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第十八話:どうやってこいつを倒すんだああああ



 「……とはいえですね」


 意気揚々と剣を握りしめてみたはいいものの、私の身体は一歩も動けなくなりそうだった。


 だってさ。


 いや、ほんとにだってさ。


 ゲーム画面越しに見ていたときには、「うわっ、序盤から演出つよ……」「これでプレイヤーを掴みにくるのか、制作陣やるな……」みたいな、比較的安全圏のオタク目線で受け止めていられたあのボスが、いま目の前でぬるりと、でも確実に、現実の質量を伴って形を持とうとしているのである。


 嫌すぎる。


 そしてでかい。


 いや知ってたけど。知ってたけど、実物の“でかい”ってゲーム画面で見るのと全然違うんだってば。


 死域の縁から立ち上がってきたそれは、最初に視界に入ったときはただの黒ずんだシミみたいな塊にしか見えなかったのに、ほんの一瞬でそれが影でも汚れでもない“何か”だって嫌でも理解させられた。


 渦を巻く濁った風の中心で、歪な形がじわじわと組み上がっていく。骨みたいにも膜みたいにも見える曖昧な構造で、輪郭はぐらぐらしてるくせに節みたいに膨らんだ部分だけが妙にくっきりしていて、そこから裂けた翼みたいなものが左右に広がっていくのが見えた。


 脚……って呼んでいいのかもわからないそれは、二本どころじゃ足りなくて、四肢とも触手ともつかない歪な支柱が何本も死域に侵された石床へぐさぐさと突き立っている。


 どこが頭なのかもはっきりしないのに、“顔”だと認識させてくる圧だけはやけに強くて、中央より少し上にある裂け目が呼吸なのか、笑ってるのか、それとも断末魔なのかもわからない音を吐き出すたびに、その空洞そのものが確かにこちらを向いているのがわかった。


 うん。


 どうやってこいつを倒すんだああああ。


 声に出したら終わるので全力で心の中だけで絶叫したけれど、たぶん表情にはかなり出ていたと思う。だって無理でしょこれ。さすがに序盤にしては強そうすぎるでしょ。いや“強そう”っていうか、“勝てる絵面に見えない”が近い。序盤ボスって、普通もう少しこう、まだ手が届く感じというか、「よし頑張ればいけるかも!」みたいな希望があるものじゃないの? なんでいきなり“世界のほころびが立ち上がった”みたいなビジュアルをお出しされるの。制作陣ちょっと落ち着いて。プレイヤーの心臓にも配慮して。


 そのとき、横でリゼリアが低く告げた。


「下がってください、閣下」


 静かだけど、さっきまでの観測時のそれとはまったく違う研ぎ澄まされた戦闘用の声だった。


 その一言だけで、私の中の時間がいっぺんに動き出す。


 だめだ。


 下がりたい。ものすごく下がりたい。気持ちとしては二十歩くらい下がって、そのまま可能なら地上まで帰りたい。でもここで本当に下がったら、原作の嫌な記憶がそのまま現実になる可能性が跳ね上がる。序盤のボス戦でリゼリアが危険域まで踏み込む理由の一つは、“クリスを庇うために前へ出る”からだ。つまり私が何もできずに後ろへ下がりきったら、彼女の危険度が上がっちゃう。


 だから。


「……いえ」


 喉が少しだけ張りつきそうになるのをこらえて、私はどうにかそう返した。


「距離は取りますが、下がりません」


 うわ、言った。


 言ってしまった。


 自分で言っておいて、心の中の私は「いや無茶言うな!? 中身あなた誰!?」って大騒ぎしている。けれど、口から出た声は思ったより落ち着いていた。クリスの声帯ってほんとに有能だな。外面だけでもそれっぽく整えてくれるの助かる。


 リゼリアが一瞬だけこちらを見る。その目には「正気ですか」と「でもそれが妥当です」が半々くらいで混じっていた。たぶんこの人、私を抱えて強制退避するかどうか一瞬だけ計算したのだろう。でも目の前の異常がそれを許さない。


 怪物が、鳴いた。


 空洞が裂けるみたいな音と同時に、死域の縁から黒ずんだ風がこちらへ吹き出す。その風は単なる気流じゃない。石床の霊脈溝を擦り上げ、青白い本流を不規則に明滅させながら、まるで“流れそのものを噛み砕いた破片”みたいなノイズを散らしてくる。


「来ます!」


 リゼリアが叫ぶと同時に、彼女の身体が前へ出た。


 その動きは速い。


 速い、というか、無駄がなさすぎて一瞬どこで力を入れたのかわからないほどだった。腰を落として重心を低くし、左足で石床を切るように踏みながら前傾ではなくまっすぐすべるように距離を詰める。抜いた剣は細身なのに、風を裂く音が鋭い。彼女は真正面から怪物へ突っ込むのではなく、死域の縁をかすめるぎりぎりの安全角を取って、右前方から斜めに回り込んだ。ああ、そうだ。リゼリアの戦い方ってこれだ。真正面から力で押すタイプじゃない。監察官らしく観測と制御を優先し、危険域の縁を読みながら相手の構造を切る。


 怪物の前面には、風に見える膜が何層も重なっていた。普通の剣撃なら弾かれる。ゲームではあそこ、最初に無策で殴ると見事に反撃食らう嫌な仕様だった。画面越しに「あーこれ正面だめなやつね」と学習した記憶がある。


 で、今それが現実に起きている。


 いやほんと、知っててよかったのか悪かったのか微妙だなこれ。


「リゼリア、正面は――!」


 言いかけた私の声より先に、彼女の剣が風膜に触れた。


 だけど真正面じゃない。彼女が狙ったのは、膜と膜の継ぎ目のように見えるわずかに青白い霊脈光が滲む箇所だった。刃がそこへ滑り込んだ瞬間、金属音ではなく濡れた布を裂いたような嫌な音がした。黒風の一層が捲れ、内側の歪んだ構造が露出する。


 うまい。


 うますぎる。


 やっぱりこの人強い。


 けれど、怪物の反応も異常に速かった。露出した内部から骨のない腕みたいなものが一拍遅れて弾け、斜め下からリゼリアの脇腹へ薙ぎ払う。…そういえばそうだ。あれが嫌なんだよこのボス。見た目の大きさに対して挙動が妙に軽いんだ。しかも“どこが本体かわからない”せいで、攻撃の起点が読みづらいっていうか。


「っ!」


 リゼリアは剣を返し、踏み込んだ右足をそのまま軸にして身体を回した。斬り抜けた勢いを殺さず、肩を落として紙一重でその一撃をかわす。怪物の爪とも膜ともつかない先端が彼女の外套の裾をかすめ、布が裂ける。


 ひえっ。


 見てるだけで胃が痛い。


 いや見てるだけじゃだめなんだけど。だめなんだけど、じゃあ何をどうしろというのだ私は。剣を抜いて突っ込む? 無理。たぶん普通に死ぬ。というかこの身体、筋力はあるはずだけど剣術の“感覚”はまだ自分のものになっていない。変に出ればリゼリアの邪魔になる。


 じゃあ魔法。

 問題はそこだ。


 さっきの感覚を思い出せ。

 流れを見る。

 結節を探す。

 通り道を作る。


 私は怪物とリゼリアの位置関係を、必死に目で追った。


 広間は円形に近い。中央奥に死域と祭壇跡。そこからこちらへ向かって、崩れた橋状の石路が何本か伸びている。いまリゼリアが立っているのは、死域の縁から二歩半ほど外れた右斜め前。私はそこからさらに六歩ほど後ろ、比較的霊脈溝の損傷が少ない通路上にいる。怪物は死域を背にして立ち上がっているけれど、完全にその場から動いているわけではなく、後方の濁った湧出部と見えない何かで“繋がっている”感じがある。


 あれだ。


 まずあれを見ろ。


 私は目を細めた。怪物の周囲を覆う黒風の膜。露出した内側の濁った霊素。足元から死域へ伸びる何本もの支柱みたいなもの。どれが核だ。どこが維持の要点だ。たぶん本体を物理的に斬るだけでは足りない。この手の異常存在は形を維持している“接続”の方が本体に近い。


 怪物が再び吠え、今度は広間全体の空気がひしゃげるような圧が走った。霊脈光が一斉に濁り、床溝を走る青白い線のうち三本が黒く反転する。


「――下!」


 リゼリアが叫びながら跳んだ。


 次の瞬間、彼女がいた場所の石床が下から食い破られるみたいに裂けた。黒い風柱が噴き上がり、遅れて石片が散る。もし半拍遅れていたらまともに飲まれていた。


 ひぃぃぃぃ……。


 だめだ、ほんとにだめ。こいつ思ってた以上に嫌なボスだ。いや思ってた通り嫌なんだけど、現実で見たら嫌さの解像度が高すぎる。


 リゼリアは着地と同時に左手を床へ滑らせ、手袋の指先で石面に残る霊脈溝をなぞった。淡い銀の光が彼女の手元で一瞬だけ立ち、その光を追うように剣へ薄い風色の輝きが宿る。


 術式補助。


 たぶん完全な魔導ではなく、武装に対する短期的な流路付与。リゼリアは大技をぶっぱなすタイプじゃない。必要最小限の術式で、刃に“通りやすさ”を与える。


「閣下、左後方へ!」


 言われるまま私は反射的に左へ飛んだ。ほぼ同時に怪物の正面裂口から吐き出された黒い塊が、私のさっきまでいた位置を掠めて石壁に叩きつけられる。壁が音もなく腐ったように変色し、表面がぼろりと崩れた。


 待って待って待って。

 そういうタイプの攻撃なの?

 普通に嫌なんですけど!?


 思わず悲鳴が出そうになるのを、歯を食いしばって耐える。


 でも、今ので少し見えた。


 怪物の攻撃は無秩序じゃない。死域から吸い上げた濁った霊素を、前面の裂口で圧縮しながら風路に偽装して射出している。つまり外見の不定形さに反して、内部にはちゃんと“流れの回路”がある。だったらちゃんと予測できるし、ダメージを与えられるんじゃない…?与えるっていうより、“噛み合いを外せる”って感覚…?


 私は石柱の影へ半歩滑り込み、視界の端でリゼリアの動きを追いながら、自分の感覚を必死に掘り起こした。


 さっきはどうやったっけ。


 風鳴花の群生地では前兆体の「核」を見た。

 流れが“押し返されている”箇所を見つけた。

 そこへ通り道を作った。


 じゃあ今は?


 今の相手は前兆体じゃない。規模も構造もずっと大きい。しかも死域と直接結びついている。つまり一箇所ほどいたくらいでは終わらないかもしれない。…けれど、逆に言えば結びついているからこそ、“結びついている場所”は必ずある。


 どこだ。


 どこで繋がってる。


 私は目を凝らし、怪物の足元から死域へ伸びる支柱状の流れを追った。一本だけじゃなく三本、いや四本。太さの違う結び目がある。ゲーム知識と結びつけて考えると、たぶんそのうちの二本はフェイントに近い。霊素を吸い上げているだけだ。本当に“支えている”のは――


 あ。


 中心より少し右。


 祭壇跡の崩れた縁に触れている、細くて暗い一本。光っていない。むしろ周囲の青白さを吸って影みたいに見えにくくなっている。でもそこだけ怪物の動きと死域の脈動の“位相”が合っている。拍動のたびに半拍遅れてそこが締まり、滑らかに連結するように怪物の上半身が持ち上がる。


 …確証は持てないけど、たぶん核に近い。


 でも、どうやって?


 そこへ通り道を作るにしても、今の私の位置からだとまっすぐじゃ届かない。死域の縁に近すぎるし、途中でリゼリアの戦線もある。変に流れを差し込めば彼女の足元の霊脈補助まで巻き込むかもしれない。


 リゼリアが剣を振るう。


 一撃、二撃、三撃。


 彼女は正面から倒し切ろうとしているわけではなく、怪物の前面膜を薄く削っては位置を変え、削っては下がり、相手の注意を自分へ引きつけ続けていた。つまりこちらへ攻撃を通させないための立ち回りだ。くそっ、わかる。わかるから余計に胸が痛い。そういう自己犠牲型の有能ムーブ、ほんと死亡フラグの匂いが濃いんだってば。


 その瞬間、怪物の背部から長い鞭みたいな風刃が伸び、横薙ぎに広間を払った。


「伏せて!」


 リゼリアの声。


 私はほとんど反射で身を落とした。頭上を黒風の刃が掠め、石柱の上半分が斜めに切り落とされる。砕けた石片が肩へ当たり、鈍い痛みが走る。いてっ。いや痛いとか言ってる場合じゃない。今の、普通に立ってたら首飛んでたのでは?


 やばい怖すぎる。


 でもその一撃で、怪物の背部構造が少し開いた。黒風の層が左右へ散った一瞬、内側の霊素回路が見えた。濁流の中を細い青白い線が一本、無理やり縫い止めるように走っている。


 “異物”だ。


 あれだけが“本来の霊脈の色”に近い。


 つまり死域化した流れの中で、まだ完全には汚染されきっていない接点。そこが楔みたいに異質な流れに逆らいながら噛みついている。


「……見えた」


 それに気づいた途端、自分の中の何かが少しだけ静まった。


 恐怖は消えないし胃も痛い。心臓もばくばくだ。でも、見えたならやることはある。


 私は手のひらをゆっくり開いた。呼吸を落としながらわずかに視界を広げる。リゼリアの位置。怪物の軌道。床溝の霊脈流。死域の脈動。全部を一枚の図として重ねていく。


 さっきの感覚を思い出せ。


 “私が”魔法を使うんじゃない。

 “クリスの体を通じて”流れを掴むんだ。

 この身体は知っている。

 私はそこへ後から意味を与えるだけでいい。


 右手の指先が、微かに痺れる。


 空気の中に見えない糸があるみたいに、何本もの圧の筋が手首から肘へ絡みついてくる。ひとつひとつは弱い。でも、ちゃんと向きがある。死域から怪物へ。怪物から前面膜へ。床溝からリゼリアの剣へ。私の足元から左後方の柱基部へ。そしてそこから、また死域の縁をかすめて――あの一本へ。


 よし。


 直で刺すんじゃない。


 左後方の床溝を経由すれば、角度が取れる。


 私はその“経路”を頭の中で図式化する。床溝の青白い流れを、一時的に少しだけ強める。怪物の注意はリゼリアが引きつけている。だからその間に死域の縁で見つけた細い青白い接点へ、こちらから“正常な流れ”を差し込む。目的は攻撃じゃない。怪物が楔みたいに噛みついている部分を、逆に本来の霊脈側へ引き戻すこと。


 ……いけるか?


 わからない。


 でもやるしかない。


「リゼリア!」


 叫ぶと、彼女が半身だけでこちらを見る。視線は怪物から切らないところはさすがです。


「右側を、半拍だけ開けてください!」


 わりと無茶な注文である。言った私がいちばんそう思う。でも、リゼリアは意味を問わなかった。


「三拍後!」


 返答は即座。


 わかってくれた!


 いや、完全に信じてるわけじゃないだろうけど、少なくとも戦術上の意図があると判断してくれたのだ。ありがたい。ほんとありがたい。信頼値ってほんと大事。


 リゼリアが動きを変える。


 一拍目、彼女は怪物の左前へ深く踏み込み、あえて強めの斬撃を二連で叩き込んだ。刃に宿した風術式が前面膜を削り、怪物の上体が反射的にそちらへ傾く。


 二拍目、彼女はすぐに後退せず、体を低く沈めて死角へ潜る。怪物が追い討ちの触腕を振り下ろす。彼女はそれを床に滑るような足運びでかわしつつ、今度は逆に足元の支柱の一本を浅く斬る。痛打ではなく、誘導。


 三拍目――


 彼女が左から右へ抜けると同時に、怪物の右側面がわずかに開いた。


 今だ。


 私は手のひらを床溝へ向け、さっき掴んだ感覚を必死に引きずり出した。青白い流れ。正常な位相。死域の縁でまだ汚れきっていない一本。そこへ、通り道をつなげる。無理に押し込むんじゃない。繋がりたがっている方へ、こちらから橋を差し出す。


 空気が、ひりついた。


 視界の中で、床溝の光が一瞬だけ強くなる。私の中を何かが通り抜けていく感覚。冷たいのに熱い。細いのに重い。喉の奥まで鉄みたいな味がせり上がり、頭の後ろがずきっと痛む。


「――っ」


 でも切らない。


 絶対に切るな。

 最後まで押し通せ…ッ


 私が差し出した流れは、床溝から石柱基部へ、そこから広間の右縁を舐めるように走り、死域の外周ぎりぎりをかすめて怪物が噛みついていた細い青白い接点へ届いた。


 瞬間。


 怪物の右半身が、大きくぶれた。


 吠え声というより、空洞そのものが軋むみたいな音が広間に響く。黒風の膜が一層、内側から裏返るように裂け、背部の風刃が不規則に散った。支えられていた構造が、ほんの一瞬だけ位相を失ったのだ。


「そこ!」


 リゼリアがほとんど同時に踏み込む。


 彼女はさっきまで散らしていた斬撃と違って、今回は迷いなく一点へ向かった。怪物の右前、ちょうど私が位相をずらした接点の手前。そこへ短く、鋭く、深く入り込む。剣筋は大きくない。むしろ必要最小限だ。だけど刃先が触れた瞬間、彼女の剣に残っていた風術式が一気に解放され、螺旋状の圧差が生まれた。


 “斬る”というより、剥がす。


 怪物の外層と内側の歪んだ接続を、物理と術式の両方で引き剥がす一撃。


 そこへ、私が通した“正常な流れ”が逆方向からぶつかる。


 結果、何が起きたか。


 怪物の中心が“ずれ”たんだ。


 ほんの指一本ぶんかもしれない。けれど異常存在にとって、その「ずれ」は致命だったらしい。前後の位相が噛み合わなくなり、黒風の層が一斉に乱れる。死域から吸い上げていた支柱のうち一本がぶつりと千切れ、濁った霊素が逆流する。


 怪物が絶叫した。


 今度こそ、絶叫としか言いようのない音だった。耳で聞くというより、頭蓋の内側で鳴る嫌な響き。石壁が震え、死域の縁から濁流みたいな霧が立ち上がる。


「下がって!」


 リゼリアが叫ぶ。


 私は反射的に後退した。彼女もまた跳び退き、怪物から距離を取る。次の瞬間、怪物の中心が内側から崩れ、黒風と濁った霊素の塊が爆ぜるように広間へ散った。けれどそれは完全な消滅ではない。死域そのものが残っている以上、怪物もまた“倒された”というより“形を維持できなくなった”に近い。


 濁流が広間の中央で渦を巻き、しばらく暴れたのち、ようやく少しずつ縮んでいく。


 私は石壁へ手をつき、荒い息を整えようとした。だめだ息が追いつかない。喉が焼けるみたいに痛いし、手先はじんじん痺れている。頭も少しくらくらする。いまの、たぶん私が思ってるより消耗している。


 でも、生きてる。


 リゼリアも生きてる。


 そこがいちばん大事だ。


 私はどうにか顔を上げる。


 広間の中央、怪物がいた場所では、死域の縁がまだどろりと脈打っていた。完全な浄化なんて当然できていない。でもさっきまであった“明確な異常存在としての輪郭”は消えている。少なくとも、いまこの瞬間に再突撃してくる形はなさそうだった。


 リゼリアがこちらへ歩み寄ってきた。


 息は乱れていない……と言いたいところだけど、さすがにほんの少しだけ肩が上下している。それでも剣は下ろしていないし、視線も広間全体を警戒したままだ。戦闘慣れしてる人のそれだ。かっこよすぎる。


「ご無事ですか」


 第一声がそれか。


 いやもう、ほんとにこの人さぁ……。


 私は一瞬だけ変な笑いがこみ上げそうになるのをこらえて、どうにか頷いた。


「なんとか」


「無理はなさらないでください」


「それは、たぶんお互い様です」


 言ったあと、あ、ちょっと軽口っぽかったかなと思ったけれど、リゼリアは怒らなかった。むしろほんのわずかに目元を和らげた気がする。気のせいかもしれない。でもさっきまでより、彼女の中で私が“庇うだけの対象”から“連携できる相手”に少し寄ったのは確かだろう。


 その証拠みたいに、彼女は周囲を警戒しながらも低い声で言った。


「先ほどのは……再現できますか」


 うっ。


 そこ、突っ込みますか。


 まあ気になるよね。そりゃそうかって感じ。


 だってさっきの戦闘、どう考えても普通の魔導じゃなかったもん。私としては必死に流れをつないだだけなんだけど、外から見たらリゼリアが開けた隙へぴたりと噛み合う形で異常の接続をずらし、結果として怪物の構造を崩したように見えたはずだ。


 うーん。


 …再現…か…


 したい。したいけど、できると言い切る自信はない。


 私は正直に、でも弱く聞こえすぎないよう慎重に言葉を選んだ。


「……原理としては、おそらく。ただ、精度は保証できません」


 うん、まあ嘘じゃない。


 するとリゼリアは短く頷いた。


「十分です」


 十分なんだ。


 いやありがたいけど。ありがたいけど、…ハードル上がってない?


 私は心の中でだけ軽く悲鳴を上げつつ、でも同時に少しだけ胸の奥が熱くなるのも感じていた。だって今の、共同戦闘としてちゃんと成立してた。リゼリアが前線で観測と誘導をし、私が見つけた接点へ流れを差し込み、その隙を彼女が斬った。偶然だけで片づけるにはお互い噛み合いすぎていた。


 これなら。


 まだ、いけるかもしれない。


 もちろん死域は残ってるし、ボスを“完全撃破”したわけでもない。むしろ本番はここからかもしれない。でも少なくとも、私は何もできないお飾りじゃない。リゼリアを一人で前へ行かせるしかない存在でもない。


 そこまで思って、私はようやくほんの少しだけ肩の力を抜いた。


 ……でも。


 いや、でもさ。


 だからってやっぱり、どうやってこいつを倒すんだああああ、という根本的な疑問が解決したわけではないんだけどね!?


 目の前の死域はまだ脈打ってるし、広間の奥からは濁った霊素が静かに湧き続けているし、怪物の“形”が崩れたとはいえ、あれが根本ごと消えた感じはまるでない。むしろ今のは、こっちが全力で食らいついて、相手の位相を一回ズラすことに成功しただけ、みたいな手応えだ。


 つまり。


 本当に倒すには、もっと深いところ――結節点そのものか、死域の核みたいなものに触れないといけない可能性が高いっていう(…っていうか実際そうなんだけど)。


 最悪だ。


 ほんとに最悪だ。


 でも泣き言はあと。まずは生き残る。それが先!!


 私は荒い息をなんとか整えながら、青白く脈打つ広間の奥へ視線を向けた。死域の濁りの向こうで、まだ何かが蠢いている気がする。


 そして思った。


 これ、序盤のボス戦としてはやっぱり盛りすぎでは?


 いや知ってたけど。


 知ってたけど、改めて本気でそう思う。


 でも、そんな理不尽さも含めて『Over World』なのだ。


 この理不尽な名作の中で、せめてリゼリアだけは絶対に“死なせない=攻略できる形”に持っていかないと。


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