第五話:ちょっと待って、これガチであの世界?
……いや、ちょっと待ってほしい。
落ち着こう。ほんとに一回、深呼吸でもして落ち着こう。さっきからずっと「待って」しか言っていない気がするけれど、それくらい状況が追いついていないのだから仕方がない。むしろ、この意味不明すぎる現状で冷静に分析なんてできる人がいたとしたら、その人はもう人間ではなく、たぶん別の何かだと思う。
とにかく、パニックのままでは何も進まない。こういうときは一度、情報を整理するのが鉄則だ。ゲームでも、トラブルが起きたらまずログを確認するし、バグが出たら再現条件を洗い出す。そういう意味では、今の私は完全に“デバッグモード”に入るべき状況にある。
よし、順番にいこう。
私は死んだ。
これは確定。天使がそう言っていたし、何よりこの状況自体がそれを裏付けている。
次に、その天使と会った。
あまりにもテンプレート通りの、逆に疑いたくなるくらい完成度の高い美少女天使だったが、少なくとも嘘をついている様子はなかった。
そして。
《異世界転生キャンペーン》とかいう、名前の時点でだいぶ怪しいイベントに参加した。
内容は「好きな世界に転生できる」という、どう考えてもバグっている仕様。
さらに、私はそこで。
ハーレムを希望した。
――ここまでが、直前までの流れ。
そして。
目が覚めたら。
「……男になってました、と」
ぽつりと呟いてみるが、改めて言葉にすると意味がわからなさすぎて、逆に笑いが込み上げてくる。いや、笑えない。全然笑えないのだが、脳が処理を放棄しかけているせいで、むしろ変なテンションになりそうになる。
笑えないけど、笑うしかない、みたいな。
いややっぱり笑えない。
そして問題は、その“男”が誰なのか、という点である。
「……クリスって、マジで言ってる?」
鏡の中に映る、自分とは思えないほど整った顔立ちの青年をじっと見つめながら、私はその名前をもう一度、ゆっくりと心の中で反芻する。
クリス・アルヴェイン。
『Over World』の主人公。
王道中の王道を突き進む、誰もが認める正統派英雄。数多くの仲間と出会い、時に別れ、時に挫折しながらも、それでも前を向き続け、最後には世界を救う――そんな、いかにも“主人公です”と言わんばかりの存在。
……いや、うん。
知ってる。
めちゃくちゃ知ってる。
というか、普通に好きだった。
「いやでもさ……」
思わず苦笑が漏れる。
「原作、エロゲーだよね?」
そう、そこなのだ。
そもそもこの『Over World』には元ネタがある。
タイトルは『スターダスト』。
れっきとした成人向けゲーム、いわゆるエロゲーである。
――とはいえ。
「実際にやったことはないけどね!?」
ここはしっかり強調しておきたい。いや本当に。年齢制限もあるし、倫理観的にもそこはちゃんとしている。断じてプレイ経験はない。ないったらない。
ただし。
「小説版はめちゃくちゃ読んだけど……」
そこは否定しない。
むしろガッツリ履修済みである。
この作品、エロ要素を抜いたストーリー部分の完成度が異様に高くて、そこが評価されてノベライズや全年齢版として再構築されたという、ちょっと特殊な経歴を持っているのだ。
そして私は、その“ストーリー特化版”にどっぷりハマった側の人間だった。
さらに言うなら。
「お兄ちゃんのプレイ、横で見てたし……」
思い出すと若干複雑な気持ちになるが、事実である。子供の頃リビングで普通にプレイしていたのだ、あの人。今考えるとだいぶアウトでは?と思わなくもないが、当時はそこまで深く考えていなかったし、何より物語そのものが面白すぎて、気づけば普通に見入ってしまっていた。
仲間との絆。
抗えない運命。
そして、どうしようもない絶望。
それでも進み続ける主人公。
「……泣いたんだよなぁ」
しみじみと呟く。
あれは本当に名作だった。だからこそ、『Over World』として再構築された際にも大ヒットしたわけで、私自身も例外なく沼に落ちた一人だった。
攻略本も買ったし。
設定資料も読み込んだ。
正直、かなり詳しい部類に入ると思う。
「……だからこそ、なんだけど」
私はゆっくりと鏡から視線を外し、改めて周囲を見渡す。
重厚な家具。
高級感あふれる内装。
細部にまで行き届いた装飾。
どう見ても、一般庶民が住むような場所ではない。むしろ明らかに上位貴族、それもかなりの地位にある者の邸宅だ。
そして、この身体。
この容姿。
「ここが“あの世界”だったら……」
一瞬、胸が高鳴る。
もし本当にそうだとしたら。
あの壮大な物語の中に、自分が存在していることになる。
画面越しではなく、実際にその世界を体験できるということになる。
それは、間違いなく。
「……いやいやいやいや」
ぶんぶんと首を横に振る。
「それでも性別転換はないでしょ!?」
思わず全力でツッコミを入れてしまった。
そう、問題はそこなのだ。
仮にここが『Over World』の世界だったとしても。
いや、むしろそうであるならなおさら。
「なんで私がクリスなの!?」
叫ぶ。
いや本当に。
そこ、ヒロインポジションじゃないじゃん。
完全に主人公じゃん。
しかも男じゃん。
私が望んだのはそっちじゃない。
絶対に違う。
「いやもうほんと意味わかんない……」
頭を抱え、深く息を吐いた、そのときだった。
「旦那様、本当にご無事でいらっしゃいますか?」
控えめながらも、確かな心配を含んだ声が背後からかけられる。
振り向けば、先ほどから部屋に控えていた使用人たちが、こちらの様子を気遣うように立っていた。
……あ。
やばい。
完全に存在忘れてた。
「え、あ、はい、その……大丈夫です、多分」
とりあえずそう答えるものの、自分でも説得力が皆無なのはわかっている。だってついさっきまで一人で叫んでいたのだ。しかも内容が内容である。
使用人たちは顔を見合わせながらも、小さく頷き、ひとまず安堵した様子を見せる。
……この感じ。
「……えーと」
私はその光景を見ながら、頭の中で記憶を探る。
この配置。
この空気感。
そして、“旦那様”という呼び方。
「確かこの子たち……」
断片的な情報が、少しずつ繋がっていく。
『Over World』序盤。
クリスは、名門公爵家アルヴェイン家の当主として登場する。
つまりこの屋敷は、その本拠地であり。
ここにいる使用人たちは――
「……あ」
全てが繋がった。
「アルヴェイン家の使用人たち……?」
ぽつりと呟く。
そうだ。
思い出した。
この家には、物語初期から関わってくる重要人物が何人もいる。
そして、その中には――
「……攻略対象、いたよね?」
ごくり、と喉が鳴る。
そう。
いたのだ。
はっきりと、“攻略対象”として設定されているキャラクターたちが。
しかもただのモブではない。
それぞれが強烈な個性を持った――
「スタイル抜群のお姉さん系美女に……」
まず一人。
包容力と色気を兼ね備えた、面倒見の良い年上ポジション。
「綺麗で清楚なクール系美女……」
もう一人。
感情表現は控えめだが、その内面には確かな熱を秘めた氷の美少女タイプ。
「……あと、もふもふ系の癒し枠……」
最後の一人。
見た目も性格も愛らしさに全振りした、守りたくなる系ヒロイン。
――そして。
「……全員、クリスに好感度高いやつでは?」
静かに呟く。
思い出せば思い出すほど、嫌な予感が膨らんでいく。
だってこれ。
どう考えても。
「……攻略される側じゃん、私」
結論は、あまりにも明確だった。
ハーレムはある。
確かに存在している。
だがそれは。
私が思い描いていた、“囲まれて甘やかされる側”のハーレムではなく。
“好意を向けられ、攻略され、ルートに引きずり込まれる側”のハーレムで――
「……いや無理なんだけど!?」
私は再び頭を抱えながら、心の底からそう叫ぶしかなかった。




