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第三話:ちょっと待って、これは聞いてない




 いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや。


 ちょっと待って。


 待って待って待って待って待って。


 今、私の視界に入っているものと、脳が処理しようとしている情報が、完全に一致していないというか、むしろ一致したら困るというか、いや一致してるからこそ困っているというか、とにかく状況が全力で理解を拒否してくる。


「……なにこれ」


 震える声で、思わず口に出す。


 だってそこにあったのは――


 どう考えても、“それ”だった。


 説明しようがないくらい、あまりにも明確に、“それ”だった。


 いやいやいやいや、落ち着け。落ち着け私。これは幻覚だ。夢の延長だ。脳がバグってるだけだ。そうに違いない。だってそうでも思わないと説明がつかない。


 でも。


 でもさ。


 人間って、最終確認しちゃう生き物なんだよね。


 そう、本当にどうしようもなく、愚かで、しかし避けられない確認行為。


 私は、震える手で――そっと、それに触れた。


「――っっっっっっっっっ!!??」


 次の瞬間、反射的に飛び上がるように体が跳ねた。


「うわあああああああああああああああああああああ!!??」


 声が出た。めちゃくちゃ出た。人生でここまで本気の悲鳴を上げたことがあっただろうかと思うくらい、肺の奥から絞り出すような全力の絶叫が、広い部屋の中に反響して、余計に自分の耳に突き刺さる。


 いや、だって。


 だって今の、完全に“あった”んだけど。


 感触が。


 存在感が。


 というか何より、“自分のものとして繋がってる感覚”が。


「え、いや、ちょっと、待って、ほんとに待って……」


 混乱が一気に押し寄せてきて、思考がぐちゃぐちゃにかき混ぜられる。


 それが何かなんて、説明されるまでもなくわかる。というか、わからない方がどうかしてるレベルで明確なそれは、ただ一つの事実を突きつけてくる。


 “これは男の体だ”と。


 そして同時に、別の疑問が脳内を殴りつけてくる。


 なんで?


 なんでそれが私についてるの?


 いや、それだけじゃない。


「……いや、なんでこんなに立派なの?」


 思わず口に出してしまった。


 いやいやいや、そこ注目するところじゃないだろと自分でも思う。でも気になるものは仕方ない。だってどう考えても、平均とかそういう次元じゃないというか、妙に完成度が高いというか、いやほんとに何言ってるんだ私。


「違う違う違う違う違う!!」


 頭を抱える。


 今はそこじゃない。そこじゃないんだよ。重要なのはそこじゃない。


「これってもしかして……私が……そういう……?」


 言葉にするのをためらいながらも、しかし避けては通れない結論が、じわじわと輪郭を持ち始める。


 つまり。


 私は。


 女だったはずの私は。


 ――男になっている?


「……いや無理無理無理無理無理!!」


 全力で否定する。したい。したいけど、否定材料が一つもない。むしろ肯定材料しかない。現実が圧倒的すぎて反論の余地がない。


 そのときだった。


「どうなさいましたか、旦那様!?」


「お怪我でも!?」


 バタバタと慌ただしい足音が廊下から近づいてきて、次の瞬間、部屋の扉が勢いよく開かれる。


 ぞろぞろと入ってきたのは、いかにも“使用人です”といった感じの服装をした人たちで、年齢も性別もバラバラだが、共通しているのは全員が心配そうな顔でこちらを見ているという点だった。


 ……いやちょっと待って。


 今の私、この状態。


 完全にアウトでは?


「あ、いや、その、これはですね、その……!」


 とっさに何か言い訳をしようとするが、言葉がまるで出てこない。というか、何をどう説明すればいいのかわからない。


 “自分の体にびっくりして叫びました”とか、意味がわからなすぎる。


「旦那様、いかがなさいました?」


 年配の男性が一歩前に出て、落ち着いた声で問いかけてくる。


 旦那様。


 今、確かにそう呼ばれた。


「……え?」


 一瞬、思考が止まる。


 旦那様?


 私が?


 いやいやいや、待って、それつまり――


 そこまで考えた瞬間、さっきの違和感やら何やらが一気に一本の線で繋がった。


 男の体。


 立派すぎるアレ。


 使用人たち。


 そして“旦那様”という呼び方。


「……あ、あの」


 声が震える。


「鏡、って……どこにありますか……?」


 自分でも驚くくらい弱々しい声だった。


 しかし使用人たちはその言葉に一瞬だけきょとんとしたあと、すぐに「こちらにございます」と言って、部屋の奥にある大きな姿見の方へと視線を向ける。


 私は、ほとんど無意識のまま、その方向へと足を動かした。


 一歩。


 また一歩。


 やけに長い足が、やけに静かな床を踏みしめる。


 そして。


 鏡の前に立つ。


 恐る恐る、視線を上げる。


 そこに映っていたのは――


「……は?」


 間の抜けた声が、また漏れた。


 いやだって。


 そこにいたのは。


 どう見ても。


 どう見ても。


 ――完璧すぎるイケメンだった。


 整いすぎている顔立ちに、少し長めの髪が自然に流れ、どの角度から見ても破綻のない輪郭をしていて、目元にはどこか気品すら漂っているその人物は、間違いなく“モブ”ではない。というか、どう見ても物語の中心にいる側の顔だ。


 そして何より。


 そのイケメンが、今の私とまったく同じ、呆然とした表情を浮かべてこちらを見ている。


「……え、ちょっと待って」


 鏡に向かって手を上げる。


 すると、当然のように向こうのイケメンも同じように手を上げる。


 いや、まあ、そりゃそうなんだけど。


「いやいやいやいやいや……」


 笑うしかない。


 笑うしかないけど、全然笑えない。


 だってこれ、つまり。


「……私、これ……?」


 鏡の中のイケメンを指差しながら、震える声で呟く。


 答えはない。


 でも、答えはもう出ている。


 異世界。


 ハーレム。


 理想の人生。


 そして今の状況。


 それらがすべて繋がったとき、導き出される結論は、あまりにもシンプルで――


「……いや聞いてないんですけど!!」


 思わず叫んだ。


 しかしその叫びが届く相手は、もうどこにもいない。


 あの天使はここにはいないし、そもそもクレームを入れる手段すら存在しない。


 ただ一つ、確かなのは。


 私は今。


 ハーレムの“中心”に立つ側の人間になってしまった、ということだけだった。


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