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購買のお話

 コンビニ『兎玉』

 寂れた集落の一角に存在する唯一の店。


 近くにスーパーやショッピングモールなどない地域だ。

 住民に生命線と言っても過言ではないだろう。


 榮も何度か来店したことがある。

 夏場はイチゴシロップのかかったカキ氷を食べ、冬場は肉まんを頬張ったものだ。

 

 それを思い出すと、唐突にカキ氷が食べたくなった。

 車は店の横に駐車してあるが、ほんの僅かに歩いただけで汗が滲んできた。

 これは食べるしかない。


「ねえさっちゃん、カキ氷食べる?」

「カキ氷ぃ? あんなの所詮、氷を削ってシロップかけたモンよ。あんなモンを有難がって食べるなんてどうかしてるわ」

「いらない?」

「…いただきます」


 そうと決まれば行動だ。

 レジへ行くとその上、白い短冊に達筆に書かれている文字を読む。

 それぞれ三百円。トッピングもあるが、今は必要ない。シンプルが一番なのだ。


「店長さん、カキ氷二つお願いします。えっと…『苺』と『檸檬』で」

「はいはい、少々お待ちを」


 店主の女性はそう言って奥へ引っ込んでいく。カキ氷を作るためだろう。


 室内にいる事が多いのか日に焼けていない白い肌。

 黒い長髪はしっかりと手入れがされているのか、傷みなどまるでない濡れ羽色。

 

 昔から全然変わっていない。

 ある程度年を取れば外見はあまり変わらないと聞く。

 矢尾も長生きしていると言っていたが、そのクチなのだろう。


 奥からガリガリと氷をかく音がする。まだしばらくかかるだろうと、榮は店内を巡る事にした。


 年代物の舶来酒や紙パックに詰められた大衆酒。

 新鮮な野菜や乳製品に魚介、鳥に豚に牛のお肉。猪や馬もあった。

 本棚には、つい数日前に発売された漫画本の新刊も置いてある。週に三冊刊行される週刊誌も勿論だ。

 片隅には、埃が被った古い据え置きゲーム機の箱もあった。カセットを交換するタイプの物だ。榮はゲームには疎いが、それだけは分かった。


 山奥の小さなコンビニの割にはやけに品揃えがいい。

 今まで気にすることでもなかったから無頓着だったのだ。


 佐奈は我関せずと、買い物かご片手に商品を見繕っていた。

 かごを覗くと、一升瓶に詰められたお酒が数本。それにお肉や野菜それに魚介が。

 今日は天ぷらでも作るのだろうか?


「…なによさに子」

「んぅ? 今日のお昼とお夕飯はどうしようかと思ってさ」


 今日はどうしようか。

 カレーは矢尾さんが平らげたし、材料ももうない。

 なににしようか。暑い夏場を乗り切るために、精の付く物にしようか。

 となると…


 まずは、予算がどれくらいあるのだろうと、矢尾から受け取った財布を開いた。


「うぇへぇ!?」

「なによ、バカみたいな声なんて出して」

「な、なななななんでもないですよ!?」

「敬語なんて気持ち悪い。黙って買い物してなさいよ」


 そう言い、佐奈はそっぽを向いて買い物を続けた。

 なんとか誤魔化す事が出来た。

 しかし、榮は何に驚いたのか。


 ―――や、矢尾さん…! どうしてこんな大金を!


 財布の中。お札が入るべき場所には、数えきれないほどの紙幣が。

 何枚かの紙幣を一枚の紙幣で纏めている。これがきっと十万円分だ。

 それが十束。合計百万円。


 こんな田舎に来るのに、何故どうしてこんなに大金を持ってきたのだろうか。

 訳が分からない。急な入用がある訳でもないのに。


「お客さーん、カキ氷できましたよー」

「はいいいぃぃい!」


 広くもない棚の隙間を抜けてレジへ突貫した。


「お待たせしました。カキ氷の『苺』と『檸檬』ですね。全部で六百円」


 榮は自分の財布から小銭を出して支払いを済ませる。

 万札で会計を済ませるのも悪いし、何よりも人前であの札束を取り出す勇気はない。

 榮は小心者なのだ。


 両手にカキ氷を持ち、佐奈の下へ向かおうとした。


 ―――…?


 何やら視線を感じる。

 後ろを振り向き佐奈の方を見ると買い物に集中している。榮の事など眼中にないようだ。

 それはそれで寂しいものだが。


 では…と、首を元に戻す。

 店主が榮の顔をジッと見ていた。


「あ、あの…?」

「長女の娘さんですよね? 山の上の。向こうは次女の娘さん」


 長女の娘。次女の娘

 つまり榮とその母、佐奈とその母の事を言っているのだろう。


「母を、ご存じなんですか?」

「ええ。小さい頃から店を構えていましたから。毎日毎日通っていて。暑い日も寒い日もカキ氷を食べていましたよ」


 カキ氷。

 そう言えば、榮が小学生の頃。

 夏、学校から帰ってくると毎日のようにカキ氷が用意されていた。

 榮も食べる事は好きだったから文句を言わずに食べていたが、もしかしてあれは…


「こんな狭い集落ですから。噂なんて逐一入ってきますよ。長女が家出したとか、次女が売られたとか。長男と次男はてんで役立たずとか」


 そう言ってニコリと笑う。なんだか矢尾と似たような笑顔だ。

 こう、なんというか、年長者のような老獪な。


「なにしてんのよさに子」

「あ、さっちゃん。はい、カキ氷」


 『苺』の方を佐奈に渡す榮。

 榮はどちらでもよかったのでスタンダードな方を渡しておいた。


 榮は『檸檬』を付属しているストローを切ったスプーンで食べ進める。溶けない内に食べてしまおうということだ。


「…私、そっちがいいわ」

「こっち? けど、口付けちゃったし…」

「いいわよ別に。気にしないから」


 そう言って佐奈は、榮の手の内にあったカップを奪い去る。代わりに『苺』のカップを押し付けてきた。

 佐奈はパクパクと『檸檬』のカキ氷を食べ進めている。スプーンは榮が使った物なのだが気にしないのだろうか?

 榮は気にする質ではないが。


 赤いシロップの掛けられた『苺』をシャクシャクと食べる榮。

 『苺』も『舐瓜』も『檸檬』も、その他様々なシロップも。色が違うだけで味は同じだと言うが、そんなのは些細な事だ。


 ―――シャキシャキモシュモシュ…う、うぎぎ…頭が…


 カキ氷を食べると起こる例の頭痛だ。

 眼の奥と言おうか側頭部と言おうか、鋭く刺さるようなキーンとした痛みが榮を襲う。

 両目を揉みながら食べ進み、あっという間に空っぽになった。


 きっと自分のベロは更に赤く染まっているのだろう。

 容器を店主に返却し、佐奈は会計をしている最中だ。


 会計も終わり、片手に持っていたマイバッグに品物を詰めている佐奈。

 重い物は下に、軽い物は上に。とても慣れているようにスイスイと詰めていく。


「あ、そういえばさっちゃん」

「なによさに子」

「熊って何食べるかわかる? 特に小熊」

「熊ぁ? 熊って言ったらアンタ…鮭とか蜂蜜とか…」


 蜂蜜。

 そう言われて、榮ははたと気づいた。


 ―――そうだ、蜂蜜だ。


 ミツバチの巣を襲って養蜂家の方を困らせていると聞いた事もある。

 街に熊が降りてくる事もあると、ラヂオのニュースでも言っていたではないか。


「店長さん、蜂蜜ありますか?」

「もちろんありますよ。取ってきますね」


 そう言って、店主はレジを立って奥へと消えた。

 佐奈は何やら怪訝な顔をしている。どうかしたのだろうか?


「蜂蜜なんて買ってなにすんのよ。全部食べる気?」


 そう佐奈に聞かれた。

 うーむ、なんと言うべきか。


 昨日、崖から落ちた時に偶然昔馴染みの親熊に出逢ったと言うわけにもいかない。


「…大学芋作ろうと思ってさ! 夜に! 蜂蜜、必要でしょ?」


 そう言って榮は棚からサツマイモを持ってきた。

 それに、夕飯に作ろうというのは本当だ。


 サツマイモをゴトゴト大きめに切って、フライパンで炒めて絡めて終わり。

 簡単ながら美味しい。ご飯のおかずにピッタリなのだ。

 

 そして、少し冷めて固まった、カリカリした場所が堪らなく好きなのだ。


「んじゃあ、さっき聞いた熊ってなによ? 昨日も言ってたけど」


 ぐっ、それを言われるとは思わなかった。

 熊に名前を付けて、一緒に遊んだのは諏訪だったのだ。


「お待たせしました。ウチで取り扱っているのは、この三種類ですね」


 そう言い、店主がレジの上にコトコトと瓶詰が置かれていく。


 これ幸いと、榮はレジに向かう。チッと舌打ちが後ろから聞こえた。

 気にしないでおこう。


 レジに並べられたのは三つの瓶詰だった。


 茶褐を希釈した飴色の蜂蜜。

 黄金を突詰めた金色の蜂蜜

 乳白を追及した白色の蜂蜜。


 蜂蜜一つとってもこんなにも違うのか。

 不思議なものだ。


「店長さんのおススメってありますか?」

「いえ、余り食べませんので。試食しますか?」


 いや、さすがに全部食べて確かめるというのはあんまりだ。

 開けてしまえば劣化が急速に進むだろうし。


 今まで蜂蜜を進んで買う事はなかったが、こういう時は…


 ―――うむむ、どうしようか。白いのは見慣れないし、金色のか飴色のかな。


 こういう時は、普通な物を選べば外れはない。

 蜂蜜と言えば飴色のがスタンダードだろう。しかし見た目で選ぶのならば金色の方が綺麗だ。


 そうして、榮が選んだ蜂蜜は。


「それじゃ…この金色の蜂蜜でお願いします」

「はい、こちらですね」


 そう言って店主は紙袋に瓶詰を入れる。サツマイモもレジに置いて、一緒に会計をしてもらう。


「それでは、合計で七千二百円になります」


 こちらも榮の財布から一万円札を取り出して支払う。

 一キロの瓶だからこれくらいの値段なのだろう。榮に物の価値は分からないのだ。


「それじゃさっちゃん、行こうか」

「そうね、さっさと行きましょ」


 佐奈が出て行く後ろを榮も着いていく。


「ありがとうございました。またのお越しを」




―――




 ガタガタと車が揺れる。車体が傷つくかが心配だが、怯えていては車は進まない。

 山の上には厚い入道雲がかかっている。しばらくすれば雨が降るだろう。それまでには小屋に戻りたいものだ。


「…ねえ、さに子」


 あと数分ほどで駐車場に着くだろう頃、佐奈の口が開かれた。

 コンビニに行く時もずっと黙っていたのに、窓の外から景色を眺めて黙っていたのに。


「どうしたの? さっちゃん」

「諏訪の跡取りの…あの子と、どういう関係なの?」


 関係、と言われても困ってしまう。

 幼い頃、ほんの少しの間だけ遊んで仲良くなって、最近大学で再開をした関係だ。

 小学校低学年の数年間からほんの数か月前まで、その間の事は欠片も知らないのだ。


 そういえば、と。

 佐奈の事もあれ以来、近況などまったく知らない。


「諏訪だよね? 大学の同級生だよ」

「大学…こんな車に乗ってるのに」

「これは店長の…ほら、矢尾さんの車だよ」

「矢尾…あの女ね」


 チッと舌打ちをした佐奈。

 理由は分からないが、佐奈は矢尾に対して猜疑心を持っているようだ。


 矢尾さんが何かしたのだろうか?

 そういえば、矢尾があの屋敷に来たのも初めてでは無いような感じがした。


 菫の屋敷へ出張した事もあったのだから、この屋敷へ来た事があったとしてもおかしくはない。

 何せ蔵には、骨董品が数多く詰められているのだから。


「聞いてない? お婆様から」


 お婆様。

 小学校の中学年に上がる頃に亡くなった榮の祖母だ。


「おばあちゃんが、何か言ってたっけ?」

「…聞いてないんならいいわ。悪かったわね」


 頬杖を突き、景色を眺めていた佐奈。

 視界の端で僅かにしか見えない榮だったが、何かを考えているようにも思えた。


「私ね、アンタが羨ましいの」


 唐突に、佐奈が言う。


 羨ましい?

 榮自身、誰かに羨まれるような事はしていない。


 佐奈はなんというか、今時の若い女の子といった感じだ。

 異性にもモテるだろうに。

 そういえば…


「さっちゃん、大学は?」

「行ってないわ。高校を出て、あの屋敷で修業の毎日。お爺様は、女に学歴なんていらないって」

 

 榮の事を羨ましいと言ったのも、きっとそのせいだと、榮はそう思った。


「あの店の店長、母さんの事、売られたって言ってたでしょ」

「…うん」


 佐奈の母。つまり榮の叔母。

 小さい頃に何度か会っているが、顔はあまり覚えていない。


「別に、気にする必要なんてないわよ。事実だから。家の繋がりで年上の人と結婚したの。援助を受けるって条件で。人身売買よね、体の良い。その後ね、父さん、浮気したんだって。私が産まれてすぐに。それからずっと、屋敷暮らし」


 そうか、佐奈はあの屋敷で暮らしていたのか。

 小さい頃。詳しい事は分からないが、もしかすると榮の祖母が健在だった頃からかもしれない。


「小さい頃に何回か会って、それっきり。もう顔なんて覚えてないわ。腹違いの妹だか弟がいるって話だけど、会った事もないし」


 佐奈のシートが倒れる。顔を腕で隠しているようだ。


「それでね、成人したら結婚も決められてるの。私の。顔も名前知らない年上の相手」


 結婚が決まっている?

 佐奈は榮と同い年のハズだ。


 法律上の婚姻年齢は、女性は十六歳。

 確かにそれは満たしている。しかし…


 『決められている』と、佐奈はそう言った。

 誰かに押し付けられ、勝手に決められたということ。愛はなく、義務で結ばれる婚姻。

 それは果たして幸せと言えるのだろうか。


 恋とは、愛とは。神聖であるべきだ。

 誰かの意思ではなく、自らの意志で成就するものだ。


「ホント笑える。バッカみたい」


 ふう、と大きく溜め息を吐き、言った。


「私、何の為に生まれてきたのかしら」


 力を振り絞って。きっと心からの声なのだろう。


 まるで助けを求めるように誰かに向けて。

 

 きっと、榮に。

 

「こんな狭い場所で生まれて、生きて、死んで。家に尽くして家に生きて家で死ぬ。ホンッと…」


 なんのために生まれて、なにをして生きるのか。

 榮はそれに答えられるほどに達観してはいない。長く生きてもいない。


 すすり泣く声が聞こえる。次第にしゃくりあげるように、押さえつけるように。

 いつでも明るく前向きで、普段の佐奈からは考えられないか弱い姿。


 きっと誰にも打ち明けられず、今まで閉じ込めていたのだろう。

 母親は父に反対せず、祖父は佐奈を人身御供のように扱っている。


 味方などおらず、周囲全てが納得ずくで進められている。そこに佐奈の意思など介在しない。


 今の佐奈は、パンク寸前の風船だったのだろう。


「羨ましい、ホント、バカみたい…」


 それはきっと、佐奈の叫び声だった。

 弱く弱い、か弱い声だったとしても。




―――




 もう夜だ。雲一つない夜空には綺麗な天の川が天蓋に映っている。


 コンビニから戻ってすぐ、蜂蜜を別の容器に詰めて月輪の下へ向かった。

 新も満も人懐っこく、指で掬った蜂蜜に齧り付いて舐めとっていた。

 うむ、可愛かった。


 帰り道、入道雲もあり雨の心配があったが、幸いな事に降る事はなかった。


 そして今、夕飯も済み布団を敷いて寝る直前。

 諏訪は少し前に小屋を訪ねてきて、今日は一緒に寝る事が出来ないと断りに来た。

 わざわざ断りに来る必要もないのに、律儀な事である。


「どうしたの。そんなに難しい顔をして」


 毛布を被ろうとした所、矢尾にそう言われた。


「矢尾さん…」


 自分では普通に過ごしていたつもりだったが、矢尾には筒抜けだったようだ。

 流石は自称・長生きだ。人生経験が全く違うのだろう。


 榮は矢尾に相談をした。

 しかし佐奈の名前は出さず、有る事無い事をなんとか織り交ぜて都合の良いように。

 きっとそんなことは御見通しだろうが、気にすることはなかった。


「生きる意味、ね。 そんなの聞いてどうするの。哲学にでも傾倒した?」

「いえ、その人が悩んでいまして。普段は毅然とした人なんですけど、産まれた理由に悩んでいるみたいで…」


 佐奈が悩んでいた産まれた意味。ひいては生きる理由。

 榮では分からないそれを、もしかしたら矢尾は答えてくれるのではないか。

 そんな淡い期待があった。


 僅かな静寂。

 そして矢尾が口を開いた。


「生きる事に意味を見出そうとするからいけないのよ。いい? 生きる事に意味なんてないの」

「意味がない、ですか?」


 生きる事に意味がない。

 少なくとも榮はそう思わないが、矢尾は違うのだろう。


「生きる事は始まりよ、けれどそれだけ。結局、大事なのは何をするか、何をしたか。理由がないのなら作ればいいの」

「理由を作る…」


 生きる事に意味はない。大事なのは何をしたか。

 つまり過程と結論を重視すると言う事だ。


 序論が無い事はありえない。生きる事そのものが序論なのだから。


「これから先、何をするかを決めたらいいんじゃない?」


 理由を作る。つまりは新しい生き方を探せ、ということだろう。

 佐奈は言っていた。自分の、榮の事が羨ましいと。


 つまり、人並みに大学へ進学し、人並みに恋愛をし、人並みに家庭を持ちたい。そういうことだ。

 しかし祖父は、佐奈の進学に対しては消極的のようだ。

 きっと、ずっと昔から言われていたのだろう。佐奈に反抗する気概があるとは思えなかった。


 考え方を変えよう。理由を作るには興味を持つ事だ。

 例えば趣味とか。


 榮の趣味は写真撮影だ。それと料理。

 前者はつい最近始めた物だが、料理は随分昔からの趣味である。

 食べる事が好きなのだから当然だ。


 佐奈の趣味、というと…


 いつも着ているキワモノTシャツ。あれは彼女の趣味ではなかろうか。

 岡谷と会えば、キワモノTシャツ談義で盛り上がるのだろう。どちらも同じ趣味を持つ同好の士だ。

 電話もないし呼びつける訳にもいかない。そもそも旅行中という話なのだ。


「うーん…どうすればいいんでしょうか」

「そうね、結婚すればいいんじゃないかしら。娶れば?」


 全く唐突に何を言うのだろうかこの店長は。適当を言うにしても、もっとまともな事を言ってもらいたい。

 第一、女性同士で結婚できるはずもない。


 榮は立ち上がり、ニヤニヤとしている矢尾を尻目に扉へ近づく。

 全く、何が面白いのだろうか。


「どこに行くの?」

「散歩をしてきます。先に寝ててください」

「あらそう。なら、お休み」


 パチリと電気が消された。

 薄暗い中へ、榮は外に出る。さて、と。


 榮は屋敷へと歩みを進めた。

 目的は、佐奈と会う事である。




―――




 幸い、玄関の鍵は閉まっていなかった。

 音を立てないように静かに開け、玄関を進んだ先、少し横の階段を上る。

 こちらも極力足音を立てず、軋む音もさせずにゆっくりと。


 そしてその先の廊下。

 佐奈の部屋は手前から二つ目だ。


 ―――コンコンコン


『…誰ですか?』

「さっちゃん、私」


 数秒後、カチャリと音を立てて扉が開かれた。


「…なによ、さに子」

「ちょっと相談があってさ。入れてくれる?」


 ゆっくりと扉が閉められる。しかし引き下がるわけにはいかない。

 右足を差し込んで阻止した。挟まれた足が僅かに痛いが気にするほどでもない。


「ちょっ…! さっさともどっ…!」

「いいからいいからさ!」


 内股の要領で扉をこじ開け、隙間から部屋へ入る。まるで押し売りのようだが気にしない。

 パタリと扉を後ろに回した手で閉じ、カチリと鍵を掛けた。まるで強盗のようだが気にしないようにした。


 なんとか押し入る事に成功し、一息ついて部屋を見渡す。


 ガランとした部屋だ。

 窓の下にはベッドが置かれ、角には本棚が。そして勉強机が置かれていた。


 CDやMDコンポなどの電化製品は全くない。殺風景な部屋だった。

 榮が言えた義理でもないが。


「で、何の用よ。強姦する気?」


 ベッドに腰掛けていた佐奈が言う。全く何を言っているのだろうかこのお嬢さんは。

 佐奈の格好は、やけに露出の大きいショートパンツに珍妙な柄のTシャツ。


 四色の棒で繋がった二重螺旋構造の物体が形を作り『DNA』と綴られている。

 何故だかコンセントとマウスも一緒に。意味が分からない。少なくとも榮には。


「…ホントに何よ、黙りこくって気持ち悪い」


 趣味は讃えられると嬉しい物だ。

 事実、榮も撮った写真を褒められると嬉しいのだ。矢尾に言われるとそれはもう。

 料理に関しても言わずもがな。作った料理を美味しく食べてもらえると、心が暖かくなる。


 つまり…


「用がないんなら出て行ってよ。これから…」

「その服、パッションだよさっちゃん!」

「…は?」

「すっごい似合ってる! なんというかその…キュート!」

「…ねえさに子さ―――」

「クールだよ! 意味わからないデザインを着こなすさっちゃんすっふぉふ―――」


 ―――ぶにり、ぐにーっ


 頬っぺたを伸ばされ、ぐにぐにと掌で押しつぶされる。まるで餅のように。


 褒められると心が暖かくなり、生きる気力が湧いてくる。

 つまり榮は、佐奈を褒めちぎったのだ。


「はっひゃん、ほうひはのは」


 榮はそう言うが、佐奈が手を離す事はない。

 数分の間されるがままに。


 そしてようやく満足したのか、榮の頬を伸ばしていた佐奈の手が離された。

 赤くなっていないかと頬を擦るが、きっと大丈夫だろう。


 佐奈がベッドに倒れた。ポフリと音がし身体が埋まる。

 どうかしたのだろうかと心配する榮。


「私、さに子が好きよ」


 ボソリと言われた佐奈の言葉に、少しだけ頬が赤くなってしまう。

 こうも真正面から好意をぶつけられると、流石に恥ずかしい。


「初めて逢った時さ、さに子、笑ってたでしょ。太陽みたいに」


 まあ、小学校の時分はバカみたいに明るかったと自分でも覚えている。なんというか、底抜けに。

 今は落ち着いたせいか、あまり面影はないが。


「羨ましかったわ。何が違うのかって考えて、いくら考えても分からなくって。あの時の私、ませてたのね。お婆様が亡くなって、さに子に逢えなくなって。死にたかった」


 自嘲気味に、佐奈は言った。


 死にたかった。

 それは言い過ぎではないのだろうか。


 死ぬのは、とても痛い事だ。とても冷たい事だ。とても苦しい事だ。

 生きたくても生きる事の出来ない者などごまんといる。

 なのに、死にたいなんて。


「母さんはお爺様の顔色を窺うばっかりで、私の事なんて物扱い。ずっと前からそうだったの」


 自嘲気味に言う佐奈。

 ずっと前から分かっていても、逃げ出すことも出来ず無碍にすることも出来ず。

 ずっと内に溜め込みながら生きていたのだろう。


「私はね、さっちゃんと出会えてよかったよ。何年かぶりに会ったけど変わってなくて。さっちゃんが死んでたら、きっと私、泣いてた」

「ありがと。嘘でも、そう言ってくれると、嬉しいから」

「嘘じゃないよ、本当。それでね、友達がさ、さっちゃんが着てるみたいな服を着てるんだ」

「へぇ、こんなおかしなTシャツ、他に着てる人なんていたのね」


 しばしの談笑。

 車の中で見せた弱い顔など見せず、自然な顔で榮と話をする佐奈。


 徐々に、その顔に明るさが戻ってくる。そして、何かを決意したかのような表情で、言った。


「そう、ね。もう決めたわ」

「なにを?」

「ちょっと、ね。さに子はもう戻って。寝るの、早いんでしょ?」

「あ、うん。えっと…一緒に寝る?」

「一緒になんて寝ないわよ、そんな歳でもないし」


 矢継ぎ早に言われ、榮は廊下へ出た。

 眠かったのは事実だ。いつもならばとうに眠っている時間帯なのだ。


 眠たい目を擦りながら階段を下り屋敷を後にする榮。

 空を見上げると、とても綺麗な星空だった。




―――




 見送る佐奈と、榮の母親佐千に挨拶をして、駐車場を後にする榮と矢尾の二人。

 屋敷はもう見えなくなった。たったの四日いただけだが、なんだかとても懐かしい気分に浸る事が出来た。

 

 小さかった小熊は母となり、その双子にも出逢う事が出来た。

 幼い頃に出会った友人とは奇妙な縁で今も繋がっていた事を知る事が出来た。

 従姉弟妹にも出会え、そして従姉の心の重荷を下ろす事が出来たのだろう。きっと。


「そういえば矢尾さん、夜中に小屋から出ましたか?」

「ええ、散歩にね」


 夜中、扉の開く音でほんの僅かに意識が浮かび上がった。

 すぐに眠気に呑み込まれてしまったのだが、矢尾に聞くと散歩をしたのだという。


 山を下る坂道も終わり、集落をしばらく進む。すると、矢尾が言った。


「この先」


 矢尾は少し先にあるわき道を指差した。背の低い草が茂り轍は確認できない。車など何年も通っていないのだろう。

 榮が運転している『べーえむべー』がギリギリ通る事の出来る幅だ。


「ここ、ですか?」

「ずっと真っ直ぐ言った先に、石段があるの。着いたら起こして。少し、寝るわ」


 そう言って矢尾は目を瞑り、すぐに寝息が聞こえてきた。


 通れるのか? と心配になるが、少し先を見通すと少し広くなっている。行き違いさえなければ大丈夫だろう。

 ゆっくりと車を進める榮。チラと横を見ると、いつもの険しい顔から一転して優しい寝顔。

 そういえば、矢尾の寝顔を見るのは初めてだ。


 きっと、夢を見ているのだろう。明るい昼間に見る白い夢を。




―――




「それじゃ、荷物だけ置いてくるから。少し待っていて」


 今は『万屋 矢尾』の裏口前。

 矢尾は荷物だけ置いてくると言い、家へ入って行った。

 

「ふぅ、疲れた…」


 なんとか車を傷付けずに戻ってくる事が出来た。

 免許を取ってから初めてで超高級外車の運転。

 どうにか事故を起こす事もせずに済んだ。


 なんだかんだとあったが、結果的には無事に済んだ。

 母親にも『もう成人したようなモンだから、あとは自分でお墓参りでもしなさい』と言われた。

 これからはお盆にだけお墓参りをしようと決めた榮だった。


 背を伸ばして深呼吸をする榮。

 この後、矢尾が車庫入れをすれば榮の役目はおしまいである。


 ―――ズゴン!


 僅かな振動と共に凄まじい音が。

 何事かと榮は周りを見渡す。

 すると前方。すぐ前に。


 包丁が刺さっていた。ボンネットの中央に。垂直に。


「な、はえ、な…!」


 その包丁に榮は見覚えがあった。

 異常なまでの切れ味を持つ『極楽丸』だ。

 それに加えて何故だか自意識も持っている。きっと唯一無二の包丁だ。


 ―――ど、どうして無機物がここに、捨てたはずなのに、まさか、自力で脱出を!?


『へ、へへ、帰ってきてやったぜ…』

「お、おま…! な、な、な…」


 ドアを開けて外へ出る。榮の精神では計り知れない事が起きてしまったのだ。

 パニックに陥ってしまっているのだ。


 なんてことをしてくれたんだ。

 しかもよりによって一番目立つボンネットに。

 ご丁寧にも、柄まで深々と。


 ―――ぬ、抜けば…抜けば傷は最小限で…!


 謝って謝り倒せばなんとか許してもらえる…かもしれない。

 そうだ、自分は悪くないのだ。勝手に包丁が降ってきてボンネットに突き刺さったのだから。


 柄に手をかけ、抜こうとする榮。


「あ」


 ズルリと足を滑らせた。

 こんな時に限って。最悪の時に。


 ―――チュイイイィィイン、ガキン


 榮の体重に引かれた包丁は、抵抗など無いように滑ってボンネットを切り裂く。 

 そして更にコンクリートに突き刺さった。


 榮の顔がさっと青くなる。

 ボンネットは真っ二つだ。

 包丁が突き刺さった部分から車体前面に向かって。


 ―――や、やらかして…


「あら」


 地面に倒れ伏す榮に、聞きなれた声がかけられた。

 冷や汗を掻きながら、まるで錆びついた機械のように首をゆっくりと上げた。


「やっちゃったわね、榮」


 やけに綺麗な笑顔である。まるで面白い玩具でも見つけたような顔だ。


「や、や、やっちゃいました…」


 うふふと微笑む矢尾。

 今までに無いような上機嫌である。


 これは一周回って許して貰えたかと安堵した榮。


 しかし…


「弁償ね」


 無慈悲な宣告が、榮を襲った。

・名前:(さかえ)

 性別:女

 職業:大学生

 好物:カキ氷

 設定:

 至って普通の大学生。

 スタンダードな物を選ぶ安定志向。たまに冒険はする。

 相変わらず物の価値は分からない。分かろうとしない。

 佐奈から羨望されているが、本人には心当たりがない。

 褒め方が分からない時には心の中の事をそのまま言う。

 無自覚な女誑し。自然体でそうなのだから始末が悪い。

 追い詰められた時は思わぬ行動を取る。メンタル弱め。


・名前:佐奈(さな)

 性別:女

 職業:家事手伝い

 好物:エビフライ

 設定:

 榮と同齢の従姉。具体的に言うと、榮の叔母の娘。

 昼食と夕食の材料を買うために、榮の運転する車に乗りコンビニへ。

 帰り道では榮にその心境を吐露した。


 幼い頃から自分を物のように扱う祖父と母へ不満を持ちつつも、しかし反抗できずに抑圧された環境で過ごしていた。

 そんな中、突然現れた、太陽のように明るい笑顔を振り撒く少女。

 そんな少女を彼女は羨み、そして心を奪われた。

 彼女が榮に付けたあだ名『さに子』は『sunny』から取ったとかなんとか。


・名前:矢尾(やお)

 性別:女

 職業:万屋店主

 好物:酒

 設定:

 路地を何本も進んだ先にある、古びた万屋の店主。

 榮の、知り合いだという人間の悩みの相談を受けた。

 彼女は『生きる事に意味はない』という独特の死生観を持つが、その考えは常人には理解しがたい。きっと自分の人生を振り返っての事なのだろう。

 ボンネットに突き刺さり、そして抜こうとして足を滑らせ真っ二つにした榮に、無情な宣告をした。


 白昼、夢を見ていた。きっと昔の思い出を。


・名前:極楽丸

 性別:不明

 職業:包丁

 好物:菜汁・菜肉

 設定:

 太刀が鍛え直された包丁。

 榮に置いて行かれて二日。このまま消えるのかと諦めていると、ある気配を感じた。

 その人物に枯れ果てた木から抜かれ、少しばかり話した後に『烏』に掴まれ宙を舞った。

 そして一時間ほど空の旅を楽しんだ後、投下された。

 流石に高度300mからの自由落下は初めての経験だったらしく、息も絶え絶えだった。

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