魔王が悩んで何が悪い!
32年前、フリット・マルセリアスは決して豪華とは言えない商人の家にその生を受けた。
裕福ではなかったが幼い頃からグリーンシュタットを中心にして多くの場所を訪れ、商いに明け暮れる両親の姿を見ながら育った彼の心はそれほど貧しくはない。
ただ激しい交渉を重ねながらも最終的には頭を下げ続ける父親に対して、尊厳と言うか憧れと言うか、そう言う羨望のようなものは抱けなかった。
幼稚園や小学校には行けなかったので、必然的に学問は書物による独学。家を持たなかったため動き回る一家の性質上、友達もできなかったので出来るのは勉強ぐらい。
安定できるところが欲しかった。街ですれ違う子どもたちの様にサッカーやバスケットで遊びたかった。しかし一ヶ月先の食事も分からない生活、そんなことは期待できない。
「父さんも随分と苦労していたらしいけど、子どもの僕からすればそんな苦悩は理解できなかったし、理解しようとする気にもなれなかったよ。当たり前だ、思慮足らぬ子どもなのだから」
自分が大人になるまでこのまま続くのだろう……そう思ってただ勉強していた幼少のフリットにも、当時の父親のあの眩しい笑顔は忘れることが出来ない。
貧乏生活から一気に抜け出せるほどの大きな商談が決まった時、両親が異常に喜ぶものだからフリットも釣られて喜んだ。
後から知ったことなのだが、皮肉なことにも彼らを貧乏生活から一気に抜け出させるために行われた商談……それは今回フリットが道中で襲われた原因でもある、魔石の取引。
当時から魔石の取引は違法。しかし安定しない生活をいつまでも続けるわけにはいかないと、フリットの両親は断腸の思いで取引を引き受けた。
「真っ当にやっていた父さんからすれば、商人の誇りを捨てたに等しい。それほどに、あの取引は魅力的で、壊滅的だった」
「……私は、魔石とは言え魔物を取引するのは正直許せない。魔物だって、生きてるんだから」
「その歳で魔物の人権主張とは、やっぱりエイネルちゃんは色々と変わっているね。それから、両親は直ぐに護衛の事を考えたよ。この手の取引は、政府ではなく裏事情に精通している人間にバレ易いんだ」
「もしかして、その護衛って……」
「あぁ、その通り。その時の護衛は必然的に自称勇者を選ばざるを得なかった」
正統勇者は一応国家機関に所属している事になるため、魔石の取引や違法薬物の取引などを行う商人の護衛は基本的にしてはいけないし、もしその事実があったら国に報告しなければいけない。
シャイルのように狙って所属意識の弱い正統勇者を雇ったりする手もあるのだが、フリットの両親の場合は大型取引だった。とてもではないが誤魔化しは不可能だろう。
そうなると正統勇者ではない自称勇者に護衛を依頼せざるを得ない。自称勇者は国家機関所属ではないため特に束縛された項目がない代わりに、依頼料が破格だったり途中で逃げ出したり、時には山賊紛いなことまでする。
危険なのだ。自称勇者にも名のある正統勇者の様に高いプライドを持つ者もいるし、命を賭して依頼人を護ろうとする者もいるかもしれない。
だが基本的には自称勇者はどこまで行っても自称勇者。かつてリンカードが言ったようにただの無職や暴れたいだけの山賊でも、名乗るだけならいくらでも自称勇者を名乗ることが出来てしまう。
現実に自称勇者に護衛や退治を依頼し、金だけ奪われてから裏切られ、命を落とす商人や役人は決して少なくない。だが自称勇者全員がそうではないため、政府による大きな規制や制裁は不可能。
「当時は今より自称勇者が多かったけど、それだけ好い加減な奴も多かった。そして父さん達が雇った奴らも、そんなのだった」
「それじゃあ、フリットさんの両親はろくに護衛もされずに魔物に襲われたんだね」
「ちょっと違う。途中までは弱い魔物ばかりだったから、普通に護衛してくれていた。だがいざ取引の現場に着いた時、僕達は山賊に囲まれた。その時あいつらは、僕の両親を裏切って山賊側に回ったんだよ」
「じゃあ、魔物に殺されたんじゃなくて」
「あぁ、自称勇者の奴ら二人に両親は殺されたんだ! 奴らは父さん母さんの持っていた商品全部を奪い、それと引き換えに命乞いをしたよ。僕は子どもだから大した何もできないと思われたんだろうね、逃げたら追っては来なかった」
「そう……なんだ……」
珍しいことではない。珍しいことではないのだが、当事者は程度の差こそあれ必ず心に本人しか理解できないであろう傷を負っている。
エイネルはデスゲートの魔王になった時、配下に極力人間を襲わないように指示を出した。
大魔王であった父デストラが勇者に殺されたと言う報は当然全世界に行き渡り、配下の士気は落ち、下手に暴れたり襲ったりすれば、勢いに乗っていた人間の勇者に集団で根絶されていたかもしれない。
さらにその後のエイネルによる人間への興味も相乗し、デスゲートの魔物は人間を襲うことはなかったはずだが、魔界にいたエイネルには地上の全てを把握することは不可能。
人を襲っていたかもしれない。そしてその結果、目の前のフリットのような憎しみを抱く人を生み出したかもしれない。
「魔物に襲われて命を落としたならまだ分かる。人と魔物は決して相容れぬ存在、魔物は人を襲い、人は魔物を退け駆逐する。だが、相手は人間だったんだ」
「フリットさん……もしも魔物が両親を殺していたら、恨まなかったの?」
「そんなわけないさ、だが納得してしまうところもきっとあった。魔物に襲われるのは災害みたいなものだよ。ある意味本能だからね、彼らの。だけど奴らは違う、契約と誇りを簡単に打ち切って裏切って家族を殺された」
「……ねえ、これは私の勝手な予想だから、間違ってたらごめんね」
「ん、何がだい?」
「さっき道中で私達を襲って来た盗賊は『不名誉な罪を負わされ』って言ってたけど、彼らの言葉に嘘は感じられなかったの」
ただのイチャモンをつけるにしては相手が明確過ぎ、他の男が『魔物に見つかったら殺されて喰われる』とも言っていた。
その辺に関してエイネルは気になることがあるのだがそれはそれとして一旦置いておき、彼らがあの状況下で迫真の演技をしていたとも思えない。
「彼らにとってもあんな危険な場所で襲うのは、それ相応のリスクが伴う。そこまでしても早く仇を取りたかった、それほどまでの執念だった」
「それは逆恨みって言うものだよ。僕は魔石の専門ではないけど、専門家並みに分かるつもりだ。バックフォースに協力を依頼されたのも、王立大学の教員でありながら魔石に詳しかったから。恨まれる筋合いはない」
「フリットさんがどういう職種で何に詳しいかはどうでも良いの。大切なのは、フリットさんが本当に正しい判断を下したかどうか」
「……何が、言いたいんだい」
「お主は本当の結果を言わず、偽りの結果を報告したんじゃないのか。神懸かり的に偶然の確率だけど、その相手は――」
「言わなくていいよ、その通りさ。驚いた、探偵もビックリの直感力だ」
困った様に苦笑するフリットは近くにあったベッドに腰掛け、足の上で両手を組みながら俯く。
「その相手こそ、まさに僕の両親を殺した自称勇者だった。奴はのうのうと生きていたんだよ、僕のことなんてすっかり忘れていたみたいだけどね」
「じゃあ、その人は魔石を持っていなかったのね」
「あぁ、持っていなかった。『魔石と称して売られたが、実際はただの石だった』と言って、奴は売り付けた商人の頭をいつかその石で割ってやるとほざいていたよ。だが、これは何も僕の私怨だけじゃない」
「私怨だけじゃない?」
「魔石はそもそも取引が違法なんだ。それを知らずに喋った時点で彼は有罪、それに加えておまけを添えただけのこと」
「でも正式に調査されたら、フリットさんの嘘がばれるんじゃないの」
「今回の魔石は色々事情があって即破壊となっていたんだ。だから僕の嘘はバレないさ、奴は重罰となって刑務所行き。これは僕の復讐だ、通報したければすれば良いよ」
「……敵討ちは法律で禁止されてるって習った。でも、法律が全てじゃない。両親を奪われて、それでも法律で禁止されてるから我慢しろなんて……私には言えない。いや、それでもちゃんと法律を考えたフリットさんは、偉い方だと思う」
「ありがとう、そう言ってくれるだけで勝手ながら心が軽くなるよ。自称勇者だって言うけど、エイネルちゃんとは出会えて本当に良かった。そう思えるよ」
俯いたままエイネルの顔を見ることなく自嘲気味に言葉を漏らすフリットは手の甲を眺めたまま何も喋らなくなり、静寂が流れると思われた空間を荒々しく空ける扉の音が引き裂いた。
手の布袋から僅かな食べ物の匂いを引き攣れながら戻って来たリンカードは扉を閉め、鍵を掛けると真ん中のベッドに大剣を放り投げて陣取り、テーブルの上に荷物を置く。
「とりあえずパンとバター、リンゴと卵は買って来た。他に何か欲しいなら、自分で買いに行け」
「卵も付くなんて普段より贅沢だねリンク、砂漠越えの時は渇いたお肉ばかりでさすがに飽きたからねぇ」
「……君たちもしかして、マウントデザート越えて来たの?」
「うん、それがどうかした」
「呆れたな、南下してブルーサイドを通ればもっと安全にここまで来れたのに」
「マーナルファロンに行くまでに日数を稼げるところで稼ぎたかったからな、直進してカラフルデイズに行く方が早かったから選んだだけだ。おかげで今は日数に余裕がある」
「あそこは強力な魔物もかなり出没するはずだ、それを二人で突破するなんて恐れ入った。渋っていたけど、君達を護衛に選んだのは正解だったみたいだ」
エイネルは誇らしげに胸を張るが、リンカードはフリットの言葉を無視してパンを取り出し、小さなブロック状のバターを乗せてから窓枠に近づいてカーテンを閉めた。
既に太陽が地平線に沈みかかっているらしく、外は木々が光を遮っているために暗黒の世界に包まれている。
街の所々に設置された松明が揺らきながら煌びやかに燃え盛り、表通りには警備らしき槍を持った人間以外は殆ど見当たらない。
人通りが多かったグリーンシュタットでも夜は警備を除いて閑散としていたし、カラフルデイズは夜でも信じられないぐらい明るかったが、年中光に包まれている都市なんて他にあるのかすら不明だ。
静寂の中でリンカードは黙ってパンを頬張り続け、話し続けて空腹感を忘れていたフリットが袋の中のパンに手を伸ばすと、リンカードが目敏く彼を睨む。
「金」
「後でまとめて払うよ、次言ったら全額小銭で渡すぞ」
「構わないぞ、どうせ銀行なんだからその場で両替するだけだ。それよりエイネル、何か考え事か?」
「えっ、どうして分かるの」
「食い意地が張ってるお前が真っ先に飯に飛びつかないってのは変だ、何か悩み事でもあるのかって思ってな」
「……うん、ちょっと気になってることがあるだけ。あ、ご飯は食べるよ! いただきまーす! もぐもぐ」
テーブルに近づいたエイネルは適当にパンを一枚取り出してからそれを頬張り、後から取り出したバターをそのまま口の放り込んだ。
どんなに質素な食事であっても普段のエイネルは馬鹿みたいに美味しそうに食事を食べるはずなのだが、リンカードが見る限り、今の彼女はどうも覇気が感じられない。
徐に隣のベッドでパンを頬張るフリットに視線を移すが、その表情に、場を悪くしたと言う雰囲気はなかった。
考えても仕方ないことだと割り切ったリンカードは黙ってパンを食べ終えると鎧や籠手を外してベッドの傍に置き、そこに大剣も立て懸ける。
寝れるときに寝ておくべき。ベッドに座り毛布に手を掛けた直後、甲冑が擦れ合うような音を響かせた集団が彼らの宿舎の前を慌ただしく横切った。
カーテンを僅かに除けてリンカードが外を見ると、予想通り簡素だが鎧を身に纏った男達が武器と灯りを手にし、列をなして移動していく姿が目に入る。
「ただの警備にしちゃ随分な騒音だな。辻斬りでもあったのか」
「あぁ、最近なんか魔物の襲撃が増え――」
ゆっくりと咀嚼しながら食べているため随分と食事が遅いフリットがリンカードの方に向き直りながら何かを説明しようとしたが、彼の言葉を遮るようにドアの扉が軽くノックされる。
寝ようと思っていただけに若干不機嫌そうに溜息をついたリンカードは扉に近づき、内側から同様にノックを返してから不機嫌さを隠すことなく問い掛けた。
「何の用だ」
「トライセンター自警団の者だ。現在南区で小規模ながら魔物の襲撃が起きているため、旅人や商人の方には外出の自粛を呼び掛けている」
「魔物の襲撃って、別に特別珍しいことでもないだろ。それにここ北区じゃねーか。それにすぐ寝るよ、教えてくれてありがとさん。御苦労さ――」
用件を聞き終えたリンカードが扉を離れようとするとすれ違うようにエイネルが横を通り、扉の鍵を開けると慌ただしく空けた。
リンカードの態度に不機嫌そうな表情を浮かべながらも、次の部屋に向かおうとしていた男は慌てて表情を直して扉に向き直り、エイネルを見るなり不思議な顔をして体を向け直す。
「どうかしたのか、お嬢さん?」
「その魔物が出た場所を詳しく教えて! 南区ってどっち! そのどの辺!?」
「ちょ、落ち着いてよお嬢さん。言った通り外出の自粛を呼び掛けに来たんだ、危険なんだから教えられるわけがない」
「じゃあ良いよ、自分で探す! 止めようとしたら自警団の人でも容赦しない」
「なっ! 子どもだからって言わせておけば、危険なものは危険なんだから大人しく部屋の中で寝て――」
「ちょっと良いか。俺は一応自称勇者なんだが、その魔物は殺したりすれば金が出るのか? 事と場合によっては、俺はむしろ行きたい。ついでにそいつもその類だ」
「確かに魔物を殺せば本当に少しだが賞金は出るが、雀の涙ほどだぞ。大人しく部屋の中で寝ていた方が良いと思うが」
「俺は少しでも金が欲しいんだ、金はあればあるだけ困らないからな。さて、魔物がいる場所を教えてもらおうか」




