第二十一話 いや知ってたけど
……いやほんとに。
よくよく考えなくてもそうなんだけど、でもいまはあえて、よくよく考えたうえで言わせてほしい。
クリスって、クズ男では?
そう思わずにはいられなかったのは、死域の修復がどうにか落ち着き、地下神殿の深層から地上へ戻る道をリゼリアと並んで黙々と歩いている最中のことだった。
いや、順番に話そう。
さっきまで私たちは、世界の根幹にちょっと指を突っ込むみたいな、とんでもなく重くて神秘的で、ついでにめちゃくちゃ命の危険もあったイベントをやっていたのだ。風の大陸フェーンハルトの地下深層。霊脈の結節点。死域。異常存在。マナの流れの修復。龍の記憶。そんな、文字列だけ並べると頭が痛くなりそうな情報量を、ぜんぶ実地で浴びてきたわけである。
普通なら、そこで考えることってもっとこう、「世界ってやばいな」とか「この先どうなるんだろう」とか「自分の能力って何なんだろう」とか、そういう壮大で真面目な方向に向かうべきなのだと思う。
実際、向かってはいた。
いたんだけど。
それと同時に、別の方向からものすごく俗っぽくて、でも見過ごせない現実がじわじわ私の脳みそを侵食してきたのである。
なぜなら神殿を出たあと、私は嫌でも思い出してしまったからだ。
この先のストーリーで、クリスの周りにどれだけの女の子が集まってくるかを。
そして、その大半が“攻略対象”であることを。
……うん。
冷静に考えると、だいぶ終わってるよねこれ?
地下神殿を抜けて、断崖沿いの細い帰路へ出たとき、まず目に飛び込んできたのは、圧倒的に開けた空だった。
ああ、やっと空だ、という安堵が最初に来る。地下深層の冷たくて重たい空気を長く吸っていたせいか、地上の風は少し強いだけで、それだけで肺の奥まで洗われるみたいだった。空は夕方へ傾きはじめていて、高原の上に広がる青は少しだけ淡くなり、代わりに西の方角へ薄金の光が滲んでいる。断崖の縁には背の低い草が揺れ、その先の谷間には影がゆっくりと沈んでいく。遠く、白い風車都市フェーンハルト公都の輪郭が夕光に縁取られ、そのまた向こうにはいくつもの高原と尾根が層のように重なって、風の大陸という名前そのままの壮大な景色を見せていた。
地上へ戻った直後って、たぶん誰でも、こういう景色にほっとするんだろうなと思う。
だって地下はすごかったもん。
いやほんとに。
綺麗だったし、神秘的だったし、壮大だったし、世界の秘密に近づく感じもたまらなかった。でも、同時にずっと“死”の気配がそこにあった。呼吸のひとつまで慎重にならざるを得ない空間で、光の美しさも、流れの壮大さも、全部が“壊れたら終わる前提”の上に乗っている。そういう場所から戻ってきたあとの地上の風って、ただそれだけで泣きそうになるくらい、生きてる感じがするのだ。
風が、ちゃんと抜けていく。
谷から吹き上がった流れが断崖の縁をなぞり、草原を撫で、遠くの風車の羽根を回していく。そこに遅れはない。濁りも、押し返される感覚もない。もちろん、地下深層で起きていた異常が完全に世界から消えたわけじゃない。まだ全部が元通りになったとは限らないし、むしろここから先の方が重要なのだろうけれど、それでも少なくとも、いまこの瞬間の風は、ちゃんと風として流れていた。
それを感じるだけで、胸のどこかが少し緩む。
リゼリアも同じように、地上の風を一度だけ深く吸い込んでいた。
表情には出ていない。いや、正確には出していない。さすが特務監察官というか、こういう人はたぶん、どれだけ極限の任務をこなしても、地上へ出た瞬間に「はぁ~~生き返る~~」みたいな庶民感丸出しの顔はしないのだろう。しないのだろうけど、肩の力がほんの少し抜けたのはわかった。
私はその横顔を見て、なんとも言えない複雑な気持ちになった。
だってこの人、ヒロインの一人なんだよね。
しかも、わりと序盤から長く関わってくる重要枠。
真面目で、綺麗で、仕事ができて、戦えて、しかも見た目まで完璧な清楚クール系美女。
いやまあ、攻略対象として人気出るよね。わかる。すごくわかる。実際こうして隣を歩いているだけでも、凛とした空気感がほんとに強いし、何よりあの地下神殿で見た立ち回りが強すぎる。強い女っていいよね。うん。わかるよ。
でも、わかるからこそ、思い出してしまうのである。
原作『スターダスト』を。
そして、あの地獄みたいな攻略仕様を。
そう。
ここで話は一気に俗になる。
いやほんとに。
地下神殿で世界の深層と繋がるような体験をした直後に考えることがこれでいいのかって、自分でもちょっと思う。思うけど、だって思い出しちゃったんだもん、仕方ないでしょ。
リゼリアは攻略対象の一人だ。
これからのストーリーでも、たびたび共闘する。監察官として、帝国の代表として、クリスの異常な力を見てなお職務を優先しようとする人として、彼女はずっと物語に絡んでくる。そして、その過程で好感度を上げたり、分岐を踏んだり、あるいは特定条件を満たしたりすると――
はい、そうです。
原作では普通にそういうイベントがあるんですね。
いやもう、ほんとに。
どういうこと?
しかも、お兄ちゃんがそれを、ものすごく鼻息荒く語っていた記憶があるせいで、私の中の印象が余計に最悪なのだ。
曰く。
「今日のどの宿でする?」
……である。
いやお前、何言ってんの?
当時の私はまだ年齢的に細かい意味を完全に理解していたわけじゃないけど、それでも「いやその言い方はどうなの」くらいの倫理観はさすがにあった。だって相手ヒロインだよ? ちゃんと背景も物語も感情線もある一人のキャラクターだよ? それを宿屋選びの延長みたいなテンションで語るなよ、と当時から思っていた気がする。
で、大人になってから改めて思うわけである。
ほんとウチのお兄ちゃんってゴミだよね。
いや、もちろん全部お兄ちゃんだけが悪いわけじゃない。そこはちゃんとわかってる。あれはそういうゲームだった。そういう仕様だった。制作者側も「多数のヒロインを攻略できる自由度」とか「選択肢の幅」とか、いろいろ考えて作ったのだと思う。実際、原作『スターダスト』って、エロゲーとしてはシナリオ部分の評価が異常に高かったし、リライト版やノベライズまで出たくらいだから、システム的にも相当作り込まれていたのだろう。
でも。
それでもだ。
スターダストのクリスって、まじでクズでは?
いや、正確に言うなら“クズにもできる仕様”なんだけど、でもプレイヤーの選び方次第では、ほんとにどうしようもないレベルの女好きムーブが可能になるのである。しかも攻略対象の数、私の知る限りでは百人を軽く超えていた。百人だよ? ちょっとした学校どころじゃない。ひとつの町の女性名簿では? ってレベルである。
メインヒロインはまだわかる。
リゼリアみたいに物語へ深く関わる子とか、魔術師とか聖女とか、幼馴染とか、そういう王道の枠は、まあゲームとして当然ある。そこは理解できる。できるけど、その外側がほんとにえげつない。
中には「えっ、この村のパン屋の娘さんも!?」みたいな子もいるし、「いや待って、さっきまで敵陣営で命のやり取りしてましたよね!?」みたいなとんでもシチュエーションもあるし、何なら「二度と会わなくない?」っていうモブ寄りの子まで攻略対象になっていた記憶がある。
もちろん、攻略せずに一人の女性だけを愛し抜く、みたいな純情ルートもあった。
あったんだよ?
でもお兄ちゃんに言わせると、「そんなぬるい攻略をするくらいならやらない方がマシ」らしい。
いや、社会不適合者すぎるだろ。
当時はそこまで明確に言語化できなかったけど、いまならはっきり言える。だいぶ終わってる。というか、ゲームを最大効率でしゃぶり尽くすことだけを人生の美徳みたいに語る男性、普通に距離置きたい。
……まあ、でも。
気持ちが一ミリもわからないかと言われると、それはそれで困る。
だって、周りの女の子たちが美人すぎるし。
そして、やるのやらないの? みたいなイベントが、これでもかと突きつけられる仕様だったのも事実だ。
いや、ほんとあのゲーム、たまにこっちが「いや待って、いま世界崩壊しかけてるよね?」って聞きたくなるタイミングで、妙に色気の強いイベント挟んでくるんだよ。戦争、汚染、魔族、人類の分断、神々の遺産、霊脈異常、みたいなクソ重たい設定を抱えながら、突然「夜の見回りに付き合ってくれませんか……?」みたいな空気になるの、温度差で風邪ひくわ。
でもそれもまた、原作『スターダスト』の顔のひとつだった。
だからこそ。
だからこそ私は、いまのこの状況に妙な複雑さを感じてしまうのだ。
隣を歩くリゼリアは、地下で見たあの光景と、私――クリスの“特別な力”に、確実に個人的な興味を抱いているはずなのだ。
もちろん彼女は職務人間だから、まずそれを“任務上の重要情報”として処理するだろう。霊脈監理騎士団の特務監察官として、異常現象の現場で、通常の魔導や霊術に分類しがたい能力を持つ公爵を見たのだから、それを無視するわけがない。帝都へ報告するか、独自に観察を続けるか、あるいは現地でさらなる情報を集めるか。彼女の頭の中には、そういう実務的な判断がまずあるに決まっている。
でも、それだけじゃない。
たぶん、もっと個人的な興味も芽生えている。
だってそうでしょ。地下神殿で一緒に死域を見て、異常存在と戦って、普通ではありえない形で霊脈の継ぎ目を修復するところを目の前で見せられて、それで「はい任務上のメモだけ取って終わりです」には、さすがにならない。人としての感情があるなら、気になる。気にならない方が不自然だ。
そして私は、そのことを知っている。
知っているからこそ、ちょっとだけ複雑なのだ。
この人がこれから私に興味を持つのは、物語上とても自然だ。
でも原作の存在を知っているせいで、その興味の延長線上に、“攻略対象としてのリゼリア”の未来まで透けて見えてしまう。いや、現時点ではまだ全然そこじゃない。むしろ命の危険が先だし、帝都への報告とか、公爵家での整理とか、やることは山ほどある。それでも、頭の片隅にどうしても「この人も、将来的にはヒロイン枠の一人なんだよな……」っていうメタ視点がこびりついている。
しかもそのヒロインの扱いが、原作だとあんな感じである。
うーん。
だめだ。
やっぱりスターダストのクリスって、かなりクズ男では?
いや、クリス本人が悪いわけじゃないのかもしれない。そこはわかる。選んでたのはプレイヤーであって、クリスそのものが百人斬りを志していたわけではない。ルートによっては一途だったし、純愛エンドだってちゃんとあった。
でも仕様として可能である以上、私の中ではどうしても「クリス=場合によってはめちゃくちゃな女癖を発揮しうる男」という印象がついてしまっているのだ。
いやほんとに困る。
私はいま、その男の外見をしている。
しかもめちゃくちゃイケメンで、公爵で、能力持ちで、これからさらにヒロインが増えることまで確定している。
最悪では?
最悪っていうか、事故の温床では?
そうこうしているうちに、私たちは断崖沿いの道を抜け、フェーンハルト公都の外縁へ戻っていた。
夕方の光を受けた街は、朝見たときよりもずっとやわらかい色をしていた。青灰色の石壁は金を帯び、白い風車の羽根は斜陽を受けて薄い蜜色に透ける。職人たちの作業場からは、昼間より少し落ち着いた金属音が聞こえ、学舎の方角からは退勤するらしい人々の足音が石畳に重なる。高原の風は冷たいけれど、人の暮らしの熱がちゃんとそこにあるせいで、街全体がひどく安心できる景色に見えた。
いい街だよなあ、フェーンハルト。
これ、プレイヤーのときから好きだった。
静謐で冷たく見えるのに、中に入るとちゃんと人が暮らしていて、機能的で無駄がなくて、それでいてどこか誇り高い。風の街っていう言葉に浮かびがちな、ただロマンチックなだけの都市じゃない。風を生活の中へ落とし込み、風と折り合いをつけて、風を利用しながら生きてきた人々の街という感じがする。
そういう場所を自分の足で歩いているのが、やっぱりまだ少し不思議だ。
私がぼんやりそんなことを思っていると、リゼリアが口を開いた。
「本日の調査結果ですが」
あ、来た。
仕事の話だ。
すごいなこの人。さっきまで地下神殿で命がけの戦闘と異常修復までやってたのに、地上へ戻った途端に仕事モードへ戻るの、さすがすぎる。
「まず、風鳴花群生地、風車停止区域、断崖の風溜まり、それぞれで表層風脈への異常波及を確認しました」
「ええ」
「さらに地下深層において、結節点近傍の中和層が不正に変質し、死域化していた可能性が高い」
可能性、という言い方なのは、たぶん監察官として当然なのだろう。いくら目の前で見たって、報告書には“確認された範囲”と“推定”をちゃんと分けて書く必要がある。真面目だなあ、ほんとに。
「帝都への報告は?」
私がそう問うと、リゼリアは少しだけ考えるように視線を上げた。
「即時報告は行います。ただし、表現は慎重にする必要があります」
「死域について?」
「はい。それに加え、原因が外部干渉によるものか、古い制御場の劣化によるものか、現時点では断定できません。断定を急げば、帝都は追加の介入を正当化します」
なるほど。
さすが監察官。現象だけじゃなく政治まで見ている。
確かに、ここで「フェーンハルト地下に死域発生!」なんて大げさに上げれば、帝都側は安全保障や管理責任を理由にいろいろ口を出してくるだろう。そうなれば調査の自由度は落ちるし、公爵家への疑義も強まる。
私は頷いた。
「では、報告は事実を中心に」
「ええ。局所異常、結節点近傍の変質、暫定的な沈静化措置――そのあたりが妥当かと」
沈静化措置。
うん、それもまた正確だ。
完全解決ではない。
でも、今の私たちがやったことを盛らずに言うならまさにそれだ。
少しの沈黙のあと、リゼリアは続けた。
「……そして、閣下の力については」
来た。
ついに来た。
私は心の中で姿勢を正した。いや実際の姿勢もちゃんとしてるけど。
「報告は保留します」
えっ。
思わずそちらを見る。
リゼリアの横顔は相変わらず整っていて、夕光のせいか少しだけ柔らかく見えた。
「保留、ですか」
「現段階では、分類不能です。魔導でも霊術でもなく、現象記述としても不十分。曖昧なまま上げれば、いたずらに注目を集めるだけでしょう」
……うわ。
この人、思った以上にこちらを守る判断をしてるな?
もちろん、任務上の合理性もあるのだろう。分類不能な情報を不用意に帝都へ投げれば、余計な疑念や介入を招く。それは監察官としても避けたい。けれど、それだけではない気もした。少なくとも、いまの彼女の中には「まず自分の目で確かめたい」という意志がある。
そして私は、それを知ってしまっている。
知っているからこそ、また変な複雑さが胸の中へ戻ってくる。
この人はこれから、私に興味を持っていく。
任務として。
個人として。
そして物語の構造としても。
うーん。
やっぱり、この世界の恋愛要素って厄介だな。
……いや、そもそも恋愛要素以前に、見た目の暴力が強すぎるんだけど。
私はちらりとリゼリアの方を見る。
夕方の風の中で揺れる黒髪。強い仕事の後なのに乱れすぎていない襟元。姿勢がいいせいで余計に目立つ胸元と腰のライン。鍛えてるのに女性らしさが全然削がれてないの、どういう配分なんだろう。何度見てもナイスバディすぎる。さっきまで地下神殿で命がけの戦いをしていたとは思えないくらいちゃんと綺麗だし、でもその綺麗さが飾りじゃなく“仕事ができる人の美しさ”なのがまた強い。
いやほんとに。
こんな人が何人も周囲にいる環境で、原作のクリスはよく理性を保てたな。
……保ててないルートが大量にあるからダメなのか。
そう考えた瞬間、また私は自分の中で「クリスってやっぱりクズ男では?」という結論に戻りかけてしまい、慌てて思考を切る。だめだ永遠にループする。
街の中心へ近づくにつれ、人通りが少し増えた。私たちの姿に気づいた領民たちが足を止め、頭を下げる。公爵と帝都からの監察官が並んで戻ってくるのだから、そりゃ目立つよね。私はどうにか“いまの私はイケメン公爵”という外面を維持しつつ、小さく頷き返した。
このへんも、まだ慣れない。
普通に気まずい。
いやほんと、こっちは中身一般人なんだけど、周囲から見ればたぶんずっとここで生きてきた公爵様なんだよね。そんな人間がいちいち「あっ、どうも……」みたいな庶民ムーブしたら変だし、だからといって完全に堂々としすぎるのもまだ心が追いつかない。このへんの塩梅、今後の課題すぎる。
やがて、屋敷へ続く石畳の道へ入る。
高い門。青灰色の石で組まれた外壁。整えられた庭路。遠くに見える本館の重厚な輪郭。朝ここへ来たときは、とにかく「でかい」「貴族だ」「終わった」くらいの感想しかなかったけれど、いまは少しだけ見え方が違う。この場所はクリスの生活の中心であると同時に、フェーンハルトを支える責任の中心でもあるんだ。
そう思ったところで、使用人たちがこちらへ駆け寄ってきた。
クリスの側近で優秀な使用人たちだ。年配の執事風の男性、きびきびした侍女、そして少し若い補佐役の青年。みんな一様に心配そうな顔をしていたけど、私とリゼリアが揃って戻ってきたのを見ると、あからさまに安堵の色が浮かんだ。
「旦那様、ご無事で何よりです」
「お戻りをお待ちしておりました」
「監察官殿も、お怪我は……」
はいはい、ここまではいい。うん、わかる。普通に心配してくれてる人たちだ。
……問題は、その後ろだ。
その後ろに。
いた。
攻略対象が、何人か。
「……は?」
危うく素で声が出そうになったのを、私は本気でなんとか飲み込んだ。
いや待って。
待って待って待って。
なんでそんなにいるの?
いや、屋敷の使用人が多いのはわかる。わかるけど、その中にさりげなく混じってる“明らかにモブじゃない女の子たち”の存在感が強すぎるんですけど!?
まず、一人。
年齢は私とそう変わらないくらいだろうか。淡い栗色の髪をきちんとまとめた、柔らかい雰囲気の女性。落ち着いた給仕服を着ているのに、妙に目を引く。胸元は上品に整えられているのに、どう見ても隠しきれていないし、笑うと口元がふわっとやさしくほどけるタイプの顔立ち。あっ、知ってる。これ“世話焼き系未亡人枠”では? いや未亡人じゃなかったかもしれないけど、とにかく大人っぽい包容力枠だ。
そしてもう一人。
こちらは銀に近い灰色の髪を短く切った、やや勝ち気そうな美人。使用人服というより、実務補佐官っぽい衣装で、視線が鋭い。うわ、これ“反発から入るけど後半でデレる有能秘書枠”だ。絶対そう。顔が強いもん。
さらにその奥。
なにその、明らかに村娘にしては完成度高すぎる可愛い子は。大きな瞳に、ふわっとした明るい髪。体つきは華奢めなのに、ちゃんと出るところは出ている。え、何、癒し系の給仕見習い枠? 待って、もうやだ。屋敷にいるだけで攻略対象が湧いてくる仕様、ほんとにどうなってるの。
いやクリス、お前マジで自重しろよ?
お前が悪いわけじゃないかもしれない。
いや、かなり仕様が悪いだけかもしれない。
でも私が見てるからな?
ほんとに。
この体の中身はいま私だからね?
前世で兄の最低発言を聞かされて育った一般女子なめんなよ? 攻略対象を片っ端からセフレみたいに扱うルートにだけは、絶対に行かせないからな?
そう心の中で強く誓いながら、私は必死に外面だけは公爵らしい落ち着きを維持した。
リゼリアはその横で、ほんの少しだけ視線を動かしていた。屋敷の人員配置を確認しているのか、それとも私の反応を見ているのか。たぶん両方だろう。この人ほんと、気を抜ける瞬間がない。
「本日の調査については、私から後ほど整理した内容を共有します」
リゼリアが使用人たちへそう告げると、執事風の男性が深く頭を下げた。
「承知いたしました。客間をご用意しております」
「ありがとうございます」
礼を返す声まで綺麗なの、ほんとずるいな。
そのやり取りのあいだにも、後ろの攻略対象っぽい女性たちの視線がさりげなく、でも確実にこちらを向いているのがわかる。いや、具体的には“クリス”を見ているのだ。そりゃそうだ。公爵家の主であり顔面が強く、さっきまで監察官と一緒に外へ出ていた男だもん。注目もされるだろう。
でも私からすると。
やめてください、まだ心の準備ができていません。
……という感じでしかない。
ほんとに。
だって中身が女のままなのに、周囲から“攻略対象の中心男”として見られるの、バグにもほどがあるでしょ。しかも今後この屋敷からさらにヒロインが増えるとか、ほんと笑えない。
それでも、物語の始まりとしては悪くないのかもしれない。
地下神殿で世界の深層へ触れ、クリスの力の片鱗が目覚め、リゼリアとの関係も少し進んだ。そして地上へ戻れば、今度は公爵としての生活と、原作由来の“厄介な人間関係”が待っている。
シリアスな世界の秘密と、ラブコメ方面の地雷原が同時にこっちへ手を振ってる感じ。
……いや、うん。
壮大なストーリーの幕開けとしては、だいぶ最悪寄りに華やかだな。
私はそんなことを思いながら、屋敷の玄関ホールへ足を踏み入れた。高い天井、磨かれた床、夕方の光が差し込む大窓。そのどれもが朝より少しだけ現実味を帯びて見える。ここが、これからの私の戦場になるのだ。
世界の異常とも戦う。
ヒロインたちの死亡フラグとも戦う。
そしてたぶん、原作『スターダスト』由来のクズ仕様とも戦う。
……大変すぎない?
そう思ったけれど、いまさら引き返せるわけもない。
私は内心でひとつだけ深くため息をつき、それを外には出さずに、どうにか公爵らしい顔を保ったまま前へ進んだ。
少なくとも今の目標は明確だ。
リゼリアは生かす。
世界の異常は追う。
そしてクリス、お前のその“仕様”は私が見張る。
覚えておけ。
この身体の恋愛フラグ管理、いまから私が本気でやるからな。




