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悪小箱のお話 後編

「―――つまり、多数のレイヤーが重なった状態なわけさ。普段はどっちも不可侵の状態だけど、何かのきっかけで穴が空いたりしたら相互に行き来が出来るのさ。私はそれを待っているんだよ!」

「うん、分かったよ。素うどんと親子丼どっちにする?」

「素うどん!」


 言われた通り、素うどんを選択する。

 レバーを回すとジャラジャラと小銭が落ち、食券が出てきた。

 小銭は財布に入れ、素うどんの食券は彼女に渡し榮は親子丼の食券を持つ。


 食堂の受付に食券を提出し、しばし待つ。

 その間も彼女の口は回る回る。


「よく聞く話に平行世界ってあるじゃん。私も有力だとは思ってるけど、観測可能な世界は自分がいるこの世界だけだから存在の立証は難しいんだ。新しい技術か観測機器でも開発されない限りは立証できないから、やっぱり浪漫の域だよね。それが良いんだけど」

「私も浪漫だと思うな。けど、そういうのは好きだよ」


 今の自分と同じ顔で同じ考えを持ちながらも、違う行動を取っている。

 そういうのは、なんというか面白い。


 榮の親子丼が先に渡された。

 先に食堂に入り、席に着く。鞄を向かいの椅子に置き、水を二つ持ってきた。


 しばらくすると、お盆にうどんの鉢を乗せた女性が榮の向かいに座った。

 パキリと割り箸を割り、二人揃って頂きますと言った。


「いやあ、うどんは良いよね。安いし美味しいし」


 彼女は毎食うどんを食べている。

 少なくとも、彼女と一緒にお昼を食べている時は素うどんだけだ。

 たまにキツネうどんやかきあげうどんを頼んでいるが、基本はネギとワカメの乗った素うどんだ。

 しかし、カレーうどんは頑なに認めようとしない。彼女曰くカレーうどんは『邪道』だそうだ。


「あ、そういえば岡谷」

「ん? どしたのさ榮」


 榮の対面に座りツルツルとうどんを啜っていた女性。

 彼女は岡谷。三度のご飯と睡眠よりもオカルト話とSFが好きだと公言している、少し変わった友人だ。

 デニムのパンツに『SF×オカルト』と書かれた珍妙なシャツを着ているが、その見目はとても良い。爽やか、と言った表現が適切だ。

 小麦色に焼けた肌に少し短く切られた茶色い髪の毛。スポーツをしていたのかと聞いたが、そんな事はないと言う。


 榮とは学部学科は別で同学年。しかし榮よりも一つ年上だ。

 これを彼女は『妖怪に喰われそうになって逃げてたら知らない場所に迷い込んでそこでしばらく暮らしてたのさ』と言っていたが、本当なのだろうか。

 一時期行方不明になったのは本当らしいが。ともかくそれで一度留年をしている。

 出身はこの県で、地元の人間だ。


「ちょっと聞きたいことがあるんだ。いい?」

「お、なになに? オカルティな話を見つけたのかね?」


 そう言い、岡谷はメモ帳とペンを取り出した。

 彼女は忘れっぽい。それはもう、さっき言った事を忘れてしまうくらいには。

 だからいつもメモ帳を持ち歩き、話を聞きながらメモを取る。


「ちょっと変わった箱を見つけたんだ。何か知ってたら教えてほしいんだけど」

「バイトしてるんだっけ? 確か万屋さんで。何か不思議な物?」

「不思議、といえば不思議かな。細い木で組んである寄木の箱なんだ」

「ふんふん、寄木の箱」


 カリカリと手帳に書き込む岡谷。


「それから、接着されてるみたいで開かなくて」

「接着されてて開かない、と。他には? 色とか」

「色は白と茶色の木が交互に組まれてた」

「ふむふむ、と。うーん…聞いた限りだと、特に心当たりはないかなあ。箱根細工とか、どこかのお土産じゃないかな?」


 やはり、岡谷も箱根細工という。

 確かに榮もそうは思ったのだが、それならば表面のどこかが動くはずなのだ。

 しかし、あの箱はそういったカラクリはないようだった。


「あ、それと振ったら音がした。何かが入ってるのかも」


 榮が言った。

 すると、カラカラとペンが転がってくる。岡谷の握っていた物だ。


「どうしたの岡谷?」


 ペンを拾い岡谷に返す。

 どうしたのだろうか?  なにか呆然とした顔をしているが。


「ね、ねえ、その箱を見つけた時にさ、何か…そう、数字がなかった?」


 数字。

 確かにに寄木箱を見つけた時に敷いてあった紙に、数字が書いてあった。

 『七封』と漢数字が。


「どうして分かったの? ななふう、って書いてあったけど」

「チッポウだ…」


 チッポウ。

 どうやら箱の名前の様だ。

 しかし『七封』とは『チッポウ』と読むのか。また一つ賢くなった。

 七宝焼きと関係でもあるのだろうか。


「お、お腹大丈夫!?」

「お腹? いっぱいだよ」


 親子丼は美味しかった。

 今度は何を食べようか。かつ丼が良いだろうか、それとも…。


「さ~かえっ!」


 肩を叩かれた。この声は諏訪だ。

 榮の隣の椅子に腰かけた。今日の着物は菖蒲色だ。


 烏の濡れ羽色の艶のある髪は肩よりも長く、眉のあたりで真っ直ぐに切られてよく見えるその表情は笑顔そのもの。

 やはり大和撫子。絶滅危惧種に近いのではないのか。


「諏訪。お昼は食べたの?」

「まだだよ~ だから~ 今から食べようと思って~」


 そう言って巾着を机に置いた諏訪。

 中から拳よりも一回り小さいおむすびを二つ取り出した。

 銀紙を剥がし、小動物のようにハムハムとおむすびを頬張っている。


「それだけで大丈夫なの?」

「昔から食べられなくてね~ もう慣れちゃったよ~」


 榮は健啖家である。好きな物はコロコロ変わるし、美味しい物に溺れたいとも思っている。

 資金不足の問題で夢が叶うことはないだろうが。


「諏訪、ちょっといい?」

「おかや~? どうしたの~?」


 諏訪と岡谷の二人は幼馴染だと聞いた。

 実家が近くのようで小学校、中学校と同じクラスだったらしい。

 高校は別だったようだが、ご近所ゆえによく顔を合わせていたとか。


 何か机を隔てて話をしているが、榮に聞き取ることはできない。

 諏訪のいつもは閉じられている目が、驚いたように開いたのは印象的だったが。


「ねえ榮、諏訪が箱を見たいって言ってるんだ。榮の家に遊びに行ってもいい?」

「そうなんだ~ この頃箱に凝ってて~ 見せてもらってもいいかな~?」


 ふむ、お嬢様ともなると珍妙な物に心惹かれるのだろうか。

 確かに、お金持ちは奇妙な物を蒐集する印象がある。香木やら書やらお茶道具やら。

 榮にとって、それらは価値のない物だ。


 しかし、榮に特に異存はない。


「別にいいよ。講義もないから。二人は大丈夫?」

「ないよ! ないないない!」

「私もないよ~」


 どうやら講義の方は問題ないようだ。

 二人には校門の方で待っていてもらい、榮は自転車を押していく。

 榮の住む借家まで、徒歩でおよそ三十分ほどだ。




―――




「おぇえ゛! うぉお゛え゛!」


 岡谷が吐いている。さっきお昼を食べたのに、勿体ない。

 その背中を諏訪が擦っているが、その顔も困っているようだ。

 部屋に入ると同時に、岡谷が口を手で押さえたのだ。

 これはマズイと思い、トイレのドアを開けた。その結果がこれだ。


 そんな事は気にせず、榮はお茶の用意をしていた。

 ポットから線を外し、お盆に急須と湯呑を三脚置いて持っていく。

 湯呑をセットで買っておいて正解だった。

 榮は急須にお茶っ葉を入れ、ポットからお湯を注ぐ。色が出るまで少し時間がかかる。


「大丈夫? 水の方がいい?」


 コップに水を汲み、机に置いておく。

 きっと、日ごろの運動不足が祟ったのだろう。それにしても、三十分歩いた程度で吐くとは、情けない。


 トイレが流れる音がした。

 岡谷の顔色は真っ青で息も荒い。

 諏訪も、いつもの笑顔が少し曇っている。


 岡谷はコップを持って水を飲み、ガラガラとうがいをしている。

 ようやく落ち着いたのか、座布団に座り机に項垂れた。


「や、やばい、死ぬ…」

「う~ん…私もちょっと厳しいかも…」

「なんで榮は無事なの…? まさか…」

「そんな感じはしないけど…なんでだろ…?」


 諏訪と岡谷の二人が、なにやらコソコソと話をしている。


「そうだ、箱だったっけ? えっと…」


 昨日、寝る前にどこに置いたのだったか。部屋を見渡す。

 白と茶の木が交互に組んで出来ている寄木箱は本棚の上、カメラの横に置いてあった。

 持ってこようと思い、持ち上げようとする。


「触っちゃダメ!」

「え?」


 諏訪の叫ぶ声が聞こえた。

 しかし、寄木箱はすで榮の手に持たれている。


「どうしたの?」

「あ…その、なんでもない…」


 そんな事より、諏訪が叫ぶなど初めて見た。

 だが、流石は大和撫子。座布団にちょこんと座る正座姿がとても似合っている。


「あ、そうそう。これがその箱なんだけど。『七封(チッポウ)』っていうんだっけ?」


 手に持っていた寄木箱を机に置く。

 すると、岡谷と諏訪がマジマジと見つめだした。


「こ、これがコトリバコ…なんというか…」

「うわ…本物だ。初めて見た…」

「ほ、本物!? 大丈夫なの!?」

「ちょっと分かんない…さっきのも気休めにもならないかも…」


 何やら話をしているが、この箱はどうやら本物のようだ。

 しかし、岡谷は先ほど気になる事を言っていた。


「小鳥箱? この箱の名前?」

「え…ああ! そうそう! 『七封』っていうのは異名みたいなものでね。この箱そのものはコトリバコって言うの」


 小鳥箱。ふむ、中々可愛い名前だ。

 鶯笛に通じる何かを感じる。


「あ、そうだ。羊羹切るね。お茶だけだと味気ないし」


 何かが足りないと思っていたが、お茶請けを忘れていた。

 昨日、万屋で食べる暇のなかった羊羹が、冷蔵庫に入っていたハズだ。


 ビニールに包まれた羊羹をまな板に置き、ビニールごと包丁で切る。

 手に持った包丁は『極楽丸』だ。榮がバイトする『万屋 矢尾』のお客様から送られてきた物だ。


『おうおう! いつもより多いじゃねえか! たまには斬らせろ!』

「…うるさいよ。友達が来てるんだから喋らないで」

『なんだよなんだよ! たまには口直しも必要だろうが!』


 まったく、人斬りは卒業したのではなかったのだろうか。

 ギャーギャーうるさい包丁にコソコソと喋るが、二人には聞こえていないだろうか心配になった。

 後ろをチラと見るが、どうも箱に集中している。何かの紙を箱に貼ったり、何かを唱えたりしているようだ。


 適当な厚さで切り、小皿に取り分けた。

 こちらもお盆に入れて持っていく。


「羊羹しかなかったけど…って、なにしてるの?」


 岡谷がティッシュを何枚も取って諏訪の口元を拭いていた。

 何か赤い液体が見えるが。


「あ! いやいや! 何でもないよ!」

「諏訪、血吐いてるけど…」

「昔から体が弱くてさ! 諏訪が血を吐くなんて日常茶飯事なんだよ! そうだよね諏訪!」

「う、うん…いつもの事だから…大丈夫…」


 そう言う諏訪だが、咳と共に結構な量の血を吐いている。


「救急車呼んだ方がいいんじゃ…」


 そうは言うが、この部屋に固定電話はない。それに榮は携帯電話を持っていない。


「救急車よりも…おかや…お願い…」

「わ、分かった! 箕輪さんだね!」


 そう言って岡谷は諏訪の持っていた巾着から携帯電話を取り出す。

 パカリと開いて操作し、耳に当てた。


「…あ、箕輪さん! すぐ来て! 諏訪が死にそう!」

「死にそうなの!? いつもの事じゃなかったの!?」


 ここで初めて焦る榮。

 友人が友人の事を『死にそう』だと言ったのだ。


 どうすればいいのか。

 こういう時は横にした方がいいのだろうか?

 取りあえず座布団を丸めて枕にし、諏訪を横にした。


「榮! ここ何丁目!?」

「七丁目! ねえどういうこと!? 説明を求むよ!」

「呪い! 呪いなの! やばいやばい! このままだとやばいって! あ…」


 バタリと岡谷が倒れた。


「ちょっと岡谷!?」


 岡谷は白目を向いて痙攣をしている。

 しかし、倒れる直前になんと言ったか。


 呪い。岡谷は呪いと言ったか。

 それに近い物なら心当たりがある。

 台所に置いてある出刃包丁『極楽丸』を持った。


「ちょっと! 二人ともどうなっちゃってるの!?」

『あ? 気づいてなかったのか? あの箱だよ、箱。箱の呪いだ』


 箱。あの小鳥箱のことか。振り返り、箱を見る。

 血塗れの諏訪と、白目を剥いて痙攣している岡谷が倒れているが、箱に変わりはない。


「呪いなんてあるわけないじゃん! ふざけないで!」

『おいおい、現実を見ようぜ。あの箱に触ってから、着物の人間はどうなった? 短髪の方もだ。この部屋に来るまでにも、何か変わった事でもあったんじゃねえか?』


 この部屋に来るまで。

 榮の住む借家に着き、自転車を止めて部屋の前へと着いた時の事を思い出す。

 岡谷が突然震えだしたのだ。季節は初夏。寒いはずはないのだが。

 諏訪も何やら巾着袋から取り出していた。何か紙のようにも見えたが。


『てか、気付いてないのもおかしいと思うぜ。あんなに特上モンの『怨み』と『悪意』が滲み出てんのに。お前さん、なんか狂ってるんじゃねえか?』


 無機物の暴言は聞き流しておく。だが『怨み』と『悪意』という言葉。

 どこかで聞いた事があったが、思い出している暇はない。


『ま、あんな養殖モンの呪いは俺の好みじゃないがな。天然モンだったら喜んで喰ったが』

「なんとかしてよ! 同類でしょ!」

『なんでそんなことしなきゃなんねんだよ。俺にゃなんの関わりもない人間だぜ?』


 ぐ、この期に及んで。


「今度研ぎに出すから! 約束するから!」

『…天之のおっちゃんのトコだな? 約束は絶対だぜ?』

「分かってるから! なんとかして!」

『よし任せろ! 箱の傍に持ってけ!』


 なんという現金な包丁だ。しかし文句を言う暇はない。

 包丁を持って箱に近づく。なんだか怖かったので恐る恐るだが。


『さぁてと。おいおい、聞こえてんだろ? 返事しなきゃ喰うぞ』

『オ、オォオォオオォォ…』


 呻き声。

 まるで『悪意』を伝播させるような『怨み』を発憤するかのような、地獄の底から聞こえてくるような邪悪な声。

 思わず耳を塞ぎたくなる。


『名前なんて知らんし聞きたくもねえが、ここに来たのが運の尽きだったな。覚悟しやがれ! おい人間!』

「な、なに!?」

『写真機持って来い! フィルムも入れろよ!』


 包丁の声に従い、本棚の上に置いてあったカメラを持ち、フィルムを入れた。

 そして、どうすればよいのだろうかと思っていると、箱に変化が起きた。


 箱を中心に黒い靄が発生した。靄からは、同じ黒い靄で出来ているであろう無数の腕が出現し、その腕は榮を掴もうとする。


『オォォオオォ!』


 しかし、榮に触れる直前に靄が霧散した。何度も掴もうとするが、その度に腕は霧散する。

 ダメだと悟ったのか、黒い靄が更に拡大した。床を這い、諏訪と岡谷を飲み込もうとする。

 榮は咄嗟に、黒い靄へと腕を伸ばす。二人に覆い被さろうとしていた黒い靄は、それだけで霧散する。

 しかし、キリが無い。


『この前言ってた通りにやれよ!』

「何が!?」

『人間にゃ言ってねえ! 写真機を箱に向けろ!』


 言われた通りに、榮はカメラを箱に向けた。


 ―――カシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャ!


 勝手にシャッターが切られる。榮はカメラを持っているだけだ。

 その度に黒い靄が小さくなる。


 ―――カシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャ!


 なおもシャッターが切られ続ける。

 榮の手に持たれているカメラが熱を持つ。手の平が焼けるようだが、落とすわけにはいかない。

 確実に、黒い靄が小さくなっているのだ。


 ―――カシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャ…カシャ!


 二十四回目のシャッター音。

 つまり、二十四枚目の写真が撮られた後、黒い靄がカメラに吸い込まれたようにも見えた。

 

『オオォオォォオオォ…ガァ…ザァ…』


 断末魔が聞こえた。まるで怨みを吐き出すような声が。

 それきり、黒い靄が出てくる様子はない。

 チーッとフィルムが巻き戻される音がした後、ペッとフィルムが吐き出された。


 黒い靄は跡形もなくなっている。

 地獄の底から聞こえてきたかのような呻き声も聞こえない。


「な、なにをしたの…?」

『あ? 封印したんだよ。あんな不味そうなモンは喰いたくねえんでな』


 榮は、足元に転がっているフィルムを拾い上げる。

 まさか、先ほどの靄がこのフィルムの中に入っているのだろうか。


「…これ、どうすればいいの?」

『別に実害はないだろうしな。心配なら矢尾のババアに渡せ』


 とにかく、危機は去ったのだろう。

 取り敢えず、血塗れのカーペットの処理に取り掛かった。




―――




「―――って事があったんですよ。血が中々落ちなくて大変でした」


 場所は『万屋 矢尾』時は夕方。

 既に本日の営業は終了した。古物買取受付の入口には『閉店』の札が掛かっている。


「ふぅん。それで二人は大丈夫なの?」

「はい。箕輪って方が連れて帰りましたよ。諏訪の付き人って言ってました。岡谷は次の日には見かけましたけど、諏訪は今日やっと復帰したそうです」

「諏訪、ねえ。ところでその箱って、茅野さんの蔵にあった物じゃないの?」

「え。はい、そうですけど」

「やっぱり? まあ、手間が省けたから良しとしましょうか」


 矢尾はそう言って、フィルムを弄ぶ。

 なんだか気味が悪いので、包丁に言われたように矢尾に渡したのだ。

 受け取る代わりに、事の顛末を説明することになったのだが。


「それで、どう思った?」

「へ? 何がですか?」

「呪いよ、呪い。初めて見たんでしょ? 感想は?」


 ニヤニヤとしながら矢尾が言う。

 こう言うからには、彼女は何度も見た事があるのだろう。

 話を聞くと、祓い屋紛いの事もやっているらしい。本業ではないとのことだが。


 祓い屋。

 祈祷やお祓いでもやっているのだろうか。

 宮司やお寺など本業に頼んだ方が良いと思うのだが。


「…気持ち悪かったです。なんだか『悪意』と『怨み』に突き動かされているみたいで」

「その通り。察しがいいわね。呪いはね、人間の『悪意』と生贄の『怨み』で成り立っているの。『悪意』が強ければ強いほど『怨み』が深ければ深いほど。呪いは強くなるわ」


 つまり、あの箱から染み出してきた黒い靄は『悪意』と『怨み』の具象体、もしくは呪いの塊なのだろう。

 祓いの専門家である諏訪が力負けするほどに強大な呪い。どれほどの『悪意』と『怨み』が積み重なっているのだろうか。


「人間の創った物の中でも特級の呪具なのだけどね、あれは。業が深いわよね、人間って」

「はぁ…けど、どうして私は無事だったんでしょう?」


 騒ぎのあった次の日、大学へ来た岡谷に詳しく聞くと、どうにも諏訪の家は神職の家系であるらしい。

 祈祷やお祓いを専門とし、曰く付の代物について造詣が深い。

 岡谷から『コトリバコ』についてを聞くと、榮の身を案じて祓いに来たのだと聞いた。

 だが、あまりの強さに力負けをし、呪いをその体に浴びた。血を吐いたのはそれが原因だという。


 岡谷が着いてきた理由は好奇心からだという。

 (まじな)いや儀式、妖怪やオカルト話についての知識はあるようだが、祓う事は全く知らないらしい。

 そういう事は諏訪の領分だと。彼女は『オカルトは私の信条! 見れるだけで十分なのさ!』と言っていた。

 ちなみに彼女が無事な理由は、以前諏訪から貰った護符があったからだという。

 見せてもらったが、所々が焦げたように穴が空き、ボロボロになっていた。

 もう効果は無いらしいが、記念に持っているのだという。


 しかし、榮はなんともない。

 三人の中で唯一無傷だ。


「呪いに意思はないわ。そこに在るだけで無差別に災いを撒き散らすの。あなたが無事だった理由はそれ」


 矢尾は榮の胸元を指差す。

 そこには以前、鹿屋野から貰った木彫りのペンダントがあった。


「それ、特級以上の形代よ。つまりそれがある限り、人間程度の呪いは意味を成さないわ」

「え…そんなに凄い物なんですか、これ」

「欲しい輩にとっては幾ら積んでも手に入れたい代物よ。まあ…最低でもこれ位ね」


 そう言って矢尾は手を広げた。

 五本の指が見える。


「ご、五万円ですか?」


 木彫りのペンダントが五万円。なんと高額なのだろうか。

 これだけで一か月分の生活費になるのか。


「違うわよ。まあ、値段を付けた所で意味はないのだけれど。大切にしなさいよ」


 本当に、興味なさげに矢尾は言う。

 古物買取をしている矢尾が言うのだ、間違いはないのだろう。

 一体彼女は何者なのだろうか。


「さ、今日はもう閉店よ。帰りなさい」

「あ、はい。お疲れ様でした」


 あれよあれよと言う間に追い出されてしまった。

 自転車に乗り、借家へと急ぐ。


 部屋へ入るも、いつも騒ぐ包丁の声はない。

 数日前、約束通りに天之さんの住所へ郵送しておいた。戻ってくるのは一週間ほど後だろう。

 その間、この部屋に包丁はない。新しくわざわざ買うのも勿体ないからだ。

 

「さて…頂きます」


 近所にある弁当屋『ホットホット』でから揚げ弁当を買ってきておいたのだ。しばらくお世話になるだろう。

 だが、いつも騒いでいる包丁がいなくなっただけで、なんだか寂しいものだ。

 それに、しばらく野菜を切れずにいて包丁も詰まらないのだろう。戻ってきたら存分に野菜を切ろうか。


 そんなこんなで、食事を終えた榮。容器を片付けて明日の講義の用意をする。

 今日諏訪と話したが、祓い師として生きていくと、怪我などは日常茶飯事らしい。

 諏訪曰く、自分は一族の中でも感受性が高く、対抗もしやすいが被害も受けやすいのだという。

 細かい事は榮に分からないが、ともかくそう言うことらしい。

 

 静かな中で、榮は久しぶりに深い眠りについた。

・名前:(さかえ)

 性別:女

 職業:大学生

 好物:親子丼

 設定:

 至って普通の大学生。

 好物がコロコロ変わる健啖家である。しかし基本的に粗食を好む。

 渋々と『呪い』の存在は認めた。相変わらず『神』は信じていないが。

 ペンダントは五万円ではない。


・名前:諏訪(すわ)

 性別:女

 職業:大学生・祓い師

 好物:御御御付け

 設定:

 大和撫子な大学生。

 彼女の家系は代々、呪いや霊障の祓い師を務めており、神官の家系でもある。

 しかしそんな彼女でも今回の呪いは持て余したようで、吐血する程度の怪我を負う。致命的なダメージではなかったが、数日間の休養が必要になった。

 五百年に一度の傑物と言われている、天才。


・名前:岡谷(おかや)

 職業:大学生

 好物:うどん

 設定:

 短髪で陽気な大学生。

 オカルトとSFが大好き。そして珍妙なTシャツを着る事に定評のある。今回は『SF×オカルト』Tシャツ。

 一年留年しており、榮や諏訪より一つ年上。その理由は、嘘か真か。

 体は健康そのものであるが、唐突に吐いた。嘔吐した。ゲロった。瘴気に当てられたせい。

 オカルトマスター(本人談)


・名前:矢尾(やお)

 性別:女

 職業:万屋店主

 好物:酒

 設定:

 路地を何本も進んだ先にある、古びた万屋の店主。

 呪具については結構詳しい方。昔は祓い屋紛いの事をしていたとか。

 茅野さん宅の蔵に『コトリバコ』を封印したのは彼女。


・名前:コトリバコ【七封(ちっぽう)

 性別:不明

 職業:不明

 好物:不明

 設定:

 茅野さん宅の蔵に封印されていた呪具。位階は上から二番目。

 邪法によって術者の『悪意』と生贄の『怨み』を木組みの箱に閉じ込め『呪い』へと昇華させた呪具。特に女、子どもへ致命的な効果を発揮する。

 そこに在るだけで周囲を汚染し無差別に拡散する。その『呪い』は黒い靄となって具象化するほど。

 同類・同種に出会ったことでその悪性を暴露し、榮に襲いかかった。

 矢尾はこれを『特級の呪具』と称した。

 彼ら/彼女らは、何を思って呪具と成ったのか。


・名前:極楽丸

 性別:不明

 職業:包丁

 好物:菜汁・菜肉

 設定:

 『万屋 矢尾』に天之が持ち込んだ骨董品の太刀…が鍛えなおされた包丁。

 彼にとって見知らぬ人間はどうでもよいらしい。

 カメラとの仲は良好。榮の居ない間はお互いに談話をしているらしい。

 その口ぶりから『呪い』を喰らう事が出来るようだが、曰く『養殖物は不味そう』だから食べたくないらしい。


・名前:曰く付のカメラ

 性別:不明

 職業:カメラ(MINOLTA 1991年製)

 好物:風景

 設定:

 矢尾から譲られた古めのカメラ。

 このカメラは『写真を撮ると必ず心霊写真になる』曰くを持つが『霊を映す』特性を『極楽丸』から指摘され、色々と試行錯誤した結果『霊、或いは呪い』を封じる特性を持つようになった。

 その特性から霊や『呪い』に対しては効果的な対抗手段と成りうる。が、あまりにも強力な霊や『呪い』に対しては歯が立たない。

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