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昔日のお話

「はい、お茶」

「あ、うん、ありがと…」


 雨が屋根を打つ音が聞こえる。かなり強い。

 これはしばらく止まないだろう。きっと夜遅くまで降り続く。


 戸を開け、驚きながらも諏訪を見ていたら、直後に雨が降って来たのだ。


 このままでは雨に濡れてしまうと思い、放心としていた諏訪の手を引っ張って小屋へ連れ込んだ。

 体温も脚もあったし、向こう側が透けて見えもしない。幽霊やお化けでなければ、榮も怖がる事はないのだ。


 布団を丸め、薄っぺらい座布団を敷いておいた。

 諏訪は言葉も無く正座で座る。カーキ色のショートパンツにキワモノTシャツ。

 このシャツは例の如く、岡谷が好んで着ていそうな物だ。きっと佐奈から借りたのだろう。


 着物を着ている姿しか見た事の無かった榮に、ラフな格好の諏訪の姿は新鮮だった。

 

 丸い卓袱台を挟んで二人。

 それぞれの前にはお茶が置かれている。しかしどちらも手を付けようとしない。

 沈黙が室内を支配する。


 ―――ザラザラ、バラバラバラ


 雨粒が屋根を打つ音が耳に届く。雨漏りしないか心配になってきた。

 洗面器か鍋でも用意しておいた方がよいだろうか。


 そんな事を考え、数分が経っただろうか。


 痺れを切らした榮が声を出そうとする。


「えっと…」

「あのっ!」


 榮が声を出した瞬間、諏訪の強い声が遮った。

 すると、諏訪の顔が真っ赤に染まった。


「…お先にどうぞ」

「あっ、あ、えっと…ど、どうして、榮がここに…?」


 これはおかしなことを聞いてくる。

 諏訪の実家はこの地域とは違う場所にあると岡谷に聞いたし、諏訪が親戚という訳でもないだろう。

 そもそも、大学に入るまで接点がなかったのだから。


「どうしてって。ここ、祖母の家だから。諏訪こそ、なんで?」

「え…えっとっ、その、お家の付き合いがあって…その…」


 お家の付き合い。

 この家は結構古くからあるみたいだし、旧家同士の付き合いなのだろう。

 しかし、諏訪の実家は神職の関係だと言っていた。

 ここは至って普通の家なのに、どういった関係なのだろうか。


「付き合いねえ…いつ来たの? 昨日は見なかったけど」

「道路が渋滞しちゃってて、昨日の夜に着いたの…」


 昨日の夜。というと、榮はもう小屋に入っていて毛布を被って眠っていた時だ。

 昼間は少しだけ屋敷に入ったが、靴も無かったし納得だ。


 いや、しかしもしかして…


「昨日もノックした? あの扉」

「え…うん。毎年お盆に集まりがあるから、その時に…」


 幽霊の正体は諏訪だった。

 矢尾伝いに聞いた、佐代の言ったという『お盆の季節になると小屋の扉を叩く音がする』の正体は。

 幽霊の正体見たり枯れ尾花。終わってみるとあっけない。


「あー…よかった。これで安眠できるよ」


 そう言い、榮は丸めて置いた布団を伸ばす。

 幽霊が居ないのならば怖がる必要もないのだ。


「…さかえ、ここで寝てるの?」

「うん、そうだよ。ここに来るのも久しぶりだし、明後日には戻るけど」


 さて、あとは眠るだけだ。

 毛布を被りながらそう思い、諏訪の方へ振り向く。


「そういえば諏訪、どこで寝て―――」

「ねえさかえ。小さい頃、小熊を飼った?」

「え? うん」


 どうして知っているのだろうか。

 榮自身も今日、月輪に会うまで忘れかけていたというのに。


「ツキノワグマの名前は月輪で、鼈甲飴をあげたら喜んで食べたよね」

「そうだけど…なんで知ってるのさ」


 不思議がる榮に、諏訪は何かを決意したかのように、言った。


「私、今日、ここで寝る」


 それからの諏訪の行動は早かった。

 榮が呆気に取られている間に、畳んであった布団を広げてシーツを被せ、あれよあれよと言う間に寝る準備が完了した。

 それも榮の布団の真横にくっ付けて。


「あ、あの、諏訪さん?」


 途中、榮が問いかけたが、諏訪は無視してお布団の準備をしていた。

 諏訪は、こうと決めたら考えを変えない頑固な性格なのだ。

 こうなった諏訪は、岡谷にでも言われない限り考えを改めない。

 しかし岡谷は食い倒れの旅の真っただ中。夏休みが終わったら文句を言ってやろう。


「どうしたの? さかえ」

「えっと…どうしてここで寝るの? 屋敷の方に寝床あるんだよね?」

「…? どうして寝ちゃいけないの?」


 心底不思議そうな声でそう言う諏訪。

 いや確かにいけないわけではないが。

 しかしこんなボロ小屋の煎餅蒲団で寝るよりも、クーラーの効いたフカフカベッドのある部屋で寝た方が良いではないか。

 少なくとも、榮ならばそうする。屋敷は落ち着かないのでお断りするが。


「それじゃ、電気消すよ~」

「あ、はい」


 諏訪が来てからというもの、なんだかペースを握られている。

 うむむと唸りながら寝転がり毛布を被ると、カチリカチリと電気が消されて真っ暗になった。


 相変わらず雨粒が屋根を叩く音がする。足音も扉を叩く音もない。

 もう恐れる事はない。榮の心は穏やかだった。

 目を瞑り呼吸を整える。こちらに来てからなんだか無駄に濃い一日が続いた。


 崖から落ちたり熊と対面したり。生きているのが不思議なくらいだ。


 徐々に。徐々に意識が朦朧としていく。

 久しぶりの安眠に、榮は安らかに身を任せた。




―――




 目が覚めた。懐かしい夢を見た。

 小学校に入ったばかりの、まだ祖母が生きていた頃の事を。

 その時友達になった、一人の少女を思い出した。


 黒い髪の、麦わら帽を被っていて。

 一緒に山を駆け回って。一緒に小熊と遊んで。一緒にこの場所で寝て。


 ああそうだ。間違いない。

 幼い頃に一度だけ、諏訪と逢っていた。

 この場所で。この屋敷で。


 ああ、なんという悪夢か。


 寝ぼけた意識のまま、振り払うように身体を起こそうとする。しかし何か身体が重たくそれは叶わない。

 まさか金縛りかと内心恐怖したが、顔を捻って横を見ると、その原因が分かった。


 諏訪が絡み付いていた。


 触手のように、は言いすぎだが。

 榮の右腕に諏訪の両腕が絡めつけられていた。

 器用にもスベスベとした諏訪のおみ足も榮の右足に絡みついている。

 動けないのも道理である。


 そして間近で諏訪の顔が見えた。

 長いまつ毛に今は閉じられた二重まぶた。そしてシミ一つない白い綺麗な肌。ぽってりとした赤い唇。

 そしてすぅすぅと静かに呼吸をしていた。

 僅かばかり顔にかかる黒髪はどうにも淫靡で、その内面からは正反対な印象を見受けられた。

 外見からはホワリとした優しげな印象が感じられるがその実、中身は頑固なしっかり者なのだ。


 榮が在籍する科。それとはまた違う学部学科に在籍する諏訪だが、大学に入学して三か月程度で彼女の噂は大学中に広まっている。

 曰く『日本最後の大和撫子』とか『着たきり雀』とか『神社の娘』とかだ。

 色々なサークルにも勧誘されたと、食堂で困ったように言っていた事を思い出した。

 それに何人かの男性にナンパもされたとか。こちらも困ったように言っていた。


 由緒あるお家の生まれならば、許婚の一人や二人いてもおかしくはないだろう。

 榮には想像も付かない世界もあるのだ。


 榮はサークルにも部活にも興味がなかったので、そっち方面はさっぱりだ。


 唯一惹かれたのが『日本全国特産研究会』だった。

 数か月に一度、各自好きな県へと赴き、特産品を調べレポートに纏めてプレゼン形式で発表するのだ。

 食べ物でも焼き物でも祭りでも、その県独特のものであれば種類を問わない。


 一度だけ説明を聞いてみたが、その、何と言うか、非常に濃い面々だった。


 二年生が二人、三年生が一人、四年生が一人という少ない面子。

 一人当たりのプレゼン時間は十分と聞かされていた。

 しかし各自が好きな物を好きな様に発表する為に時間は大幅に超過し、お昼から始めたプレゼンが終わったのは日が暮れた頃。


 特に、三年生の先輩が凄かった。

 どこかの県で伝統的に行われている祭事について。

 その歴史からその意義、信仰の対象、それら考察をじっくりと。

 渡された資料には、信仰対象の写真やその系譜。上げられた祝詞の意味を解説する文言。私見。

 

 レポート用紙で数十枚にもなるような内容をスラスラと述べるのだから、榮は驚愕した。


 そういえば、秋には学園祭がある。

 大学構内でも告知がされていたし、岡谷も入れた三人で回るのもいいだろう。

 全出店を回ってみたいものだ。


「ん…んぅ…」


 諏訪が身動ぎをし、彼女の頭が首元に埋まる。サラサラとした黒髪がくすぐったい。

 あと数センチで口づけが出来るような距離。シャンプーの心地良い香りが鼻腔を擽った。

 まったく、男だったら襲っていたと思う榮だった。


 未だ腕が絡めつけられている右腕をゆっくりと外し、同時に右足もなんとか外した。

 スベスベとした諏訪の肌を触るのに、ドキリとしたのは内緒だ。 


 少し肌寒い早朝に諏訪の体温は心地よいし、抱き着かれて嫌な気分になった訳でもない。

 しかし榮は抱き枕ではないのだ。諏訪の抱き着いていた右半身が痺れてしまっている。


 ようやく起こせた体を伸ばし、ゆっくりと深呼吸をする。


 ―――ドンドンドン!


 扉が叩かれた。それもかなり勢いよく。

 あの勢いで叩き続ければその内壊れてしまいそうにも思える。

 さすがにこの真夏、扉が無ければ蚊が入ってきてしまう。


 はだけていた毛布を諏訪に掛け、なるたけ足音を立てないように扉を開ける。

 いまだ低い日の光が榮の眼を焼く。今まで薄暗かった場所に居たせいか。


「あれ、さっちゃん。どしたの?」

「さに子! 諏訪の! 諏訪のトコの跡取りが!」

「諏訪? 諏訪がどうかした?」


 カチリと扉を閉め、顛末を聞く。つまりこういう事らしい。

 朝、目を覚まして身支度を整え、佐玖と佐代を起こしてラジオ体操をさせた。

 そしてシーツを回収して洗濯をする。ここまではいつも通りのようだ。


 しかし、問題が起きたのはその次だ。


 諏訪の跡取りが泊まっている部屋へ行き、彼女を起こして食事の用意をする。

 彼女の身の回りの世話をするのは、年が近い事もあり佐奈の役目のようだ。

 

 だが、襖を開けるとその姿はない。

 毎年毎年、起こさなければいつまでも寝ているのだ。

 しかし自発的に目が覚めてどこかへ行った? 佐奈にはどうにも信じられなかった。


 だが、その場所にいないのは事実だ。

 余所の家から預かった大事な一人娘。いなくなった責任は果たして誰がとるのか。


 これはマズイ。誰かに見つかる前に解決しようと、佐奈は小屋の扉を叩いたようだ。


 ―――諏訪の跡取り?


 ああ、なるほど。

 昨日の夜、諏訪は黙って出てきたのか。


 それもそうだ。例年この小屋の扉を叩き、それだけやって屋敷に戻っていたらしい。

 こうやって一緒に寝るのなど予想していなかったのだろう。


 そういえば、どうして扉を叩いたのか理由を聞いていない。

 まあ、どうでもいいかと気にしないようにした。


 しかし、いの一番にこの小屋に来たのは僥倖だ。


「諏訪なら私の隣で寝てたよ。起こしてくるよ」

「は…はぁ?」


 扉を開けて小屋に入り、毛布をはぎ取る。

 しかし抵抗するようにうつ伏せになり、モソモソと蠢く諏訪。


「諏訪、朝だよ起きて」

「ん、んぅ~あと五分…」


 そう言うと、敷布団を捲って包まる諏訪。

 なんと予想通りの反応を返すのだ。


「ほら、さっちゃんが心配してるから」


 ゆさゆさ揺するもまだ抵抗を続け、言葉にならないような声を出している。

 そして敷布団の端から片目をチラリと出した。

 ようやく諦めたかとホッとするも、こんな事をのたまった。


「今日も、さかえと一緒に寝て、いい?」

「…諏訪、目、覚めてるでしょ」

「ダメなら起きないもん。ぐぅぐぅ」


 またも顔まで敷布団を被る諏訪。

 しかし意固地になった諏訪を曲げる事は榮には出来ない。

 ここは折れるしかないだろう。特に悪い事が起きるでもなし。


「はぁ…分かったから。けど、矢尾さんにも相談するよ。昨日はたまたまいなかったけど…」

「や、矢尾さん!?」


 榮が矢尾の名前を出した途端、諏訪は被っていた布団を跳ね除けてパッと立ち上がった。


「や、矢尾さんって、さかえがバイトしてるお店の…ど、どうしてここに…」

「…色々あってね。着いてきてもらったの」

「け、けど昨日は…」

「昨日は知り合いとお酒を飲んでたみたいで帰らなかったけど…諏訪、顔青いよ?」


 今までののほんほにゃりとしていた諏訪の顔が、サッと青くなった。


「ごっごご、ご迷惑お掛けしましたっ!」


 敷布団を撥ね飛ばし、ダダッと扉まで駆けて行く。

 まるで恐ろしい物でも見たかのように、一目散に駆け抜けた。


 そして、扉を開けると待ち構えていた佐奈にぶつかり、一言二言説教されていた。

 同い年のハズなのだが、どうにも諏訪には幼い面がある。二人を比べると、まるで諏訪が妹のようだ。


 お説教を済ませたのだろう。

 佐奈はスタスタと歩いて行き、諏訪もその後に続く。

 そして、ボロ小屋を離れる前に、諏訪はこう言った。


「またねさっちゃん!」


 ああそうだ。

 幼い頃、こう呼ばれていたのだ。

 そうだ、そうだった。

 そして、榮も諏訪をこう呼んでいた。


「うん、またねたっちゃん」


 それを聞くと、諏訪は花が咲き乱れたようにパァッと笑顔になった。

 そして、見えなくなるまで手をブンブンと振っていた。


「あの子、諏訪の跡取りよね」

「ぅわいぉ! や、矢尾さん、いたんですか」

「ついさっきからね。中から出てきたみたいだけど」

「あ。えっと、一緒に眠ったんですよ。昔その、一緒に遊んだ事がありまして」

「あらそう。旧友は大事になさい。得難いものだから。けど一緒にねえ…榮、女好き?」

「…は?」

「まあ、あんなに可愛い子だから仕方ないわね。仲人は任せなさい。有る事無い事面白おかしく話してあげるから」

「…矢尾さん、本気で言ってます?」

「あら、本気に聞こえた?」


 ケラケラと笑って小屋に入る矢尾。

 少なくとも榮には、矢尾が冗談を言っているようには思えなかった。

 続いて榮も小屋へ入ってお湯を沸かしてお茶を淹れた。


 あおあいて時刻は十時を回った辺りだろうか。

 シーツは少し前に洗濯をお願いした。その際、佐奈に不思議な顔で見つめられたが、何故だろうか。


 しかし暇である。基本的にする事はないのだ。

 ゴロリと寝転がって天井を見上げる。しかし何もない。

 いや、有った所でビックリして気を失うだけなのだが。


「そういえば矢尾さん、昨日はどちらへ行かれたんです?」

「麓のコンビニよ。一緒にお酒を飲んだのもそこの店長」


 ペラリとページを捲る音が聞こえた。


 榮が鞄に入れていた漫画だ。

 子どもの血を買って若さを保っている人や回転弾倉内のバランスを察知する人が出てくる、ギャンブルをテーマとした漫画。

 榮が個人的に好きな場面は、固定されたルーレットの所だ。


 しかしそうか、麓のコンビニという手があった。


 確か名前は『兎玉』と言ったか。

 幼い頃、この屋敷に来る道すがら行ったものだ。

 

 しかし、矢尾の人脈はどうなっているのだろうか。

 こんな山奥の小さなコンビニの店長が知り合いなど、そうそう有る事ではないハズなのに。

 不思議な事もあるものだ。


「それじゃ、ちょっとコンビニ行ってきます」


 鞄を肩にかけて靴を履く。決めればすぐに行動すべき。即断即決だ。


「あらそう。それじゃ、はい」


 そう言って矢尾から何かを投げ渡された榮。

 長方形の黒い物体。どうやら財布のようだ。


「何か適当に買ってきなさい。お金は好きに使っていいから」

「あ、ありがとうございます。行ってきますね」

「車の鍵も入ってるから、適当に使って」

「はいっ! 傷付けないように努力します!」




―――




「あれ…さっちゃん!」


 榮が門を出て駐車場へと歩いて行く途中、前を歩く女性の姿があった。

 そう違わない背格好、茶色に染まった髪の毛。榮の従姉、佐奈だ。


 少しばかり走り、彼女の横へ駆け寄る。

 Tシャツにハーフパンツというラフな格好。

 しかしそのTシャツは間違いなく、例の珍妙な物であった。


「なによ、さに子じゃない。また山にでも入るつもり?」

「あはは、さすがに今日は入らないかな。夜に雨が降ったからぬかるんでると思うし」

「そう、ならいいわ。それで、何しに出てきたの」

「ちょっとコンビニにね。さっちゃんは?」

「私も買い出しに。スーパーなんてこの辺りにないから」


 それきり会話がなくなる。二人ともに横に並んで静かに歩く。

 榮は話題を提供する方ではないのだ。諏訪と岡谷と三人でいる時は、岡谷が自然と話し出すものだから任せきりにしてしまっていた。

 これは直さねばならないと、決意を新たにする榮だった。


 数分ほど歩いて駐車場へ着いた。

 榮は真っ直ぐ、矢尾の『べーえむべー』へと歩き進む。

 ガチャリとドアを開けると、ムワリと熱い空気が襲う。この炎天下の中に置かれていたのだから、当然と言えば当然か。

 フロントガラスを隠していたサンシェードを外し、冷房を最強にしておく。涼しくなるまでしばらくかかるだろう。


 しかしたいして佐奈は、一角に建てられていた屋根のある自転車置き場へと向かった。

 スタンドのロックをカチリと蹴り上げサドルへ跨ろうとする。


「あれ、さっちゃん自転車?」

「…なによ、悪いの?」


 昼前でこの暑さなのだ。

 これから先、午後になればもっと暑くなるだろう。


 あの坂道を下るだけならまだしも、上るとなると重労働だ。

 帰りは荷物もあるのだから、負荷は倍以上だろう。


「乗ってきなよ。暑いから日射病になっちゃうよ」

「…けどその車、あの女の車でしょ」


 あの女。矢尾の事だろうか。

 そういえば一昨日も矢尾の事を『胡散臭い女』と言っていた。

 確かに傍から見れば、年齢不詳ながら妙齢の雰囲気を醸し出している美人である。胡散臭いという評価も納得だ。


 それに、まだ幼い佐代の面倒見もよく彼女に懐いていた。

 佐玖に『ぶち殺したい』と言ったのは、彼女なりのジョークだろう。電話相手に毒づいている事もよくあるし。


「大丈夫だよ。それに、来る時も私が運転してきたんだから」

「…ならいいけど。転げ落ちそうになったら逃げるから」


 そう言い、助手席のドアを開けてシートベルトを締める佐奈。

 榮としても、この車に少しでも傷を付けたら莫大な借金を背負わされる。そんな気がするのだ。

 だからこそ、よりいっそ慎重に運転をしなければならない。


 エンジンをかけると低い唸りが車体を揺すぶる。これがなかなか良いものだ

 ゆっくりとクラッチを繋げアクセルを踏み込み、榮は車を発進させた。


 目的地のコンビニ『兎玉』までは、およそ十数分だ。

・名前:(さかえ)

 性別:女

 職業:大学生

 好物:カレーライス

 設定:

 至って普通の大学生。

 突然の諏訪の来訪に内心は驚いていた。表情には出なかったが。

 幼い頃、山で諏訪と一緒に遊んだらしい。小熊に飴をあげたのだとか。

 矢尾にあらぬ疑いをかけられたが、彼女自身にその気はない。なぜなら『普通』なのだから。

 諏訪からは『さっちゃん』と呼ばれていたようだ。


・名前:諏訪(すわ)

 性別:女

 職業:大学生

 好物:御御御付け

 設定:

 大和撫子な大学生。

 いつものお着物はどこへやら、岡谷が来ているような珍妙Tシャツにショートパンツといったラフな装い。佐奈から借りた模様。

 幼い頃、山で榮と一緒に遊んだらしい。小熊の名付けの切っ掛けになったとか。

 彼女にとって、榮は同類であり憧れの対象であり、初恋の相手。長年想い続けて小屋の扉を叩き続けた。それは今でも変わらない。女性と分かった今でさえ。

 矢尾の名前を聞いた途端に怯えて小屋を飛び出した。きっと正体を教えて頂いたのだろう。

 榮からは『たっちゃん』と呼ばれていたようだ。


・名前:佐奈(さな)

 性別:女

 職業:家事手伝い

 好物:エビフライ

 設定:

 榮と同齢の従姉。具体的に言うと、榮の叔母の娘。

 諏訪が屋敷へ訪れた際、彼女の身の回りの世話をしている様子。

 なので、諏訪の姿が消えた際はパニックに陥り、いの一番に榮の泊まる小屋へと詰めかけた。

 諏訪の跡取りがボロ小屋から出てきた際、見つかった安堵と何故小屋にいたのかという混乱により、一言二言文句を言った。

 その後、昼食の買い出しの為に麓のコンビニへ向かう途中、榮と出会う。


・名前:矢尾(やお)

 性別:女

 職業:万屋店主

 好物:酒

 設定:

 路地を何本も進んだ先にある、古びた万屋の店主。

 知り合いと酒盛りをして朝帰り。やましい事はしていない。

 狭苦しいボロ小屋から一緒に出てきた榮と諏訪の仲を突きながらも『旧友は大事にしろ』と言った。

 ほんの僅かな傷なら見逃すが、バンパーが少しでも凹んでいたら莫大な修理費を請求するつもり。榮を縛り付ける為に。

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