第十一話:公爵らしく、を全力で捏造しております
リゼリアは沈黙した。
その沈黙は、わかりやすい拒絶ではない。かといって、素直な了承でもない。もっとこう、静かな刃物みたいな感じで、こちらの言葉を受け止めたうえで、その中身の硬さや嘘の有無や、言外に含まれている意図まで丁寧に確かめようとしている沈黙だった。
うわ、怖い。
いや顔はめちゃくちゃ綺麗なんだけど、監察官としての圧が静かすぎて逆に怖い。声を荒らげるでもなく、疑いを露骨に向けるでもなく、ただ「はい、では今の発言を分解していきましょうか」とでも言いたげな空気をまとわれると、人間ってこんなにも勝手に自白しそうになるんだなと、いま私は新たな学びを得ていた。
でもここで慌てたら終わる。
平静を装え。
平静を装え。
平静を装え。
私はほとんど念仏みたいに心の中でそれを唱えながら、表面だけでもどうにかクリスっぽい落ち着きを保とうと必死だった。というか、今の私がこの場で使える武器って、それくらいしかないのである。剣はまだ振れない。魔法もたぶんまともに使えない。知識はあるけど出し方を間違えれば不審人物一直線。だったら残るのは、見た目と雰囲気のハッタリだけだ。
頼むぞ、クリスの顔面。
こういうときくらい、全力で仕事してくれ。
「……外周から、ですか」
リゼリアが静かに口を開く。
その声音に感情の起伏はほとんどない。けれど、ほんのわずかに視線が鋭くなったのがわかった。やっぱりそうだよね。普通の公爵家の若様が、いきなり“地下に入る前に外周の停滞域を確認したい”なんて具体的な提案をしてきたら、そりゃ気になるよね。
「理由を、お聞かせ願えますか」
うん、来た。
来ると思った。
否定はしない。でも必ず理由を求める。これぞリゼリアである。職務に忠実で、しかも頭がいい。相手を感情で圧迫するんじゃなく、論理を差し出させて、そこに綻びがないかを見るタイプ。ほんとに厄介。いや味方にするとめちゃくちゃ頼もしいんだけど、いまはまだ“味方候補”くらいの位置だから、普通に怖い。
そして同時に、私は頭の中をフル回転させていた。
平静を装え、と唱えながら。
クリスならどう答える。
クリスならどう立つ。
クリスなら、どういう間で息を吐いて、どういう言葉を選ぶ。
……思い出せ。
思い出せ私。
ここで必要なのは攻略本じゃない。人物理解だ。
クリス・アルヴェイン。
『Over World』の主人公。
でも、よくいる“熱血一直線の王道勇者”とは少し違う。もちろん芯は強いし、正義感もある。けれど、それを大声で振りかざすタイプじゃない。彼の本質はむしろ、静かな責任感だ。自分が背負えるものは背負うし、見えてしまった問題から目を背けられない。貴族として育っているから礼節も自然に身についていて、言葉遣いも荒くない。けれど柔らかすぎるわけでもなく、必要なときには端的で、余計な感情を乗せずに判断を告げることができる。
つまり。
無駄に喋らない。
焦って早口にならない。
でも、曖昧に誤魔化しもしない。
……めちゃくちゃ難しいんですけど?
いやほんとに。
私、どちらかというと内心ツッコミ全開で生きてきたタイプなんですけど? 心の中では秒で「無理無理無理」が出るし、焦ると余計なことまでべらべら喋って自爆するタイプなんですけど? でも今それをやったら終わる。終わるどころか、リゼリアの中で“要注意人物”認定が一段階上がる。
クリスはもっと、重心が低い。
感情がないんじゃない。むしろ人よりずっと深い。でも、外に出すまでに一拍置く人だ。相手にぶつける前に、ちゃんと自分の中で整える。だから言葉に無駄がないし、そのぶん一度口にしたことには重みが出る。
ああ、そうだ。
彼って“風の人”なんだよね。
フェーンハルトの高原で育って、風の大陸の公爵家に生まれて、流れを読むことに長けている。だから性格も、水みたいに柔らかく形を変えるというより、風みたいに一見掴みどころがないのに、確実に進路を持っている感じだった。穏やかに見えて、決めたらぶれない。相手の言葉を受け止める余裕があるのに、核心では譲らない。
よし。
それでいけ。
私は内心で何度もそう言い聞かせながら、呼吸の速度を意識して落とした。慌てると声が上ずる。上ずると終わる。だからまず息。どんなときも深呼吸。これ、現代日本で培った数少ない有効スキルである。
……あと、ついでに思い出せるならリゼリアの攻略ポイントもだ。
いや、攻略って言い方をすると語弊があるけど。今の私に必要なのは恋愛フラグじゃない。生存フラグである。とはいえ、この世界、特に原作側の構造って、好感度や信頼値が生死に直結しがちなんだよね。理不尽。めちゃくちゃ理不尽。でも無視はできない。
リゼリアの好感度が上がる条件って、確か単純な甘い言葉とかスキンシップではない。というか、下手にそれをやると逆効果だったはずだ。彼女は職務意識が強くて、見た目の色気や表面的な口説き文句に弱いタイプではまったくない。むしろそういう軽薄さを一番嫌う。じゃあ何が効くのかというと――
誠実さ。
観察力。
職務への敬意。
そして、
自分を“女性として特別扱いしないこと”。
そうそう、そこだ。
リゼリアって、帝国直轄の特務監察官という立場上、周囲から二重に見られやすいんだよね。“有能な監察官”として距離を置かれるか、“綺麗な女性”として勝手に柔らかく扱われるか。そのどちらでもなく、ちゃんと一人の専門職として評価してくれる相手に弱い。だからクリスとの相性が良かった。彼は彼女の美貌に無頓着という意味ではなく、そこに引きずられず、最初から判断力と責任感を見ていた。しかも余計なお世辞を言わない。そのくせ必要な場面ではちゃんと気遣うから、そりゃ好感度も上がる。
……つまり今の私は。
取り繕った甘い台詞とか、スマートすぎる口説き文句とか、そういうものは一切不要。むしろ危険。必要なのは、リゼリアの職務判断に足るだけの言葉を返しつつ、彼女の任務そのものを軽く扱わないこと。
難易度高いな!?
いやほんとに、初手でこれ要求されるの厳しすぎるんだけど。でも仕方ない。やるしかない。
私は一拍だけ間を置いた。
クリスならたぶん、すぐには答えない。考える。相手の問いに対して、雑に返さない。その“間”が不自然な沈黙ではなく、言葉を選んでいる時間として成立するように見せなければいけない。
頼む、成立してくれ。
「断定はできませんが――」
声に出した瞬間、自分でも少し驚いた。
ちゃんと落ち着いて聞こえる。少なくとも、外からはたぶんそう見える。内心では「いける? いけてる? これクリスっぽい?」って大騒ぎなんだけど、外面は意外と保てているらしい。顔面と声帯のポテンシャルが高すぎて助かる。中身の挙動不審をかなり隠してくれている。
私は続ける。
「流れが“止まっている”というより、“押し返されている”ように感じる」
言った。
言ってしまった。
でも、これだ。
これが今の最適解だと思う。
“逆流点”なんて攻略ワードをそのまま口に出したらアウトだけど、こう言い換えればクリスの感覚として十分成立する。実際、さっき風の流れの中に妙な淀みを感じたのは嘘じゃない。メタ知識ありきだとしても、その違和感を今の身体が拾っているなら、それはもう“クリスの感覚”として扱っていいはずだ。
リゼリアの目が、ほんのわずかに見開かれた。
あ、刺さった。
完全な信用ではない。でも無視もできない、そんな反応。
私は調子に乗らないよう注意しながら、さらに一歩だけ核心へ寄せる。
「地下だけの問題なら、外に歪みは出ないはずです」
これも強い。
強いけど、言いすぎると危ない。
だから語尾は断定しすぎず、しかし曖昧にも逃がさない。そのバランスが重要だ。クリスは感情論ではなく、観測と直感の両方を使う人だから。
リゼリアは沈黙したまま、私を見ていた。
その視線の奥で、何かが組み替わるのがわかる。最初の評価が変化している。たぶん彼女はいま、私を“護衛対象の若い公爵”としてだけでなく、“領内異常について独自の感覚を持つ当事者”として再分類している。
よし。
よし、いいぞ。
この流れならまだいける。
内心でガッツポーズをしつつ、私は表面上は相変わらず落ち着いた顔を保つ。ここでちょっとでも「うまくいった!」みたいな顔をしたら全部終わる。貴族の落ち着き、大事。クリスの静けさ、大事。
……しかしあれだな。
これ、演じてみると改めてわかるけど、クリスって相当しんどい人生送ってたんだろうな。
だってこの人、最初からこういう“余裕のある振る舞い”を求められる立場なんだよ。公爵家の嫡子として、領民にも、使用人にも、帝国の役人にも、弱みを見せすぎず、でも冷たすぎず、判断力がありそうに振る舞わなきゃいけない。そのうえで、風の流れとか霊脈異常とか、誰も気づかないようなものまで感じてしまう。見えなくていいものまで見えてしまうタイプの主人公なのだ。そりゃ背負うものも重くなる。
もしかしたら、クリスがあそこまで“静か”だったのって、元々の気質だけじゃなくて、そうやってずっと人前で自分を整えてきた結果でもあるのかもしれない。熱い心を持っていないんじゃない。むしろ人よりずっと熱い。だからこそ、外では抑えている。抑えないと、自分が壊れるし、周囲も困らせるから。
……うわ、急に解像度上がってきたな。
これまでプレイヤーとして見ていたクリスが、いまは“体の内側から理解できる人物”に変わりつつある感じがして、ちょっと変な気分になる。嫌だけど。いやかなり嫌だけど。だって最終的に聖剣になる運命背負ってる人の内面がわかってくるって、しんどいに決まってるし。
そんな私の内心の大渋滞を知るはずもなく、リゼリアはごく小さく息を吐いた。
「……興味深い見解です」
来た。
来ました。
これ、完全な賛同じゃない。でも、“聞く価値はある”のサインだ。つまり分岐成功。たぶん。いやまだ油断はできないけど、少なくとも地下直行の即死コースからは、一歩ずらせた可能性が高い。
リゼリアは続ける。
「観測理論とも一致します。少なくとも、無視すべき意見ではありません」
おお……。
それ、ほぼ最大級の評価では?
この人、言葉を盛らないタイプだから、ちゃんと認めるときはかなりはっきり認めるんだよね。しかも媚びない。だからこそ重い。
そして、彼女はほんのわずかに顎を引いた。
「では、先に外周を確認しましょう」
よっしゃああああああ!
――と内心でだけ絶叫した。
よし、第一関門突破。
地下直行ルート、いったん回避。
まだボス戦が消えたわけじゃない。リゼリアの死亡フラグが完全に折れたわけでもない。けれど、少なくとも“何も知らないまま突入して奇襲を食らう”最悪の流れからは、ひとまず距離を取れた。
大きい。
これはかなり大きい。
私はどうにか表情を崩さずに、ごく自然に頷く。
「助かります」
短くそう返してから、あ、これもたぶんポイントだなと気づく。
そう、リゼリアの好感度アップ条件の一つ。彼女は自分の職務判断を尊重されるのと同時に、対等に意見交換されることにも弱い。ただ命令するだけでも、逆に全部丸投げするだけでもだめで、“彼女の専門性を認めたうえで協力する姿勢”がかなり効く。
今の「助かります」は、たぶん悪くない。
やりすぎない。気障すぎない。職務への敬意だけを伝える。
うん、いい。たぶん。
その瞬間、リゼリアの表情が本当にごくわずかだけ和らいだ気がした。
気のせいかもしれない。
でも、もし気のせいじゃないなら。
それはきっと、護衛対象を見る監察官の目から、一歩だけ、共同調査に臨む相手を見る目へと変わった証拠だ。
……よし。
少しだけ、道が開けた。
私は胸の内でそう呟きながら、改めて気を引き締める。
平静を装え。
クリスらしくあれ。
でも中身は全力で考えろ。
最初のイベントは、まだ始まったばかりだ。
そして私はようやく、その入口に立ったまま、ほんの少しだけ思った。
もしかすると。
ほんの少しだけなら。
この物語、変えられるかもしれない。




