火虎のお話 虎編
虎編の『虎』は、虎穴に入らずんば虎児を得ずの『虎』です。
場所は駅から数分ほど歩いた場所。
そこから少し歩き、雑踏の喧騒から遠ざかった路地裏の突き当り。
店の名前は『SLY W'MANs』外観からは洒落たバーのようにも見える。
『CLOSED』と札が提げられた扉の前に、黒いドレスを着た妙齢の女性が店の前に姿を現した。
時間は深夜になる直前。女性一人で出歩くには少々危険だとも思われる。
丁度0時を回った時、女性は無遠慮に扉を開けカウンターの向こうにいる男性に声をかけた。
「開いてるかしら?」
「悪いねお客さん、今日も予約で一杯だよ」
グラスを布で拭きながら、マスターはそう言った
マスターがいるカウンターテーブルの向こう側。様々な銘柄の酒が置かれている。
設置されている六脚の椅子には誰も座っていない。
「悪戯で来たの。悪いけど解決してくれない?」
「…ああ、入ってくれ。七番の部屋だ」
そう言われた女性は案内される事もなく、勝手知ったる我が家のように店の奥へと進む。
『七』と札が掛けられた部屋。スウッと扉を開け、彼女は部屋に入る。
裸電球が一つぶら下がり、一脚の机を挟み二脚の椅子が置かれただけの小さな部屋だ。
この店『SLY W'MANs』は、見かけ通りのバーではない。
誰にも聞かれたくない/見られたくない事を、誰にも聞かれる/見られる事も無く済ませられる店だ。
この店の中では機械的、術的な傍受が一切働かない。人間相手ならば誰にも知られず内密に取引を行う事ができるのだ。
お得意の客には、政府の重鎮や裏社会の大物が居ると聞くが、興味をそそられる事でもない。
小さな部屋の中。黒いドレスの女性の他にもう一人、男性が座っていた。
「…よお、万婆。久しぶりだな」
「ええ、久しぶりね。散々探したわよ、禍災」
後ろに撫でつけられた黒髪のオールバックに黒いタキシード。
顔色は青白く、目の下には黒いクマが浮かんでいた。目付きは悪く、女性を睨み付けているようにも見える。
椅子の横には黒いブリーフケースが置かれていた。
禍災と呼ばれた男性の顔を確認すると、万婆と呼ばれた女性も椅子に座る。
彼の前には、グラスに入った透明の泡が立つ飲み物が置かれていた。
彼女の前には、透明の米酒が。
グイと乱暴に煽り飲み、禍災が言う。
「…何の用だ。態々酒の席を開く為に呼び付けた訳でもあるまい」
「そうね、アナタと呑んでも楽しくないもの。さっさと終わらせましょうか」
万婆は酒を呑み干し、持っていた鞄を机に乗せた。
取り出したるは、細い木が組み合わされて形を成した、寄木箱。
コトリと机に置くと、禍災が言葉を発した。
「…『コトリバコ』か。それが如何した。その同等の呪具ならば幾つかある。貴様が売り付けようとしているのならば、当てが外れたな」
「アナタ、今この町で仕事をしてるでしょう? それに関連してる事」
目付きの悪い彼の目付きが、更に悪くなった。
「…何処から情報が漏れたかは知らんが、それが如何した。仕事など、依頼があれば何処でも遂行する。相手が誰であっても、だ」
禍災は呪い師をしている。益になる祈祷や祈願ではなく、人間を冒す呪いを掛けているのだ。
政治敵を呪殺したり、気に入らぬ相手を不幸に貶めたりと、その悪辣ぶりを発揮している。
成功率が60%あれば一流と言われている業界で、その成功率は90%を超えている。
標的を仕留める為ならば、一般人を殺す事も躊躇わない。腕だけは本物の超一流だ。
「まあ、その辺りをどうこう言うつもりはないわ。私情になるんだけど、私の店に最近、店員が入ってね」
「…貴様の店に、か。物好きも居るものだ」
炭酸水を好んで飲む輩に言われたくはないが、その通りだ。
禍災はグイグイと炭酸水を飲み進めている。
「その子が最近『コトリバコ』の『呪い』を祓ったの。まあ、なんとなく予想はしてたけれど」
「…特級の『呪い』をか。高名な祓い師の家系か、それとも同業か。どちらにしろ、俺には関係ない」
「それが関係あるのよね。その子、ここ最近『呪い』に襲われてるのよ」
ピクリと、禍災の眉が反応した。
気付いてか気付かずか、万婆は話を進める。
「借りてた家が火事に遭ったり、泊まっていたホテルが全焼したり、散々な目に遭っているのよ。まあ、それはもう済んだ事なのだけれど」
「…何が言いたい」
「それをね、この箱に封印しちゃったの、中々やるでしょう?」
「馬鹿な!」
禍災は大声を上げ、両手を机に叩きつける。振動でグラスは床に落ちて割れ、炭酸水がぶちまけられた。
怒りからか、禍災の青白い顔に赤みが差している。
激昂して机を蹴り上げ、万婆のグラスも床に落ちて粉々になった。無論『コトリバコ』も床。
「あの呪いは! 俺の中でも最大の物だ! それを、それを…! たかが素人が! 認めんぞ! 俺は認めん!」
呪術師に横の繋がりも縦の繋がりもない。誰からも協力を受けず、完全に独りで活動をしている。
死期を悟った呪術師が跡継ぎを作る事もあるが、そんな事は極稀だ。
呪術を知っているという事は、対処法を知っているという事でもある。自分の手の内を晒す事は、自分を殺す事にも繋がるのだ
すべてが敵だ。
プライドがあったのだろう。
血反吐を吐いて苦しみながらも会得した呪術。
それを、同業者に対処されるのならまだしも、何も知らない素人に封印されるなど。
屈辱の極みだ。
「『呪い』を掛けたのはアナタね。まあ、だから呼んだのだけれど」
『呪い』の継続性、凶悪性、無差別性、規模、強さ。
全てを鑑みて、あのような『呪い』を行使可能な者など、業界でも僅かだ。
この町の付近で絞ると、更に限られる。金はかかったが、探し出して呼び付けるのに、手間はかからなかった。
物に当たり散らしようやく落ち着いたのか、ドサリと椅子に座った。
万婆は机を元に戻し、床に落ちた『コトリバコ』を置いた。
「…何が目的だ」
「呪詛返し」
その言葉に、禍災が眉を顰めた。
「知らないとは言わないわよね? 人を呪わば穴二つ。駆け出しの頃、痛い目に遭ったでしょ?」
「…チッ」
舌打ち一つ。
その通りだ。
駆け出しの頃、目の前の万婆の殺害を依頼され『呪い』を掛けた。
慢心していた。数件の依頼を完璧にこなし、増長していた事は認める。
結果は、無残だった。
掛けた『呪い』を返され、三日三晩苦しみ抜いた。
加えて、呪いを逆探知されて居所を突きとめられ、莫大な金を吹っ掛けられた。払わなければ、生き地獄を見せると脅されて。
おかげで、数年の稼ぎが一度に吹き飛んだ。
掛けた『呪い』を返された場合、術者自信を襲う。
今回用いた『呪い』は標的を追尾し、殺すまで継続する。
返されたら…結果は見えている。
「…幾らだ」
「一千万」
暴利を取る。
しかし、禍災は拒否する訳にはいかない。
この万婆、人の嫌がる事をするのに関しては一流だ。
「それと、アナタを捜す為にかかった費用十七万円と、アナタに依頼した人間を教えなさい。それが、この箱を渡す条件」
「…俺が頷く他ないと、分かっているだろう」
「選べるだけマシでしょう。選ぶ余地のない者もいるのだから」
禍災はブリーフケースから札束を取り出し、ドン、ドンと置いていく。
百万の札束が計六つ置かれた。
「…持ち合わせはこれで全てだ。残りは後日、貴様の店に持っていく」
「いいわ。なるべく早くね。それで、アナタに依頼したのは誰?」
「…黒装束で顔は見えなんだ。だが、そんな事はしょっちゅうだ。特に怪しいとも思わん」
「そう。で?」
「…天津と名乗っていた。が、そんな家系は聞いた事が無い。出まかせだろうよ」
「―――天津、本当にそう言ったの?」
少し驚いたように、万婆が聞き返した。
「…既に金は貰っていたからな。嘘だろうが出まかせだろうが『呪い』は掛けた。これが全てだ」
「そう、ならいいわ。三度目は無いと思いなさい」
札束を鞄にしまいつつ、その内の一山を禍災に投げてよこした。
「…なんのつもりだ」
「払っておいて。お釣りはいらないわ」
そう言い、万婆は部屋を後にした。
一人残された禍災は、大きな溜息を吐き、外部への唯一の連絡手段であるインターフォンを取った。
『ご注文は』
「…炭酸水、氷も入れてくれ」
何年生きているかも知れない、化け物みたいな婆だ。
相対して、生きていただけでも儲け物といえる。
チビチビと炭酸水を飲みながら、禍災はこれからの事に関してに思いを馳せていた。
・名前:万婆
設定:
裏業界では『化物』と名が知れている女性。
超一流の呪い師である『禍災』を脅し、まんまと九百万+諸経費を手に入れた。
『禍災』が駆け出しだった時に、彼に掛けられた『呪い』を返して死線を彷徨わせたが、その時は度胸があると讃え、殺しはしなかった。金はふんだくったが。
現在は彼に呪具を高値で売りつけるなど、良いカモとして見ている。
仏ではないが、大抵の事は二度まで許す。
・名前:禍災
設定:
裏業界では超一流と名が知れている呪い師。男性。42歳。
黒い髪をオールバックに纏め、黒いタキシード黒いブリーフケースなど、黒尽くめであるが、これらは本人の趣味。ちなみに仕事着であり、私服はダサい。
目付きが悪く顔色も悪いが、これは長い年月『呪い』に触れていた影響。永くはない。
自分が創り上げ、絶対の自信を持っていた『呪い』を素人に封印されたと分かると激昂するなど、呪い師としてのプライドは高い。
好物は炭酸水。
・名前:火虎
設定:
『禍災』が創り出した『呪い』
偶々見かけた創作の神話から着想を得て、芯として架空の神である『Hydra』を創りあげ、扱い易くする為に外殻を『火虎』という名前で覆った、新種の『呪い』である。なので『火車』と呼ばれている妖怪とは別物。
『呪い』が別の場所に移され、空っぽとなっていた『コトリバコ』に封印されていたが、無事に禍災の下へと戻ってきた。
理性と根性がある。その為、呪詛返しをされても『禍災』を襲う事はない。
忠犬ならぬ忠虎。
・『SLY W'MANs』
駅に程近い路地裏の突き当りにある、古びたバー。
常に予約で埋まっている人気のバー…ではなく、特定の言動をしない限りは店に入る事が出来ない、悪巧みをするには打ってつけのお店。
人間ではあらゆる手段を用いての傍受が不能な部屋が七つ設置されており、内部状況は使用している当人間でしか知りえない。
外への通信手段は、備え付けられたインターフォンのみ。
使用料金は2万/min ドリンク代はサービス。
バーという構えを取っているのは店主の趣味。第二希望は花屋だったとか。




