神様のお話 狐狸編
狐狸編の『狐狸』は、狐と狸の化かし合いの『狐狸』です。
駅から数分ほど歩いた、雑踏から遠ざかった路地の突き当り。
店の名前は『SLY W'MANs』外見からは洒落たバーのようにも、数多く飾られた花からは花屋のようにも思える。
深夜、時計の針は0時を回った辺りだ。
ガチャリと扉が開く。
パッチリと開かれた眼。まるで一片の光も逃さない様な真っ黒な瞳と虹彩。
白と黒のボーダーのシャツは体のラインを露わにし、露出の多いデニムのホットパンツを履いていた。
姿を現したのは、まるで日本人形のような、作られた雰囲気を持った女性だった。
「開いているね?」
「…ああ、開いていますよ。一番の部屋にどうぞ」
笑顔を浮かべた彼女は、店主へと問いかける。
有無を言わせない様な口調。
グラスを拭いていた店主は、視線も合わせずそう言った。
彼も自分の命は惜しいのだ。
勝手は知っているのか、彼女は店の奥へと進む。
『一』の札が提げられた部屋。彼女は待ちきれないように扉を開けた。
「…来たの」
「君の為なら何処へだって行くよ。地球の裏でも黄泉の果てでもね」
初恋の相手に会ったかのように、頬を染める黒い瞳の女性。
対して、椅子に座っていた黒いドレスの女は不快そうに眉を顰めた。
「そう。どうだって良いわ」
「つれないね。けれどそれが心地良い」
ニコニコとしながら、黒い瞳の女性は黒いドレスの女の向かいへ座った。
「それで、どうして私を呼んだんだね? もしかして、私を―――」
「『呪い』掛けたでしょ」
「うん、それが?」
世間話の延長のように、黒い瞳の女性はあっさりと認めた。
黒いドレスの女が一番知りたかった事だ。
「遅効性の奴をね。触れば致死性の『呪い』を叩きこめたんだけどね。畜生は勘が鋭いね」
「そう、さっさと解いて頂戴」
「嫌だよ」
相変わらずニコニコとしながら、黒い瞳の女性は言う。予想通りだ。
「我欲で人間を殺したら面倒よ」
「どうしてだい? 胡坐をかいているだけの奴らだ。アイツらは保身しか考えていないよ」
黒いドレスの女は歯噛みする。
確かにアイツらは保身しか考えない。自らを信仰する人間は手厚く守護し、それ以外の者には排他的。
そして今、派閥を作り団結し争う始末だ。最早、人間社会となんら変わりないのだ。
年に一度の集会すらも、ここ数十年は行っていない。
しかし、約定を破った者には相応の罰を下す。幾つかの約定が存在するが、特に『人間には不干渉』を破った者には、非常に重い罰が下される。
犯罪者が受ける最も重い罰は死刑である。それと似たようなものだ。
人間へと転じる事。それが罰である。
今まで信仰を集めていた人間に成るのだ。権能を自由に振るう事が出来ず、ただの人間として生を全うする。
屈辱なのだろう、彼ら彼女らにとっては。
中には自分からそうする物好きもいるが、そんな者は極少数だ。
目の前の黒い瞳の女性は、どの派閥にも属さず、誰にも媚びず従わない。
彼女の『力』である『呪い』は、非常に強力である。それこそ、彼女と同格の者すらも犯すほどに。
だからこそ、タチが悪い。
何をしようが野放しで放置されているのだから。
「ただの人間に、どうして肩入れをするんだい?」
「これでも人間よ。同じ人間を傍に置いておかしい事はないわ」
「人間? 君が?」
黒い瞳の女性が笑い出す。
防音構造のこの部屋も意味を成さない程に大きく。
「君は確かに人間だ。けれど、それは身体だけ。君の魂は、もう人間とはいえないね。むしろ此方側だ」
黒い瞳の女性は顔を顰めた。
そして同時に真っ黒な双眼が黒いドレスの女を射抜く。しかし彼女の表情は毛ほども変わらない。
「それで?」
「私は君と一緒に居たい。君と添い遂げたい。終わりまでずっと」
かつて、気が遠くなるほど昔の事。『力』の制御が出来なかった頃。
周りの生き物全てが、彼女の『力』で死に果てた。
最初に死んだのは母だった。黒い血を吐いて死んだ。
次に死んだのは父だった。母の死から立ち直らぬ内に、同じく黒い血を吐き事切れた。
次の次に死んだのは姉だった。両親の死を受け止め、護ると言いながら黒い血を吐いて。
牛も鳥も馬も、全て血を吐いて死んだ。
水は腐り土は荒れ、作物が枯れ果てた。
土地が死んだ。村が死んだ。全てが死んだ。
彼女だけを残して。
『呪い』が染み込み、全てを殺す地と成った。
彼女は独り、その地で生きてきた。
黒いドレスの女は、そんな彼女の傍で共に生きてくれた、唯一の人間だ。
恋心を抱いていたのだ。
「無理ね」
「どう、して…僕は君が好きなんだ! 君の為ならなんだって出来る! アイツらだって殺してやる!」
昔、黒い瞳の女性の一人称は『僕』だった。
いつからか。十年ほど一緒に暮らす中で、黒いドレスの女を真似たのか『私』となった。
しかし感情が高ぶると『僕』となる。変わっていない。
「貴女は手段を選ばない。私は目的を選ばない。考えが違うのよ」
黒いドレスの女に果てはない。目的が無い。そんな物はとうの昔に消え果ててしまった。
だから、彼女は言う。
「もし、貴女が『呪い』を解かないのなら、二度・・と逢わないわ。全力で結界を張る。アイツらなんて知った事ではないわ。もうそんな時代じゃないのよ」
黒いドレスの女の『力』は、黒い瞳の女性の『力』よりも数段大きい。
優に数十倍は下らないだろう。そんな彼女が全力を出したら、どうにもならない。
黒い瞳の女性は理解した。これは最後通牒なのだと。
掛けた『呪い』を無理矢理解かなかったのも、かつて共に暮らした故なのだと。
「『呪い』は…解く…だから、お願い、捨てないで…」
呆気も無く、黒い瞳の女性は『呪い』を解く。
同族に罵られても信徒が死に果てても何も感じない彼女が何よりも恐れるのは、黒いドレスの女から見捨てられる事だ。
「そう、それじゃ」
用事は済んだとばかりに、黒いドレスの女は部屋を出た。
独り残された黒い瞳の女性は、薄暗い部屋で、声を押し殺し涙を流す。
好きなのだ、どうしようもなく。
しかし、彼女への恋心は変わらない。この世の果てが来てもこの気持ちは永遠の物だ。
そして彼女の姿は消えた。
跡形もなく、元から無かったように。
・黒いドレスの女
設定:
黒い瞳の女性が愛する女。
傍に置く人間に『呪い』を掛けられ、彼女の怒りは有頂天。
黒い瞳の女性の同族を『時代遅れ』と揶揄し、彼女を拒絶しようとした。
しかし『呪い』を解いたため、特に気にせず後にした。
『力』を撒き散らす事しか出来なかった黒い瞳の女性と共に暮らし、死ぬ事が無かったのは彼女の特異な身体のおかげ。
目的は選ばない方。
・黒い瞳の女性
設定:
裏業界では『呪い』と仇名されている呪い師。禍災の師。
偏執的に黒いドレスの女を愛しており、その傍にいる人間を呪い殺そうとした。
しかし、黒いドレスの女からの絶対的な拒絶を恐れて『呪い』を解除した。
手段は選ばない方。
彼女の用いる『呪い』は毒やウィルスとも似ているとされる。
致死性を持つ『呪い』を掛けたり、遅効性の『呪い』を掛けたりと自由自在。
伝染性の『呪い』を掛ける事は勿論、不死の『呪い』も可能。
また、彼女の『呪い』に掛かると、例外なく『黒い血』を吐いて死ぬ。この『黒い血』は生物に対して破滅的な影響を与え『土地』や『水』すらも冒す。
その正体は、やっぱり神様。
『禍』=『呪い』の元締めであり『呪い』が形を取った様なもの。
人間として生れ落ちた(罰によるものか、自ら選んだのかは不明)が『力』が強大だった事もあり周囲の生物全てを殺し尽くす。
その後、唯一傍にいた『黒いドレスの女』と共に過ごし、恋心を抱くに至った。




