がある。
すると、師匠はこう答えた。
『恩人を助けられるほど、僕はまだ強くないから』
そう言う師匠の目はどこか悲しげだった。
常連のお客に聞くと、曰く。
『あいつの姉を救った奴が何処かに消えてね。恩を返せずじまいになったからね。お笑いだよねまったく』
黒いガラス玉が嵌め込まれたような漆黒の目。そしてまるで創られた人形のような外見だった。
何やら異様な雰囲気を感じたが、しかし大事なお客だ。表情には出さなかった、と思う。
弟子入りし修行を重ね、二年前にようやく暖簾分けを許された。
しかし未だ、師匠のうどんには遠く及ばない。一生を賭けてすら手の届かない高みだ。
そして今回。暖簾分けを許されてから五度目の『麺の広場』だ
『麺の広場』
年に四度、季節の移り目に開催され、今年で十年目になる。
県内でも大きな会場で開催される祭典で、百を超える店が軒を連ねる。出店条件はただ一つ『麺を出す』事だけだ。
蕎麦でもラーメンでもパスタでも。冷麦でも素麺でもビーフンでも春雨でも。
それが麺ならば、何を使おうが構わない。和洋中、国籍もルールも無用の残虐ファイトだ。
そうこうしている間に一時間が経っただろうか。
「一段落しましたね。飲み物買ってきますよ」
「そうだな、少しばかり―――アイツは…!」
「なんですか店長。そんな剣呑な顔して」
「知らねえのか! そんなんだから何時まで経ってもバイトなんだ!」
「高望みなんてしませんよ。忙しそうですし」
何やら以上に興奮しつつある店長。彼の視線の先。
行列は小康状態にあり、多くの客はベンチに座り麺を啜っている。
その先。何やら辺りを見渡し、キョロキョロと視線を巡らせている女性の姿が。
「伝説の少女U…! やっぱり来やがったか!」
「なんですかそれ」
『伝説の少女U』
その存在は十年前。開催初年度の『麺の広場』から確認されている。
目印は日に焼けた肌。女性にしては短い髪の毛。そして何より、年頃の女性が着るには視線が気になる独特なTシャツだ。
『饂飩屋 平谷』が興奮状態にある時、他の店も同様に興奮状態にあった。
斜向かいの店『パスティーノ NeVa』ではこんなやり取りが。
『伝説の少女Uだ! 気合い入れろ! 持ってかれるぞ!』
『了解!』
その三軒隣『中華 栄』では。
『来たか、伝説の少女U…今年はウチがいただきだ!』
『アイサー!』
『出前蕎麦 天龍』では。
『…始めましょう。伝説の少女Uは一筋縄ではいきません』
『承知しました、師匠。全身全霊を』
皆一様に彼女の、伝説の少女Uの動向を窺っていた。
どうしてここまで、たった一人の少女の為に会場中が戦慄しているのか。
その理由。それは『伝説の少女U』にまつわるジンクスが存在するからだ。
「それで店長、伝説の少女? でしたっけ。どうしてそんなに気になるんです」
「…あいつは、絶対にどこか一店からしか買わねえ」
「そうなんですか。わざわざ来たのに勿体ないですね」
百近い。ともすれば百を超える店店が軒を連ねているのだ。
商品一つが数百円ほど。少々割高だが、量が少ない分多く食べる事が出来る。
お客一人が食べる数は、平均で四杯ほど。比べるとかなり少ない。
「あいつが食ったトコの店が、絶対に優勝する」
「はあ…そうなんですか」
バイトの反応は半信半疑と言ったところ。
それも仕方ない。眉唾物なのだ。
しかし事実、九年前から数えて三十六回の『麺の広場』
伝説の少女Uが食べたただ一つの店が、優勝しているのだ。
投票には、食品と共に渡される割り箸を使う。
各店舗前に設置された箱に割り箸を投入し、その重量で判断する。
一番重ければ優勝。単純明快な理屈である。それにゴミも散らからない。
「それで。店長はご丁寧に信じてるわけですか」
「…信じちゃいねえ。だが、信じたくもなる」
「別に優勝なんかしなくたってもいいじゃないですか。忙しくなると面倒ですって」
バイトに上昇志向は皆無だ。なぜならバイトだからだ。
かと言っている間に、伝説の少女Uの視線は一店を見つめている。
その視線の先には『饂飩屋 平谷』が。
すたすたと歩を詰めてくる伝説の少女U。
この瞬間、店長は勝利を確信した。
『勝った! これで俺が―――』
しかし勝利を確信した時、それは外れるのが相場だ。
そして勿論の事、店長の思惑は外れる事になった。
『饂飩屋 平谷』の目の前で右へ曲がり、店長の視界から消えてしまった。
「―――なっ!?」
店長は慌てて顔を出しそちらを確認する。
伝説の少女Uが器を受け取っていた。
「あー、隣の美味しかったですからね。店長も食べたじゃないですか」
バイトは、店長も食べたと言った。
いつ食べた? 会場に入って食べた物は。
確か、入場が開始される前、バイトが買ってきた物を食べた。
味噌仕立ての少し塩辛い、しかし様々な野菜が入った汁。
練り千切った小麦粉を入れた、食べ応えのある汁物。
どこか懐かしく、記憶を揺すぶられるような味だった。
それは―――
「すいとん、か」
確かに食べた。素直に美味いと思った。
うどんやそばやラーメンとはまた違う、素朴な物。
大きく切られた野菜も、適当に千切られた生地も。客相手に売る様な洗練された物ではなかった。
しかし、それが店長の心に残っていた。
「けど、すいとんって麺ですかね? 粉物ではあるんでしょうけど」
店長の言葉通り、閉幕後に発表された優勝店舗は『饂飩屋 平谷』の隣に設営されていた『小麦屋 豊受』だった。
総投票数の47%を獲得し、二位以下に圧倒的な大差をつけての優勝だった。
食べたお客は『祖母が作った料理を思い出した』とか『田舎の情景が思い浮かんだ』とか。誰もが共通して『懐かしい味』という感想を抱いたとか。
そしてバイトの言った通り、優勝決定後の緊急会議は紛糾した。
議題は『すいとんは麺なのか?』だ。
『包丁で切っていないからNG』という意見が出れば『パスタはダメですかそうですか』と。
『細長くない。これはアウトですね』という意見が出れば『一本うどんにケンカ売ってんのか? お?』と。
『小麦粉を使ってるからセーフ』という意見が出れば『それ十割蕎麦の前でも同じこと言えんの?』と。
実行委員の一人を捕まえて吐かせたところ、そんな感じの会議だったとか。
だが結局。
『美味しいんだしいいんじゃね』
そんな軽い意見が出て、優勝が決定されたとか。
そもそも店舗を出した時点で文句のつけようがない。
責任は選定した部門にあるのだ。
総来場者数65535人。総出店店舗数132店。総投票数184529。
今季の『麺の広場』も盛況の内に幕を閉じた。
―――
そして『伝説の少女U』と呼ばれている事など露知らない本人。
彼女は会場から少し離れた、うどんの大手チェーン店で椅子に座っていた。
お昼はとうの間に過ぎ、客足が遠のいた店内は静かだった。
器の乗せられたお盆を机に置き、卵を割ってうどんに落として割り箸を割る。
「いや、やっぱりうどんだね」
ズルズルとうどんを啜る少女の顔は、やはりどうしようもなく、笑顔だった。
・店長
『饂飩屋 平谷』の店長。苗字は平谷。39歳。男性。
随分と厳つい体躯をしている。 修行で鍛えられたとか。
根性論の信奉者で、大体根性で何とかなると思っている。
『伝説の少女U』のジンクスは信じている方。
元は、うどんを打つのが趣味のサラリーマン。
『麺の広場』で食べた一杯のうどんで既存の価値観を覆され、脱サラ後『饂飩屋 月読』へ弟子入り。
数年後には暖簾分けを許され、腕試しとして『麺の広場』へ出店していた。
・バイト
『饂飩屋 平谷』のバイト。25歳。女性。
店長の無茶振りはいつもの事なので軽く受け流している。
バイトが次々と辞めていく『饂飩屋 平谷』の唯一のバイト。バイト暦は五年くらい。
忙しいお昼時でも一人で接客レジ打ち受け渡しをするあたり、極めて有能。
『伝説の少女U』のジンクスには半信半疑。
忙しい『饂飩屋 平谷』を辞めないのは、ひとえに店長への好意によるもの。
・伝説の少女U
『麺の広場』へと現れた日焼けをした少女。キワモノ的なTシャツを着ている。
彼女は『麺の広場』では一店舗からしか食べ物を買わない。
そのただ一つの店舗が優勝するというジンクスを持つ。
その存在は十年前から確認されており、現在では『麺の広場』出店店舗の半数以上が彼女についてのジンクスを信じるようになる。
彼女がうどんキチになる切っ掛けとなったのがここ『麺の広場』である。要は『魂の場所』ということ。
親に連れられ来場した初年度の『麺の広場』にて迷子になり泣いていた所、一人の男性から一杯のうどんを渡された。
恐る恐る食べてみると、まるで眼から熱線が出るような、体中の水分が口から流れ出るような感覚に陥った彼女はそれ以来、名も知れぬ至高のうどんを探し求めている。
Uの由来? 名前がUから始まるとかじゃないですかね。
・麺の広場
年に四度、春~冬の各季節ごとに開催される麺職人の麺料理による麺の為の祭典。今年で十年目。略して『麺場』
地方の多目的ホールで開催される、単日限りのイベントとしては異例の六万人を超えた集客を誇り、その知名度は全国的に知れ渡っている。
知名度が皆無だった店が一日にして全国的な知名度を誇る事も珍しくないらしい。
時折『神様』が出るらしい。そんな噂やジンクスが蔓延るのは稀によくある。
・月読
線の細い若い男性。昔はブイブイ言わせていたとか。
小麦を扱わせたら特級の技術を持つ。自家製小麦粉で打ったうどんは格別の味。人によってはオーバーリアクションが過ぎるとか。
姉がいる。しかしその腐り具合に嫌悪感を抱き、今は姉の下を離れている。
姉を救った方を助けられなかった事を、今も永劫に悔やみ続けている。
『月の王』『不動』『天下一のうどん打ち』と言われてるとか。
神様です。それはもう。
・饂飩屋 月読
『饂飩屋 平谷』の店長が弟子入りした店。『麺の広場』初代優勝店舗。
店長は若い男性。彼の業界では、店に自分の名前を付けるのが流行っているらしい。
その味は天下一ながら、路地の奥の奥のこじんまりとした店舗で近所の方々向けに商売をしている。その方が性に合っているらしい。




