第四話:ちょっと待って、設定バグってない?
……いやいやいやいや。
うん、はいそうですか、で済ませられる問題じゃないぞこれは。
鏡の中に映る“完璧すぎるイケメン”と、鏡の前で口を半開きにして固まっている自分の感覚が、まるで噛み合っていないどころか、互いに全力で存在を拒否し合っているようなこの状況に、私はしばらく言葉を失ったまま立ち尽くしていた。
いや、だっておかしいでしょ。
どう考えてもおかしいでしょ。
だって私はさっき――いや、ついさっきまで、普通に、どこにでもいる一般女性として人生を送っていて、仕事帰りにスイーツ買って、カロリーの言い訳して、そういう極めて庶民的かつ平和な生活をしていたはずで、それがなんかよくわからないうちに死んで、気づいたら天使とやらに「異世界転生キャンペーン」とかいう、どう聞いても怪しいけど魅力的すぎる提案をされて、その結果がこれ?
「いや意味わかんないんだけど……」
思わず本音が漏れる。
理解が追いつかないとか、そういうレベルじゃない。そもそも理解のスタートラインにすら立てていない感じがする。説明を受けていない問題に対して、いきなりテストを解かされているような、そんな理不尽さ。
「聞いてた話と違うんだけど……!」
半ばパニックになりながら、思わず鏡に向かって訴えるが、当然ながら返事が返ってくるわけもなく、ただイケメンがイケメンのまま困惑した顔をしているだけという、なんともシュールな光景がそこにある。
いや、ほんとにさ。
百歩譲って。
百歩譲って、だよ?
ハーレムライフじゃありませんでした、とか。
思ってたほど甘々な展開じゃありませんでした、とか。
そういう“期待とのズレ”なら、まだわかる。いや、納得はしないけど、まあ現実そんなもんだよね、みたいな感じで無理やり飲み込めなくもない。
でも。
「体が男ってどういうことなの!?」
思わず叫ぶ。
いやそこは重要でしょ。最重要事項でしょ。だってこれ、もはやハーレムとかそういう次元の話じゃないからね?
だって私が期待していたのは、“イケメンに囲まれて愛されるヒロインポジション”であって、“イケメン側の人間として攻略される立場”ではないし、ましてや“男として女性に囲まれる可能性がある状況”なんて、そもそも想定外どころか、話の土台にすら上がっていない。
「これじゃ恋愛シミュレーション成立しないじゃん……!」
思わず頭を抱える。
いや、ほんとに。私の中で想定していたゲームジャンルが根本から崩壊している。恋愛対象も立場もプレイヤー視点も全部ひっくり返っているとか、バグとかそういうレベルじゃない。仕様の段階でおかしい。
「いやまあ……」
そこでふと、思考が一瞬だけ落ち着く。
いやまあ、人生って、山あり谷ありって言うし。
第二の人生が男として始まるっていうのも、それはそれで、うん、まあ、斬新というか、新鮮というか、今までにない経験ができるという意味では、悪くない……のかもしれない。
でも。
「心の準備ってものがあるでしょ!?」
即座にツッコミが出た。
そう、そこなのだ。問題はそこなのだ。いきなりすぎるのだ。何の前触れもなく、説明もなく、チュートリアルもなく、いきなり性別変更イベントをぶち込まれても、プレイヤーが対応できるわけがない。
せめて確認画面くらい出してほしかった。
「本当にこの設定でよろしいですか?」みたいなやつ。
絶対「いいえ」押してたのに。
「まじであの天使どこ行ったの……」
思わず天井を見上げる。
今ここにあの美少女がいたら、私はたぶん冷静に話し合いなんてできない。間違いなく問い詰める。というか軽く抗議どころかガチクレームを入れる自信がある。
なんなら返品希望レベルだ。
いや返品って何を返品するんだって話だけど。
……とにかく。
状況は最悪だ。
いや、最悪というか、異常だ。
ハーレムを期待するとかしないとか、そういう話をしている場合じゃない。自分の身に起きていることがあまりにも常識外れすぎて、頭の処理能力が完全に限界を迎えている。
「……はぁ」
大きく息を吐く。
落ち着け。
とりあえず落ち着け。
パニックになっても状況は変わらない。
むしろこういうときこそ、冷静に、論理的に、自分の置かれている状況を整理するべきだ。
そう思って、私は改めて鏡の中の自分――いや、“この体”をじっと見つめる。
整いすぎている顔立ち。
気品のある雰囲気。
どこか見覚えのあるような――
「……ん?」
そこで、ふと、違和感が引っかかった。
さっきまでとは別の種類の違和感。
“知らないはずなのに、知っている気がする”という、妙に引っかかる感覚。
「……あれ?」
もう一度、じっくりと観察する。
目元の形。
鼻筋の通り方。
口元のバランス。
そして全体の雰囲気。
「……どっかで見たことある……?」
ぽつりと呟く。
ただのイケメン、ではない。
もっとこう、“既視感”のある顔。
どこかで、確実に、見ている。
でもそれがどこなのか、すぐには思い出せない。
記憶の引き出しをひっくり返すように、必死に探る。
ゲーム。
アニメ。
漫画。
映画。
いや、違う。
もっと、こう――
「……あ」
その瞬間、電流のように記憶が繋がった。
「うそでしょ……」
思わず呟く。
だってそれは。
間違いなく。
「クリス……?」
その名前が、自然と口からこぼれた。
そうだ。
この顔。
この雰囲気。
この“主人公感”。
全部、見覚えがある。
なぜなら――
「『Over World』の……主人公……」
そう。
これは、とあるエロゲーを原作として生まれた派生作品であり、圧倒的な人気を誇るRPG大作『Over World』の主人公、クリス・アルヴェインと、瓜二つの姿だったのだから。
……いや、待って。
待って待って待って。
それってつまり。
「……これ、完全に“攻略対象側”じゃん……」
力なく呟く。
そう。
思い出してしまった。
このキャラがどういう立ち位置なのか。
どんな運命を辿るのか。
そして――
どれだけ“女性キャラに好かれる存在”なのかを。
「……終わった」
私は、その場で静かにそう呟いた。
なぜならそれは、つまり。
私の望んだハーレムとは、似ているようでまったく違う、“別の意味でのハーレム”が待っていることを意味していたからだ。




