古本のお話 花編
花編の『花』は、昨日の花は今日の夢の『花』です。
※2015/9/2 後書きの一部を変更。
しかし暇だ。ただ暇だ。
岡谷は暇を持て余していた。
カウンターから覗く景色は変わり映えない。車一台通らないのだ。
見えるのは木塀のみ。とてもとても殺風景だ。
店の名前は『住吉』古本屋だ。
店長はクマの目立つ髪がボサボサの男性。上中下というらしい。
夏休みの旅行の為、バイトを探していた時に偶々見つけたのだ。
『古本屋住吉 バイト募集 時給一万円 詳細はお電話で』
塀に張られたシンプルなものだった。
一度通り過ぎ、そして戻る。思わず二度見してしまった。
時給一万円? と訝しんだが、しかし募集しているのは古本屋。
試しに電話を掛けてみると、電話に出たのは男性だった。
どうやらバイトが辞めてしまい、早急に人手が必要なのだという。
仕事内容を聞いてみると、それは店番。
なぜ高時給なのかを聞いたが、バイト入れ替えが早くなるべく長く仕事をしてもらう為だからという。
履歴書も面接も必要ないとの事なので、とりあえず急いで『古本屋 住吉』へ向かう。とても分かりにくい場所にあった。
迷いに迷って、約束の時間から十分ほど遅れてしまった。
結局、すぐにバイトは決まった。
そしてバイトを始めてもう三日目。お客は全く来ない。それはもう怖い位に。
「店長、この本どのコーナーですか?」
「ん、東三つ目の七段目。同じ作家の本があるからあいうえお順で」
岡谷が手に持つ段ボールの中身。
そこには何冊もの本が詰め込まれていた。
やはり、古本屋というだけあって、本の買い取りもしている。
とはいえ大概は、かつて話題に昇った作家の本だったり官能小説だったりする。
店長の言うとおり、そのコーナーには段ボールの中身の本の作家の名前があった。
すいすいと棚に納め、カウンターへと戻る。すると人影があった。
薄暗い店内よりも更に黒い長髪。
天井に届こうかという長身。
半袖から見える浅黒い肌。
カウンターに座り、お客さんと対面する。
凄くカッコいい。なんだ、俳優か何かか。
しかし日本人とは思えない。鼻筋がシュッとして彫りが深い。
そしてその顔には笑顔が浮かんでいた。
「予約を、しているのですが」
何時の間に入ってきたのだろうか?
物音一つしなかったから気付きもしなかった。
しかし予約。予約と言うと…
「あ、はい。少々お待ちください」
店長からは『予約をしたってお客さんが来たら、横にある棚から出して渡してね。お金は貰ってあるからすぐに』と言われている。
バイトを始めて三日。まともなお客さんが来たのなど初めてだ。思わず呆けてしまった。
カウンターの横には何冊かの本が納められている。
どの本にも背表紙には題名が無い。一冊一冊確認する他ないだろう。
「何と言うタイトルの本ですか?」
「ええ『アンアスプレヒリヒンクルトン』と言います」
あ、あん…?
どうにも海外の言葉には疎い。
「すみません。あの、こちらにお書き頂けませんか?」
そう言い岡谷は、ペンと共に手帳を渡す。
この手帳は岡谷の命綱だ。
一年ほど前に遭遇した出来事(とはいえ覚えていない。肌身離さず持っていた手帳を見ただけ)のせいで、岡谷は強いストレスを受けると記憶を失ってしまう。
最近だと、榮の家に行った時か。なんだか吐いたり気絶したりしたらしい。ちっとも覚えていない。
後から聞いて驚いたのだ。手帳に書く暇も無かったのかその時の私。
記憶が無くなる期間も法則性が無く、日々の事を手帳に綴っている。
もしもの時の補完のためだ。
「ええ」
そう言い、長身痩躯の男性はサラサラと手帳に書いていく。
流麗な筆記体だ。辛うじて岡谷にも読み取れる。
『Unausprechlichen Kulten』
英語? 少し考えても思い当たる単語はない。
なんとかカルテンとは読めるが。
タイトルは分かったから、棚を漁る。
『Al Azif』違う。
『R'lyeh Text』違う。
『The King in Yellow』違う。
『Pnakotic Manuscripts』違う。
他にも何冊見るが、全て違う。
そして最後の一冊に手をかけた。
うん? なんだろう。何か手触りが違う。革かなにかだろうか。
タイトルを見ると『Unausprechlichen Kulten』鉄か何かの金属の留め金で閉じられた本だ。
メモと照らし合わせても相違ない。間違いないだろう。
ラベルには無有と書かれている。
なんと読むのだろうか。
「こちらでしょうか?」
「ええ、間違いありません」
「間違っていたら申し訳ありませんが、むう、と読むんですか?」
岡谷が言うと、長身痩躯の男は笑みを深めた。
「いえ、無有と読みます。私の名前ですよ」
無有。珍しい名前だ。
この頃流行のキラキラネームという奴か。
長身痩躯の男、無有は本をしげしげと眺めている。
今まで見た事もない様な装丁の本だ。余程珍しいのだろう。
「くふふ、すみませんが、中身を改めてもらえませんか?」
貴重な本なのだろう。万が一にも乱丁落丁があっては事だ。
とはいえ、それらがあったとしてもどうしようもないのだが。
ところで岡谷は本を読む方ではない。
友人の榮は漫画を読むらしいし、古くからの付き合いの諏訪はよく映画を見に行っていると言う。
岡谷は、どうにも感受性が貧相なのだ。
文字から作者の心象を読み取る事も出来なければキャラクターの心理を推し測ることも出来ない。
皆が感動するような映画の涙を流す一場面でも、何が悲しいのかが分からない。
諏訪に連れられ映画に行った事があるが『おかやと映画見てもつまんない』と言われ、それ以後は行った事がない。
しかし、本が不良かどうかは分かるので、点検する程度ならば問題ない。
仕方なしに岡谷は留め金を外し、ハードカバーの表紙を捲る。
「は、あ…?」
ただの文字の羅列。しかし生き物のように蠢いていた。
モゾモゾと、紙面から這い出ようとしているように。
読めない。しかし読む事が出来る。
意味の解らない文字。しかし意味が解る。
頭に、脳に、もっと別の何かに何かを直接叩き込まれるような、絶対的な違和感。
地獄が、そこにあった。
狂気の儀式、狂気の信仰、狂気の伝承が詰め込まれた地獄。
その顕れを垣間見てしまった。
ただの人間の、平常的な精神性では耐えきれなかった。
「あ、う…」
ガタリと椅子が倒れ、体が床を転がる。
まるで胎児のように身体が委縮する。身体が丸まる。
意識が薄まる。呑みこまれた。
ニコニコとした笑みを浮かべる、黒い笑顔だった。
―――
「困りますよ、またじゃないですか」
「いえ、つい悪戯をしたくなりましてね。いいじゃないですか、別に。人間の一人や二人」
「これで二十八人目ですよ。揉み消しも面倒なんですから自重してください」
「私としては、店長に読んで頂きたいのですよ。どうです? この本を読んでみては」
「『無名祭祀書』にも目は通しましたよ。けれど、西洋の魔導書は好みではないので」
「そうですか。しかし私には分からない。この奇跡のような場所を得て尚、知識の探究に励むのみとは。この場の奇跡があれば魔術を以ってして世界を手にする事すら出来るのに」
「それは野望のある人に任せますよ。私は知識を追い求めたいだけなんです、言った通り」
「なるほど。やはり店長は気持ち良い。私にとって一番扱いづらい人間ですよ。くふふ、しかしそれが心地良い」
「どうでもいいですが。岡谷さんを病院に連れて行きますので、しばらく留守にしますよ」
「私もお暇しますよ。この魔導書を届けなければならないので」
「またですか。今度はどちらへ?」
「くふふ、米国に秘密教団がありましてね。魔導書に記されている儀式を完遂させる為に、原本を届けるのですよ」
「そうですか。興味はないですけど、あまり騒ぎを大きくしないで下さいよ」
「それは難しい相談ですね。なにせ私、邪神なもので」
・岡谷
設定:
『古本屋 住吉』にてバイトを始めた女学生。
超高時給につられ、古びた古本屋で店番をしていた。
長身痩躯の浅黒い肌をしたお客さんに確認を求められた『Unausprechlichen Kulten』を開き、狂気に呑み込まれた。
その後、一時的な昏迷(外部刺激への極端な鈍麻)状態へと陥り、病院へ搬送された。しかし体質により記憶を失い、入院は免れた。
今回は完全にとばっちり。
記憶は失ったが、流れ込んだ知識は依然として刻み込まれている。
その為、自覚はないが人間のカタチを取った魔導書になったとか。
彼女の特異な体質は、過剰なストレスを受けると記憶を失う事。
過去の経験を発端としたPTSDに由来する記憶喪失とされている。
手帳を持ち歩き、都度都度メモを取っているのは、もしもの時の記憶の補完の為。
・店長
設定:
『古本屋 住吉』に住む人間。
岡谷を雇い店番をさせた。基本的に仕事以外で喋る事は少ない。
先代の店主から店を受け継ぎ、その生涯をある目的のために費やす求道者。
その目的は『知識の探究』
人間としての原始的な欲求を成し遂げる為、その生涯全てを捧げている
人間を辞めたら『知識の探求』に身が入らないと思っている為、当分そのつもりはない。
『知識の探求』に身を入れるあまり、人間社会の事情には興味がない。
・無有
設定:
古本屋 住吉を訪れたお客様。長身痩躯、浅黒い肌、絶世の美形。
注文していた魔導書を受け取りに来たようだ。
人間の一人や二人、壊しても問題ないと思っている。
『古本屋 住吉』のバイトをしている人間を病院送りにした数は、岡谷で二十八人目。
人間世界を混沌の渦に巻き込むため、日々暗躍している。
『這い寄る混沌』『無貌の神』『ドM』と呼ばれたり呼ばれなかったり。
その正体は邪なる神様。
・『古本屋 住吉』
設定:
路地の先の先の先に建つ、古びた古本屋。
多くの古本が置かれ、寂れた雰囲気を醸し出している。少なくとも流行ってはいない。
その正体は『土地』と『建物』が意思を持つようになった、屋敷妖怪。
目的は『知識の蒐集』と『知識の拡散』である。
求める者に『知識』を与え、求めぬ者には何も与えない。
『知識の拡散』に本を用いるのは、最も普遍的で広範に通じる方法だから。
あらゆる『知識』を蒐集/拡散をする/させる為ならば時間にも空間にも干渉し、因果律すら捻じ曲げる。目的の為ならば手段を選ばない典型。
先代店長は『奇跡の上でのみ成り立つ奇跡の体現』と遺したとか。
・『Unausprechlichen Kulten』:独 『無名祭祀書』:日
設定:
様々な信仰、宗教、伝承、儀式が纏められた魔導書。
常人ならば目を通すだけでも狂気に呑み込まれる逸品。
不完全な写本は数多く出回っているが、原本は『古本屋 住吉』で注文を受けた分を含めた六冊のみ。
どうして『古本屋 住吉』に入荷したのか。それは因果律を色々と捻じ曲げた結果。途中、どこかで誰かが救われたり、どこぞの誰かが破滅したりしたらしい。




