写真機のお話 前編
小雨が降るある日の事。
ここは『万屋 八尾』の古物買取受付。
今日も今日とて、お客様が訪れていた。
応対するは、大学生バイトの榮。店主の矢尾は不在だ。
『雨が降りそうだから、今の内にコンビニに行ってくるわ』そんな事を言って、出かけてしまった。
カップラーメンが切れていたと言っていたので、買い出しに行ったのだろう。
その時は、予約の時間までは一時間半ほどあった。最寄りのコンビニまで、徒歩で10分ほど。
まあ間に合うだろうと思い、特に気にも留めてはいなかった。
しかしその結果はこれだ。
小雨ではあるが、雨が降っている。あの店主の事だ、雨が止むまで雑誌でも立ち読みしているのだろう。
予約の時間まで30分ほどあるのだが、早々にお客様がお越しになった。
「なんだよなんだよあの万婆。折角予約を入れたのに居ないとか」
「はあ、すみません。雨で足止めを食っているのだと思いますけど…あ、お茶淹れますね」
急須と湯呑、茶筒は受付机の下に常備してある。
出汁パックに適当にお茶っ葉を入れて急須に放り入れ、魔法瓶からお湯を注ぐ。
お盆に置いた湯呑を受付机に置き、お茶を淹れた。
今日のお茶菓子は近くの老舗の菓子屋で買ってきた栗最中だ。
これが中々美味である。
「おうおうありがとよ。…ふぅ、暖まるねぃ。酒も良いんだが、茶も好きな方でな。そんで、これは最中か。いいねぃ」
サクサクと最中を食べている、今日のお客様は男性だ。
まだ若い、痩せぎすと言っても差し支えないような、痩躯。
黒い長髪は片目を覆い隠し、覗いた片目は青いような赤いような色をしている。
コンタクトレンズでもしているのだろうか?
「だがだがあの万年独り身の万婆が助手を雇うなんてねぃ。あのババア、大事な事は言わねぃんだ」
「助手じゃありませんよ、バイトです。それにバイト一人雇うのを、わざわざ昔馴染みの方々に伝えたりもしないでしょう」
「まあまあそれもそうだ。住所も教えてねえしねぃ」
ズズズ…とお茶をすする痩せぎすの男。
さてところで、榮が気になるのはただ一つ。
「ところで、本日は何をお持ちになったんです? よければ、お見せ頂いても…」
「うんうんいいぜ。別になくなる訳じゃないしねぃ」
紙袋から取り出したるは茶色い、恐らくは革製の、錐台形をしたケースだ。
受付台に置き、パチリと音を立ててケースを開けた。
取り出された物は、黒一色のプラスチックフレーム。そして一際目立つのは、光を反射する大きなレンズ。
そう、それは…
「一眼レフ、ですか?」
「そうそう。1991年製、MINOLTAのフィルムカメラだねぃ」
なるほど、確かに。
今ではデジタルの一眼レフや携帯電話のカメラが主流となっているが、あえてフィルムのカメラを使う物好きもいると聞く。
きっとこの男性もそのクチなのだろう。
だがそれなら、なぜこのカメラを持ち込んだのだろうか。
「しかししかし、このカメラなんだがねぃ…」
声の調子を落として、痩せぎすの男性が言う。
いったいなんだろうか。
「実は、曰く付でねぃ…」
「曰く付、ですか?」
曰くと言うと、呪いや怨みの類だろうか。
しかし古いとはいえ、つい何十年くらい前の代物。
言ってしまえば現代日本だ。呪いや怨みなど、有るはずがない。
「手に取ってもよろしいでしょうか?」
「ああああ、いいぜぃ」
背面の小窓から、フィルムは確認できない。
下面のツマミを弄り電池を確認するが、入れられていない。
側面のツマミを下げ、パカリと裏蓋を開ける。やはりフィルムは入っていない。
「曰く付、というと?」
「そうそう、このカメラ、随分前に蚤の市で見つけた代物なんだがねぃ。そこの店主に言われたんだがねぃ」
一つ咳を吐き、お茶をすする痩せぎすの男。
「写るんだと。撮った写真に」
写る。写真ならば当り前だろう。
撮った写真に何も写らないカメラならば、それは不良品だ。
「写るのならば問題ないのでは?」
「いやいやいやいや、それがよぅ。変な物が写るんだとよぅ」
「変な物、ですか」
この頃、テレビを点けると心霊写真を取り扱う番組がやっていることが多い。
だが、その大半が何の変哲もないただの写真だ。
よく聞くオーブは、写真を取る際のフラッシュが大気中のチリやホコリに反射した物だ。
手が写りこんでいるとか居ないハズの人が写っているとかは、大体が影や気が付いていないだけだ。
だから、心霊写真などあるはずがない。
ガラガラと音を立て、榮の後ろの戸が開く。
入ってきたのは、この店『万屋 矢尾』の店主、矢尾だ。
上から下まで喪服のような真っ黒の衣装に身を包んだ妙齢の女性。
手に提げたビニール袋からは緑色のパッケージが見える。
きっと今日の夕飯として買ってきたカップ蕎麦だろう。
「全く運が悪いわ、雨が降るなんて。榮、悪いけど手ぬぐい取ってきてくれない?」
矢尾にそう言われ、榮は脱衣所へと駆けていく。
電話番号と共に、何かの尻尾八本が放射状に並べられ円で囲われた、屋号が縫われた手ぬぐい。
これを見た時、榮は『なるほど、矢尾と八尾をかけているのか』と思ったものだ。
そしてこの手ぬぐいは、随分と前に作ったが近所に配布しただけで数が余った物だと、矢尾が言っていた。
榮も何本か貰った。タオルや手ぬぐいは、買えば案外高いのだ。重宝している。
取ってきた手ぬぐいを矢尾に渡した。
濡れた髪をゴシゴシと乱暴に拭いている。
どうやら外は、随分と本降りらしい。
今まで気が付かなかったが、ザーザーと雨音が聞こえる。
「矢尾さん。お客様ですよ。予約をいただいた天目さんです」
「あらそう。随分と早いじゃない。予約の時間まではもうしばらくあるけれど」
「そりゃそりゃ、雨が降りそうだったから早めに来たんだぜぃ。雨に打たれるのは苦手なんでねぃ」
なるほど、道理だ。
しかし、雨に打たれないために傘があるのではないのだろうか。
「それじゃあ榮。商談をするから電話番、お願いね」
「はい、それでは」
一つ頭を下げ、古物買取の部屋から奥へと引っ込む。
さて今日は、頭がトカゲの主人公と魔法使いの漫画を読もうか。
カバンから取り出し、読みふけった。
―――
ガラガラと戸が開く。
天井付近に提げてある振り子時計を見ると、漫画を読み始めてから一時間が経つだろうか。
「お疲れ様です、矢尾さん」
「ええ、榮もね。電話が来たようだけど」
「はい、万屋の方に依頼です。三丁目の茅野さんが『夏が来る前に庭の草むしりをお願いしたい』だそうです」
メモに書き留めた電話番号、住所、依頼者名を矢尾へ渡す。
そのメモに目を通す矢尾。
「分かったわ。この依頼だけど榮、お願いね。軍手と鎌は用意しておくわ。明日もバイト入ってたわよね? 」
「ええ、午後一時からですね」
「それじゃあ、それ位に着くって連絡しておくから、道具を取ってから茅野さんの家へ向かってちょうだい」
「はい、分かりました」
万屋へ来た依頼は、基本的にすべて受ける事になっている。
庭の草むしりから犬の散歩、不用品回収から樋直し。
何でも引き受け遂行するから万屋なのだと、以前矢尾が言っていた。
以前は、店主の矢尾一人でこなしていたというのだから、驚きのバイタリティだ。
ふと、榮が気付く。
矢尾の首には茶色い革製の、錐台形をしたケースがかけられていた。
先ほどのお客様、天目さんが持ってきたカメラケースだ。
「矢尾さん、そのカメラ。先ほどのお客様の」
「ええ、買い取ったのはいいのだけれど、ちょっと扱いを決めあぐねていてね」
いつもなら、お客様から買い取った古物は蔵にしまうのだが、今日の品はそれでは都合が悪いようだ。
「そうだ榮。このカメラ、しばらく持っていてくれない?」
「そのカメラを私が、ですか?」
矢尾はそう提案するが、榮は乗り気でない。
カメラは高価な品だ。本体とレンズと諸々を合わせて、十万円前後はするのだろう。
榮に高価な物を身に着ける趣味は無い。
折角だが、断ろうとした。
「特別手当を出すから」
「是非ともやらせてください! 前からカメラに興味があったんですよね!」
「あなた現金ね。それじゃ、よろしく」
ポンとカメラを手渡された。
それと、何かが入った茶封筒も。
特別手当とは、時給とは別に榮に支払われるお金だ。
『万屋』の方に来た依頼を榮がこなした時に支払われる。基本的に一律二千円。
何かの拘りがあるのか、いつも弐千円札だが。
きっとこの封筒は、その特別手当が入れられているのだろう。
「フィルムと電池と現像にプリント代。それと、特別手当の分ね」
「あれ、フィルムもですか?」
「物は使ってこそだから。まあ、気軽に撮って。撮った写真を見せてくれたら嬉しいわ」
―――
近くの写真館へと立ち寄って、フィルムと専用の電池を買う。
そして借家へと戻り、封筒を確認する榮。
購入したフィルムと電池、それと現像にプリントを含めると、丁度弐千円札だけが残った。
カバンを置き、一息つく。
壁際には本棚が置かれ、何冊もの漫画が押し込められている。
『今日は何を切るんだ? レタスか? キャベツか? それとも白菜か?』
水屋から声が聞こえてきた。
空気を震わせる音ではなく、頭に直接響くような声。
少し前に送られてきた包丁『極楽丸』だ。
どうもあの包丁は近頃、葉物野菜に凝っているようだ。
小松菜を切れやら野沢菜を切れやらと、矢鱈と口を出してくる。
まったく、無機物らしく黙っていてほしいものだ。
「昨日作ったポトフが余ってるから、今日は野菜は切らないよ」
『なんだよ、使えねーなー』
野菜が切れないと分かるとこの調子だ。
「それじゃあ矢尾さんに引き取ってもらおうか。あの人、カップラーメンしか食べないけど」
『やだ! 絶対やだ! 野菜を切れないなんて絶対やだ! 助けて!』
この無機物、尊大なのか卑屈なのか分からない。
それはともかく、カメラに電池を入れる。
カートリッジを入れて、フィルムを少し引き出し巻取り軸に添えて、蓋を閉める。
フィルムが巻き取られる音がした。これでセットは完了したのだろう。
「さて、それじゃ…」
榮はパシャリとシャッターを切った。
被写体は、水屋に置かれている包丁だ。
『お、なんだなんだ。写真機か?』
「そうだよ、それじゃもう一枚」
『ちゃんと焦点を合わせろよ。そのままじゃボケてるだろ』
「焦点…って、どこで合わせるの?」
『レンズの先が捻れるだろ。俺を見ながら焦点合わせて、ボケないように撮りゃあいいだけだ』
大昔に作られた太刀を打ち直した包丁のくせに、今時の物を知っている。
なんだこの無機物。
『あーもーなっちゃいねーなあ。俺がみっちりしこんでやる。覚悟しろ!』
その日は深夜まで、包丁による写真術習得講座が行われたのだった。
・名前:榮
性別:女
職業:大学生
好物:グミ
設定:
至って普通の大学生。
店主不在の『万屋 矢尾』の受付番をしていた。
特別手当に目が眩み、矢尾が天目から買い取った曰く付のカメラを預かった。
包丁にカメラの使い方を教えられた。
・名前:矢尾
性別:女
職業:万屋店主
好物:酒
設定:
路地を何本も進んだ先にある、古びた万屋の店主。
カップ麺が主食。しかし好きではない。
商才はあるが画才はない。
随分昔に『万屋 矢尾』が配った手ぬぐいには、八本の尻尾が円で囲まれた屋号が縫われている。かなりの枚数余っている。
天目から買い取ったカメラを榮に押し付けた。
・名前:天目
性別:男
職業:写真家
好物:酒・猪肉
都会で個展を開くほどに名の知られている写真家。
曰く付だというカメラを万屋に持ち込んだ。
彼の撮る写真を、ファンは『よく見る原風景でありながらどこか神々しい。都会の殺風景なのにどこか懐かしい。この対比が心のどこかに不思議な感覚を植え付ける』のだと評する。
『鬼をも泣かせる写真家』『時間を切り取る男』『写真一枚五千円』とはだれが付けたか。
例に漏れず神様。