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第七話:責任が重すぎますって



 ……無理。


 いやほんとに、無理なんだけど。


 さっきまでの流れを一度頭の中で反芻してみた結果、出てきた結論がそれだったという事実に、私はなんとも言えない虚無感を抱えながら再びその場に崩れ落ちそうになるのを必死で堪えていた。


 だってさ。


 冷静に考えてみてほしい。


 私はただちょっとしたご褒美スイーツを買って帰ろうとしていただけの一般女性で、それが気づいたら死んでいて、気づいたら天使に異世界転生を勧められて、まあ流れで「ハーレムがいいです」とか軽率なことを言ってしまった結果がこれって。


「……振れ幅おかしくない?」


 思わず呟く。


 いやもうほんとに。人生のイベントとしての振れ幅が異常すぎる。普通、転生ってもうちょっとこう、段階踏むものじゃない? いきなり世界の根幹に関わる存在に放り込まれるとか、難易度設定バグってるでしょ。


 ……で。


 問題は、そこからだ。


 さっきまでの一連の流れ――天使だの転生だのキャンペーンだのという、どう考えても現実の常識から逸脱したイベントを一通り消化した今、ようやく私は「じゃあこの先どうするのか」という、極めて現実的かつ切実な問題に直面していた。


「落ち着け……整理……うん、まずは整理しよう……」


 半ば自分に言い聞かせるように呟きながら、私は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。こういうときに勢い任せで思考を走らせると、だいたいろくなことにならないというのは、これまでの人生とゲーム経験がしっかり証明している。情報を把握せずに突撃するのは、初心者がラスボス前にセーブせずに挑むのと同義であり、その結末は言うまでもなく――即死、である。


 つまり、今の私は。


「完全に初見ラスボス直前で装備もステータスも確認してないプレイヤーなんだけど……」


 うん、冷静に考えてかなりまずい。


 いや、かなりどころじゃない。致命的にまずい。


 でも、だからといって立ち止まっているわけにもいかないのが、さらに厄介なところである。


「……よし。現状整理、いきます」


 小さく頷いて、私は頭の中にある情報を一つずつ引っ張り出すことにした。


「まず、私は“クリス”になっている」


 これは、もう疑いようがない事実だ。


 鏡に映る姿は、どこからどう見ても完璧な造形をしたイケメンであり、しかもそれが単なる“似ている”とかいうレベルではなく、私の知っているゲーム『Over World』の主人公――クリス・アルヴェイン、そのものだった。顔立ち、体格、雰囲気、さらには周囲の使用人たちの態度や呼び方に至るまで、すべてが一致している以上、これを別人だと主張する方が無理がある。


 というか、何度見ても腹が立つくらい顔がいい。


 いや、今それ言ってる場合じゃないんだけど。


「で、このクリスっていうのは……」


 私は軽く視線を上に向け、記憶の中にある設定情報を丁寧に掘り起こしていく。


 『Over World』の主人公。


 アルヴェイン公爵家の嫡子にして、風の大陸における有力貴族。


 政治的にも軍事的にも影響力が大きく、各国との均衡を保つ上で欠かせない存在。


 そして何より――


「……世界のバランスそのものに関わる存在」


 ここが、致命的にまずい。


 本当に、笑えないレベルでまずい。


 普通、物語の主人公って、最初は一般人に近い立場からスタートして、経験を積んで、成長して、最終的に重要な役割を担うようになるものじゃない? 段階っていうものがあるじゃない? レベル1から始まって、装備を整えて、スキルを覚えて、ようやくボスに挑めるようになる、みたいな。


 でもクリスは違う。


 最初から、完成されている。


 能力も、立場も、そして運命すらも。


「スタート地点が既に最終決戦の中心なんだけど……設計ミスでは?」


 誰だよこんなバランスでゲーム作ったの。


 いや知ってるけど。プレイしたけど。


 そのときは“うわ強主人公かっこいい!”で済んでたけど、いざ自分がそれになると話がまるで違う。


 というか、責任が重すぎる。


「次に、時間軸……これはかなり重要」


 私は意識的に視線を周囲へと巡らせる。


 豪奢な調度品に囲まれた部屋。


 静かに控えている使用人たち。


 そして、どこか穏やかで、まだ“何も起きていない”と感じさせる空気。


「……たぶん、まだ序盤。それもかなり前の段階」


 クリスがまだ公爵家に滞在していて、旅に出る前の時間軸。物語で言えば、プロローグから第一章に入る直前あたりだろうか。


 つまり。


「まだ全部、取り返しがつくタイミング……のはず」


 ほんのわずかではあるけれど、そこに希望が見えた気がした。


 が。


「……いや、ちょっと待って」


 その希望に水を差すように、別の現実が頭をもたげる。


「これ、つまりここから先の展開、全部“私がやる”ってこと?」


 沈黙。


 ほんの数秒の、しかしやけに重たい沈黙。


 そして。


「いや無理なんだけど!!!!」


 反射的に叫んでいた。


 だって無理でしょ。


 無理に決まってるでしょ。


 この先の展開、知ってるんだよ?


 公爵としての地位を捨てる決断。


 世界の崩壊に関する真実の発覚。


 魔族の少女との出会い。


 七つの大陸を巡る長い旅。


 人間と魔族の対立の裏側にある構造。


 そして――


「……最終的に、聖剣になる」


 そこまで思い出した瞬間、思考がぴたりと止まった。


 いや、ちょっと待ってほしい。


 本当に待ってほしい。


「私、最終的に“物”になるの?」


 いやいやいやいやいや。


 それは聞いてない。


 いや仮に聞いていたとしても、絶対に選ばないやつ。


 だってさ、普通に考えておかしくない?


 死ぬとか、消えるとか、そういう話じゃないんだよ?


 存在が“道具”になるんだよ?


 触れられないし話せないし、でも意識だけは残るとかいう、どう考えても精神的に一番キツいやつ。


「……なにそれ、バッドエンドの中でもトップクラスにえぐいやつじゃん」


 思わず本音が漏れる。


 本当に無理。


 いやどのエンドも大概きつかったけど、その中でもこれは別格だった記憶がある。


「……で、さらに問題なのが」


 私はゆっくりと視線を横へと向ける。


 そこには、こちらを気遣うように静かに立っている使用人たちの姿があった。


 整えられた空間。


 秩序だった生活。


 まだ何も壊れていない世界。


「ここ、完全に“スタート地点”なんだよね……」


 つまりここから、すべてが始まる。


 そして同時に。


 ここから、すべてが壊れていく。


「……いやいやいや、待って」


 頭を軽く振る。


 まだだ。


 まだ絶望するには早すぎる。


 なぜなら私は――


「“知ってる側”だからね」


 これが唯一にして最大のアドバンテージ。


 私はこの世界のシナリオを、ある程度把握している。すべてを完璧に記憶しているわけではないにせよ、少なくとも重要な分岐点や破滅に繋がる要因については、プレイヤーとして経験済みだ。


 つまり。


「回避できる可能性、ゼロじゃないよね?」


 一筋の光のような考えが浮かぶ。


 例えば、旅に出なければいいのではないか。


 魔族の少女と出会わなければいいのではないか。


 そもそもマナの問題に関わらなければ――


「……いや、無理でしょそれ」


 自分で言って、自分で即座に否定する。


 だって、そんな単純な話じゃない。


 クリスという存在そのものが、マナの流れと強く結びついている以上、何もしなくても事態は進行する。


 むしろ。


「私が何もしない方が、もっと早く詰むやつでは?」


 そう。


 このゲーム、主人公が動かなかった場合のルート、普通に存在するんだけど――それ、ほぼ確実にバッドエンド直行なんだよね。


 しかも救いがないタイプの。


「詰みゲーじゃん……」


 ぽつりと呟く。


「……じゃあ結論」


 私はゆっくりと立ち上がる。


 まだ少しだけ足が震えているけれど、それでも止まるわけにはいかない。


「私はクリスとして、この物語を進めるしかない」


 それ以外の選択肢は、現実的に存在しない。


 逃げることも、放棄することも、おそらく許されていない。


 もしそれを選べば。


「世界が終わる」


 それはさすがに、後味が悪すぎる。


 いやもう十分悪いけど。


「……ただし」


 そこで、私はほんの少しだけ口元を緩めた。


「“原作通りにやる必要はない”」


 そう。


 そこが唯一の突破口だ。


 私は知っている。


 結末も、分岐も、そしてシナリオの穴や矛盾すらも。


 ならば。


「改変できる余地、あるよね?」


 そう思った瞬間。


 この状況がほんの少しだけ、“ゲーム”として認識できるようになった。


 理不尽ではあるけれど、攻略不可能ではない。


 そう思えた。


「……で」


 そこまで思考を進めたところで、ふと現実に引き戻される。


 視界の端に映るのは、ずっとこちらを見守っていた使用人たちの姿。


 ――あ。


 また完全に忘れてた。


 世界の命運とか考えてたら、目の前の人たちの存在が頭から抜け落ちていた。


 これはまずい。


 どう考えても不審者ムーブである。


「だ、旦那様……?」


 おそるおそる、といった様子で声をかけられる。


 うん、完全に心配されている。


 そりゃそうだ。


 急に叫んだり黙り込んだり、かと思えば一人で納得したりしているのだから、普通に見ればかなり危ない人である。


「……えーと」


 私はぎこちなく笑みを浮かべる。


 いや、この顔でそれやると破壊力がえぐいな。


 自覚ある。


 イケメンの無駄遣いここに極まれり、である。


「ちょっと、その……色々と考え事をしていただけです」


 慎重に言葉を選びながら、なんとか無難な回答を絞り出す。


 うん、表面上は問題ない。


 でも内心は全然問題だらけ。


 むしろ崖っぷち。


「……旦那様」


 そのとき、一人の使用人が少しだけ真剣な声色で口を開いた。


「本日のご予定についてですが――」


 その言葉を聞いた瞬間。


 頭の中で、何かが“カチリ”と音を立てて繋がる。


「……あ」


 思い出した。


 このタイミング。


 この状況。


 この“何も起きていない日常”。


 これ――


「物語、始まる直前じゃん……」


 背筋に冷たいものが走る。


 そうだ。


 ここから。


 本当に、すべてが始まる。


 逃げ場はない。


 リセットもない。


 やり直しも、もちろんない。


「……うわぁ」


 思わず漏れた声は、我ながら情けないものだった。


 それでも心の中では。


 全力で切実に、こう願っていた。


「……とりあえずハーレムとか後でいいから、まずは生き延びさせてください」



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