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魔王とペアで何が悪い!


 オムレツと言えばマーガリンで油を敷いたフライパンの上にかき混ぜた卵を垂らし、固まって来たらフライパンの奥の方に畳んで行って作ると言うシンプルな料理だ。

 普通に作るだけなら10分と掛からない料理なのだが、オムレツと言うプロが作らない限り味に優劣が生じ難いシンプルな食べ物では、先ほどエイネルをドジっ娘と評した男を見返すことはできない。

 フロアとは違い熱気が充満する厨房には華々しさとはかけ離れた男たちが料理器具を振るい、突然入って来たエイネルに男たちの視線が一瞬集まるが、すぐに自分たちの仕事に戻る。

 パンに米、野菜類に肉類、卵や牛乳などレストランとは違う趣向の店にしてはやたらと食品がしっかり揃っており、オムレツを頼まれたため卵を使った料理を作るべく卵を手に取ろうとするが、籠が一人の男の手によって遠ざけられた。

 如何にも料理人気質でどう言う理由で鍛えたのか知らないが腕が頭ほどの大きさを誇る男がエイネルを見降ろしており、内心『こいつが用心棒で良いんではないか?』っと思わずにはいられない。


「何の真似だ?」

「そちらこそ何の真似だ? 厨房は料理に誇りを賭ける者たちの聖地、メイド風情が立ち入るなど、増してや調理器具に触るなど言語道断!」

「私はどちらかと言うとメイドより料理人の方が合っていると自負している。良いから貸せ、客に目に物を見せてあげるんだから」

「ふん、どうせ貴様が出来る料理など目玉焼きレベルの物だろう」

「いいや、先ほど私は愛じょ……コホン、オムレツを注文されたのだがそれでは私が納得しない、よって私が作る料理は『オムライス』だ。ドミグラスソースある?」

「お前のような小娘が、一丁前にオムライスだ? そもそもオムライスがどのようなものか知っているのか? 東の島国発祥の米を使う料理だぞ」

「良いから料理器具を貸せ。私がお主たちに見せてあげるわ、割と自画自賛しているオムライスってやつを」


 自信に溢れたエイネルの表情に少し油断した男は持っていた卵の籠をひょいと奪われ、同時にエイネルは近くにあったフライパンを手に取ると暖炉の上に置く。

 油を敷いてから温まるのを待っている間に今度は鶏肉、タマネギ、ピーマンを少し小さめの角に切り、マッシュルームとハムを慣れた手付きで素早く薄くスライスし、フライパンが熱を発したところで鶏肉をぶち込んだ。

 そこにトマトケチャップと香辛料のオレガノとバジルを加え、十分に加熱してからマッシュルームとピーマンを加える一連の動作、周りの男たちが注目する中でもその流れには全く乱れがない。


「なんて娘だ。作業が精密で、しかも早いときやがる」


 十分に火が通ったところで再び油を足してから米を投入し、さらに塩と胡椒を足してから若干フライパンを火の弱い場所に移動させてから別のフライパンにエイネルのてが伸びる。

 マーガリンを乗せてから暖炉の上にフライパンを置き、その間に卵の殻を割ってからボウルの中でかき混ぜ、マーガリンが完全に溶け切ったのを確認してからゆっくりとした動作で卵を投入。

 すかさず先ほど米を入れたフライパンに戻るとケチャップの色が米にも染みるように丁寧にかき混ぜ、すぐにもう片方のフライパンに戻り、強火で熱しながら半生状態になった辺りでフライ返しを手に取って端から折り返した。

 出来あがったチキンライスを大きな皿の上に盛り、さらにオムレツの形になった卵をその上に乗せ、真ん中を包丁で切ると半熟の柔らかい卵が開花する。

 そこに再び香辛料としてオレガノとバジルを振ってから近くに置いてあるドミグラスソースを手に取り、円を描くかのように遠慮無くたっぷりと垂らしたら、それにてオムライスが完成。


「どうだ、コレでもまだ私をメイド風情の胸ペタ娘と馬鹿に出来るかな?」

「いや、胸ペタとは最初から言ってないぞ。もしかして、気にしてるのか」

「五月蠅い! とにかく冷めないうちに持って行こう。プレートはどこだ、皿を手掴みで持って行く訳には行くまい」

「ここだ、使ってくれ。いや、良い物を見せてもらった。特にドミグラスソース、まさかオムライスに使うとは思わなかったぞ。確かに、アレもありかもしれんな」

「筋肉隆々でも良い人間は多いのだな。ありがと、では持って行くとしよう」




 少し時間が掛かったため他のメイドを呼んでクッキーを注文していた男は大きく体を伸ばして欠伸をし、そこに先ほど作ったオムライスを持って来たエイネルが凛然とした態度で前に立つ。


「お待たせしました、ご主人様」

「あ、やっと来たねエイネルちゃん。オムレツ一つに随分時間掛かったみたいだけど、その盛り上がりはやっぱり失敗したのかな」

「いいえ、コレはオムレツではなく『愛情(と自尊心)たっぷりオムライス』です。どうぞ、温かいうちにお召し上がりください」

「オムライス? 聞いたことない食べ物だけど、ライスって言うぐらいだから米が入ってるのか? まあいいや、とりあえず匂いは良いから、頂きます」

「ああ、すみませんご主人様。ミルクティーがまだでしたね、すぐ入れてきます」


 頭を下げたエイネルがミルクティーを入れようとして踵を返したその瞬間、オムライスを一口頬張った男の表情が固まり、数秒間停止してから再びその手がスプーンを動かす。

 一心不乱に料理を食べるその姿を見たエイネルはミルクティーを入れる過程で勝ち誇ったように拳を握り、同時に魔界で通用した料理の技術が人間にも通用することが分かって内心で安堵した。

 もしこれで吐き捨てられようものなら恥どころか尊厳やら何やら様々な物を失ってしまうところだったが、もうその心配をする必要もない。

 オレガノとバジルが醸し出す香ばしい匂いに食欲が促進され、さらに甘みを抑えたドミグラスソースが柔らかい卵の味を消すことなく、内側から溢れ出るチキンライスが追撃を掛ける。

 目の前に置かれたミルクティーが視界に入らないぐらいに男はただただ一心不乱にオムライスを頬張り、それなりの量があったはずだがあっと言う間に皿の上は何もなくなった。

 最後に目の前に置かれたミルクティーにようやく気付き、ゆっくりとそれを飲む男の表情に、先ほどまでエイネルに向けられていた甘さのようなものはない。


「どうでしょうか、ご主人様。満足していただけましたか」

「ああ、これならいくら出しても構わない。高級なレストランとかは行くだけの金はないけど、多分そこで食べる料理がこんな感じなんだろうな」

「私の腕も中々のものでしょ。えーっと、この後は……あ、お会計か。オムレツと同じ値段でいいのかな、これって?」


 メニューの横に書かれている金額を見ながらどうするべきか考えていると、後方から飛んで来たコーヒーカップがエイネルの頭に直撃し、中身が豪快に服に染みつく。

 先ほどまで上機嫌だったエイネルは笑顔のまま表情が固まり、心配して声を掛けようとした目の前は突然背筋が凍り付く寒気を感じて声が出なかった。


「ふざけるな! 何だこの店は! 客を舐めてるのか!?」

「で、ですがお客様。言われた通りの物をちゃんと持ってきまし――」

「五月蠅い! メイドが口答えするな、オーナーを出せオーナーを!」

「何かご不満なのかその、教えていただけないとその……」

「量が少な過ぎるんだよ! これで3000グレスとかよ、可笑し過ぎるだろ! おらオーナーはどうした!? 早く出て来い!」

「ひぃ! オ、オーナー! 何とかして下さい!」


 メイド相手に怒鳴り散らす大柄の男は少ないと言いつつも出された料理を一口で平らげ、皿を後ろに放り投げるとそれもエイネルの頭に直撃した。

 明らかに雰囲気をぶち壊した上で理不尽な言い掛かりを付けているので周囲の目も酷く冷たいが、男は全くそんなこと気にした様子もない。

 テーブルの上に両足を置いて近くで倒れているメイドを睨みつけ、顎でオーナーを連れて来るよう指示を出すと彼女は慌てて立ち上がってフロアから姿を消す。

 オーナーは気付かれないように低姿勢で突っ立っているエイネルへと近づいて行き、対処を頼もうと彼女の顔を見た直後、全身の動きが止まった。


「オーナー、あいつ……どうすればいいと思う?」

「え、えっと、とりあえず穏便に帰ってもらうようにお願いしたいんだけど」

「分かった。沈黙させて帰せばいいのね」


 若干意味の取り方が違うことにオーナーは訂正を入れたかったが、先ほどまでの笑顔の欠片すらない無表情と内に秘められているであろう激怒が強過ぎてとてもじゃないがそんなことできない。

 フリルと黒いロングヘアーを靡かせながらエイネルは頭にぶつかった木製の皿を拾い、椅子に腰かけふてぶてしくも次の食べ物を選ぼうとメニューを選んでいる男の前へと立つ。

 男がエイネルの存在に気付くとまず最初に目に入ったのはメイド服に似つかわしくない腰の刀、投げられたコーヒーによって汚れたメイド服と自身を冷たい表情で見降ろしている綺麗なエメラルドグリーン色の瞳。

 彼女がオーナーでないことは見た目からほぼ明らかだが、男はエイネルを見ると気味の悪い笑みを浮かべて彼女の腰に手を回す。


「何だお譲ちゃん、もしかして君もメイドなのか? いいね。こんなボロイ店止めてよ、今夜俺と一緒に楽しいことしないか? えー?」

「触れるでない下賤な人間よ。お主のような人間もやはりいるのだな、こっちの世界も楽しいことばかりではないようだ」


 腰に回された手を汚物を払うかのように弾き、男の額に血管が浮き出るとさらに険悪なムードが辺り一面を包み込んだ。


「優しい言い方じゃ駄目だったのかなお嬢ちゃん。良いから俺の言う通りしろよ。それともあれか、ここは客に対してそんな非常識な態度を取るのかコラ!」

「お主のような奴は客じゃない。害虫だ、確実に駆除してやる」

「調子こくなよメイド風情が!」


 挑発的過ぎるエイネルの態度に周囲の客も肝を冷やしながら見守る中、テーブルを思い切り叩いた男は立ち上がると彼女目掛けて大きな拳を遠慮なく振り降ろす。

 下手すると人間の少女の頭蓋骨を破壊して殺すかもしれない一撃をエイネルは左手だけであっさり受け止め、意表を突かれた男がもう一方の手を振り降ろすが、それも難無く右手でキャッチ。

 溜息をつくエイネルの瞳を再び直視した瞬間、男の全身から一気に冷や汗が漏れ、自分が殺されるであろうイメージが鮮明に浮かんでしまった。

 目の前のメイドは人間ではない。化物の類だ。男は両腕を退くと椅子に置いてあった巨大な斧を持ち出すとそれを大きく振り上げ、周りの客とメイドが悲鳴を上げるが、エイネルはそれすらもただ冷たい瞳で見ている。

 渾身の力を込めて振り降ろされた斧に対してエイネルは刀の鞘でその攻撃を普通に受け止め、逆に押し返すと男の体が斧につられて背中から地面に崩れ落ちた。


「周りの皆が楽しくしてるのに、お主はその楽しみを自分の悦楽のためだけにぶち壊した。それに……少し、気に入って来たのに」

「な、何がだよ!? 俺が悪かったって! 頼むから殺すことだけは止めてくれ!」

「殺しはしないよ、あくまで用心棒だからね。でも、せっかく少し気に入り始めてたこのメイド服を汚したことと、私の頭に皿をぶつけたことは許せない!」


 冷めた表情からついに怒りを爆発させたエイネルは右手を強く握り締めて男が持っていた斧を殴り付けると、分厚い鉄で出来た斧が粉々になって砕け散った。

 場所によるだろうが人体に直撃していれば死は免れないであろう強烈な一撃に男と周囲の客やメイドは唖然として言葉を無くし、怒りを少し発散したエイネルは笑顔に戻って倒れている男を見降ろす。


「そういう訳でお客様、お金置いてさっさと出て行ってくれますか?」

「すみませんすみません直ぐ出て行くから殺さないでください!」


 財布をエイネルに差し出すと男は悲鳴を上げながら驚異的な早さでその場を去って行き、その後ろ姿を見送ったエイネルは持っていた刀を腰に差す。

 仕事に戻ろうと振り返るとようやく辺り一面が水を打った様な静寂に包まれていることにエイネルは気が付き、自分が人間離れした行動をしてしまったことを心の中で悔やんだ。

 自分が魔王だと言うことがばれたのではないだろうか。いやいや、魔王ではなくても人間じゃない魔物と言う存在だとこんな大人数にばれてしまったら、人間界にいられなくなるかもしれない。

 多くの視線を受けて何故か泣きそうな表情をエイネルが浮かべた瞬間、店の一角から何の前触れもなく拍手が起こり、それを起爆剤として店全体が一気に大歓声に包まれた。


「うおおおおおおお、すげええええメイドが大男倒したぞ!」

「良くやった! 可愛い上に格好良かったぞ!」

「俺も同じ様に罵ってくれー!」


 時々良く分からない趣向の言葉が聞こえた気がしたがそれらの言葉は無視することにし、先ほどまで抑えていた涙腺が全く逆の感情で緩んだ。

 賞賛と拒絶の間で揺れていた周囲の反応は一気に善の方向へ傾き、もはやエイネルを悪意ある目で見る者はいない。


「エイネルちゃん! 大人気のところ悪いんだけど、さすがに収拾つかなくなるから一旦更衣室に戻ってくれるかな。少し経ったらまたお願いするから」

「私としてはこれぐらい盛り上がってる方が好きなんだけど、オーナーがそう言うなら仕方ないね。それと服も着替えたかったし」

「そう言えばさっき『気に入った』って言ってくれたけど、やっぱり君にはメイドの才能も十分にあったようだ! どうかな、君さえよければこれからもここで働いて欲しいんだけど」

「悪くないんだけど、私は一緒に旅をしている仲間がいるの。だから、その提案は受け入れられない」

「そうか、残念だが仕方ないね。よし、それじゃあ更衣室に戻ってく――」

「喰い逃げだ!」


 乱れたロングヘアーを梳いて整えるエイネルの後ろを人影が物凄い速さで通り抜け、同時に一人の男の声が聞こえ店内が一瞬の静寂のうちに再びざわめく。

 ほぼ布切れだけと言う身軽そうな格好をした人物は通路にいるメイドの上をジャンプして通り抜けると一気に出口へと向かって走り、勇敢にも目の前に立ち塞がった青年の腹部目掛けて強烈な拳打。

 逃げられる!――すぐさま踵を返して走り出そうとしたエイネルだがミニスカートのフリルがテーブルの金具に引っ掛かり、破けそうになったので慌てて抑えるが既に半分近く千切れてしまった。

 普段は別に意識しないのだが、いざ下着が見える場面になるとどうにも恥ずかしく、何とかパンツが見えないように抑えながら走るがこの速度では間に合わない。

 店を出られて表通りの人混みに紛れ込まれたら事前に用意しておいた追跡魔法でも使わない限り見つけるのは困難、舌打ちしたエイネルはスカートを抑えるのを止めて走り出すが、一歩先に誰かが男の進路を遮るためドアの前に立ち塞がる。

 藍色の瞳が迫り来る喰い逃げ男を鋭く捉え、喰い逃げ犯は先ほどの青年に対して同様強烈な拳打を繰り出すが、殴り付けた直後に悲鳴を上げて拳を抑えてその場に転がり込んだしまった。


「悪いな、マントで鎧が見えなかったか」

「リ、リンク!?」


 倒れる男の前でマントを翻したリンカードの上半身には輝く白銀の鎧が姿を現し、倒れている男は痛みに暴れながらも不意打ち気味に右足を振り抜き、リンカードの足を払いにかかるがこれも脛当ての鎧に当たり逆に足を抑えて転がり出す。


「この鎧はファロンデルタ製の白銀の鎧、物理耐久も魔法耐久もその辺の鎧とは比較にならん。喰い逃げ常習犯、通称『エスケープ・ジャンプマン』。お前は今日で刑務所行きだ」

「あっぐううう、お前ら賞金稼ぎは大抵そうだ。獲物を殺すと額が下がるから殺さず、慢心と油断で好機を逃がげぇ!?」


 ジャンプマンが言葉を紡ぎ終えるよりも早くリンカードは振り降ろした剣の腹で後頭部をぶん殴り、だらしな口を開けて気絶したジャンプマンは地面に崩れ落ちる。

 千切れているスカートを抑えながらも急いで近づいて来たエイネルの前でリンカードはロープを取り出し、ジャンプマンの両手両足を体の後ろ側で縛った。


「これで良いだろう。さて、後はこいつを役所に連れて行くか。よう、お疲れエイネル、いくら稼いだ?」

「何でリンクがここにいるのよ。それに、こいつは何なの?」

「質問に質問を被せるなって、俺はいくら稼いだか聞いたんだ」

「……まだ0よ」

「マジかよ、それじゃあこの勝負は俺の勝ち確定だな。こいつは喰い逃げ常習犯でエスケープ・ジャンプマンって呼ばれてる。とにかく身軽で逃げるのが早いらしい、出入口が一つしかないこの店で仕留められたのはラッキーだったぜ。役所から懸賞金の額が楽しみだ」

「何だ、別に私のあとを付けて来たってわけじゃないのね。あ、そうだリンク、この格好どう思う? こんなカフェがあるのだから、この格好は男性に需要があるのだろう」


 破れたスカートを抑えながらも少し気恥ずかしそうに自分のメイド姿を見せるエイネルに対し、リンカードは一瞥しただけで素早く言葉を返す。


「年齢詐欺メイドだな」

「ねんれ……リンクの馬鹿!」



   ◇ ◇ ◇



 約束の時間の少し前、リンカードと軽い騒動を起こしたエイネルは装飾を一部派手に破壊したため、随分と軽くなってしまった給料袋をその手に握りながら走っていた。

 夜になって来たが街の明かりはまだ消えておらず、表通りの人数も日中ほどではないにしろそれなりの雑音を引き起こす程度には歩いている。

 先刻まで大道芸をしていた場所を通り過ぎたエイネルは視界の端にあるものが見えると思わず足を止め、人混みの中を縫うように進み店の前に立つ。


「おっちゃん、売れ行きはどう?」

「何だ、昼間の小娘か。また冷やかしにでも来たのか? そう言えばバイトはどうなった?」

「掲示板は見てみたけど、よく分からなかった。でもバイトはできたよ、色々と教えてくれてありがとおっちゃん」

「そうか……実はワシには譲ちゃんぐらいの孫がいてな、東南の街に住んでいるんだが、お前さんのように何かと忙しい孫じゃった。今は何をしているか知らんが……おっとすまんな、詰まらんことを聞かせた」

「詰まらなくなんてないよ。そっか、孫か……元気だと良いね」

「どうせ元気さ、剣の修行と称して魔物が蔓延る山に三日ぐらい出掛けてひょいと帰って来る孫じゃ。魔物と仲良くなったとか言っていたが、本当は行って欲しくないんだがね、危険だから」

「やっぱり、魔物って怖い? 私は……こう言うと変かもしれないけど、全ての魔物が悪い魔物じゃないと思う。良い魔物だって、きっといるよ」

「分かっているさ。孫が笑顔で言うんだ、きっと良い魔物なんだろう。だがね、人と魔物は大っぴらに相容れてはいけない、これは仕方のないことだ。現に危険な魔物は多い」


 しっかりと割り切る口調で語る商人の言葉にエイネルは少し寂しそうな表情を浮かべて俯くが、魔物が人間にとって危険な存在であることは魔王であるエイネルの方が良く分かっている。

 勇者や国王軍の兵士のように訓練されたり連携の取れた人間ならば簡単にはやられないだろうが、女や子どもなど一般人はそうもいかない。

 人間界の魔物は魔界の魔物よりも基本的に弱いものばかりだが、それでも人間からすれば脅威なことに変わりはなく、現に100年前に魔王デストラが倒されて以降はノーライトとヘルエデンの配下の魔物の横行が目立つ。

 若かりし頃人間界を旅し思い入れのあったデストラは魔王として君臨することで人間と魔物の軋轢を極力まで避けていたが、その割と平和的であった均衡はもはや過去の物。

 デストラの意思を継いだエイネルも再び人間界を平和的に支配しようと考えたが、当時は人間界の勇者に強者が多く、またデスゲートとしても魔王を短い間に二人も失うのは避けたかった。


「譲ちゃんは旅をしているようだが、両親は心配していないのか?」

「お父さんは随分前に死んじゃったし、お母さんはいないの。でも仕方ないことだったから、悲しくはないってのは嘘だけど、悔やんではいない」

「悪いことを聞いてしまったな。譲ちゃんは強いね、見習いたいぐらいだ」

「へへ、なんてったって私は魔王だからね!……あっ」

「魔王みたいに強いってことか? 確かにそれなら旅をしても問題ないし、むしろ周りが不憫に思えるの。本当の魔王が譲ちゃんぐらい素直な奴なら、人間も苦労しないんだがね」

「ははは……あっ、そうだおっちゃん。これっていくら?」


 エイネルは視線を逸らしながら誤魔化すように笑うが、視線の先に先刻も見たお守りを見つけ、それを手にとって商人の前に突き付ける。


「何だ、バイトで余裕でも出来たのか。それは1000グレスだ、横にあったのも1000だな」

「えーっと……ぐぬぬ、少し足りない!? ガーン」


 がっくりと肩を落とすエイネルのぶらりと垂れた手に握られている給料袋からは1000グレス硬貨が落ち、2つ合わせれば2000グレスなので少しどころか全く足りない。

 呆れながら溜息をついた商人はエイネルの手にあったお守りと置かれているもう一つのお守りを手に取り、紐で柔らかく縛ってから落ちていた1000グレス硬貨を拾い上げる。


「特別大サービスだ、二つまとめてこれで売ってやる。まあ実際は今日何も売れなかったから買って欲しいってのがあるんだが、どうする?」

「いいの? 全然足りないのに、おっちゃんだって生活かかってるんでしょ」

「別に今すぐ飢えて死ぬほど金に困っちゃいない。それに譲ちゃんはこんな老いぼれの話も聞いてくれたし、冷やかしだけじゃなくちゃんと買おうとしたんだ。少しぐらいサービスしてやるさ」

「本当にいいの! ありがとおっちゃん、本当に優しいんだね!」

「市場じゃ値切るってのは普通だ、覚えておけ。尤も、そんなこと思いもしない譲ちゃんだからこそ、こっちから安くする気が起きたんだ。ほれ、持って行け」


 軽く投げられた二つのお守りを受け取ったエイネルは満面の笑みでそれらを握り締め、踵を返して走り出すが途中で一度止まり、振り返って大きく手を振る。


「本当にありがとう! 今度どこかであったら、今度はもっと沢山買ってあげるからね!」

「楽しみにしておくよ、余り期待はしておらんがな」


 無骨に笑いながら突っぱねるように言う商人に対し、エイネルも溌剌と笑って見せてからもう一度走り出す。

 すぐ近くの集合場所には既にリンカードが昼まですっからかんだった巾着を膨らませながら待っており、彼が接近して来るエイネルに気付いたと同時に右手に持っていたお守りを彼の眼前に突き出す。


「ぬぅ、何だ? 人間界制服の第一歩が俺を殺すことか?」

「何言ってんの。ほれ、これあげる。私からのプレゼントだ、ありがたく受け取るが良い」

「お前が俺に、プレゼント? 俺の誕生日は今日じゃないが」

「別に誕生日じゃないとプレゼントをあげちゃいけないって決まりはないはずだぞ。ほれ、遠慮するな」

「そりゃそうだが……まぁいいか。で、これは何なんだ?」

「ジパングのお守りらしい。ファロンデルタまでかもしれないけど、私とリンクは一緒に旅をするんだ。一緒に旅する仲間の無事を祈るのって、変かな?」

「……いや、変じゃない。しかしペアか、魔王と自称勇者が同じお守りとはな」


 渡されたお守りとエイネルが持っているお守りを見比べ、リンカードは笑いを浮かべながら愚痴る。


「良いじゃないか、私は嬉しいぞ。魔王と勇者がペアで何が悪い!」



リンカードとエイネルの解説コーナー


『バリアンとデスブリング』


<<マイク:ON>>

エイネル「さて今回もやって参りましたこのコーナー、『まお旅』の世界をダイレクトに感じていただくための解説だよ!」

リンカード「本当は絵が描ければいいんだけど、作者の絵スキルは小学生以下だから期待できん」

エイネル「今回ご紹介するのは魔界の名所……ってほどでもないけど、一話で出て来た地名だね。それぞれ細かく説明するほどの物でもないからまとめました」

リンカード「魔界の地名か、少し興味あるな」

エイネル「おっ! 面倒臭がりのリンクが興味を示すなんて、これは珍しい。それでは説明していきましょう!……あれ? 資料はどこに……」

リンカード「えーっと何々、バリアンはデスゲート領南東に存在する巨大な拘置所で、そこでは規律違反を起こした魔物が刑罰に処せられ――」

エイネル「スタープ! マイクオフ!」


<<マイク:OFF>>

エイネル「あのさ! 私が読もうと思って用意した資料なんだよ! それをリンカードが読んでどうするのさ!?」

リンカード「気になったんだから仕方ないだろ。態々一問一答みたいに聞いて行ったら面倒臭いだろ」

エイネル「分かってないなぁ、それがラジオのパーソナリティーの役目でしょうに。ただ説明口調でぱっぱと文章読むだけなら赤ん坊にも出来ちゃうじゃない」

リンカード「さすがに赤ん坊は無理だろ。だがまあ言わんとすることはなんとなくわかったし、悪かったな。それじゃあ読みは任せたぞ」

エイネル「さすがリンク、優しいな。そこに痺れはしないけど憧れる!」

リンカード「あ、そう」


<<マイク:ON>>

エイネル「お待たせしました。えーバリアンですが、先ほどリンクが言ったように巨大な拘置所が設けられてるの。魔界や人間界で極度の規律違反を犯した魔物が収容されてるわ」

リンカード「魔界にも規律があるんだな。と言うか人間界の魔物にも適応されるってのは何気に凄い。それはデスゲート配下だけの話なのか?」

エイネル「そうだね。ノーライトやヘルエデンも規律は一応あるみたいだけど、デスゲートに比べれば緩々で基本やりたい放題。ヘルエデンに限っては頭首がやりたい放題なんだから、そりゃ規律なんて意味無いわよね」

リンカード「人間界の魔物って、一体どういう風に配下に加わるんだ? 人間界で生まれる魔物も多いわけだし、人間界全体をお前たちだって把握してるわけじゃないだろ」

エイネル「うん、だからフリーの魔物もいることはいるんだけど、大抵はどこかに属するよ。生まれた瞬間から何となく分かるんだと思う、魔物が今どう言う風な組織体系なのかってのが。他にもフリーでいようとしてボコボコにされて配下に無理やり入れられたり、私達の場合はそう言う魔物を助けたり割と優しい勧誘で仲間に加えたりしてるよ」

リンカード「魔物も色々苦労があるんだな。さて、次はデスブリングだがどう言うところなんだ」

エイネル「巨大な毒沼に生い茂る森なんだけど、全体的にドロドロしてて紫色で見た目も悪いし人間界の森林に比べたら本当目に悪い場所よ。城から割と近くにあるんだけど、とても遊びに行くって場所じゃないわね」

リンカード「毒沼か、人間界にも一応存在するが見たことはない。なんだか聞けば聞くほど魔界って言うのは相当危険な場所らしいな」

エイネル「そりゃ危険よ、ろくに魔力が無い人間が来たら空気を吸うだけでも死んじゃうかも。リンクなら……まぁ、生活に支障はないけど余り多くの場所には行けないぐらいかしら」

リンカード「ほお、そりゃちょっと楽しみだ。ん? ちょっとマイクオフ」


<<マイク:OFF>>

エイネル「どうしたの?」

リンカード「スタッフが何か持って来た。何だこのケース?……え、デスブリングの毒? 持ってきていいのかよそんなの」

エイネル「と言うかどうやって持って来たのここのスタッフ。いくらメタだからって取りに行かせたわけ?」

リンカード「まあ、とりあえずどうすれば良いか分からんが話しを続けるか。マイク付けよう」


<<マイク:ON>>

リンカード「あー何かスタッフさんが沼の毒持ってきてくれたけど、どうしろってんだこれ」

エイネル「うん、まあ本物だね。皮膚に付着しただけで普通の人間なら軽く死ねるよ」

リンカード「物騒なもん持って来るなよ! あーもうこれは横置いておこう。何のために持って来たんだよ」

エイネル「ちなみにデスブリングには人間界と魔界を繋げる『正邪の門』って言うのがあってね、私はそこを通って人間界に来たんだよ」

リンカード「それであんなところにぶっ倒れてたのか。魔王が気絶するぐらいだ、相当激しい衝撃に襲われる門なんだな」

エイネル「いやそれは、ちょっと怖くて思わず気絶しちゃっただけだったり。高所恐怖症だし、ちょっと何か永遠の闇みたいな感じだったし、まあ気を失うぐらいアレだったと思う」

リンカード「そんな場所なのか。おっと、そろそろ時間だな」

エイネル「本当だ。それじゃあ皆また今度ね! 魔王が解説して!……」

リンカード「……あ、振ってたのか。悪い悪い。コホン、何が悪い!……これでいいのか?」

エイネル「うん! それじゃあ、バイバーイ!」


<<舞台裏>>

リンカード「……で、この毒どうするんだよ」

エイネル「とりあえず、トイレにでも流しておこうか」


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