呼ばれなくても飛び出ます
あの男の人の血痕が村の外へと続いていた。ならばそれを辿った方が早いだろう。
妙な焦燥感を覚えながらもただひたすらに走った。
出会ったときにも真っ先に思ったことだが彼はとても逞しい体つきをしている。
鍛え抜かれた筋肉は、果たしてこの村近辺で過ごしていて身に付くものなんだろうか。
彼自身が纏う雰囲気からしてそう易々と死ぬような人物ではないと思いたい。
血痕を辿っていると、地面を抉ったかのような深い爪痕を見つけた。
「……山羊の体じゃなかったっけ」
あんな蹄でこんな抉るような爪痕を残せるものなんだろうか。
疑問に思いつつ他に手掛かりがないか辺りを見渡す。
血痕と爪痕、それ以外であるものといえば――足跡だ。
これまたなんてベタな。
とは思ったもののやはり痕跡はないよりある方が有難い。
足跡の続いている方を見据えた。この先に彼がいることを信じるしかない。
道を外れることになるがこの際仕方がないだろう。
ビリビリと鼓膜を震えさせるような咆哮。
遠くから聞こえてくるそれは間違いなくこの先にいるであろう魔物のものだ。
急がなければ。
何かに急かされるように私の足は前へ前へと突き動かされる。
間に合え、間に合え。
考えるよりも先に体は動いた。
腰から引き抜いたそれを握りしめ、振り被って――投げた。
「当たれぇえええええええええ――ッッ!!」
私の投げたそれはまるで流星のように鋭く風を裂き、振り上げられた魔物の腕を貫いた。
耳を劈くような悲鳴を上げたのはやつの背中に生えた山羊の頭だ。
煩いと言わんばかりにそいつに向かって思いっきり駆け込んで跳躍――渾身の力で両足の裏を叩きつけ華麗に着地する。
間に合ってよかった。
ちらりと背後にいる見知った人物を見遣り、一先ずほっとする。
怪我をしていることはしているが命に別状はなさそうだ。
目の前にいる魔物――【キマイラ】が腕に刺さったそれを煩わしそうに振り払った。
人の刀を乱雑に扱うその様子に心証は最悪である。
といっても魔物相手に心証の良さを求めることがおかしいのだが。
地面に転がる刀を惜しく思うがのこのこ取りに行くわけにもいくまい。
キマイラの意識が腕に刺さったそれに移されていた間にも既に準備は整えていた。
足元に広がる魔方陣の色は、紫。
「ライトニング」
空から落ちた雷が山羊の脳天に直撃する。
キマイラが堪らず悲鳴を上げながら二、三歩と後退りした。
その隙を逃さず素早くそれに飛びついて回収することに成功し、そのまま踏み込んで魔物の背後へと回る。
一息で魔物の尾となる毒蛇を斬り落とした。その切り口からは大量の血が噴き出す。
――ああ、下半身は山羊なのか。
尻尾を斬り落とした際に視界に入ったそれで、胴体が山羊というのに合点がいった。
その蹄が視界いっぱいに広がる。
「っ、危なっ」
慌ててその場から飛び退き、間合いを取った。
見るからに硬そうな蹄で蹴りを入れられれば一溜まりもないだろう。
一瞬だけその痛みを想像して思わず身震いした。
多少仕掛けてみたもののキマイラはまだまだ元気なようだ。
グルグルと低く唸りながらも悠々とした様子でこちらに向き直る。――憎悪値は十分稼げたらしい。
「弱点は山羊だ!! 山羊の頭を狙え!!」
魔物越しからの助言に少し驚いたものの、しっかり頷いた。
噴き出した血で濡れた得物を振るえば再び綺麗な刀身がランタンの灯を浴びて煌めく。
完全に敵と見なされ警戒されてしまった今では先程のように魔法を使わせてはくれないだろう。
弱点がわかったとはいえ正面から突っ込む勇気はさすがにない。
かといって、負けるつもりも毛頭にないが。
仕掛けてきたのは向こうからだ。
やつの鋭い爪が地面を抉り、透かさず振り下ろしたばかりの側面に回り込む。
そのまま大きく踏み込んで飛び乗った。
「さながら暴れ山羊ってところ、かなっ!!」
振り落とされないよう山羊の立派な角を掴んでいて正解だ。
上下左右に激しく揺さぶられる振動に思わず舌を噛みそうになる。
まるでロデオでもしているようだ。
近くにレオルドもいる為、早いところ倒してしまった方がいいだろう。
弱点は存分に有効活用させてもらわねば。
掲げた刀の刃先を下に向けて――突き刺す。
山羊の脳天目掛け押し込めば派手ではないが数滴ほど赤黒い飛沫が飛んだ。
それは私の頬や鼻の上についたが、拭うこともなく生き物が絶命するまでただ深々とそれが沈むよう握る手に力を込める。
鼓膜を突き破りそうな強烈な悲鳴はどちらから発せられているのやら。
やがてゆっくりと大きな胴体が重力に従って傾き始める。その頃合いを見計らい、脳天からずるりと引き抜いて飛び降りた。ずしんと地面が揺れる。体の大きな魔物の重みを受けて、確かに絶命したのだと私に知らしめるように。
大きく深呼吸をすれば血のにおいが鼻を衝く。
ああ、気持ち悪い。
少しずつ溶けていく死体を背後に怪我をしている彼の元へと駆け寄った。
「村の人に頼まれて助けに来たよ、レオルド」
「頼まれなければ来なかったんだな」
じとりと睨まれて苦笑する。
「冗談、レオルドが囮になってるって聞いて慌てて助けに来たんだよ――って言えたら、可愛げあるよね」
「俺じゃなくても来ただろ」
「……まあね」
それでも、やはり知っている人物かそうでないかで心配の度合いは変わってくるものだ。
それをこの男に言ったところでどうせまた皮肉が返ってくることが予想されるのであえて言わないが。
膝をついて傷の具合を確かめる。
一目見た感想。うわぁ、これは酷い。
皮膚は裂かれ肉は抉れあと少し深ければ骨が見えていたのではないかというぐらい、酷い。軽いスプラッタショーを見たような気分だ。足にこんな傷を負わされれば、いくら屈強な男といえど動けなくなるのも頷ける。
なんともグロテスクな彼の太腿にそっと手を翳した。
足元に広がる優しい緑の光とともに「ヒール」と呟けば見る見るうちに傷口が塞がっていく。
何これこの世界のヒールってこんなに効果強いのか。内心で驚いていることをおくびにも出さず、そのまま治療に専念していると私の代わりにレオルドが目を見開いていた。
「あんた、それ本当にヒールを唱えているのか?」
「そのつもりなんだけど」
「つもりってあんたな……こんなにも強力なヒール今まで見たこともないぞ」
「ほほう、まるで過去にヒールにお世話になったことが多々あるような言い方ですな」
「……あんた見かけによらずいい性格してるな」
「お互いさまってことで」
治療を終えて立ち上がり、彼に向って手を差し伸べる。
のだが、彼曰く強力なヒールのおかげで治った足で「よっこらせ」と立ち上がってしまった。何その掛け声おっさん臭いな、いや、おっさんだからいいのか? というかスルーが地味に辛いんだけどこの差し出した手は一体どうすれば。
捻くれた反応に一気に下がるテンション。
面白くないとむくれてみるもののそんな私を気にもかけずレオルドが歩き出す。いくら見目麗しくと容姿に手を入れても性格が性格だからなのか全くもって何の意味も成さない。ちくしょう。ちょっとぐらいアクションがあってもいいじゃないかと恨めしげに背中を睨んでみるが気づく気配は全くない。いや、これは面倒だからあえて無視しているに違いない。
「――助かった」
あれ。
「駆け出しって言ってたくせにやけに強いな。まあ、そのおかげでこっちは助かったんだが」
ちょい悪ならぬちょいデレおやじとはまさにこのことか。けしからん。
駆け出しのくせにと言われてひやりと肝が冷えたがまあ素敵なときめきをくれたことで帳消しにしてやらないこともない。と、思ったのだがこの男まるで探るように鋭い眼光をこちらに向けているではないか。帳消しはなしにしよう。
再び押し寄せる嫌などきどき感に浮かべたポーカーフェイスも崩れてしまいそうで色々と危うい。
「それはあれだよ。人間、守りたいと思える存在があれば自分で思っている以上の力が発揮できたりするんだよ」
我ながら苦しい言い訳である。逃げ出したい。
どうやって言い逃れしようかと考えていると彼の表情の変化に気付く。
「………」
私は、地雷を踏むのが得意なようだ。
一気に重苦しくなった空気に今度こそ逃げ出そうと考えていると彼が小さく笑った。
何かに思いを馳せるように。とても悲しげに。
おそらく彼の過去の何かが関係してそんな顔をさせてしまったのだろう。
「そう……だな」
やめてくださいしんでしまいます。
ああもうそんな顔させて私が悪かったですお許しください、というか重いの駄目なんだって、国語力が足りないからなんて言葉をかければいいのかもわからないし、変に気を使えば逆に傷つけそうで怖いし、というか何で会って間もない男のことでこんなに悩んでいるんだ私は。
ぐるぐると思考が回って頭が痛い。
「さて、あんたのおかげで怪我も治ったし、お礼と言っちゃあ何だが村まで送ってやる」
あんまり遅いと宿屋に入れてもらえないかもしれないしな、と皮肉った言い方だったが、それを聞いて私の混乱していた頭はすっと冷えた。
チェックインする為に名前を書こうとした。
しかし外が騒がしかったので名前も書かずに宿屋を出て行った。
そういえば宿屋の人は言っていた。
――「夜遅くの受付はしていない」と。
人助けに夢中だったとはいえうっかりしすぎじゃないだろうか私よ。
宿屋に一度足を運んでおきながら野宿とか、全くもって笑えない、本当に。
碌にキャラ付けをしていないというか考えてないためにいろんな意味で迷走中。
サブタイトルのセンスが来い。
兎にも角にもお気に入りありがとうございます。