魔王がメイドで何が悪い!
人集りが絶えない広場の一角、エイネルは固定されている5つの火の輪を華麗に通り抜けると地面に着地し、さらに頭上から振って来たリンゴ目掛けて抜刀による素早い斬撃を繰り出す。
あらかじめ地面に置かれていたシートの上に落ちたリンゴはエイネルが刀を鞘に収めると同時に6つに分割され、彼女が綺麗に一礼をすると見物人が大歓声を上げた。
「いやー良いね良いね、エイネルちゃん大道芸の素質あるよ!」
「えへへ、まあ私に掛かればこれぐらいちょちょいのちょいってやつね。それよりモゴランのおっちゃんは大丈夫そう?」
「少し筋肉を痛めただけだ、数日後には元通りだろうさ」
「そっか……うん、無事なら良かった。無傷で助けられなかったのは、残念だけど」
「何言ってるの、君が助けてくれなかったらあいつは今頃ベッドの上か墓の下だ。君は誇れることをしたんだ、そんな顔しちゃだめだ」
「ありがと、おっちゃん優しいね」
「子どもに優しくするのは紳士の嗜みだ。さて、次のアクションもよろしく頼むよ!」
「まっかせとけー!」
溌剌とした笑顔を浮かべたまま握った右手で胸を叩き、エイネルは手渡された一輪車に早速乗ろうとしたが、隅にもう一つ一輪車があるのを見て動きを止めた。
観客たちが見守る前でエイネルは一輪車の上に一輪車を置き、ジャンプすると上にある一輪車のサドルに右足から器用に着地する。
圧倒的なバランス感覚を見せつけたエイネルに観客からは感嘆の声が漏れ、さらに下から細身の男が投げた新しいリンゴを手に取り、先ほど黒コートの男から没収したナイフを取り出して皮を剥き始めた。
切り方自体は果実の部分も削り取ってしまったりと少々荒々しいが、目の前で繰り広げられる絶妙な芸を前にそんな野暮な突っ込みを入れる者はいない。
ついでにエイネルのスカートが短いので最前線の見物客には普通にパンツが見えてしまっているのだが、リンゴの皮を剥くのに熱中しているエイネルにとってはそんな考えは蚊帳の外。
リンゴの皮を剥き終わったところでエイネルは故意にバランスを崩すと背中から落下し、見物客が一瞬どよめくが問題なく空中で回転してから地面に着地する。
「リンゴ美味しいよ!」
ちょっと意味は分からないがリンゴを齧ってからエイネルは大きく手を振り、見物客も最後の言葉は意味が分からないが、とにかく凄いのでそんなこと無視して惜しみない拍手を送る。
太陽が西に沈み始めているのか空が薄かった水色から茜色へと染まりつつあり、細身の男は大量の金が入ったバケツを抱えたままエイネルの前に戻って来た。
「いやー儲かった儲かった! 良かった、これでようやく借金が返せる」
「そう言えば悪い奴も借金がどうこうでおっちゃんたちが大道芸しなくなるって言ってたけど、どう言うこと?」
「言い難いことだが、俺とモゴランは数年前からここで大道芸をやってるんだ。去年、モゴランが流行病で倒れてな、薬を買う金がなかったから仕方なく借りたんだよ。それからは必死だった、そしてようやく今日返せる段階に来たんだ」
「ほうほう、大人の事情ってやつだね」
「そこまで複雑じゃないと思うが、まあそんなもんだね。さっきエイネルちゃんが引っ張って来たのは俺たちが金を借りた奴だ。借金には当然利子ってものがあってな、全部返し終わるとあいつにはそれ以上金が入らなくなる。それが嫌だったんだろうな、今日が利子追加の日とは言え……まさか、ここまでして来るとは思わなかったよ」
「そうなんだ……でも借金も今日で返し終わるし、あの男は犯罪者だから牢獄行きだろうから、何だか全部解決かな」
「だね。だけど、やっぱり借金は返さないといけない。相手が犯罪者でもね。今日はありがとう、エイネルちゃんがいなかったら色々と失っていた。これ、アルバイト料」
細身の男はバケツの中から銀貨を握り締め、エイネルが両手を受け皿にすると彼女の手に大量の硬貨が綺麗な音を奏でながら降って来る。
かなりの量の銀貨を受け取ったエイネルだが男が持っているバケツの中には銅貨や鉄クズなどしか残っておらず、彼が遠慮と感謝で必要以上に多くの金をくれたのは見るからに明らかだ。
先ほど男は『今日が利子が追加される日』だと言っていたのをエイネルは聞き逃していない。モゴランは大事ではないが怪我をしていて、明日明後日ではまだ大道芸が出来るまで治らないかもしれない。
彼女は魔王だ。魔王ならば人間なんかに遠慮する必要はどこにもない。欲しいものはもらい、時には力に任せて奪い取ることだって可能だろう。
しかしそんなことエイネルはしない。少なくとも大道芸なるものをやってエイネル自身凄く楽しかったし、多くの人間に自分の存在が認められた様でとても嬉しかった。
ちなみに先ほど抑えたとは言え高い身体能力を見せたことで細身の男に何者か問われてしまったが、リンカードの真似をして『自称勇者』と言ったらあっさり信用してもらえた。
兎にも角にもこのお金を必要としているのはこの男たちであり、エイネルは少しだけ俯くと、持っていた全て男が持っているバケツの中に滑り込ませる。
「こんなにもらえないよ。私は一緒に大道芸が出来ただけで楽しかったから、このお金はおっちゃんたちがもらって」
「しかし……いや、ここで断るのは助け続けてくれた君に申し訳ない。エイネルちゃん、心からお礼を言う。ありがとう、君の目指す勇者の道に、大いなる栄光があらんことを」
差し出された右手にエイネルも応え、しっかりと握手を交わしてからエイネルは手を振ってその場を離れていく。
アレだけのお金があれば恐らくリンカードとのアルバイト勝負にも勝てただろうが、それを必要としている人がいるのなら、打算無く譲ることにエイネルは何の疑問も持たない。
誰かを犠牲にしてまで手に入れた勝利、考え過ぎかもしれないけど何故か胸を張って誇れる勝利ではない何か、全てが終わってから後悔しそうな勝ち方。
「とは言え、あと4時間ぐらいしかないのに、困ったなー」
「君! そこの君! ちょっと待ってくれないか!」
人混みの中を歩いていたエイネルはその声が自分に向けられたものだと気付くのに少し時間が掛かったが、徐々に音源がこちらに向かって来ているので何気無く後ろに振り向いた。
視線の先にはパリッとしたスーツを汗で濡らした小太りの男が人の流れに逆らって走っており、エイネルの前に辿りついた時には命からがらと言う表現が似合うほどに激しく呼吸を繰り返し、噎せたのか何度か咳を繰り返す。
「どうしたお主、今にも死にそうな顔をしておるぞ」
「さっきの大道芸……み、見せてもらいました。いや、それだけでなく暴漢を成敗した瞬間も現場は見えませんでしたが見せていただきました。貴方は素晴らしく多彩な特技をお持ちだ」
「あはは、何あれぐらい魔お……自称勇者である私なら当然のこと。それで、私を呼び止めたのは感想を述べるためかしら」
「いえいえ、実は貴方にお願いがあって来たのです。今日一日だけで構いません、お仕事をお願いできないでしょうか」
「それって、バイトってこと?」
少し呼吸が整って来たのか男は取り出したハンカチで汗を拭くが、拭き取った直後からまたスポンジを絞った様に額から汗が染み出て来た。
「そうです。実は先ほど貴方がひっ捕らえた男、彼は私が経営しているカフェの用心棒だったのです」
「えっ? あーそれは、悪いことをしたかな」
「とんでもない! むしろもっと酷い事態が起こらなくて、私としては正直ホッとしております。そのことは良いのですが、問題は店に用心棒が居なくなったことです」
「あいつ一人しか、お主のカフェに用心棒はいなかったのか?」
「他にも何人かいるのですが、皆都合が悪い様で今日は来れないのです。私の経営しているカフェですが、稀にマナーの悪い客もおりまして、どうしても抑止のために用心棒が必要なのですよ。貴方は用心棒に申し分ない腕をお持ちだ、それに……ふむ、普通の方のバイトもできそうですぞ」
「ふ、普通の方のバイト?」
男は再びハンカチで汗を拭うと値踏みをするようにエイネルの体を上から下まで一通り顔を近づけて凝視し、さすがに粘着質な何かを感じたエイネルは一歩後ろへと体を退いてしまった。
両手の人差し指と親指をくっつけて四角い額縁を作り、その中にエイネスを映し出すかのようにして顔、上半身、下半身と視線が素早く移っていく。
「うん、やっぱり合格だ! さあさあ、夜になるとマナー悪い人増える可能性高いから急いで急いで!」
「えっ? ちょ、ちょっと……ええええええええええええええ!?」
濃紺と深紅のコラボレーションを基調にしたワンピース、必要以上にやたらとフリフリが付いているミニスカートの様に短い純白のエプロン、さらに胸元にはピンク色のショートネクタイに頭にはふわっとしたレース付きカチューシャ。
訳の分からないままにちょっと豪華そうな建物に連れて来られたエイネルは従業員であろう女性に案内されて更衣室に入り、あっと言う間に着替えを終えて気付けばこんな格好になっていた。
何が起きているのか全く分からないが、少なくともこの格好はカフェの用心棒と言うにはかなり無理があり、どちらかと言うとエイネルの住んでいた城にも何人かいた宮仕えの女性が身に付けていた服にどこか似ていないことも無い。
幼い外見ながら滑る様な黒のロングヘアー、引き締まった抜群のスタイルも相まって、着ている服は彼女の存在感を一層際立たせている。
店で働いている女性たちがエイネルの格好を見ると一様にキャーキャーと騒ぎ出し、あちこちから「可愛いー!」だの「こんな妹欲しかったー!」だの何やら寒気を覚える様な熱気が降り注いでいた。
エイネルは入った店の看板を見るとそこには大きな文字で可愛らしくメイド喫茶『アーモンド』と書かれており、引き攣った表情を浮かべたエイネルの方を、小太りの男が優しく叩く。
「素晴らしい! やはり君は外見的にメイドの才能もあるようだ!」
「ふざけるな! な、ななな何でこの私が宮仕えの格好をせねばならんのだ! 用心棒が欲しかったのではないのか!?」
「いやね、せっかくだから特性を活かそうと思って。ほらほら、何事も経験だよ経験。お給料、弾むからさ。ね、ね!」
「ぐ、ぐぬぬ~……ここで稼がねば負ける。そ、それは確かに嫌だが。さ、さすがにこの格好は……」
「ほらほら、ボーっとしてないで動く動く! 挨拶とかは周りの皆を見て覚えて下さいね。大丈夫、貴方ならそれだけの才能があるはずです!」
「嬉しくないわよそんな才能!」
ギャーギャーと文句を言うエイネルだがオーナーがある方向を指差すと、そちらでは既にメイド達が慌ただしく働いているのが目に入って来た。
見るからに人手不足で注文を取っているメイド達とぶん殴っても笑顔を保持してそうなオーナーの顔を交互に見比べて逡巡し、諦めて溜息をついてから脱力気味に肩を降ろして歩き出す。
「あー駄目だよ! もっと元気よく、ハッキハキとしないと! 大道芸やってる時の君は凄い輝いてたよ!」
「いっそのことお主の頭をハッゲハゲにしても良いのよ」
メイド服には似つかわしくないが用心棒も兼ねてるので帯刀しており、エイネルが背を向けながら怒気を込めて柄を握ると、さすがのオーナーも思わず腰が退けた。
「や、止めてくれ。最近ただでさえ後退が激しくて……わ、分かった、無理にフロアに出なくても良い。ただ、君さえよければ、彼女達を手伝って欲しい。これは、お願いだ」
「いつもこんな人数で店を回しているの? 正直言って、さすがにコレはナンセンスよ。もっと人数揃えないと見るからに厳しいわ」
「そうしたいのは山々なのだが、経営上どうしても無理があるんだ。用心棒が彼のような多少荒れてる人だったのも、低額で雇うことが出来たからだ」
重苦しい声で辛そうに語るオーナーの表情と相変わらず忙しそうに動き回るメイド達を見ると、エイネルは再び溜息をついて近くにあったネームプレートを手に取る。
カウンターに置いてあったペンでスラスラと綺麗な字を書いていき、『エイネル・レヴィ・シモン』と綴られたネームプレートを胸ポケットに差し込んだ。
さすがに人間界で素直に『デスゲート』と書くと色々問題がありそうなので自重し、かつて父であるデストラが人間界で使っていたと言う偽名をそのまま記入したが多分問題はあるまい。
決意を新たにエイネルはとりあえず出入口付近に接近するといきなり扉が開き、既に客の気配を察知して待機していたメイドが深々と入って来た男たちに頭を下げる。
「おかえりなさいませ! ご主人様!」
猫撫で声でありながらも力強い声を発するメイド達にエイネルは思わず気後れしてしまい、慌てて遅れながらも腰を曲げるが全然遅すぎる。
これが、メイド……宮仕えしていた魔物たちの苦労をその身に浴びながら棒立ちしていたエイネルだが再び扉が開く音に慌てて振り返り、同時に周りに彼女以外誰もメイドが待機していないことに気が付いた。
入って来た客も目の前でキョドキョドしている上、どう言う訳か帯刀と言う謎のセットをしたメイドがいたものだから驚きが隠せていない。
「あ、え、えっとそのおかえりにゃしゃいま……うぅ、噛んだ」
「あれ、新人の子? ねえ店長! なにこの可愛い子、初めて見るけど」
「いらっしゃいませ! 彼女は今日一日お手伝いをしてくれている、メイド兼用心棒のエイネルちゃんです。変なことは考えない方がいいですよ、恐ろしく強いですから」
「へえーエイネルちゃんって言うんだ。シモンか、変わったファミリーネームだな」
「え、ええっと、あはははは。と、とりあえずお席にご案内しますね。空いてる席は……あった、どうぞこちらへ!」
もはや心の中で恥と言う概念を捨てたエイネルだが現実には頬が染まっており、席へ案内している際の動きは傍から見ても明らかにぎこちない。
席に着いた客を前に何をすれば良いのか必死に頭の中でシュミレートし、メニューの存在を思い出してから慌てて左右を見渡すが、既に腕の中に抱えていたことに気付くと慌ててメニューを渡す。
「どうぞ! ご注文が決まりましたら及び下さ――」
「愛情たっぷりオムレツとミルクティーで、出来ればエイネルちゃんに作ってもらいたいな」
「え、わ、私の料理?」
「うん。ドジっ娘が頑張って料理したけど、失敗しちゃって恥ずかしそうに出すオムレツとかが超萌えで好きなんだよ俺」
「ほほぅ、お主……じゃなかった、ご主人様は私が料理が下手だと思っているのですね」
「あれ、違うの?」
不敵な笑みを浮かべるエイネルはワンピースの袖を肘の辺りまで捲し上げ、右手で握り拳を作って相手を明らかに上から目線で見下げる。
「残念でしたねご主人様。私は城に居た時、暇だったから授業を抜け出して調理室に潜り込み、シェフと一緒に良く料理を作ったりしていたのですよ」
「城って、もしかしてエイネルちゃんってお姫様か何かなの? それともそう言う設定? まぁいいや、じゃあ作ってもらおうかな。美味しい料理」
「良いよ、食べさせてあげる。そして、脱帽させてあげる。魔お……メイドに美味しい料理が作れて何が悪い!」
リンカードとエイネルの解説コーナー
『魔剣』
<<マイク:ON>>
エイネル「さて、今回の解説コーナーでは魔剣について説明するよ」
リンカード「前回は長くなり過ぎたからな、今回からは蛇足はせず要点だけを言って終わらせよう」
エイネル「リンクは本当に面倒臭がりなんだよね。短気は損気っていうけど」
リンカード「魔剣とはその名の通り『魔の力が宿った剣』と言う意味だ。その効果は千差万別で、魔法属性を武器自身が所持していたり、魔力を吸収したりだ」
エイネル「ちなみに私の『覇国』はダークマターを大量に使っているから様々な効果があるが、常時発動していて便利なのが魔力の吸収と供給かな」
リンカード「吸収と供給?」
エイネル「大気中に飛散している微弱な魔力を集め、それを私に供給するの」
リンカード「ほう、それじゃあ今回はこの辺で。また今度――」
エイネル「ちょっとマイクオフ!」
<<マイク:OFF>>
エイネル「リンク! だから何ですぐ終わらせようとするの!? 少しはお話を楽しもうよ!」
リンカード「別に金が出るわけでもないし、良いじゃねーか適当に終わらせれば。今回のテーマもう終わったし」
エイネル「駄目なの! 雑談があって初めてコーナーっぽくなるじゃない!」
リンカード「……面倒臭いな、じゃあ簡単に雑談して終わらせるぞ」
エイネル「さすがリンク、優しいね。それじゃあマイクオンにするよ」
<<マイク:ON>>
リンカード「さて、魔界のことは知らないが人間界には魔剣と呼ばれるものがいくつかある。正確には剣の形状には捕らわれないので総称して『魔具』と呼ぶ」
エイネル「魔界では割と普通に存在する物だけど人間界ではそうもいかないみたい。そもそも人間界の魔具は殆どが魔界から流出したもので、人間が作った物は割と少ないみたい」
リンカード「魔具を製造する技術が現在では失われたのが原因だが、カルティナ王国が魔具の製造及び開発を禁止して重罪を課しているのも大きい」
エイネル「そうだったんだ。今でも魔界では普通に魔具は作られているけど、昔ほど覇権争いによる大規模戦争が起きなくなって冷戦状態だから使われない魔具が溜まっていく一方なんだよね」
リンカード「何やら魔界も色々と大変らしいな。人間界が魔界の覇権争いに巻き込まれないと良いが」
エイネル「もう巻き込まれてるよ。ノーライトとヘルエデンは人間界を手に入れて資源と人材を一気に確保しようとずっと考えてる。それもこれも、魔界で勝つために」
リンカード「だが人間界には本物の勇者も多い。それで思うように侵略出来ていないんだろうな。ふむ、そろそろ時間か」
エイネル「そうね。それじゃあ今回はこの辺で、魔王が解説して何が悪い!……あれ、今回は言わせてくれるんだ」
リンカード「また殴られるのは嫌だからな」