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第十二話:風の止まる場所と、まだ名前のない前兆



 ――ようはフラグをへし折ればいいんでしょ?


 そんな希望と呼ぶにはまだ弱すぎる予感というか、曖昧な輪郭だけを持った直感みたいなものを胸の奥に抱えたまま、私はリゼリアと並んで城から外れた高原路を歩いていた。フェーンハルト公都の外周は、内側の整然とした街並みとはまた違った顔をしている。石畳はやがて踏み固められた土の道へと変わり、遠くの風車群が白く回る丘陵地帯を抜けると、今度は風鳴花の咲く緩やかな斜面が広がっていく。空は相変わらず高く、雲は千切れた羊毛みたいに薄く流れていて、景色だけ見れば絵画みたいに美しいのに、私はその美しさを素直に味わう余裕が全然なかった。


 いや、だって。


 最初のダンジョンに出てくるモンスターって、何だったっけ?


 それがいま、私の頭の中をかなりの割合で占めている。


 正確には、モンスターという言い方が合っているかも怪しい。『Over World』の序盤で地下霊脈回廊に出てくる敵って、いわゆる牙をむいて襲ってくるゴブリンとかスライムみたいなわかりやすいやつではなかったはずだ。もっとこう、マナの歪みが不完全に実体化したような、存在と現象の中間にある何か、みたいな不気味なタイプだった気がする。原作『スターダスト』では演出が少し露悪的で、触れたものの感覚を乱すとか、幻聴じみた声を出すとか、いやあれ普通に怖かったんだよな。『Over World』ではRPGらしく整理されて“異常存在”として扱われていたけど、それでも“完全な生物ではない”感じは残っていた。


 ……で。


 もしそれと遭遇したら、私はどうすればいいの?


 そこだ。


 最大の問題はそこだ。


 目下の不安はやっぱりモンスター――いや異常存在との遭遇だけれど、それと同じくらい深刻なのが、「私がどうやってこの体の能力を使うのか」がまるでわからないことである。ゲームならコマンド選んで終わりだ。剣なら攻撃ボタン、魔法なら術式選択、補助ならショートカット。簡単。実に簡単。だけど現実はそうはいかない。操作説明もUIもないし、そもそも身体の中にある“マナ感知”とかいう便利なのか厄介なのかわからない機能が、どういう仕組みで働いているのかすらまだ掴みきれていない。


 あくまでゲームの仕様だけど、と前置きしたうえで思い返すなら、『Over World』世界におけるマナ術式って、単純な“エネルギーを放つ魔法”じゃないんだよね。あの世界のマナは燃料であり、情報であり、流れそのものだ。攻略本にも確かそう書いてあった。“術とはマナを消費する行為ではなく、流れへ意味を与える行為である”――みたいな、ちょっと哲学っぽい文言が載っていて、当時は「へえ、凝ってるなあ」くらいで読んでいたけど、今になるとその一文の重みが全然違う。


 つまり術式って、火球を出したいなら“火を作る”んじゃなくて、周囲や自分の中にあるマナの流れに、熱・収束・放出みたいな意味の型を与える行為なのだ。たぶん。いや知らんけど。攻略本を読んだ限りではそういう理解で合ってるはず。術者はマナを持っているというより、マナの流れに触れて、その形を一時的に整える媒介なんだよね。だから才能の差って単なる保有量じゃなくて、感知精度とか、構築の安定性とか、複数の流れを同時に読めるかとか、そういう細かい能力の総合になる。


 で、クリスの特異性はそこからさらに一段ずれている。


 普通の術者が“流れに意味を与える”のに対して、クリスは“流れそのものの接続状態”に触れられる。だから彼は単に強い魔法を撃てるんじゃなくて、歪んだマナ循環を一時的に整えたり、分断された流れを仮接続したりできる。……のだけど。


「いや、だからって今すぐ使えるとは限らないんだよなぁ……」


 うっかり小声で呟いてしまい、私は即座に口をつぐんだ。危ない危ない。ほんと最近独り言が増えている。いや状況が状況だから仕方ないんだけど。


「何か仰いましたか」


 隣を歩くリゼリアが、歩調を乱さずにそう尋ねてくる。声は柔らかい。けれど聞き流してはいない、という程度にはしっかりしている。さすがである。


「いえ、少し考え事を」


 そう答えながら、私は内心で必死に別のことを考えていた。会話。そう、会話だ。いま重要なのは戦闘の不安だけじゃない。リゼリアとの関係値も、かなり重要なのである。ここで不自然に黙り込んでばかりだと、彼女の中で私は“何かを隠している領主”になりかねないし、かといって気安く踏み込みすぎると、それはそれで軽薄認定される。難易度高すぎない?


 でも、だからこそ会話を選ばないといけない。


 リゼリアの好感度が上がるポイント――いや、信頼値が上がるポイントは、たしか三つ。


 彼女の職務を軽んじないこと。

 観察と判断を共有すること。

 そして、無理に私情へ踏み込まないこと。


 最後が難しいんだよね。だって私は知ってるから。彼女がどういう人物で、どういう経歴を持っていて、どういうルートが用意されているのかまで、ある程度知ってしまっている。汚染事例に関わった過去も、帝都での監察経験も、何なら“強くあり続けること”に本人がどれだけ疲れているかみたいな感情線まで、プレイヤー視点ではもう把握済みだ。だからこそ怖い。下手に“知っている感”が出ると絶対に不自然になる。


 なので必要なのは、“知らない前提の自然な会話”だ。


 たとえば経歴を知っているからといって「汚染事例の経験が豊富なんですよね」なんて言ったらアウトである。何で知ってるんだって話になるし、極秘任務ならなおさらだ。じゃあ何を話すか。任務の目的に沿った話題、フェーンハルトの土地の話、風鳴花の習性、監察官としての見解が聞けるような問いかけ――そういう方向がいい。


 よし。やるか。


 私は視線を前に向けたまま、できるだけ自然に口を開いた。


「帝都からフェーンハルトまでは、道中かなり風が強かったでしょう」


 無難。非常に無難。


 しかもこの土地の話にも繋がる。クリスっぽくもある。たぶん。


 リゼリアはわずかにこちらを見た。


「ええ。高原路に入ってからは特に。ただ、強いというより……整っている印象でした」


 あ、うまい返し。


 さすがだなこの人。単に天候の話で終わらせず、土地の性質として捉えている。


「整っている、ですか」


「はい。風の流れに無駄が少ない。自然地形だけではなく、風車や水路、街路の配置まで含めて、かなり意図的に設計されています。領主家の管理が行き届いている証でしょう」


 おお。


 それ、ちゃんと褒めてくれてるんだよね。媚びではなく、事実として。でもこういう評価をきちんと言葉にする人なの、かなりポイント高い。いや、誰目線だよって感じだけど。


 私は軽く息を吐いて、肩の力を抜きすぎない程度に答えた。


「祖父の代から、風路の維持には力を入れていたと聞いています。フェーンハルトは、風が巡ってこそ成り立つ土地ですから」


 これも、たぶん悪くない。家の功績を自分の手柄みたいに言わない。かといって他人事にも聞こえない。そのへんの塩梅、大事。


 リゼリアはほんの少しだけ目元を和らげた。気のせいかもしれない。でも、さっきより会話の空気が固くない気がする。


 そのまま私たちは、なだらかな坂を下り、風鳴花の群生地へ向かった。


 風鳴花は、このフェーンハルト特有の高原植物だ。細くしなやかな茎の先に、半透明に近い白青色の花弁をつけるその花は、風を受けると花弁同士がかすかに触れ合い、鈴のような、笛のような、どちらともつかない澄んだ音を鳴らす。秋になると谷全体を埋めるほどに咲くらしいけど、今は季節の走りなのか、斜面の一角にまとまって揺れているだけだった。それでも十分綺麗で、普通に観光地として売り出せそうなくらい幻想的なのに――


「……あれ?」


 私は足を止めかけた。


 音が、変だ。


 本来なら、風が吹けば一斉に細やかな音が連なって鳴るはずなのに、いま耳に届くそれは、妙に遅れている。花が揺れてから、ほんの一拍遅れて音が鳴る。しかも場所によって、音の高さが微妙にずれている。視覚と聴覚がうっすら噛み合っていない感じ。気のせいと言えば気のせいで済ませられる程度の差だけど、だからこそ不気味だ。


 風もおかしい。


 吹いているのに、回っていない。


 斜面の草が同じ方向へ流れるのではなく、ところどころで揺れ方が噛み合わない。まるで見えない境界線でもあるみたいに、一部だけ拍子が違うのだ。


 ……うわ、軽くホラーだこれ。


 ゲーム画面で見てたときは演出として処理してたけど、実際に体感すると嫌さが段違いである。風景は綺麗なのに、世界のどこかに針先ほどの狂いが刺さっているみたいな感じがして、背筋がぞわっとする。


 リゼリアもそれに気づいたらしく、歩みを止めて周囲を見渡した。


「風が……乱れている、というより」


「噛み合っていない」


 ほぼ同時にそう言って、私たちは一瞬だけ顔を見合わせた。


 あ、いまちょっと嬉しい。


 いや状況は全然嬉しくないんだけど、観測が一致したのは大きい。


 リゼリアはすぐに視線を周囲へ戻し、膝をついて地面近くのマナ流を確認するような仕草を見せた。手袋越しに草をなぞるその動きには迷いがない。さすが専門家。こういう所作一つで好感度が上がる。いや、こっちの。


「表層の風脈は正常に近い……ですが、下から押し上げる補助流に乱れがありますね」


「下から、ですか」


「ええ。表面だけ見れば自然変動にも見えますが、周期が揃っていません」


 なるほど。専門用語を挟みつつも、ちゃんと共有してくれる。いい人だなほんと。これ、普通の貴族相手ならもっと事務的に言うのかもしれないけど、さっきのやり取りで“話が通じる相手”として再評価されたからこそ、観測結果をちゃんと渡してくれてるのかもしれない。


 そのときだった。


 風鳴花の群生の中ほどで、何かがふっと歪んだ。


 正確には、“空気の厚み”が変わったように見えた。水面に油を落としたみたいな揺らぎが、花のあいだにじわりと広がる。その中心では、音の遅れがいっそう大きくなり、花弁同士の触れ合う音が、今度は逆に先に鳴ったような錯覚まで混じり始める。


「……っ」


 私は息を呑んだ。


 来る。


 これ、強制バトルイベントのやつだ。


 攻略本の補足欄にあった。“歪みの前兆体”――完全な魔物ではなく、マナの流れが局所的に縛られて発生する不安定な異常存在。ボスそのものではない。でも、ボスの断片みたいなもの。存在としてまだ固まっていないぶん、動きも不規則で、だからこそ危ない。


 揺らぎの中心から、薄い人影みたいなものが立ち上がりかける。輪郭は曖昧で、風と影と歪みを無理やりこねて形にしたみたいな、不完全な“何か”。目も口もないのに、見られているような圧迫感だけがある。


 リゼリアが前へ出た。


 反射だ。職務として当然の動き。護衛対象を背に置き、危険へ先に踏み込む。原作だと死亡ルートに繋がりかねないフラグ発生ポイント、その一つ。


 やばい。


 ここだ。


 展開としてはゲームにはないシチュエーションだけど、私の直感がそう告げている。


 “ここを通したらだめだ。”


「待ってください」


 私は思わずそう言っていた。


 リゼリアの足が止まる。ほんの半歩分だけ。でも十分だ。


 私は自分でも驚くくらいはっきりと、前方の歪みを指した。


「そこ、流れが歪んでる」


 完全に異常だ。


 言ってから、自分でもそう思った。いや状況じゃなくて、私の発言が。普通ならそんなの見えるのか、って話だ。でも今はそれどころじゃない。


 歪みの中心、その少し手前。花の揺れ方が一箇所だけ、妙に逆らっている。風が右から左へ流れているのに、その一点だけ、見えない何かに押し返されるみたいに揺れが戻る。おそらくあそこが、前兆体の核だ。そこへ踏み込めば、反発するように形を持つ。


 リゼリアはすぐには動かなかった。


 そのかわり、私の示した一点へ鋭く視線を向ける。


 数秒。


 そして彼女は、ほんのわずかに息を呑んだ。


「……確かに」


 低い声が落ちる。


「局所的に反転しています」


 よし。


 認識共有成功。


 でも、安心するにはまだ早い。前兆体はまだ形を保ちきっていない。逆に言えば、いまなら散らせる可能性がある。ただし、その方法が問題だ。


 剣で斬るのか。

 術式でほどくのか。

 それともマナ流をずらすのか。


 いやだから、それをどうやるんだ私は。


 頭がまたパンクしそうになる。


 でも前兆体は待ってくれない。揺らぎはじわじわと輪郭を持ち始めていて、風鳴花の音が今度は完全に狂い始めていた。遅れ、重なり、逆再生みたいな響きが耳の奥をくすぐって、普通に不快だ。これ長く浴びたら頭痛するやつでは?


 私は喉の奥で息を押し殺しながら、必死に考える。


 マナ術式は“流れに意味を与える”こと。

 前兆体は“流れに縛られた不安定な存在”。

 なら必要なのは、攻撃じゃなくて――


「……ほどく?」


 またしても口の中だけで呟く。


 リゼリアがちらりとこちらを見る。


 やばい、聞かれた?


 でも彼女は何も言わず、代わりに静かに問うた。


「どうされますか、閣下」


 閣下。


 うわ、責任が重い呼び方だな!


 でもそうだ。いま私はクリスで、公爵で、この土地の当事者だ。だったら選ばないといけない。


 私は揺らぐ空気を見つめたまま、ぎゅっと奥歯を噛みしめた。


 最初のダンジョンの敵、その前兆。

 魔法の使い方はまだ曖昧。

 でも、ここで何もしなければ、物語はまた原作どおりの最悪へ滑る。


 ……やるしかない。


 私はそう思いながら、自分の中にある“流れの感覚”へ、今までで一番深く意識を向けた。


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