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末日重生:俺は無敵のボロアパートを強化した

作者: 熾星
掲載日:2026/11/01


 ゾンビが街にあふれた日、俺は恋人を逃がすため、追ってくる群れの前に立ちはだかった。


 だが、彼女は別の男と一緒に防火扉を閉め、俺を廊下に置き去りにした。


 首筋に牙が食い込んだ。腐った手に引き倒され、腹を食い破られている間も、扉の向こうからは二人の笑い声が聞こえていた。


 次に目を開けると、世界が崩壊する前日に戻っていた。


【万物強化システムの登録が完了しました】


【生存ポイントを消費することで、対象を強化できます】


 道端のレンガは、コンクリートを砕く武器に変わった。安物のカップ麺は体力を回復させる食事になり、消防斧は雷をまとう戦斧へと進化する。


 壁紙の剥がれた古い賃貸アパートも、銃弾や爆発をものともしない鋼鉄の要塞になった。


 俺は貯金をすべて使い、食料や水、燃料を買い込んで籠城の準備を整えた。


 翌日、予定どおりゾンビが街に現れた。


 かつて俺を見捨てた奈緒と雅人は、今度は自分たちがゾンビに追われ、合金製の扉を必死に叩いていた。


 俺は監視モニターの前に座り、起動したばかりの自動防衛システムを確認する。


「そう慌てるなよ。こっちの準備が終わったら、相手してやるから」


 扉の外から悲鳴が上がった。


 操作パネルから手を離し、画面へ目を向ける。二人はまだドアを叩き続けていた。


 開けてやるつもりはなかった。



1



 首に食い込んだ牙の痛みは、意識が薄れても消えなかった。


 何体ものゾンビが俺の体に群がり、腹を食い破っている。引きずり出された内臓が階段に垂れ、血が段差を伝って流れていった。背後の防火扉に手を伸ばし、爪が剥がれるほど引っかいたが、鍵は開かなかった。


 扉の向こうから、篠宮奈緒の笑い声がした。


「颯介って、ほんと単純だよね。私が本気で結婚するつもりだったと思ってるんだから」


 続いて、男の声が聞こえた。


「奈緒の言うことなら何でも聞くからな。あいつがゾンビを引きつけてる間に、俺たちは逃げればいい」


「さっき雅人がドアを閉めろって言ってくれて助かったよ。危ないところだった」


 戸塚雅人。


 奈緒がずっと「ただの友達」だと言い張っていた男だ。


 ゾンビが発生してから、俺は二人を守るために必死だった。食料が足りなければ自分の分を減らし、逃げるときは最後尾を引き受けた。何度もそうしてきたのに、ほんの数分前、二人は俺を囮にして背後から防火扉を施錠した。


 血まみれの指で扉を引っかき続けた。中からは笑い声が聞こえ、何度助けを求めても、鍵の回る音はしない。


 やがてゾンビの一体が喉に噛みつき、声さえ出せなくなった。


 もう一度やり直せるなら、あいつらだけは二度と助けない。


「颯介? ねえ、颯介ってば!」


 聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。


「何ぼーっとしてんの? 荷物届いてるんだけど。下まで取ってきてよ」


 目を見開いた。


 そこは久浪市の朝倉台団地にある、古い賃貸アパートだった。壁紙はところどころ浮き、エアコンが低い音を立てている。ソファでは奈緒がマニキュアを塗っていた。


 窓の外には明るい日差しが降り注ぎ、車がいつもどおりに走っている。


 思わず首に触れた。


 傷ひとつない。


 スマートフォンを手に取ると、日付は2035年6月14日。


 ゾンビが街に現れる前日だった。


 画面を何度も確かめていると、奈緒が不機嫌そうにマニキュアの瓶を置いた。


「聞いてる? 今日の夜、雅人が来るから。すき焼き用のいい肉、買ってきて。魚介類も何か適当に。安売りのやつはやめてよね」


 さっきまで脳裏に焼きついていたのは、ゾンビに囲まれた俺を見捨てた、この女の顔だった。


 拳を握ると、爪が掌に食い込んだ。


 災厄が始まるまで、まだ一日ある。ここで奈緒と揉めたところで、準備に使える時間を失うだけだ。


「何? お金も出せってこと?」


 奈緒は財布から一万円札を二枚取り出し、床に放り投げた。


「はあ……ほんとケチだよね。バッグひとつ買ってくれないし。雅人なら、こんなことでいちいち文句言わないのに」


 そのとき、頭の中で無機質な声が響いた。


【強い感情変動を検知しました】


【万物強化システムの登録が完了しました】


【初期特典:生存ポイント1,000ptを付与します】


 目の前に半透明の画面が浮かび、強化対象の選択欄とポイント残高が表示された。


 前の人生では、普通のゾンビ一体にも満足に対抗できなかった。それが今、目の前にはあらゆる物を強化できるというシステムがある。


「ちょっと、行くの? 行かないの?」


 奈緒が苛立った声を上げた。


 俺は床に落ちた紙幣を拾った。


「行ってくる」


「だったら早くして。顔見てるとイライラする」


 上着をつかんで部屋を出る。扉を閉める直前、奈緒はもう雅人へのメッセージを打っていて、楽しそうに笑っていた。


 俺の様子がいつもと違うことにも気づいていない。まして明日の夕方、街がどうなるかなど、想像もしていないだろう。


 団地の外へ出た俺は、道路工事の跡に転がっていた赤いレンガを拾い上げた。


「システム、このレンガを強化してくれ」


【生存ポイントを10pt消費します】


【普通のレンガの強化に成功:不壊のレンガ】


【硬度1,000%上昇】


【追加効果:スタン、装甲貫通、頭部への攻撃力上昇】


 レンガの表面を暗い金色の光が走った。


 近くに放置されていたコンクリート片を軽く叩くと、砕けたのはコンクリートのほうだった。レンガには傷ひとつなく、重さもほとんど変わらない。


 俺はそれを持ち直し、銀行へ向かった。


 今まで住宅購入のために貯めてきた金は、合計四百万円。


 奈緒との将来を考え、給料から少しずつ残してきたものだ。あいつは俺の金の使い方に文句ばかりつけていたが、貯金がどれだけ大変だったか、一度も聞かなかった。


 すぐに使える口座へ資金を移し、買い出しを始めた。


 大型スーパー、ホームセンター、防災用品店を次々と回る。米、缶詰、飲料水、医薬品、カップ麺、燃料、発電機。必要なものをリストに沿って購入していった。


 在庫のある大型商品は追加料金を払って当日配送を手配し、小さなものは自分で運んだ。車と店を何度も往復し、荷室がいっぱいになるまで買い込んだ。


 頑丈な消防斧を一本買い、鋼板や固定金具、補修材料も注文した。


 夕方、アパートへ戻ると奈緒はいなかった。


 俺は三階にある古い1Kの部屋を見渡した。剥がれかけた壁紙、古びた窓枠、薄い玄関扉。前の人生では鍵さえかけておけば安全だと思っていたが、ゾンビと化した連中が押し寄せれば、こんな扉はひとたまりもない。


「システム、部屋ごと強化できるか?」


【生存ポイントを500pt消費します】


【住居区画および必要な耐荷重構造を、初級鋼鉄要塞へ強化できます】


【実行しますか?】


「実行」


 透明な波紋が足元から広がった。


 壁のひびが消え、古い窓枠が黒い金属で覆われていく。ガラスは内側からのみ外が見える防弾仕様に変わり、玄関扉には分厚い合金の装甲が重なった。


 壁を軽く叩くと、鈍い金属音が返ってきた。


【建築物の強化が完了しました:初級鋼鉄要塞】


【性能:防音、断熱、防弾、防爆、空気循環・濾過】


【付属設備を解放:監視システム、備蓄庫、防衛接続口、初級自動警戒装置】


 強化されたのは部屋だけでなく、構造を支える建物の必要部分まで含まれていた。運び込んだ物資は、新たにできた備蓄スペースへ自動的に収納されていく。狭かった室内にも余裕が生まれ、監視装置と防衛設備は壁際に現れた操作盤につながっていた。


 次に、消防斧を強化エリアへ置く。


「こっちも頼む」


【生存ポイントを100pt消費します】


【強化成功:雷撃戦斧】


【性能:高強度切断、雷撃付与】


【感染生物への追加ダメージ200%】


 刃の表面を青い電流が走り、ぱちぱちと小さな音を立てた。


 残りは390ポイント。


 監視モニターを開くと、街にはまだ普段どおりの時間が流れていた。届いた物資もすべて片づけ終わり、合金扉の作動確認も済んでいる。


 スマートフォンが震えた。


 奈緒からの音声メッセージだった。


「颯介、どこ行ってんの? 肉は買った? ……あ、今日やっぱ帰らないから。雅人のところに泊まる。明日には戻るから、頼んだものちゃんと用意しといてよ」


 最後まで聞いてから、スマートフォンをテーブルに置いた。


 室内の照明が順番に点灯し、合金扉がゆっくり閉まっていく。


 奈緒は今夜、雅人のところに泊まるらしい。明日戻ってくる頃には、この街はもう別の場所になっているはずだ。


 俺は操作盤に手を伸ばし、合金扉を完全に施錠した。



2



 2035年6月15日、午後六時。


 久浪市の西の空は、夕焼けで暗い赤に染まっていた。


 俺は防弾ガラスの前に立ち、強化したワインを片手に街を眺めていた。道路には相変わらず車が詰まり、交差点では歩行者が信号待ちをしている。バスがゆっくり停留所に近づいたとき、叫び声が響いた。


「助けて! 人が噛みついてる!」


 血まみれの男が通行人を押し倒し、首筋に食らいついていた。噛まれた人間は地面に倒れ、しばらく痙攣したあと、不自然に体をねじらせて起き上がった。


 そして、そばにいた別の人間に襲いかかる。


 俺はグラスを置いた。


 交差点では車が次々と衝突し、クラクションが鳴り続けている。運転席から飛び出す人間もいれば、車内から引きずり出される人間もいた。


 始まった。


 監視モニターを起動し、廊下の映像へ切り替える。


 数分後、三階を駆け上がる足音が聞こえてきた。


「颯介! いるんでしょ? 開けて!」


 奈緒だった。


 髪は乱れ、ハイヒールは片方しか履いていない。後ろにはバットを握った雅人がいて、何度も階段を振り返っていた。


「外の人たち、おかしくなってるの! 早く入れてよ!」


 俺はインターホンを入れた。


「何?」


「何って、見ればわかるでしょ! 下で人が人に噛みついてるんだよ! 早く開けて!」


 雅人がカメラの前に割って入る。


「おい、颯介! さっさと開けろ!」


 ソファにもたれたまま、画面を眺めた。


「へえ、雅人もいるんだ。ほんと、いつも一緒だな。おまえら」


「そんな話してる場合かよ!」


 雅人がバットを振り上げ、扉を殴りつけた。


 金属音が廊下に響く。


 衝撃で手を離しかけた雅人は、痛そうに顔をしかめた。合金扉には傷ひとつついていない。


「なんだよ、このドア……。前はこんなんじゃなかっただろ」


 奈緒は雅人が壊せないとわかると、声を柔らかくした。


「ねえ、颯介。私、彼女だよ? こんなところに置いておかないで。怖いんだってば……お願い、開けて?」


 前の人生でも、奈緒は同じような声で俺を外へ誘い出した。


「昼間は外で寝ろって言ってなかったか?」


「そんなの怒って言っただけでしょ! ねえ、下からまた来てるって! 早く!」


 階下から悲鳴が上がり、奈緒は肩を震わせた。扉を叩く音が一段と激しくなる。


「悪かったから! とにかく入れてよ。話はあとでちゃんとするから!」


 雅人も額の汗を拭い、声を落とした。


「さっきまで偉そうなこと言って悪かった。頼む、開けてくれ」


 俺はワイングラスを手に取った。


「奈緒とのことも、中に入ってから話すつもりか?」


 雅人の顔が固まった。奈緒の手も止まる。


「いや、あれは……誤解だって」


「もういいよ」


 廊下の映像をリビングの大型モニターに映す。


「ドアは開けない。二人とも、後ろを見たほうがいいぞ」


 奈緒が何か言い返そうとしたとき、階段の防火扉が激しく揺れ、三体のゾンビが扉を突き破って現れた。


 血まみれの体を引きずり、口元には肉片がぶら下がっている。生きた人間の臭いを嗅ぎつけると、一斉に三階へ向かってきた。


 奈緒が悲鳴を上げ、雅人の腕にしがみつく。


「雅人! 助けて!」


 雅人は合金扉を見たあと、迫ってくるゾンビに目を向けた。


 そして奈緒を力いっぱい突き飛ばした。


「邪魔だ!」


 奈緒は先頭のゾンビにぶつかり、そのまま床へ倒れた。


「雅人!? 何すんのよ!」


 ゾンビが上から覆いかぶさり、肩に噛みつこうとする。奈緒はバッグを口元へ押しつけ、必死に抵抗した。引っ張られたバッグの持ち手が、今にも千切れそうになっている。


「颯介! 助けて! お願い!」


 俺はソファから、監視映像を見ていた。


 雅人はとっくに四階へ逃げ、振り返ろうともしない。床に押さえつけられた奈緒だけが、まだ俺の名前を呼び続けていた。



3



 雅人はバットを振り回し、追ってきたゾンビの頭を殴ってから、転がるように四階へ駆け上がった。


 残りのゾンビは奈緒の悲鳴に引きつけられ、雅人を追わなかった。奈緒は床に倒れたままバッグで口を防ぎ、金具をゾンビの額に叩きつけた。相手が一瞬ひるんだ隙に腹を蹴り、どうにか立ち上がる。


 肩の服は裂け、引っかかれた傷から血が滲んでいた。奈緒は傷を確かめる余裕もなく、ふらつきながら階段を上っていった。


「颯介! ほんとに見てるだけなの!?」


 監視カメラを切り替えると、四階の踊り場で雅人と合流する姿が見えた。さっき奈緒をゾンビに押しつけた張本人は、何食わぬ顔で、もっと上に逃げようと彼女を急かしている。


 そのとき、システム画面に通知が届いた。


【生存イベント達成:初回ゾンビ襲撃の防衛】


【生存ポイント200ptを獲得しました】


【現在の所持ポイント:590pt】


 増えたポイントを確認してから、キッチンへ向かった。戸棚から醤油ラーメンのカップ麺を取り出す。


「システム、これを強化」


【生存ポイントを5pt消費します】


【強化成功:特選和牛ラーメン】


【食事効果:体力回復、身体能力の微量上昇】


 カップのデザインが変わり、蓋の上には見慣れない高級感のある文字が浮かんだ。


 湯を注いで出来上がりを待つと、湯気とともに濃厚な牛肉の香りが立ち上る。俺はカップを玄関近くへ持っていき、通気口と外部スピーカーを開いた。


 まずは麺をすすり、それからスープをひと口飲む。


「うまっ。やっぱ和牛は違うな」


 四階の雅人が鼻をひくつかせた。


「……何の匂いだ?」


 奈緒が力なく顔を上げる。


「颯介……ご飯食べてる」


「はあ? 外がこんなことになってんのに、ラーメン食ってんのかよ」


 俺はもう一度麺をすすり、マイクに向かって声をかけた。


「聞こえるか? 食べるか?」


 奈緒が階段の手すりにつかまり、身を乗り出した。


「颯介! 私にも分けてよ!」


 返事をせずに食べ続けていると、また怒鳴り声が飛んできた。


「私、さっき死にかけたんだよ!? 自分だけご飯食べるなんて、彼氏のすること!?」


 箸を止める。


「こういうときだけ彼氏扱いかよ」


 奈緒は黙った。少しして、声の調子が変わった。


「ねえ、もう怒らないでよ。中に入れてくれたら、これからはちゃんとするから」


「奈緒、おまえまだ状況わかってないだろ。頼んでるのはどっちだ?」


 今度は雅人が割り込んできた。


「颯介、おまえだってやりすぎだろ。救助隊が来たら、どうせまた顔合わせるんだからさ」


「だったら携帯、見てみろよ」


 雅人はスマートフォンを操作し始めたが、すぐに表情を曇らせた。


 通信網はすでに混乱しており、緊急通報もつながらない。階下には感染者がうろつき、遠くからは時折、爆発音まで聞こえてくる。


 雅人は画面を見つめたまま黙り込んだ。


 廊下が静かになった。


 しばらくして、奈緒がまた口を開いた。


「颯介……まだ私のこと、好きだよね?」


 返事を待つ間もなく、続ける。


「雅人にしつこく誘われて、私もどうしたらいいかわかんなくて……。ねえ、もう一回やり直そうよ。お願い」


 以前二人で交わした約束まで持ち出し、甘えるような声を作っていた。


 雅人はすぐ後ろにいるのに、反論しない。それどころか奈緒の耳元へ口を寄せ、ぼそぼそと囁いた。


「とにかく中に入れ。ドアさえ開けば、あとはどうとでもなる」


 高性能マイクは、その声まで拾っていた。


 俺は空になったカップを置く。


「入りたいなら、ちょっとは誠意を見せてくれよ」


 奈緒が顔を上げた。


「……本当に?」


「雅人にゾンビの前へ突き飛ばされたんだろ。腹立たないのか?」


 雅人の顔色が変わった。


 奈緒は彼と三階の合金扉がある階段の下方を交互に見つめ、しばらく迷っていたが、やがて片手を上げた。


 乾いた音が廊下に響く。


「おい、奈緒! 何すんだよ!」


「ごめん、雅人。今だけ我慢して。中に入れたら、ちゃんと話すから」


 奈緒はカメラに向かって叫んだ。


「颯介! 叩いたよ! もういいでしょ、開けて!」


 俺は画面を見つめた。


「今ので効いたようには見えなかったけどな」


 奈緒が再び手を上げた途端、雅人がその手首をつかんだ。


「おまえ、調子に乗ってんじゃねえぞ!」


 俺はソファに深く腰かけた。


 四階では二人がつかみ合い、言い争いがだんだん激しくなっていた。ついさっきまで互いを頼りにしていたくせに、今はどちらも一歩も譲ろうとしない。



4



 もう一度、頬を叩く音がした。


 奈緒が手を下ろすより早く、雅人は彼女の腹を蹴りつけた。奈緒は階段を二段ほど転がり落ち、壁にぶつかってうずくまる。


「おまえ、マジでやりやがったな! 俺が連れて逃げなきゃ、とっくにゾンビに食われてただろ!」


 奈緒は腹を押さえたまま顔を上げた。


「先に私を突き飛ばしたの、雅人じゃない!」


 言い返せなくなった雅人は、カメラへ向き直って怒鳴った。


「颯介! おまえ、俺たちをおちょくってんだろ!」


 俺はリモコンを指先で回した。


「さっき、中に入ったら俺をどうにかするって話してたよな?」


 奈緒が壁を支えにして立ち上がる。


「言われたとおりにしたじゃない! あと何すればいいのよ!」


 前の人生では、俺も同じように扉を叩き続けた。ゾンビに脚を噛まれ、少しだけでも開けてくれと奈緒に頼んだが、あいつらは最後まで鍵を外さなかった。


 俺はインターホンを入れ直した。


「中に入って何を取るつもりだったのか、聞かせろよ。俺のことをどうするつもりだったのかもな」


 二人は顔を見合わせ、なかなか答えない。


 階下にまたゾンビが現れると、雅人は焦ったように声を荒らげた。


「そうだよ! 中に入ったらおまえを痛い目に遭わせるつもりだった! だから何だよ! こんなところで死ぬのを待てってのか!?」


 奈緒が勢いよく振り返る。


「まだそんなこと言うの!?」


「おまえがぐずぐずしてるからだろ! 俺一人ならとっくに逃げてた!」


 二人が再び口論を始めたところで、システム画面へ目を移した。


 今朝買った小型ドローンが、強化対象の一覧に表示されている。


「システム、ドローンを強化」


【生存ポイントを50pt消費します】


【強化成功:ホログラム偵察ドローン】


【性能:静音飛行、高精細撮影、遠隔監視、ホログラム投影】


 機体を銀色の光が包み、カメラと投影装置が展開された。


 ベランダの装甲窓を開け、団地の上空へ飛ばす。


 朝倉台団地には古い集合住宅が何棟も並んでおり、建物の間に駐車場がある。外の状況はめちゃくちゃだったが、部屋に籠もって窓から様子を窺っている住民は、まだ少なくなかった。


 廊下の監視映像をドローンに接続する。


「三号棟のみなさん、外は危ないんで出ないほうがいいですよ。ただ、さっき廊下で何があったか、よかったら見てください」


 ドローンが空中で停止し、向かいの建物の外壁に巨大な映像を投影した。


 奈緒が俺に助けを求める姿、雅人が彼女をゾンビへ突き飛ばした場面、その後の殴り合いが順番に映し出される。さらに、ドアを開けさせて俺を襲おうと相談していた音声も流した。


「とにかく中に入れ。ドアさえ開けば、あとはどうとでもなる」


 向かいの建物で、窓が次々と開いた。


「え、三号棟の人じゃない?」


「今、あの男が女の人をゾンビに突き飛ばさなかった?」


「他人の部屋を乗っ取るつもりだったってこと?」


 住民たちの声があちこちから上がり始めた。


 奈緒と雅人は、まだ自分たちが映されていることに気づいていない。雅人は相変わらず奈緒を急かし、昔のように俺に取り入ってドアを開けさせろと迫っていた。


 奈緒は迷いながら襟元のボタンを外しかけ、慌てて上着を引き寄せる。


「颯介、お願いだから……」


 俺はモニターから目を離した。


「奈緒、窓の外を見てみろよ」


 二人が踊り場の窓へ向かう。


 向かいの壁に映る巨大な映像を見た途端、どちらも動かなくなった。口論も命乞いも、互いを売るような発言も、団地の住民に見られていたのだ。


「あれ、奈緒じゃない?」


「隣にいる男、誰?」


「こんなときに人の部屋を奪おうとしてんのかよ」


 奈緒は真っ青になり、カメラの下へ駆け戻ってきた。


「颯介! 消してよ! なんでこんなの流すの!?」


 雅人がバットで監視カメラを殴ったものの、外側の防護カバーに弾き返された。


「ふざけんな! 殺してやる!」


 俺は投影を止め、そのままドローンを巡回させた。


 ドローンが団地の入口付近を通過したとき、画面に異様に大きな感染者が映り込んだ。


 道路脇の暗がりから姿を現したそれは、背中が不自然に盛り上がり、鋭い骨の棘が服を突き破っていた。赤く光る目が周囲を見渡すと、さっきまで好き勝手に歩き回っていたゾンビが、左右へ道を開ける。


 俺は映像を拡大した。


 身長は三メートル近い。両腕の骨格は変形し、幅の広い骨の刃になっている。


 前の人生、久浪市にはゾンビの群れを操る変異個体が現れた。生存者たちはそいつを「ゾンビキング」と呼び、いくつもの仮設避難所が襲われたと聞いた。


 そんな怪物が、発生初日の夜にもう現れるとは。


 ゾンビキングが顔を上げ、ゆっくり三号棟へ向かって歩き始めた。



5



「颯介! あんた、最低!」


 奈緒は踊り場の隅にしゃがみ込み、上着をきつく体に巻きつけていた。化粧は涙で崩れ、肩の傷からはまだ血が滲んでいる。


「こんなの流して……私、もうみんなに顔向けできないじゃん!」


 俺はインターホンを入れた。


「俺がゾンビの中に取り残されてたら、おまえはドアを開けるか?」


 奈緒が戸惑ったように顔を上げる。


「……何の話?」


 マイクを切った。それ以上、説明する気はなかった。


 雅人はドアを殴るのをやめ、ポケットから無線機を取り出した。


 以前、警備会社に勤めていた頃に使っていたものらしい。近所の素行の悪い連中とも付き合いがあり、ゾンビが発生した今も、連中は同じ無線の周波数を使っていた。


「もしもし、クロガネさん? 聞こえますか?」


 俺は眉をひそめた。


 クロガネ。


 荒垣剛の通り名だ。


 久浪市のこの辺りでは知られた危険人物で、恐喝や取り立てを繰り返す連中を従えている。


 無線機から、しゃがれた男の声が返ってきた。


「誰だ。用があるならさっさと言え」


「雅人です! 前にお会いしたことがあるんですけど……」


「……ああ、警備会社にいたやつか。それで?」


 雅人は無線機を握り直した。


「物資を溜め込んでるやつがいるんです。食料も酒も、かなりあります!」


「どこだ?」


「朝倉台団地です。三号棟の三階!」


 荒垣が鼻で笑う声がした。


「だったら勝手に持ってくりゃいいだろ」


「それが、ドアがやたら頑丈で……ハンマーでもびくともしないんです」


「おまえらじゃ開けられねえってことか」


「はい。だから、クロガネさんにお願いしたくて……」


 雅人は一度、俺の部屋のほうを振り返った。


「中の物は全部差し上げます。槙野颯介ってやつを、どうにかしてもらえませんか?」


 奈緒も無線機に顔を寄せる。


「本当なんです! 発電機もあるし、食べ物もいっぱいで……!」


 荒垣は数秒黙ったあと、低く笑った。


「いいだろう。そこで待ってろ。すぐ行く」


 通信が切れると、雅人はカメラの前へ戻ってきた。


「颯介、今ならまだ間に合うぞ! クロガネさんが来たら、謝っても許してもらえねえからな!」


 俺はインターホンを切り、操作盤に向き直った。


 団地の外周道路に、動きの速い熱源が十数個現れている。何台かのバイクと四輪駆動車が、こちらへ向かっていた。


【多数の武装目標の接近を検知しました】


【自動警戒設備の強化を推奨します】


 住居を強化した際に解放された防衛設備は、まだ初期状態のままだ。自動砲塔の接続口、外壁の警戒装置、予備弾薬庫が待機している。


 俺は強化画面を開いた。


「システム、自動砲塔を強化」


【生存ポイントを300pt消費します】


【強化成功:二連装重機関銃タレット】


【性能:熱源追尾、自動目標識別】


「外壁の電撃防御も頼む」


【生存ポイントを200pt消費します】


【強化成功:高圧パルス防衛ネット】


 ポイント残高は535から35になった。


 防衛範囲を確認してから、ウイスキーを半分ほどグラスに注ぎ、操作盤の横へ置いた。砲塔と電撃防御は同じ制御画面につながっており、外部から建物を破壊しようとすれば警告が出る。


 やがて、団地の外からバイクのエンジン音が響いてきた。


 改造車が数台、フェンスを突き破って敷地へ入ってくる。乗っていた男たちは鉄パイプや刃物を振り回し、近寄ってきたゾンビを車ではね飛ばした。


 先頭の黒い四輪駆動車が停まった。


 ドアを開けて降りてきたのは、頭を剃り上げた大柄な男だった。


 俺は監視映像を拡大する。


 荒垣剛。


 本当に来やがった。



6



 荒垣は黒っぽいジャケットを着て、腕には大きな刺青があった。肩にはどこで手に入れたのかわからない猟銃を担いでいる。


 引き連れてきたのは二十人ほど。改造バイクと四輪駆動車に分乗し、鉄パイプや刃物、手製の武器で身を固めていた。ゾンビをはねながら突っ込んできたため、騒音は団地じゅうに響いている。


 荒垣が三階を見上げた。


「ここか?」


 四階の窓から、雅人が身を乗り出して手を振る。


「クロガネさん! 三階です! あいつ、そこにいます!」


 荒垣は鋼板に覆われた窓と合金扉を眺め、口元を歪めた。


「へえ。なかなかいい部屋じゃねえか。おい、開けろ。金目のもんは全部持ってくぞ」


 部下が何人か階段を駆け上がり、バールや大型ハンマーで扉を叩き始めた。


 金属音とともに火花が散ったが、扉はびくともしない。


 一人の男が錠前付近を思い切り殴りつけると、手から血を流して飛び退いた。ハンマーの頭まで欠けている。


「兄貴、駄目です! 硬すぎます!」


 荒垣が苛立った声を上げた。


「使えねえな。爆薬持ってこい!」


 車から手製の爆発物が運び出され、扉の近くに仕掛けられた。


 爆発が数回続き、煙が階段を覆った。建物全体が揺れたにもかかわらず、合金扉は壊れない。


 奈緒と雅人は口元を押さえながら階段を下り、荒垣へ駆け寄った。


「クロガネさん、やっと来てくれた! あの颯介、ひどいんですよ。さっきも私たちのことを向かいの建物に映して……だから、お願いです、あいつを――」


 言い終わる前に、荒垣が奈緒の頬を平手で打った。


「うるせえ。ドア開けるまで黙ってろ」


 奈緒は頬を押さえて後ずさった。雅人も横に立ったまま、何も言えない。


 荒垣が再び部下を怒鳴りつける。


 俺は操作盤の前に座り、監視カメラを熱源表示へ切り替えた。建物を攻撃している武装集団が自動で識別され、車の位置も表示されている。


「もう満足したか?」


 外部スピーカーから声を流すと、荒垣がカメラを見上げた。


「おまえが槙野颯介か?」


「ああ。せっかく来てもらったんだ。今度はこっちから歓迎してやるよ」


 発射ボタンを押した。


 三階のベランダを覆う装甲板が左右へ開き、黒い銃身が二本せり出した。


【二連装重機関銃タレット、目標捕捉完了】


 激しい銃声が響き渡った。


 弾丸が階段の入口と敷地内の車を薙ぎ払う。爆発物を運んでいた男たちが倒れ、壁に血が飛び散った。車の窓が次々と砕け、横倒しになったバイクから漏れた燃料に火がついた。


 奈緒と雅人は悲鳴を上げて地面に伏せた。


 荒垣は四輪駆動車の陰に飛び込み、部下へ怒鳴った。


「下がれ! 隠れろ!」


 男たちが散り散りに逃げ始める。車の下へ潜り込む者もいれば、階段へ逃げ込んだところで高圧電撃網に阻まれる者もいた。


 一分も経たないうちに、二十人ほどいた集団の半数以上が倒れていた。残った連中は車や塀の陰に隠れ、顔を出そうともしない。


 機関銃の発射が止まる。


「雅人、ずいぶん頼もしい助っ人を呼んだんだな」


 雅人の顔は血で汚れていた。手で拭った拍子に、掌についた肉片が目に入り、吐きそうな顔になる。


 さっきまで荒垣の後ろで俺を脅していた男は、今や立つことすらできない。


「颯介……頼む……殺さないでくれ……」


 雅人は地面に膝をつき、カメラへ何度も頭を下げた。


「全部、荒垣に言われたんだ! 俺、本当はおまえに何かするつもりなんて……!」


 それを聞いた荒垣が猟銃を構えた。


「戸塚! てめえ、俺を売る気か!」


 引き金に指をかけたとき、団地の奥から凄まじい咆哮が響いた。


 足元の地面まで震えている。


 別の監視画面を見ると、先ほどから入口付近にいた巨大な熱源が、敷地の中へ進んでいた。


 荒垣も動きを止め、生き残った部下たちが隠れ場所から顔を出す。


 暗闇の向こうに、巨大な影が現れた。



7



 咆哮とともに、階段の窓ガラスが小さく震えた。


 荒垣の手が滑り、猟銃が暴発した。弾丸がすぐ横の壁にめり込む。


「おい……何だ、あれ」


 中庭に、三メートル近い巨体の怪物が立っていた。


 紫がかった黒い筋肉が異様に膨れ上がり、肩から背中にかけて鋭い骨の棘が突き出している。両腕は骨格そのものが変形し、幅広の刃になっていた。一歩踏み出すたびに足元のコンクリートがひび割れ、周囲のゾンビがぞろぞろと後ろについてくる。


 ゾンビキングだ。


 前の人生、生存者のラジオ放送で何度か耳にしたことがある。普通のゾンビは生きた人間を追いかけるだけだが、こいつにはある程度の判断力があり、付近の群れを従わせることさえできる。


 荒垣はその姿を見た途端、顔色を変えた。


「車に戻れ! 逃げるぞ!」


 部下たちが車へ駆け寄る。


 だが、ゾンビキングのほうが速かった。


 巨体が地面を蹴り、十数メートルもの距離を一気に跳ぶ。荒垣の四輪駆動車の屋根に着地した瞬間、金属が大きくへこみ、フロントガラスが砕け散った。


 荒垣がエンジンをかけるより早く、骨の刃が屋根を貫いた。


 怪物は金属を引き裂き、車内から荒垣をつかみ出す。


「やめろ! 離せ!」


 荒垣は手足をばたつかせ、猟銃を地面に落とした。


 ゾンビキングは男を顔の高さまで持ち上げると、頭に大きく食らいついた。


 血が噴き出す。


 それを見た部下たちは武器を投げ捨て、我先にと逃げ始めた。しかし道路にはすでにゾンビの群れが押し寄せている。逃げ遅れた者は次々と地面へ引き倒され、悲鳴もほどなく聞こえなくなった。


 雅人と奈緒は建物の入口に張りつくようにして隠れていた。


 外にはゾンビだらけで、逃げ道など見当たらない。


 奈緒がカメラを見上げた。


「颯介……お願い。助けてよ……」


 俺は窓の前に立ったまま、何も答えなかった。


 ゾンビキングは荒垣の死体を投げ捨て、三階を見上げた。


 しばらく強化窓を睨みつけていたかと思うと、低く唸り、こちらへ走り出した。


 巨大な体が跳び上がり、骨の刃が防弾ガラスに叩きつけられる。


 窓全体が激しく揺れた。


 ガラスの表面に、一本のひびが走る。


【警告:外壁防御に高負荷の攻撃を検知しました】


【現在の損傷率:15%】


 俺はコントローラーを握り直した。


 荒垣たちが何度叩いても壊せなかった合金扉に対し、この怪物はたった一撃で窓を傷つけている。このまま攻撃を続けられれば、要塞も長くは持たない。


 ゾンビキングが骨の刃を引き戻すと、窓枠に引っかけた刃先の一部が欠けていた。だが、俺が画面を見ている間にも、欠けた部分が少しずつ盛り上がっていく。


 再生能力まであるのか。


 厄介な相手だが、こいつの体内には、前の人生から一度は手に入れたいと思っていたものがある。


 進化核だ。


 そのために生存者同士が殺し合ったという話を何度も聞いたが、俺自身は実物を見たことすらなかった。


 装備台へ向かう。


 雷撃戦斧の刃には青い電流が走っていた。隣の防衛装備庫には、予備のドローンが数機、弾薬、それに防護服が収められている。


 ポイント残高は35。


 そのとき、立て続けに通知が表示された。


【感染者の撃破、および要塞防衛イベントの達成を確認】


【生存ポイント1,200ptを獲得しました】


【現在の所持ポイント:1,235pt】


 俺は装備庫から五機のドローンを取り出した。


「システム、この五機をEMP自爆型に強化してくれ」


【生存ポイントを500pt消費します】


【強化成功:EMP自爆ドローン×5】


【異常な生体電気信号に依存する感染体に対し、一時的な神経機能阻害が可能です】


 ドローンの表面に青い光が灯り、電磁装置が展開した。


 続いて防護服を装備台に置く。


【生存ポイントを300pt消費します】


【強化成功:ナノ合金戦闘スーツ】


【性能:高強度防御、筋力補助、落下衝撃緩和】


 残り435ポイント。


 雷撃戦斧を握り、ベランダへ向かった。


 窓の向こうでは、ゾンビキングが再び骨の刃を振り上げている。ひび割れがガラスいっぱいに広がっていった。


 ヘルメットを装着し、戦闘スーツの衝撃緩和機能を待機状態にする。


 さんざん窓を叩いてくれたな。


 そろそろやり返すか。



8



 ゾンビキングは三階の窓にしがみつき、骨の刃を何度も叩きつけていた。


 ついに外側の防弾ガラスが砕け散る。


 怪物は嬉しそうに咆哮し、窓枠の内側へ骨の刃を突き込んだ。さらに奥の合金装甲をこじ開けようとしたものの、右腕が金属の隙間に挟まり、思うように引き抜けなくなっている。


 下からその様子を見ていた雅人が、狂ったように笑い始めた。


「やれ! 壊しちまえ! 颯介、おまえも終わりだ!」


 奈緒もそばにしゃがみ込み、破れかけた三階の窓をじっと見つめていた。


 ゾンビキングが要塞を壊せば、その隙に中へ逃げ込めるとでも思っているのだろう。


 俺は怪物の右腕が窓枠に固定されたのを確かめ、コントローラーを押した。


 要塞の屋根に設けられた装甲ハッチが開き、五機のEMP自爆ドローンが次々と飛び出す。窓に張りついたゾンビキングは危険を察知して身を引こうとしたが、骨の刃が抜けず、逃げ遅れた。


 連続して爆発が起きた。


 青い電流が骨の棘を伝い、怪物の全身に広がっていく。システムの予測どおり、進化した神経組織は電磁パルスに弱かったらしい。膨れ上がった筋肉が激しく痙攣し、四肢が言うことをきかなくなる。


「グオオオッ!」


 苦しげな咆哮とともに、ゾンビキングは窓枠からようやく腕を引き抜いた。


 だが、すでに体勢を保てない。


 三階から落下した巨体が、敷地のコンクリートを砕いて大きな穴を開けた。怪物は穴の底で暴れようとしていたが、手足がうまく動かない。近くのゾンビも、ゾンビキングの威圧感を恐れてか、一定の距離から近づこうとしなかった。


 俺はナノ合金戦闘スーツを身につけた。


 黒い装甲が体に密着し、肩や胸、膝の関節部分が自動で固定される。ヘルメットの表示には、下にいる敵の位置と熱源が映し出された。


 雷撃戦斧を握ると、青白い電流が刃を照らした。


 ベランダの合金シャッターが開き、冷たい風と一緒に血の臭いが流れ込んできた。三階の縁へ進むと、穴の底でもがくゾンビキングと、壁際に縮こまる奈緒たちが見えた。


 雅人がこちらを見上げ、目を大きく見開いた。黒い戦闘スーツと雷をまとう戦斧を見つめ、ヘルメットから俺の声が聞こえて初めて正体に気づいたらしい。


「雅人。俺が死んだら、この部屋はおまえのものだって?」


 たちまち顔色が青ざめた。


「颯介……? いや、あれは冗談だって!」


「笑えない冗談だな」


 俺が一歩踏み出すと、雅人は慌てて両手を上げた。


「悪かった! もう言わねえから!」


 地面までの高さを確認する。


 戦闘スーツの衝撃緩和装置は起動済みだ。


 俺はベランダから飛び降りた。


 耳元を風が抜け、戦斧の刃に雷が集まっていく。筋力補助装置が作動し、空中で狙いを合わせた。


「雷撃・地砕き!」


 戦斧を頭上に掲げ、ゾンビキングへ向かって振り下ろした。



9



 戦斧が地面に激突し、雷と衝撃波が一気に広がった。


 近づいていた十数体のゾンビが電撃を浴び、あるものは痙攣し、あるものは吹き飛ばされる。砕けたコンクリートが舞い上がり、近くに放置されていた車まで後ろへ滑った。


 ゾンビキングは反射的に骨の刃を上げ、攻撃を受け止めようとした。


 刃同士が激しくぶつかり、硬い骨が砕ける。戦斧はそのまま怪物の肩に深々と食い込み、黒い血が噴き出した。


 怪物は苦痛の声を上げ、もう片方の爪を俺の胸へ振り下ろす。


 骨爪がナノ合金装甲を擦り、火花が散った。表面には薄い傷が残ったものの、内部までダメージは届いていない。


 戦斧を引き抜き、ゾンビキングの胸を蹴りつける。


 筋力補助装置が反応し、三メートル近い巨体を吹き飛ばした。怪物は団地を囲う塀にぶつかり、その一部を崩して倒れ込む。


 瓦礫の中でまだもがいていたが、ひとまず追撃をやめた。


 建物の入口には、奈緒と雅人が壁に張りつくように立っていた。雅人はバットを握ったままだが、先端が地面を何度も叩くほど手が震えている。


「颯介……いや、颯介さん! 頼む、助けてくれ!」


 俺は戦斧を引きずりながら近づいた。刃が地面に触れるたび、火花が細く尾を引く。


「奈緒をゾンビに突き飛ばしたときは、ずいぶん素早かったよな。どうした? バットも持てないのか?」


 雅人はバットを放り出し、地面に膝をついた。


「悪かった! 本当に悪かったって! 今までのことは全部謝る! だから見逃してくれ!」


 俺が動かずにいると、あろうことか脚にすがりつこうとしてきた。


「これからは何でもする! 使い走りでも見張りでも、好きに使ってくれよ! 奈緒のことだって、もう俺は口出ししない!」


 奈緒が勢いよく振り返った。


「雅人……何言ってんの?」


 雅人は彼女に向かって怒鳴る。


「うるせえ! おまえがしつこく絡んでくるから、こんなことになったんだろ!」


 奈緒は声も出せず、雅人を見つめていた。


 雅人はもう彼女のほうを見ない。再び俺へ向き直り、必死に頭を下げてくる。


「颯介さん、頼むよ。俺たち、長い付き合いだろ……?」


 すがりつこうとした雅人を蹴り離した。


「人のせいにするのだけは上手いんだな」


 地面へ転がった雅人は、慌てて起き上がろうとする。


「俺、まだ死にたくねえんだよ! 頼む!」


 戦斧の柄を握り直す。前の人生で俺をゾンビの群れへ突き飛ばしたのは、この男だ。防火扉の向こうで助けを求める声を聞きながら、最後まで鍵を開けようとしなかった。


「だったら、最初から人を囮にするなよ」


「待て! 殺さないでくれ!」


 雅人は悲鳴を上げて逃げ出した。


 戦斧を振り下ろす。


 刃から雷が弾け、雅人の体を断ち割った。焼け焦げた体が地面に崩れ、壁に血が飛び散る。


 奈緒は頭を抱え、喉が裂けそうな悲鳴を上げた。


 俺は崩れた塀のほうへ向き直る。


 瓦礫の間から鈍い音が聞こえ、ゾンビキングが再び立ち上がった。


 肩の傷は見る間に塞がり、砕けた骨の刃まで再生している。紫黒色の皮膚の下で筋肉がうねり、体を起こすたびに細かな瓦礫がこぼれ落ちた。


 その回復ぶりを見ながら、戦斧を構え直す。


 青い電流が刃を包んだ。


 頭を落とすしかなさそうだな。



10



 ゾンビキングが咆哮しながら突っ込んできた。


 さっきよりも動きが速い。再生した骨の刃は白く光り、俺の頭をめがけて振り下ろされた。


 戦斧で受け止めると、強烈な衝撃が柄から肩へ伝わり、腕の奥が痺れた。


 怪物はすぐさまもう片方の刃を繰り出してくる。俺は身をかわし、その勢いのまま脇腹を斬りつけた。黒い血が噴き出したが、追撃する前に傷口がもう塞がり始めていた。


 面倒な再生能力だ。


 半歩下がって爪を避けたところへ、ゾンビキングが巨体を押しつけてきた。危うく地面へ倒されかけたが、ナノ合金装甲が衝撃を吸収する。


 斧の柄で牙を防ぎ、腹を蹴り飛ばした。


 怪物は数メートル後退し、すぐに体勢を立て直す。


 前の人生では、普通のゾンビに押し倒されただけで何もできなかった。だが今は、戦斧も装甲もある。


 こちらから踏み込んだ。


 骨の刃と戦斧が激しくぶつかり、瓦礫の間で雷が弾ける。近づこうとしたゾンビは漏れ出した電流を浴び、残りも遠巻きに退いていった。


 ゾンビキングが高く跳び、両腕を一気に振り下ろした。


 正面から避けると、足元のコンクリートに深い溝が二本刻まれる。怪物が腕を引き戻す前に、俺は一歩踏み込み、戦斧のオーバードライブを起動した。


【雷撃戦斧:オーバードライブ起動】


【現在のチャージ率:100%】


 青白い電流が刃の一点に集まり、目を開けていられないほど強い光になる。


 ゾンビキングが危険を察知して後退しようとした。


 その前に、戦斧を振り抜く。


「雷撃・断頭!」


 青白い閃光が横一文字に走った。


 骨の刃が折れ、続いて巨大な首が宙を舞う。頭を失った体は一歩前へ踏み出したあと、地面に倒れた。


 雷光が収まる。


【変異ゾンビキングを撃破しました】


【生存ポイント5,000ptを獲得しました】


【戦利品:第一段階の進化核】


 俺は近づき、転がった頭部から拳ほどの大きさの紫色の結晶を取り出した。


 内部には淡い光が揺れ、掌に乗せると微かな熱が伝わってくる。前の人生では、こんな結晶を巡って生存者同士が殺し合っていた。俺には実物を見る機会さえなかったものだ。


「システム、進化核を吸収する」


【第一段階の進化核の吸収を開始します】


 結晶が光の粒となり、掌へ吸い込まれていった。


 熱い流れが全身を駆け抜け、筋肉も骨も神経も作り直されていくような感覚に襲われる。戦闘で溜まっていた疲労が薄れ、数十メートル先でゾンビが足を引きずる音まで聞き取れるようになった。


【第一段階の進化核の吸収が完了しました】


【生体進化機能を解放しました】


【身体能力:一般人の10倍】


【新能力:ウイルス制御】


【感染ウイルスの強化、改造、選択的制御が可能になります】


 拳を開いたり握ったりして、体の中に満ちる力を確かめる。


 システム画面には、新たな項目が増えていた。


【生体強化モジュールを解放しました】


【ポイントとウイルス制御能力を使用し、適合する感染生命体の改造が可能です】


 建物の入口に目を向ける。


 奈緒がまだそこにいた。


 壁際に座り込み、服は埃と血で汚れきっている。俺が近づくと、反射的に後ずさったが、すぐに背中が壁に当たった。


「颯介……お願い。殺さないで……」


 声はすっかり掠れていた。


 目の前にしゃがみ込む。


「今のところ、殺す気はないよ」


 奈緒が呆然と俺を見た。


 やがて、瞳にかすかな希望が浮かぶ。


「本当……? 許してくれるの?」


 答える代わりに、生体強化モジュールを開いた。


【対象を検出:篠宮奈緒】


【対象の体内に低濃度の感染ウイルスを確認】


【感染経路:感染体による引っかき傷】


【現在の状態:潜伏期。完全な変異には至っていません】


【対象に上位ウイルスへの適合性を確認しました】


【推奨進化先:上位統率型感染体】


 奈緒の肩に残る引っかき傷へ目を向けた。


 夕方から今まで、あの傷は塞がっていない。すでにウイルスが入り込んでいるが、まだ発症していないらしい。しかも、上位の改造に耐えられるだけの適合性を持っているという。


 俺が手を差し出すと、掌の上に紫黒色の液体が一滴浮かんだ。


【生存ポイントを1,000pt消費します】


【強化成功:完全型Tウイルス原液】


【適合する対象を上位感染体へ改造できます】


【改造対象はユーザーのウイルス制御命令に従います】


 奈緒は俺の手を見つめ、ようやく浮かびかけた笑みを消した。


「……何、それ?」


「おまえ、頼れる男がいいってずっと言ってただろ」


 顎に手を添える。


「ちょうどいい機会じゃないか」


 奈緒が必死に身をよじった。


「嫌っ! やめて、颯介! お願い! 私が悪かったから!」


 今の俺と普通の人間とでは、力が違いすぎる。逃げようとする奈緒の体を押さえ、紫黒色の原液を口に入れた。


 原液を飲まされた奈緒は、激しく咳き込んだ。


「何飲ませたの……?」


 言い終える前に、全身が痙攣し始めた。


 皮膚の下を何かが這い回っているようにうねり、腕の血管が浮き上がって紫黒色に変わる。奈緒は地面に体を丸め、コンクリートを引っかいた。爪が次々と割れていく。


「痛い……! 助けて、痛いよ……!」


 俺はシステムの進行表示を確認した。


【ウイルス融合中】


【既存の感染ウイルスを上位ウイルスで上書きしました】


【対象の肉体に上位変異が発生しています】


 数分経つと、奈緒の悲鳴は小さくなっていった。


 地面に横たわったまま、動かなくなる。


 やがて指先がぴくりと震え、ゆっくり体を起こした。


 埃と血に汚れていた顔は、異様なほど白くなっている。瞳は紫色に光り、折れたはずの爪は以前より長く、鋭く伸びていた。肩の傷も目に見える速さで塞がっていく。


 奈緒は立ち上がり、俺を見つめた。


【改造完了:上位統率型感染体】


【称号:ゾンビクイーン】


【基本行動能力および戦闘能力を保持】


【自律行動は可能ですが、マスターの命令には逆らえません】


 奈緒はゆっくり俺の前まで歩いてくると、片膝をついて頭を下げた。


「マスター」


 声には、どこかぎこちなさが残っていた。


【ゾンビクイーンとの制御接続が確立されました】


【周囲の下位感染体に命令を与えられます】


 俺はその姿を見下ろした。


 前の人生、奈緒は俺にまともに目を向けようともしなかった。今では普通の感染者をはるかに超える力を手に入れた一方、俺の制御命令には逆らえない。


 中庭へ出ると、東の空が白み始めていた。


 朝日がひび割れた道路、焼け焦げた車、崩れた塀を照らしている。遠くではゾンビがまだ街をうろつき、ときおり生存者の助けを求める声が聞こえてきた。


 俺は三号棟へ向かって歩き出した。


 三階の鋼鉄要塞はまだ正常に稼働している。監視装置も空気濾過装置も、防衛システムも止まっていなかった。


 建物の入口で振り返る。


「奈緒、ここを守れ。ゾンビを中に入れるな」


 奈緒が顔を上げた。


「了解しました、マスター」


 彼女は入口の前へ移動し、紫色の瞳をゾンビの群れへ向けた。


 近づこうとした数体のゾンビが、何かを感じ取ったように足を止める。数メートル先で低く唸り続けるばかりで、それ以上前へ出ようとしない。


 俺はシステム画面を開いた。


【ユーザー:槙野颯介】


【所有建築物:初級鋼鉄要塞】


【主装備:雷撃戦斧、ナノ合金戦闘スーツ】


【解放済み能力:ウイルス制御】


【所持生存ポイント:4,435pt】


 前の人生、俺はゾンビが現れて間もない頃、この建物で死んだ。


 だが今は戦斧があり、食料もあり、さらに強化できる要塞まで手に入れた。


 久浪市では、まだゾンビの群れが広がり続けている。


 合金扉を開けると、目の前に青いシステム画面が浮かんだ。


【新たな強化可能項目を検出しました】


 俺は部屋へ入り、操作盤の前に立った。


「次の強化を始めよう」


(完)







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― 新着の感想 ―
これ、連載版にしても良いと思うんですが…
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