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第十三話:これってほんとに合ってる?



 (…集中しなきゃ…!)


 いやほんと、やるしかないんだけど、問題は“どうやって”である。精神論だけでどうにかなるなら世の中こんなに苦労しないし、気合いで魔法が出るなら異世界転生ものの八割くらいはチュートリアル不要になる。けれど、今この場で私に許されている手段は、残念ながら「深呼吸して現実から目を逸らす」以外にほとんどない。そして前方では、風鳴花の群れの中で、マナの歪みが半端な輪郭を持ちながらじわじわと実体化しかけている。放っておけばリゼリアが前に出る。そうなれば原作ルートの最悪が、ほんの少し形を変えただけで再現される可能性がある。


 なので。


 ようは、マナの流れを感じ取ればいいんでしょ?


 そう、自分に言い聞かせる。


 雑。めちゃくちゃ雑。

 でもこういうとき、変に難しく考えすぎると逆に手が止まるのも事実だ。大前提として、私はこの世界の住人としての経験値がゼロに近い。けれど、体はクリスだ。設定上、クリスはできる。できるはずなのだ。だったら中身の私がいまやるべきことは、「知らないから無理」と諦めることじゃない。「この体ならどういうふうに世界を捉えるか」を、必死で追いかけることだ。


 正直、“マナ”って言われても、いまだに感覚としてはよくわからない。エネルギーなのか、情報なのか、液体みたいに流れてる何かなのか、世界設定の文章としては散々読んできたくせに、実感として掴めと言われると途端に難しい。だって普通に生きてきて、「はい今から世界の根源エネルギーを体感してください」なんて機会あるわけないし。あるならみんなもっと魔法使ってる。


 でも。


 私自身が今クリスなら、絶対にできるはずだ。


 思い込みも時には大事っていうでしょ、という言い訳半分、自己暗示半分みたいな理屈を心の中で乱暴に掲げながら、私は必死に思考を組み立てる。頭の中で想像したものが全部そのまま現実になるとは思わない。そんな都合のいい創造魔法があるなら苦労しない。でも、ここが異世界だっていうんなら、その世界のルールに私だけが参加できないはずもない。ゲームの中のプレイヤーじゃなく、いまはもう、そのルールの内側に立っているのだから。


 じゃあ、“術式”とは何か。


 ここからだ。


 私は自分の記憶の中にある攻略本のページを、ほとんど無理やり頭の中へ広げるみたいにして思い出していく。図版。注釈。コラム。無駄に凝っていた用語解説。あれを読んでいた当時の私は、たぶんここまで真面目に使うことになるとは思っていなかったけれど、オタクの収集癖ってこういうとき役に立つんだなと、ちょっとだけ過去の自分を褒めたい気分になる。


 まず、マナは単体の粒ではない。


 正確には、“魔素子”と呼ばれる極小の反応単位が、場の中で相互に位相を持って流れている――みたいな説明があったはずだ。魔素子って要するに魔力の最小単位っぽいものなんだけど、電子みたいに固定した粒というより、むしろ“情報を持った揺らぎ”に近い。で、それが大地の霊脈、人間の身体、空気中の残留層、術具の蓄積核なんかに分布していて、術者はそれを感知して、整列させて、意味づけする。


 つまり構造としては、こうだ。


 場に散っている魔素子がある。

 それには流れがある。

 流れには偏りがある。

 術者はその偏りへ、自分の意志と身体の内部回路を差し込む。

 すると一時的に“意味を持った配列”が成立する。

 それが術式。


 ……たぶん。


 いや、たぶんじゃ困るんだけど。


 でも少なくとも、火属性だから赤く光る球を手から出す、みたいな単純な話じゃないことはわかっている。属性だって、ゲーム的には火・水・風・土・光・闇みたいに分類されていたけど、世界設定上はもっと連続的で、魔素子の振動数と配列の安定条件の差が便宜上ラベリングされているだけ、みたいな説明だった。たとえば風属性なら“移動・循環・圧差・剪断”、火属性なら“励起・加速・熱偏位”みたいな感じで、現象そのものに近い概念で整理されている。


 だったら今必要なのは、火力じゃない。


 必要なのは、歪みのほどき。


 つまり、前兆体を構成している魔素子の配列を乱暴に吹き飛ばすんじゃなく、そこへ繋がっている歪な流れを外して、不安定な構造そのものを崩すこと。


「……接続を、外すんじゃなくて」


 私は前方の揺らぎを見ながら、ほとんど自分の思考を音にするみたいに小さく呟く。


「別の流れに……逃がす……?」


 そうだ。


 ボスや前兆体って、たぶん“そこにある”んじゃない。


 “そこへ固定されている”のだ。


 本来なら流れていくはずのマナが、何かに押し返され、よどみ、歪み、局所的に固着して、不安定な擬似生命みたいになっている。だったら必要なのは破壊ではなく、再接続。水路に石が詰まって水が逆流してるなら、水そのものを殴るんじゃなくて、詰まりをずらして流路を戻す方が早い。


 ……たぶん合ってる。


 いやもう、これってほんとに合ってる?


 不安がどっと押し寄せる。


 だって全部、半分は設定資料からの知識で、半分は今の私の妄想みたいなものだ。理屈として筋は通ってる気がする。でも筋が通ってるからといって現実で使えるとは限らない。オタクの脳内考察と現場判断は、似ているようでわりと別物である。二次創作の設定補完なら楽しいけど、いま失敗したら花畑の向こうで意味不明な何かが実体化しかねない。


 けれど、ここで止まっても何も始まらない。


 元“オタク女子”の本領って、こういうところで出るんじゃないのか。設定を読むだけじゃなく、構造を勝手に図式化して、頭の中で回路図にして、AからBへ流れた情報がCで偏位するとき何が起きるかを妄想する、あの変な癖。普通の生活ではだいたい役に立たないけど、いまこの場では妙にしっくりくる。


 私は頭の中に、半ば無理やり図を描いた。


 地面の下を流れる深層霊脈。

 そこから枝分かれする補助流。

 表層へ上がる微細な風脈。

 その途中にある反転点。

 そこへ引っかかった魔素子群が、局所的に渦を作り、前兆体の核になっている。


 なら、私がやるべきことは一つ。


 その反転点の両側へ、仮の橋をかける。


 押し返されている流れを、正面からねじ伏せるんじゃない。少し横へずらして、戻る先を作る。詰まりを“壊す”のではなく、“繋ぎ直す”。それこそが、クリスの戦い方だったはずだ。真正面から全てを圧殺する力ではなく、分断されたものを読んで、接点を見つけて、流れを回復させる力。


 私は自分の右手に意識を落とした。


 剣を握っていない手。

 でも何かを掴めそうな手。


 手のひらをわずかに開く。すると、空気の温度とは別の、薄い圧みたいなものがそこへ触れる気がした。風ではない。けれど風に似ている。重くも軽くもなく、ただ“向き”だけがある感覚。これが、マナ?


 いや、わからない。


 でもたぶん、そう思って掴まないと掴めない。


 私はさらに集中した。花の揺れ、音の遅れ、地面の下の妙な冷たさ、前兆体の中心でよじれている見えない糸みたいなもの。全部をばらばらに見るんじゃなく、一枚の図面として重ねる。魔素子の位置。属性偏差。流れの向き。局所圧。反転。滞留。そこに自分という“接続点”を差し込むイメージ。


 術式とは、何かを出現させる呪文ではない。

 術式とは、流れに意味を与える配線図だ。


 なら、私が今描くべき術式は、攻撃ではなく補修。


 壊れた配線に、仮の導線を這わせるように。

 ちぎれた糸の両端を、一瞬だけ結ぶように。


 いけ。


 いける。


 いけ、たぶん。


 私は手のひらから前方の歪みへ向かって、言葉にならない意志を伸ばした。


 詠唱なんて知らない。正式な術式名もわからない。だからやることは、ただ一つ。感覚のままに、流れのズレた箇所へ自分の“通り道”を差し込むこと。


 その瞬間。


 ぶつん、ではなく。


 かち、でもなく。


 もっと柔らかい、“ずれていた歯車が噛み合う直前の音”みたいな感覚があった。


「……っ」


 視界が、わずかに明るくなる。


 いや、実際に光ったわけじゃない。ただ、前兆体の周囲にあった空気の濁りが、一瞬だけ筋道を得たように整って見えたのだ。歪んでいた花の揺れが、ほんの一拍ぶん遅れて正常化し、その遅れを追うように、音のズレも少しずつ揃っていく。


 前兆体が、震えた。


 形を持ちかけていた輪郭が、外から削れるように崩れるのではなく、内側から“支えを失ってほどける”みたいに崩れ始める。風と影とノイズでできていたそれは、悲鳴も上げず、ただ維持できなくなった構造物みたいに、静かに散った。


 花弁が一斉に鳴る。


 今度は遅れずに。


 ちゃんと風に乗って。


 私は息を止めていたことにそこでようやく気づき、思いきり空気を吸い込んだ。肺が痛い。心臓もばくばくしてる。膝が少し笑いそうになる。いや待って、成功した? 今の成功でいいの? なんか思ってたより地味だけど、でも確かに異常は崩れたよね?


 戦闘、回避できた?


 え、やば。

 ほんとに?

 これってほんとに合ってた?


 混乱と安堵が同時に押し寄せてくる中、私は必死に表情を保った。ここで「うそでしょ!? できた!?」みたいな顔をしたら全部台無しだ。クリスならたぶん、もっと落ち着いて見える。私はいま全力でその“落ち着いて見える”を捏造しなければならない。


 隣で、リゼリアが言葉を失っていた。


 彼女は前方の花畑と、散っていった歪みの痕跡、そして私の手元を順に見て、最後にゆっくりとこちらへ視線を戻す。その目には、さっきまでの監察官としての冷静な観察だけではない、もっと純粋な驚きが浮かんでいた。


「……今のは、何を」


 来た。


 そりゃそうなる。


 だっていまの、たぶん魔導でも霊術でもない。少なくとも、一般的な術式展開の見た目じゃなかったはずだ。私としては必死に内部配線を繋いだだけなんだけど、外から見たら“手をかざしたら歪みがほどけた”みたいな現象だったんじゃないかと思う。うわ、説明どうしよう。困る。めちゃくちゃ困る。


 でも、ここで変にごまかすのも違う。


 私はまだ荒い呼吸をどうにか整えながら、前方の風鳴花へ視線を戻した。花はもう、さっきまでの狂いが嘘みたいに、ただ風に揺れている。その音はきれいで、静かで、何事もなかったみたいだ。


「……私にも、まだ」


 慎重に言葉を選ぶ。


「正確にはわかりません。ただ、繋がっていない流れがあったので」


 私はそこで一度だけ息を吐いた。


「そこへ、通り道を作りました」


 説明として正しいのかはわからない。けれど嘘でもない。


 リゼリアは私を見つめたまま、しばらく何も言わなかった。


 その沈黙は、さっきまでの“計測”とは少し違っていた。もっと根本的な、観測理論の外側にあるものを見たときの沈黙。ありえない現象を、でも確かに目撃してしまった人の沈黙。


 そうだよね。


 魔導でも霊術でもない。

 でも確かに“接続”していた。

 もし彼女がそう感じたなら、それはたぶん正しい。


 私は内心で、また少しだけ青ざめる。


 クリスの能力が、初めて露出した。


 しかもこんな序盤に。

 しかも私の半分ヤケクソ理論で。


 ……いやでも、結果オーライってことでいいのかな。


 たぶん、いまはそれでいい。


 まだ全然安心はできない。地下霊脈回廊も、序盤ボスも、世界崩壊も、何ひとつ終わっていない。それでも少なくとも、私はいま、原作どおりの悲劇をそのままなぞるだけの存在ではないと証明できた気がした。


 怖い。


 でも、少しだけ。


 ほんの少しだけ、手応えがあった。


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