幽霊のお話
「九塔様ですね、少々お待ちください」
そう言い、榮はカウンター横に置かれた棚を探る。予約をしていたという本を受け渡すためだ。
榮は『古本屋 住吉』のカウンターに座っていた。
店長である上中下からは『予約をしたってお客さんが来たら、横にある棚から出して渡してね。お金は貰ってあるから』と言われている。
ここでのバイトを始めてから、二週間ほどが経った。とはいえ、店に来るのは四度目くらいだが。
朝、同僚の茅野さんから仕事を引き継ぎ、今はお昼前。
先ほど来店したお客様の応対が済んだらお昼にしようかと考えていた。
対応は上手くできただろうか。変な表情をしなかったか心配だ。
応対しているお客様ではなく、同僚の茅野さんに対してである。
岡谷が言うには、彼女は『幽霊』だ。
夏休み前、一週間ほどこの店でバイトをしていたという同級生の彼女。
しかしどうしてか、働いていた時の一部の記憶がないという。
都度都度書いたという手帳を見せてもらったが、三日目の分だけ途中で途切れていた。
まあそれはどうでもよいのだが、榮にとって重要なのは、手帳には茅野さんの事が微塵も書かれていない事だ。
顔を合わせているはずなのに。岡谷は知らないとハッキリそう言った。
しかし、茅野さん自身は岡谷の事を知っていた。何故か。
結局、茅野さんは幽霊なのだと結論付けた。脚もあるし透けてもいなかったが。
『あー眠い。それじゃ私寝るから、後よろしく』
今朝、茅野さんは欠伸をしながら二階へ上って行った。
金色の髪をサラサラと靡かせて。ふわりと良い匂いも漂ってきたのだ。
あんなに存在感があったのに。幽霊だと、榮は到底思えなかった。
あれこれそれこれ悩むが、しかし今はお客様を待たせるわけにはいかない。
本棚から一冊ずつ本を抜き出し、貼ってあるラベルを確認する。
『The King in Yellow』/『斜取』違う。
『金枝篇』/『伊具』違う。
『R'lyeh Text』/『九塔』これだ。
手に取ると、何かサラサラとした手触りだ。
ツヤツヤとして所々黒ずんでいるが、僅かに見える基の色は肌色だ。
まるで人皮のような気もするが。きっと気のせいだろう。
「こちらでしょうか。えっと…『アール、イェフ、テキスト』?」
「あア、これダヨ。漸く入荷しタようダネ」
榮の目の前。
目深にテンガロンハットを被りウェスタンシャツに身を包んでいた。それにジーンズ。
腰に回してある革の袋からは銃のグリップが覗いていた。
これで滑車付のブーツでも履いていれば、完全にマカロニ・ウェスタンに登場する保安官か何かだろう。
「それでは。お渡ししましたので、サインをお願いします」
「はいハイ」
ペンを渡そうとするも、それよりも早くサラサラと証書に名前を書き込む。
きっと何度も来た事があるのだろう。慣れたような雰囲気もあった。
書き終わり、カウンターに置いてあった本を手に持った九塔さん。
店を出る際、榮に耳にはこんな声が届いた。
「ケヒヒ、これデアイツに嫌がらせヲ…」
あの本を使って誰かに嫌がらせをするのだろう。
しかし本を使った嫌がらせ方法に、榮は心当たりがない。背表紙でぶん殴るくらいしか。
「お疲れ、榮」
九塔さんが店を出て三十分が経過した頃、背中から声がかけられた。
青い生地に赤い金魚が悠々と泳いでいる着物を着た女性。
和の装いをしていながらも、彼女の外見は金髪碧眼の美女。
彼女は、榮と同年代の女性、茅野さんだ。
薄暗い店内でも、彼女はまるで、光を発しているかのような存在感を示していた。
本人は、榮の住む『万屋 矢尾』の近く、三丁目の茅野さんの孫と自称している。
しかし最近、三丁目の茅野さんからの依頼は受けていない。夏前や梅雨時は草むしりをしたものだ。
ああ、また茅野さんの煮物を食べた…いや、またお話をしたい。
「お昼、まだでしょ。一緒に食べない?」
「あ、いいですよ」
榮も丁度、そう考えていた所だ。
奥で本を読んでいた店長に声をかける。
「店長、お昼休憩入りますね」
「はいはい」
案の定、本を読んでいた上中下だった。
本から顔を上げずに返事をする。全く本の虫である。
茅野さんと連れ立ち、キシキシと軋む階段を上って二階へ上がる。
そう言えば、二階に上がるのはこれが初めてだ。上がる用事もなかったのだ。
「ところで、二階には何があるんですか?」
「私の部屋」
ほう、茅野さんの部屋とな。
そういえば、誰かの部屋を訪れるなど久しぶりだ。
自分の部屋とはまた違う匂いがするのは、何とも言えない気分になる。
「それと、空き部屋もね。アイツ、滅多に二階に上がってこないから好きに使えるんだけどさ」
カラリと襖を開けると、なんとも質素な部屋。
真ん中に卓袱台が、壁際には箪笥が。それだけ。
卓袱台の真ん中には一輪差しに花が活けられている。なんだろう、コスモスだろうか。
雨戸が閉められた部屋は暗く、茅野さんは窓を開け雨戸を開ける。
九月も中旬を終える頃になると、太陽が真上にあるからとはいえ少し肌寒い。
それにしても、年頃の女性が住むような部屋ではない。榮が言えた義理ではないが。
卓袱台を挟み対面して座り、お弁当箱の包みを開けた。二段重ねのお弁当箱が姿を現した。
まず下の段。こちらの蓋を開けると覗くは白いお米。
やはりご飯を食べなければ力が出ない。どちらかというと、榮はご飯党なのだ。かといって、パンも嫌いではないが。
そして上の段のお弁当箱を開ける。
色取り取りの野菜や細かく細工をしたおかず。デコデコに飾ったお弁当などに、榮は否定的だ。
あんな細々としたおかずを有難がって少しずつ食べ進めるなど、榮の性情とは見事にかけ離れている。
では、お弁当をどうするか。それは簡単だ。
蓋を開いた所、卓袱台の向こう側から見たのだろう。茅野さんが言った。
「全部煮物って…ねえ榮。あなた、変わってるって言われないの?」
「そうですか? 普通ですよ」
昨日の夜、作りすぎて余ってしまった里芋と高野豆腐の煮物。
ニンジンやインゲンも一緒に煮込んであるが、主役は里芋。
煮物は冷えてからがさらに美味しくなるのだ。汁漏れさえ防ぐ事が出来れば、これ以上に美味な物はない。
確かに朝、煮物をお弁当箱に詰めていたら『そんなの持ってくの? もっときちんとしたの持ってけばいいのに』と、矢尾に言われたが、断じて変わっている訳ではない。断じて。
『万屋 矢尾』での食事作りは榮の仕事だ。
平日は朝食と夕食の二食を。休日は朝食と昼食と夕食の三食を。
榮は食べる事が大好きだ。しかし健啖家でも美食家でもない。
それに人に出す料理ならまだしも、自分だけで食べるお弁当に手間をかけるほどのずくもない。この程度で十分なのだ。
それならば、と。
榮も茅野さんのお弁当箱を覗く。
お弁当の見せ合いっこではないが、それと似たようなものだ。
半分、仕切りの向こう側には白いご飯の上に真っ赤な梅干し。
もう半分、仕切りのこちら側にはアルミカップに入ったいくつかのおかず。
切り干し大根の煮物。アスパラのベーコン巻。卵焼き。
なかなか榮好みのおかずである。
「茅野さんのも美味しそうですね」
「そう? 普通よ、普通」
そうして二人して手を合わせ、黙々と食べすすめる。
榮は食事中に喋る方ではない。
食事中もよく口が回る岡谷がいるからこそ、榮も口を開く。
普段もそうだが受動的なのだ。
「ところで榮さあ」
「はい、なんでしょうか」
榮は箸に煮物を掴み、口に運びつつ答えた。
「なんか、朝からよそよそしくない?」
ごくり、と。
少し強く呑み込んでしまったのは、図星を突かれたからだろう。
「えっと、そんな事は…」
「嘘。これでも敏感なのよね、そういうのに」
なにか部屋の中が寒い。
窓が空いているから少し肌寒いのは確かだ。しかし、これは。
まるで真冬のような。まるで凍えるような寒さ。
茅野さんの背後から吹き荒ぶ吹雪を幻視してしまった。
「何か聞いた? 私の事」
「え、あの…その、あの、はい…」
この寒さは、きっと茅野さんの所業だろう。
何が何だかわからない。何が起きているのだろうか。
しかし、吐かねばこの寒さは収まらないだろう。
―――
「へえ、そう言う事。岡谷、元気そうで良かったわ」
そう言いながら、茅野さんは電気ポットから急須へお湯を注いでいる。
榮の体には毛布が掛けられ窓は閉め切られていた。
腕を組み体を丸め、淹れられたお茶を啜って体を暖めている最中だ。
「そ、それで茅野さん、岡谷の事は…」
無様な恰好のまま、榮は茅野さんに問いかける。
「間違いなく知ってるわ、私はね。岡谷が倒れるトコも見ていたし、その後も。けど、岡谷はきっと知らないわね、私の事」
「や、やっぱり幽霊…なんですか?」
今、茅野さんの口から『自分は幽霊である』旨の返事を聞いたら、その瞬間に卒倒する自信がある。
「そうね、私の事を視えるのは、アイツとお客さん。何人も何十人もバイトの人間がきたけど、精々が足音を聞き取るくらい。声も姿もハッキリ見えたり聞こえたりしたのは、榮が初めて」
岡谷が初めて入院しなかったバイトだと、茅野さんは言っていた。
きっと叫んだのだろう。危ないと。茅野さんは、見過ごす事の出来るような人格ではないと、短い付き合いながらも勘付いていた。
最初、刺々しい態度だったのは、今までと同じだと思ったからなのだろう。
「とは言っても、よく分からないのよね。自分でも。気が付いたらこの店の前に立ってて、それまでの事は殆ど憶えていないの。幽霊なのか、それとも違うのか」
幽霊ではない。それに妖怪でもない。
それならば、これ以上怯える必要もない。
そう思うと、体の震えも自然と引いてきた。
「憶えてるのは茅野って名前と、お祖母ちゃんの顔。あと、これ」
ゴソゴソと押入れを漁る茅野さん。
出してきたそれは、西洋人形の様だった。
雪のように白い肌。ブロンドの髪の毛。碧いサファイアの眼。
とても美しい。まるで美の体現の様。
しかしその衣服は、反して和に染まっていた。
碧い眼に反した赤い布地。まるで夕日のように鮮やかな。
ふと、榮は違和感を覚えた。
この装い。どこかで見た事が…
視線を上げ、茅野さんの顔を見つめる。
そして、気付いた。
「茅野さん、ですか?」
そうだ、この西洋人形は、茅野さんの外見そのままなのだ。
人形に生を吹き込んだ結果、歩き出したモノが茅野さんと言われても否定が出来ない。
「そう。これが私。人形からあまり遠くには離れられないの。精々が、榮を迎えに行ったときの鉄塔辺りまで」
この店から鉄塔の辺りまで、徒歩で十数分程度。
直線距離で一キロもないくらい。そんな狭い世界で、彼女は生きていたのだろう。
恐らく、何年も。
「アイツは何か知ってるだろうけど答える気はないみたいだし」
ふう、と溜め息を吐き、お弁当箱のふたを閉める茅野さん。
「それを話して、茅野さんは私に、何かをしてほしいんですか?」
「まさか。聞いてほしかっただけよ。鬱憤晴らし。悩みは友人に相談するものなんでしょ?」
うむ、確かにそうだ。
しかし相談された側は、何かと胸にしこりが残る。
問題を提起されても解決するとは限らないのだ。
当人はどうでもよくても、相談された側がどう思うのかはそれぞれだ。
「そろそろお昼も終わりね。榮、私はここにいるから、行ってらっしゃい」
「あ、はい。それでは、失礼します」
榮は階段を降りながら、茅野さんの事を考えていた。
変わり映えのない日常。変わり映えのない時間。
カウンターにジッと座り続け、変わり映えのない景色を臨む。
それが延々と延々と延々と続く。
そんな状況に榮が陥ってしまったら、きっと狂ってしまう。
体は死なずとも、心が死に果てる。
そして、溜め息を吐いた時のあの表情。
全てを諦めた時の顔だった。きっとそうしなければ保てなかったのだろう。
もしも、この店で働いた。その意味があるのならば。
階段を見上げ、茅野さんのいた部屋を見る。
きっとあるのだろう。意味は。
友人の一人としてどうにかしよう。
そう思いながら、午後の業務へと赴く榮であった。
―――
「そいつは『じばく』霊だね」
「じばく霊?」
学生がザワザワと無駄話をしたりレポートを書いたりしている。
ここは大学の食堂。いつもの食堂とは違う。そことは少し離れた所にあるのだ。
しかしじばく霊。
なんだろう、体に爆弾を巻きつけて敵地に特攻でもするのだろうか。
「…榮さあ『自爆』霊って考えてるでしょ。爆発したりはしないよ、多分」
そうか、違うのか。
しかし。じばく、じばく…別の字があっただろうか。
「『自』分を『縛』る。それで自縛霊。それか『地』に『縛』るって書いて地縛霊。何か…そうだね、強い『願い』を持った霊が、それを果たす為にそこに居続けるんだ」
果たす為。
なんとはた迷惑な。
幽霊と聞くだけで気絶するほど恐ろしいのに、危害を加えられては堪らない。
「大体は悪い奴だよ。それこそ『願い』を果たす為なら何だってする。人間に憑いたり殺したり。呪いが連鎖に連鎖を繰り返して倍々ゲーム、なんて事もあったらしいよ。諏訪から聞いた話だけど」
「ふーん…その『願い』ってさ、具体的に分かる?」
「うーん、そうだね。私はうどんが好きじゃん。榮は何が好き?」
少し唸ったかと思えば、岡谷から唐突な質問が飛んできた。
好きな物。
といっても、好きな物などコロコロ変わる。
日替わり定食も真っ青な間隔でそれはもう。
「好みなんて千差万別じゃん。辛いのが好きな人もいるし甘いのが好きな人も。自縛霊の『願い』も、それぞれだよ。復讐だったり回顧だったり、それこそ誰かと逢いたいとか単純な奴だったりさ」
そうか。
無数の『願い』無量の『願い』
それを叶えるなど、それこそ無限に試さなければ…
いや、待て。
はたと気づく
岡谷は自らの『願い』が自らを縛り付けると言った。
『願い』を果たす為に、それだけの為に『悪意』や『怨み』を発散するのだろう。
死んだらどうなるのかなど、榮には分からない。
しかし『願い』の為だけにそこに居続けるのならば。
『憶えてるのは茅野って名前と―――』
そうだ、茅野さんは言っていた。言っていたのだ。
唯一、それだけは憶えていると。
どうしてそれを憶えているのか。
それが、その『願い』のみが存在理由。自らを縛り付ける理由だからだ。
「…ねえ岡谷。自縛霊ってさ『願い』を叶えたらどうなるの?」
「そりゃあ…消えるんじゃないの? 『願い』が叶ったら縛る理由も無くなるんだし」
これは我が儘かもしれない。
それに一人の友人を無くしてしまう事にもなる。
けれどそれでも。
「岡谷。私、早引けするね」
「はいはい。だけど、単位は落とさないようにね。はぁ…諏訪、榮に会えないと不機嫌になるからなぁ」
「今度の連休、遊びに行こうって誘っといてよ。私は暇だから」
「分かったよ。どうせすぐ諏訪も来るから。それじゃ、また明日」
うどんを啜る岡谷を尻目に、榮は食堂を出た。
山の向こうには黒い雲がかかっている。雨が降りそうだ。
自転車に跨り、榮は急ぎ『万屋 矢尾』へと向かった。
復讐だとしても願望でも、強い『願い』ならば忘れる筈がない。
何もかもを忘れても、憶えていないとしても。
自分の『願い』それだけは。
誰かと逢いたい。
それがきっと、彼女の『願い』
自分で自分を縛り付けて。
苦しんでそして諦めても、あの店に居続ける理由だ。
―――
雨が降って来た。
そこまで強くはない。パラパラと当たる程度だ。
榮は雨が好きではない。
幼い頃に雨に降られて風邪をひき、数日ほど寝込んだことがある。
その時の事を思い出してしまい、嫌な気分になるのだ。
傘を差し、肩からはいつもの鞄を提げ、榮は道路を歩いていた。
そして、榮の隣には、一人の女性の姿が。
ブロンドの長髪。赤い着物。碧い眼。
「んで、どこに連れてく気よ」
榮の隣を一緒に歩いている女性、茅野さんはこう言った。
その疑問は尤もだ。
大学から早退した榮は『万屋 矢尾』の電話を取り、ある場所へ連絡をした。
よく依頼をしてくるお客さんの電話番号は控えてあったから、連絡を取るのに苦労はなかった。
立派な職権乱用だ。咎められたら謝罪をしよう。
そして自転車を飛ばし、急いで『古本屋 住吉』へ向かった。
カウンターでボーっとしていた茅野さんの声を無視して二階へ上がる。
押入れに鎮座していた西洋人形を鞄に詰め、茅野さんに声を掛けた。
『行きましょう茅野さん!』
『は? 頭おかしくしたの?』
発言は無視し、榮は茅野さんの手を引いて店を出た。
鉄塔辺りまで『無理だから!』と喚いていたが、超えてからは何か呆然としていた。
『人形からあまり遠くには離れられないの』
以前、茅野さんはそう言っていた。
人形から離れられない。それならば、人形と共に出かければいいのだ。
茅野さんは、多くの人の目には視えないと言っていた。
しかし、本体の西洋人形は持てるようだし、お弁当箱も問題なく触れていた。
足音が聞こえているようだ、とも言っていたし、実体はあるのだろうきっと。
すべて推測だが。
やろうと思えば、西洋人形を抱えて外出もできるのかもしれない。
人形だけが宙に浮く、とても奇妙な光景が広がるだろうが。
榮が掛ける鞄には西洋人形が入っているのだ。
つまり榮から離れさえしなければ、どこまでも行く事が出来る。
そして到着したるは、木造の平屋住宅。
庭は十五平米ほどの広さ。
三本の木の内一本には、緑を帯びた木の実が成っている。数日前、近くを通りかかった時よりも大きくなっていた。
「…榮、ここって」
「入りましょう。大丈夫です」
不安げな視線を榮に送る茅野さん。
だが、榮は至って平静だ。
「あら、店員さん。待ってたわよ」
庭に入ると、一人の老婦人が竹箒で落ち葉を集めていた。
季節はもう秋なのだ。葉っぱだって舞い落ちる。
「あ、手伝いますよ」
「助かるわぁ。それじゃあ、お願いね」
オレンジ色の箕を持って、集められていた落ち葉を集める。
一緒に置いてあったごみ袋に葉っぱを詰め込み口を縛る。
一通り終わった頃、今まで無言でいた茅野さんが話しかけてきた。
「…なんで連れてきたのよ、お祖母ちゃんの家なんかに」
そうだ。ここは茅野さん(ブロンド)の祖母『万屋 矢尾』の常連さんである方の茅野さんの家だ。
以前まで見えていた、平屋の向こう側に見えた蔵は影も形も無い。きっと取り壊してしまったのだろう。
「いいじゃないですか。逢いたかったんでしょう?」
「まあ、そう、だけど…」
おや、と思う榮。
なにやら茅野さんの顔は思わしくない。
てっきり、茅野さんの顔を見れば、その勢いで消えてしまうと思っていたのだが。
違うのか。
憶えているのがそれだけなのだから、そうだと思い込んでいた。
もっと別の『願い』なのだろうか。
「お待たせ、店員さん。あらまあ、すっかり綺麗になって。縁側に回ってもらえる?」
茅野さんに言われるがまま、二人は縁側へと回る。
元々蔵があった場所は、やはり綺麗に何もない。
古い物は消えていく。当然の事とはいえ、榮は何か虚しい感覚に陥った。
榮の鼻には、何やら甘い匂いが感じられた。
縁側に置かれていたお盆の上。
そこには紅い皮に包まれた肌に、僅かに覗く黄色い中身。
サツマイモだ。
「蒸かし芋ですよ。二丁目の喬木さんから頂いたの」
「喬木さんのお家のですか? それなら美味しいって箔付きですね!」
「箔付きって、誰の?」
「私のです!」
「うふふ。店員さん、面白い事言うのね」
むしゃむしゃと食べ進める榮。
ホクホクとした触感。お菓子とはまた違う自然な甘さ。
サツマイモの皮を剥くかどうか議論が分かれるところだが、今回のサツマイモは蒸かしてあるのだ。
皮まで美味しくいただく事が出来る。決してズボラなわけでは無い。
半分に切られた一本のサツマイモをペロリと平らげてしまった。
おやつの時間には少し早いが、とても美味しく食べる事が出来た。
「ところで、お聞きしたい事って何かしら? 電話が来たから驚いたのよ」
そうだ、茅野さんの家に蒸かしイモを食べに来たわけでは無い。
「あ、はい。実は、これを見て頂きたくて」
そう言い、榮は鞄に入れてあった西洋人形を取り出す。
縁側、それも茅野さんの前に置くと、にわかにその眼が見開かれた。
しかしそれも一瞬の事。すぐにいつもの表情に戻る。
「店員さん、どうして、その人形を?」
「えっと、バイトをしてる…あ、万屋とは別の所なんですけど、そこで見つけたんです」
まるで壊れ物でも手に取るかのように、ゆっくりと。
持ち上げ、そして胸へ抱く。幼子を抱き締めるかのように。
榮の視界の端では、横で座る茅野さん(ブロンド)の驚く顔が見て取れた。
何をそんなに驚いているのだろうか。
「ありがとう、本当に。もう、見つからないとばかり…」
「茅野さんの人形…なんですよね」
「ええ、いえ…そうね。私の…孫娘の人形だったの」
茅野さんはそう言った。
しかし、榮には疑問が残る。
「だった?」
「昔…そうね、生きていたら、店員さんと同じくらいの歳かしら。小さい頃に、交通事故で」
「そう、ですか…」
「肌身離さずにいつも持っていてね。事故の時にも持っていたはずなのに、見つからなくて」
その後も、茅野さんの話は続く。
万屋の店長、矢尾の伝手で職人さんに作ってもらった人形だ、とか。
生きていたらきっと、店員さんと仲良くなっていただろう、とか。
その子の名前は茜だ、とか。
愚痴にも近い取り留めもない話も交えて、榮は聞くことに徹していた。
榮の隣に座る、着物に身を包んだ金髪碧眼の女性…茜さんは、泣いていた。
声も出さずに涙を流す。近くに居ても気付かれず、声を出しても聞かれない。
しかしそれでも。
こうして、祖母の傍に居る事が出来て、きっと幸せなのだろう。
そうして、日暮れが近づく。
秋が近い。日が落ちるのもすっかり早くなってしまった。
「ごめんなさいね、店員さん。愚痴ばかり言って」
そう言いながら、茅野さんは目元を拭った。
「あの…店員さん。お願いが、あるのだけれど」
未だ茅野さんの胸元で抱き締められた西洋人形を見ていると、彼女が何を言おうとしているのか、それが解ってしまった。
「その、この人形、頂く事は出来ないかしら。茜の墓前に供えてあげたいの」
「はい、いいですよ。きっと…そうですね。茜さんも、その方が喜びます」
そうして榮は、茅野さんの家を後にした。
もう雨は上がっていて、山からは茜色の日が差し込んでいた。
「榮」
「茜さん」
家を出た榮の後ろから、こう声がかけられた。
名前と同じ茜色の着物に身を包んだ女性。茅野茜さん。
いつまでも茅野さんと呼ぶのもややこしいから、名前で呼ぶ事にしたのだ。
「榮のおかげ、全部。お祖母ちゃんに逢えたのも『願い』が叶ったのも」
「いえ、私は何も」
『願い』が叶った。茜は確かにそう言った。
きっと心の内に秘めていた、榮にも言っていない『願い』だったのだろう。
それが叶った、と。
「けれど、良かったです」
何か、そうだ。彼女は、すっきりとした顔をしていた。
悩んで悩んで悩みぬいて、それでも解決しなかった問題がようやく解決したように。
「そうね。これで終わり」
茜がそう言った途端、眩い光の粒子がサラサラと昇っていった。
その出所は、茜の体だ。
まるで彼女の体が解けるように。溶けるように消えていく。
「寂しく、なりますね」
「何言ってんの、アイツは何も思わないわよ」
「私が、です」
「…こうなるって、分かってたんでしょ?」
「はい。けれど、それでも」
「これが自然なの。死人に口なし。喋れもしないの。普通は。榮がいなきゃね、きっとずっとあのままだったわ」
「…はい」
「感謝してる。怨みなんてこれっぽっちもないわ。ありがとう、それだけ」
会話をしている間にも、サラサラと茜の体は消えていく。
消えてしまうのか、消えてしまうのだ。
彼女の『願い』が叶い、自分を縛る理由がなくなったから。
「ありがとう、本当に―――」
消えた。消えてしまった。
最期に、とびきりの笑顔だけを残して。
―――
「はぁ…」
ここはいつもの食堂。
相も変わらず、榮の前に座る岡谷はうどんを啜り、榮の隣に座る諏訪はおにぎりを頬張っていた。
「元気ないじゃん榮。どったの?」
白いうどん、茶色い汁の上には半熟卵が乗っている。
中秋の名月にちなんで月見うどんを食べるとか言っていたが、半熟卵のトッピングなどいつでもやっているだろうに。
「あー…その、茅野さんの件でさ、へこんでて」
「ああ、古本屋の店員の」
「茅野さん~?」
そう言えばあの時、諏訪は何か物思いに浸っていて心ここに在らずだった。
早引けして『古本屋 住吉』へ行った時、諏訪はまだ来ていなかった。
「榮がバイトしてるさ、古本屋の店員さん」
「古本屋~? おかやがバイトしてた~?」
「そうそう。岡谷に紹介されて、そっちでもバイトしてるんだ」
「へぇ~…どうして掛け持ちなんてしてるの~?」
バイトを掛け持ちしている理由。それは借金だ。
しかしおいそれと吹聴するような榮でもない。
むしろ、諏訪に言ったら神社でのバイトをすごい勢いで薦めてくるに違いない。
諏訪の問いには答えず、会話を進める。
「なんだかんだあってさ。茅野さん、消えちゃったんだ」
「へー、会った事ないけど。まあ、よかったんじゃない? 自縛霊もあんまり長く居ると害を成すらしいし」
岡谷は至ってドライだ。
顔を見た事もない声も聞いた事もない相手が消えた時の反応など、こんなものか。
「ありがとう、って」
「ふーん、茅野さんはさあ、榮に感謝してたんでしょ。なら、気に病む必要なんてないじゃん」
そうだ、そうなのだ。
しかしこう、なにかブルーな気分になってしまう。
関わりのある者が消えると、物悲しいのだ。
「おかや~、その、茅野さん、ってさ~ヒト、なの?」
「私には見えないで榮には見えてるみたいだし、幽霊なんじゃないの? 諏訪が見れば詳しく分かったんだろうけど、丁度いなかったし」
「な、なんで呼んでくれないの!」
「呼ぶ前に榮、早引けしちゃったし。古本屋までの道は無駄に入り組んでるし。方向音痴じゃん、諏訪」
「む、むむむむむ…」
何やら呻っている諏訪。
しかし諏訪は方向音痴だったのか。
「隣、いいかしら」
「あ、どうぞ」
榮の、諏訪が座っている椅子とは逆の席がガラリと引かれ、そう聞かれた。
特に断る事でもない。即答した。
その時。
サラリと、金色の靡きを視界にとらえた。
視線を下げると、茜色の着物。
視線を上げると、パチリと大きい碧眼。
和の空気を纏った西洋人形。
彼女を形容するにはピッタリな言葉だ。
「え、は、え、え、は、え、茜、さん?」
「そりゃそうよ。それ以外に見える?」
―――な、なんでここに! 消えたはずじゃ!?
辺りに西洋人形は見えない。
つまり、彼女は単独で。単身でこの場所にいる。
大学の学食なんという人混み人出の多い場所に。
ふと、気付いた。
控えめに言って、茜さんはとても目立つ。
金髪美女の外見に加えて、名前通り茜色の着物を着ているのだ。
抜群に着物が似合う、大和撫子の諏訪でさえ悪目立ちする。学内で流布している噂話の半分を占めているのだ。
それなのに。
傍を通った学生が振り向かない。視線が集まらない。
まるでいないように、無視されていた。
―――あ、これ視えてないやつだ。
「どったの榮。明後日向いて」
「さかえ~?」
やっぱり視えていない。
岡谷はともかく、諏訪までも。
声を潜めてコッソリと。
このままでは、独り言を喋っている危ない人だ。
「…どうしたんですか茜さん。というか、消えたんじゃ」
「ただの演出よ。ああいうの、あった方がカッコいいじゃない」
それは全くもってその通りだが、しかしややこしい。
あの時の悲しみを返してほしい。
「けれど、ここが大学か。本当に人がたくさん…そういえば、榮の隣の子ってなんで着物なんか着てるの?」
「茜さんだって着てるじゃないですかっ!」
自分でも着物を着ているくせに、それをなんかと言うか。
いや、彼女の場合、西洋人形のカタチを模しているだけか。
「さかえ? …だ、誰その子!」
「あ、見える感じ? どうも、初めまして。茅野茜よ。気軽にちーちゃんって呼んで」
愉快そうに微笑む茜。
しかしちーちゃん。うむ、中々可愛らしいあだ名だ。
だけれど苗字よりも名前からもじって『あーちゃん』でもよいのではなかろうか。
―――あ、いや、やっぱりないな。ちーちゃんでいいや。
「え、なに? そこに誰かいるの?」
「ほら、古本屋の茅野さん」
「へー…まあいいけどさ。そろそろお昼終わるよ。先行って待ってるから、早く来なよ」
そう言い、食器を持ってさっさと行ってしまった。
珍しい事もあるものだ。
「あなた! さかえのなんなのさ! なんなのさ!」
「なんなのさ、って言われてもねえ。同僚、バイトのね」
「な、ならわたしは幼馴染だから! わたしの方が強いから!」
何がどう強いのだろうか。
幼馴染とはいっても小学校の初め頃、数日だけ遊んでそれ以降大学に入るまで名前すら知らなかったのだが。
諏訪は意固地になっているのだろう。何故かは知らない。
着物美人に左右から挟まれ、榮自身、悪い気はしない。
しないのだが、何かどうにも二人の仲が険悪だ。
「まあどうだっていいけれど。アナタ、学校以外の榮なんて知らないでしょ」
「が、学校以外!?」
「痛かったわぁ、無理矢理手を引かれて家に連れ込まれて。たくさん泣いちゃったわ」
「な、泣かされた!」
うむ、間違ってはいない。
先日、茅野さんの家に連れて行って、その最中に起こった事を言っているのだろう。
しかし何故、諏訪の顔は真っ赤になっているのだろうか。それに鼻息も心なしか荒い。
そんなこんなで。
榮自身が悪目立ちしつつ、お昼休みは過ぎていくのだった。
・名前:榮
性別:女
職業:大学生
好物:蒸かし芋
設定:
至って普通の大学生。
古本屋でのバイトはなんだかんだで慣れつつある。だが重要な事には気付かない。
同僚の茅野さんが消えてしまいブルーな気分になっていたが、元気? な茅野さんの顔を見て、ホッとした模様。
極めて稀な例である、自縛霊の説得による浄化。
図らずも、熟練した祓い師にも困難とされる偉業を成し遂げてしまった。
・名前:岡谷
職業:大学生
好物:うどん
設定:
短髪で陽気な大学生。
趣味であるオカルトは、あくまでも『知っているだけ』で実行力はないが、素人目線である分、ある意味では諏訪よりも分かりやすい。
今回は、自称・オカルトマスターとしての面目を守る事が出来た。
・名前:茜
性別:女
職業:自縛霊→浮遊霊
好物:水飴
設定:
和服で金髪碧眼のお姉さん。榮と同年代。
榮の異変に気付く程度には洞察力が良い。今まで何人もの人間を見てきたせいか、案外毒舌。
自縛霊としては新米のペーペー。しかし『力』は強い。彼女の血の成す業か。
榮に味わわせた凍える冷気は彼女の『力』の一端である。
『願い』が成就し消滅したかに思えたが、何の因果か浮遊霊へとジョブチェンジし、再び榮の前に現れた。
縛る物のなくなった彼女に怖いモノなどなく、今代最強とも評される諏訪の跡取りにも恐れなく突っかかった。
・西洋人形
茜の本体である、金色の髪・碧眼・茜色の着物を来た西洋人形。
茜はこの人形から遠く離れる事は出来ず、行動範囲は西洋人形を中心とした半径1kmといったところ。
この人形は、矢尾の知り合いが、持ち得る全ての技術を使って創り上げた傑作。
人間一人の魂を受け入れ、そして保護する事など造作もない。
・名前:諏訪
性別:女
職業:大学生・祓い師
好物:御御御付け
設定:
大和撫子な大学生。
霊や妖怪などの『魔』に対するスペシャリストだが、今回は出番がなかった。
突然現れた茜に対しては敵意を剥き出し。キャラが被るせいか。
当初、茜を視る事が出来なかったのは『切り換え』ていなかったから。




