第二話:理想のはずが、何かがおかしい
◇
まるで長編映画を一気に見終えたあとのような、妙に濃密で、それでいてどこか現実感の薄い余韻が、意識の奥にじんわりと残っていた。
夢、と言ってしまえばそれまでなのに、ただの夢と片付けるにはあまりにも内容がはっきりしていて、しかも妙に会話のテンポや空気感までリアルだったせいで、目を覚ました直後の私はしばらく「ここがどこで自分が何者なのか」という基本情報の読み込みに数秒ほどかかってしまった。
「……ん……」
ぼんやりとしたまま、私は無意識に目元をこすろうとして――その瞬間、ぴたりと動きが止まった。
……あれ?
なんだろう、この違和感。
別に激痛が走ったとか、手が動かないとか、そういうわかりやすい異常ではない。ただ、いつも通りに動かしたはずの腕が、妙に“遠い”というか、“長い”というか、感覚と実際の動きに微妙なズレがあるような、そんな気持ち悪さがある。
ゆっくりと、恐る恐る、自分の手を視界の中へと持ってくる。
そして。
「……え?」
出た声は、完全に素だった。
いやだって、そこにあったのは、どう見ても、どう贔屓目に見ても、私が知っている“自分の手”ではなかったのだから。
まず、でかい。
いや、でかいというか、長い。指がすらりと伸びていて、関節の一つひとつがはっきりしていて、無駄な肉が一切ないのに妙に骨ばっているわけでもなく、むしろ適度に筋が浮いていて、全体的に“完成度の高い手”という感じがする。
しかも肌がやけに白い。というか、私こんなに色白だったっけ? いや、確かに日焼けはあまりしないタイプだったけど、それでもここまで均一で、しかも妙に艶のある白さではなかったはずだ。
そして何より。
「……逞しくない?」
思わず呟いた。
そう、逞しいのだ。
細いのに、ちゃんと力がありそうな、いわゆる“華奢だけど弱くはない”という絶妙なバランスのそれは、少なくともスイーツ片手に「今日は自分に甘くてもいいよね」とか言っていた一般女性の手では断じてない。
いやいやいや、ちょっと待って。
冷静に考えよう。
これはつまり、あれか。夢の続き的なやつか。さっきの、あの、やたら完成度の高い天使とやらが出てきたアレの。
……天使。
そうだ、天使だ。
そこまで思考が追いついた瞬間、頭の中で何かがカチリと音を立てて繋がった。
「……あ」
思い出した。
というか、思い出してしまった。
白い空間。やたら綺麗な美少女。自称天使。妙に丁寧な口調。そして――
「異世界転生キャンペーン……」
口に出した瞬間、記憶が一気に鮮明になる。
自由に世界を選べるとか、チートがどうとか、理想の人生を設計できるとか、あまりにも都合のいい説明に対して半信半疑だったくせに、最終的にはノリで「ハーレム一択でしょ」とか言い切った自分の軽率さまで、しっかりと思い出してしまった。
そして。
「ハッ!」
勢いよく上体を起こす。
「そうだ、異世界ハーレムライフ!」
思わず声が大きくなる。
そうだ、そうだった。どう考えてもそれが目的だった。イケメンに囲まれて、ちやほやされて、甘やかされて、人生イージーモードを満喫するという、あまりにもシンプルで、しかし抗いがたい理想。
であれば、この状況はつまり、そのスタート地点というわけで。
「……ってことは」
改めて、周囲を見渡す。
そこに広がっていたのは、見慣れた自室でもなければ、病院のベッドでも、ましてやさっきの白い空間でもなく――
高い天井。
重厚な装飾。
壁にかけられた絵画や、やたら高そうな調度品の数々。
そして、やけにふかふかで、なおかつ広すぎるベッド。
「……え、なにここ」
思わず本音が漏れた。
いや、どう見ても普通の家じゃない。というか、そもそも“家”というスケールじゃない気がする。どちらかというと、ホテル、それもかなり格式の高い、いや下手したら城とか、そういうレベルの空間にしか見えない。
ということは。
「……勝ち組では?」
ぽつりと呟く。
いや、だって考えてもみてほしい。転生していきなりこの環境。どう見ても貴族か、それ以上の何か。少なくとも“平民スタートで苦労する系”ではないのは確実で、むしろ最初から恵まれた立場にいる可能性が高い。
そしてハーレム。
つまり。
「完璧じゃん……」
思わずにやける。
いやもう、これは完全に当たりだ。大当たりだ。あの天使、最初はちょっと胡散臭いとか思ってごめん、めちゃくちゃ有能じゃん、むしろ今度会ったら土下座で感謝してもいいレベルなんだけど。
……などと、完全に油断しきった思考で現状を受け入れようとした、そのときだった。
ふと。
本当に、ふとした違和感が、下半身のあたりからじわりと意識に浮かび上がってきた。
「……ん?」
なんだろう、この感じ。
別に痛いわけじゃない。むしろ違和感というほど強いものでもない。ただ、今までの人生で一度も経験したことがない種類の“何かがある感覚”が、妙にリアルにそこに存在している。
いや、ちょっと待って。
待って待って待って。
嫌な予感がする。
というか、この流れ、なんか嫌な方向に行きそうな気がする。
「……いやいやいや」
首を振る。
落ち着け。落ち着け私。これはきっとあれだ。服のせいとか、寝てる体勢のせいとか、そういうちょっとしたズレで感じてるだけで、別に深い意味はない。
そう、ないはずだ。
だって。
「ハーレムって言ったし」
私は確かにそう言った。
イケメンに囲まれるって。
つまり私はヒロインポジションで。
愛されて。
甘やかされて。
――
「……だよね?」
誰にともなく確認するように呟く。
しかし当然、返事はない。
静まり返った豪奢な部屋の中で、やけに自分の心臓の音だけが大きく響いている気がして、その鼓動が一拍ごとに不安を煽るように強くなる。
ゆっくりと。
本当にゆっくりと。
私は、視線を下へと落とした。
そして――
そこで、完全に思考が止まった。




