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第十話:回避不能イベントとか聞いてないんですけど


挿絵(By みてみん)





 ――リゼリア、絶対に死なせない。


 そう心の中で固く決意した直後に、じゃあ具体的にどうするのかと自分で自分に問い返してみた結果、返ってきた答えが見事なくらい真っ白だった私は、フェーンハルトの高原を吹き抜ける爽やかな風とは真逆に、胃のあたりへ鉛でも詰め込まれたみたいな重さを感じながら、内心で静かに頭を抱えていた。


 ……なんでこんなことになってるんだろ。


 いやほんとに。


 数時間前まで、たぶん私はコンビニのスイーツコーナーの前で新作プリンと期間限定ロールケーキのどっちを買うか真剣に悩んでたはずなんですよ。そこからどういう理屈を経由したら、異世界の公爵家に転生して、帝国直轄の特務監察官に見つめられながら「序盤ヒロインの死亡フラグをどう回避するか」について本気で悩む流れになるのか、どれだけ論理を積み上げても途中に“天使のキャンペーン”という理解拒否案件が挟まって全部台無しになる。


 でも、そんなことを考えていても仕方がない。


 仕方がないのだ。


 なぜなら現実は、こっちの都合を待ってくれないから。


 物語はもう動き出しているし、リゼリアは目の前にいるし、私がここで「いや一回整理する時間ください」と言ったところで、はいどうぞとチェックポイントが出てくるわけでも、セーブスロットが開くわけでもない。現実の嫌なところはそこだ。イベントが始まる前に攻略サイトを見直す時間も、装備を整える時間も、気持ちを落ち着けるインターミッションも、丁寧に用意されていない。


 つまり。


 ひとまず私の最初のミッションは、最初のイベントをどう回避できるか、そこに尽きる。


 最初のボスとは、もちろん鉢合わせたくない。


 リゼリアも、もちろん死なせたくはない。


 でも、そのイベント自体は『Over World』上、かなり重要な“起動点”だ。ここで地下霊脈回廊に足を踏み入れ、フェーンハルト領で進行している異常の輪郭に初めて触れ、しかもそこでクリス自身が“ただの有能貴族”ではないことを示唆する挙動を見せるからこそ、以後の物語が転がり始める。


 言い換えると。


「避けられないんだよねぇ……」


 うっかり口の中だけで呟いてしまってから、私ははっとして口を閉じた。危ない危ない。今のこの状況で独り言が増えると、ますます“護衛対象に何らかの精神的異常あり”って報告されかねない。


 いや、異常はあるんだけど。

 あるにはあるんだけど。

 めちゃくちゃあるんだけど。

 できればそれはまだバレたくない。


 目の前では、リゼリアが静かに私を見つめている。彼女の視線はきついわけではないのに、妙に逃げ場がない。観察されている、という表現がしっくりくる。責めてもいないし、急かしてもいない。ただ、見ている。こちらがどう反応するのか、どんな間を置くのか、何を言うのか、きっと全部、無意識に記録しているのだろう。


 さすが監察官。

 怖い。

 しかも綺麗。

 それが余計に怖い。


 私はどうにか涼しい顔を保ちながら、内心では猛スピードで思考を回転させる。


 まず、イベントの基本構造を整理しよう。


 リゼリアがフェーンハルト公都へ到着した時点で、屋敷には帝都からの正式な任命書が届いている。名目は“公爵家の安全保障強化に伴う護衛配属”。けれど、その本質はもちろん監察だ。彼女は公爵家の周辺に常駐し、領内の風脈停滞や霊脈観測値の微細な異常を調べ、必要であれば不正採掘や外部干渉、内部裏切りの線まで洗う。極秘命令としては、公爵自身――つまりクリスが異常に関与していた場合の対応まで含まれている。


 うん、重い。


 改めて整理するとほんとに重い。


 これ、普通のラブコメ的な“今日から護衛です、よろしくお願いします♪”みたいな柔らかいイベントじゃないんだよな。開幕から信頼と監視と政治が三層構造で重なってる。そりゃリゼリアもこんな真顔になる。私だって彼女の立場なら真顔になる。


 で、問題の最初のイベントは、その監察の流れの中で起こる。


 数ヶ月前からフェーンハルト領では、局所的に風が滞る日が増え、高原植物の風鳴花の開花周期が微妙にずれ、住民にも軽い倦怠感や頭痛が出始めていた。どれも単体では軽微。でも軽微だからこそ厄介で、誰も“今すぐ地下を開いて調査すべきだ”とは言い切れない。一方で、リゼリアみたいな高感度の感知能力を持つ人間には、その曖昧さが逆に不自然に映る。何かが、静かに、意図的に、深いところで詰まり始めている。


 そして調査の末に辿り着くのが、領主城の地下――古代神殿跡のさらに下に封鎖された霊脈回廊だ。


 ……はい、来ました第一ダンジョン。


 嫌な予感しかしない場所ランキング第一位。


 暗い。古い。封鎖されてる。しかも霊脈が絡む。

 もう“何か出ます”って看板立ててるようなものじゃん。


 原作『スターダスト』では、ここでイベントの進行度やヒロインとの親密度、事前に回収した情報の有無なんかでルートがかなり変わる。下手を打つと、リゼリアは序盤ボスの奇襲をまともに受けて死ぬ。クリスはそれをきっかけに、自分の無力さと領内異常の深刻さを思い知って旅立つ流れになる。つまり彼女の死は、原作において“主人公を物語へ押し出すための犠牲”として機能してしまっているのだ。


 最悪である。


 ほんとに最悪である。


 物語として美しいとか、悲劇として印象深いとか、そういう次元じゃない。今の私からしたら、「いやその役目、他にないんですか?」と全力で制作側に問いたい案件だ。しかもお兄ちゃんが昔、「リゼリアはイベント開始前にデートしまくらないと死ぬ」とか平然と言っていたせいで、私の中でこの人は“綺麗で有能で可哀想な上に、なぜかデート回数で生存率が上下する不憫ヒロイン”というだいぶ不本意な印象で定着している。いやまあ、それは原作の話だし、『Over World』ではそこまで露骨じゃなかったけどさ。それでも、死ぬ可能性が高いポジションであることには変わりない。


 なら、回避方法は何だ。


 イベントそのものを潰すか。

 展開をずらすか。

 戦闘そのものを避けるか。

 それとも戦闘に入る前提で、生存条件を満たすか。


 私は順番に脳内でシミュレーションしていく。


 まず、イベントそのものを潰す案。


 つまり地下霊脈回廊の調査を拒否する、あるいは延期させる。


 ……うん、無理。


 ほぼ無理。


 リゼリアは監察官として正式に派遣されているし、領内に軽微でも継続的な異常がある以上、「気のせいです」で追い返すのは不自然すぎる。むしろそこで調査を拒めば、公爵家が何か隠していると判断されかねない。最悪、帝国本庁が追加人員を送り込んでくる。それはそれで別ルートの地雷が増えるだけだ。


 次に、展開をずらす案。


 調査は受け入れるが、地下回廊へ向かうタイミングを引き延ばし、その間に戦力や情報を整える。


 ……これは、少しだけ可能性がある。


 ただし問題は、異常が進行型であることだ。あのイベントって、“行ったから危険”というより、“放置していたものが限界に近づいていて、そこに踏み込んだ結果として爆発する”構造なんだよね。だから遅らせれば遅らせるほど安全になるとは限らない。むしろ遅すぎると、ボス側の準備が整ってリゼリアの死因がさらに悪化する可能性すらある。嫌なゲームだなほんと。


 じゃあ戦闘そのものを避ける案は?


 ボスと鉢合わせしないよう、ルート変更、囮、先行偵察、封鎖、あるいは別動隊投入。


 ……いや、これも難しい。


 なぜなら序盤ボスは、単にそこに“立っている敵”じゃないから。霊脈異常を利用して潜伏・移動・奇襲を行うタイプで、プレイヤーが一本道を進んだ結果ぶつかるというより、“向こうから最悪のタイミングで現れる”のが厄介なんだ。しかも地下回廊は構造が古く、崩落箇所や封印区画があって視界も悪い。私が完全に把握しているのはゲーム画面上のマップ情報だけで、現実の立体構造としてどこまで再現されているのかもわからない。これで「じゃあ安全な裏道を使おう」とかやって別ルートの罠踏んだら笑えない。


 となると。


「……結局、生存条件を満たすしかない?」


 私はぎりぎり口を動かさない程度の小ささで呟いた。


 たぶん、そこだ。


 イベントは回避不能。

 ボス戦も、おそらく完全回避はできない。

 なら、リゼリアが死ぬ分岐に入らないよう立ち回るしかない。


 問題は、その条件が何だったかを正確に思い出せるかどうかだ。


 『Over World』版では、リゼリア生存の鍵は単純な好感度ではなく、いくつかの要素が複合していたはずだ。具体的には、地下へ行く前にフェーンハルト領内の異常を複数箇所で確認していること、リゼリアが単独で先行しない状況を作ること、そして――


 私は眉間にしわを寄せる。


 あと一つ。


 あと一つ、決定的に重要な要素があったはずだ。


 何だっけ。


 何だったっけ。


 ……あ。


「風脈の“逆流点”……?」


 そうだ。確か、地下回廊に入る前に外部観測で“局所的な逆巻き”を把握しているかどうかで、最深部への到達ルートが変わるんだ。知らずに進むと、リゼリアが“安全確保のため”に前へ出ざるを得なくなり、そこでボスの初撃を受ける。逆に、その逆流点を事前に把握していれば、先回りじゃなく迂回の判断ができる。つまり――


 まだいける。


 完全に詰んではいない。


 少なくとも、ゲーム知識がそのまま役に立つ可能性はある。


 ただし、そのためにはまず調査の主導権をある程度こちらが握らないといけない。


 ここで私ははたと気づく。


 ……待って。


 それってつまり、クリスとして“ちゃんと有能に振る舞う必要がある”ってことでは?


 無理では?


 いや、無理とか言ってる場合じゃないんだけど。


 そもそもクリスは元々、ただの貴族の坊ちゃんじゃない。風脈の異常やマナ流の乱れに、人一倍敏感な素養を持っている。表に出していないだけで、領内の違和感もある程度感じ取っていたはずだ。だからこそリゼリアとの初対面で、ただ受け身に命令を聞くんじゃなく、自分なりの観測結果や違和感を持っていると示せれば、彼女の警戒は別の方向へずれる。


 監視対象から、共同調査の相手へ。


 そこに持っていければ、彼女が単独行動する危険も少しは減る。


 問題は。


 その“有能ムーブ”を、昨日まで一般女性だった私がどこまで自然に演じられるかである。


 いやほんと、ここ大問題なんですけど。


 知識はある。あるんだけど、知識を知識として差し出すだけだと不自然になる。「あの、外部観測を先にやった方がいいと思います」とか急に言い出したら、それはそれで“なぜそこまで具体的に?”ってなる。ゲームの攻略情報です、とはもちろん言えない。すると必要になるのは、“クリス自身が感じていた違和感”として再構成して話すこと。


 つまり私は今から、クリスの身体感覚と自分のメタ知識をいい感じに混ぜて、あたかも自然な洞察であるかのように語らなければならない。


「ハードモードすぎない?」


 心の底から思う。


 でも、やるしかない。


 目の前のリゼリアは、ほんのわずかに首を傾けていた。私が長く黙っているからだろう。不審がられているというより、反応を待っている感じだ。彼女はすぐに感情で詰めてくるタイプじゃない。こちらの言葉を引き出そうと、ちゃんと間を取る人だ。その誠実さが逆に刺さる。ほんとやめて、その丁寧さで死ぬ未来持ってるのつらすぎるから。


「……どうかなさいましたか」


 再び、静かな声が落ちる。


 甘美、という表現が似合う声なのに、内容はあくまで職務的だ。そのバランスがずるい。柔らかいのに、緩まない。優しいのに、踏み込む覚悟がある。


 私は内心でごめん、と呟く。


 今、あなたのことめちゃくちゃ見てるけど、恋愛的な意味じゃないです。いや、この顔でそれ言うと余計まずいな。ともかく、今の私はあなたのまつ毛が長いなとか、声が綺麗だなとか、そういうことより先に、「どうすればあなたを最初のボスから守れるか」で頭がいっぱいなのである。ロマンスどころじゃない。命がかかってる。


 私は一度、深く息を吸った。


 フェーンハルトを吹き抜ける風は冷たすぎず、乾きすぎず、わずかに石と草の匂いを含んでいる。その感触が、ほんの少しだけ私を落ち着かせる。


 考えろ。


 焦るな。


 最初の一手が大事だ。


 ここで取り乱したら終わる。

 でもここで黙って流されたら、それはそれでイベントは原作どおりに走る。

 なら、できるだけ自然に、かつ相手が聞き流せない形で、調査方針へ口を出す必要がある。


 監察官としての彼女に届く言い方。

 公爵としての私が言っても不自然でない言い方。

 そして、地下回廊直行を避けるだけの説得力を持つ言い方。


 私は頭の中でいくつかの文面を並べては消す。


 「領内の観測値に違和感が」――硬い。

 「まず外周から見た方が」――理由が弱い。

 「地下へ入る前に風脈の停滞域を確認したい」――これだと少し具体的すぎるか?

 いや、クリスなら言ってもおかしくないかもしれない。元々この土地で育ち、風の変調に敏感な人物だし。


 そう考えたところで、私はふと、自分の中に妙な感覚があることに気づいた。


 風だ。


 屋敷の外壁を撫で、庭木の葉を鳴らし、白風車の羽根を回すその流れの中に、ごくわずかに、引っかかるような“淀み”がある。気のせいかもしれない。でも、さっきまで鏡の前でパニックになっていたときには気づかなかったような、薄い違和感が、いまは妙に生々しく意識に触れてくる。


 ……これが、クリスの感覚?


 それとも、知識が先にあるからそう感じるだけ?


 わからない。


 でも、どちらでもいい。


 使えるなら使う。


 私はその違和感に意識を向けたまま、ゆっくりとリゼリアへ視線を戻した。


 彼女は変わらず静かに立っている。けれど、その瞳の奥には、ただ護衛を命じられた騎士ではない、観測者の鋭さが宿っていた。こちらの呼吸の乱れも、間の取り方も、たぶん全部見られている。


 なら、見せてやろうじゃないか。


 こっちにも、ちゃんと“違和感”があるってことを。


 私は覚悟を決める。


 最初のイベントを完全に消すことはできない。

 ボス戦そのものも、おそらく避けきれない。

 だったらせめて、死ぬルートから外す。


 そのための第一歩は、地下へ降りる前に調査の順番を変えること。


 外の風脈、停滞域、風が吹かない区画、植物のズレ、住民の軽度症状。

 その確認を先に入れれば、少なくとも“何も知らずに罠へ突っ込む”展開は防げる。


 そして、できれば戦力も増やしたい。

 最低限、リゼリアを単独行動させない。

 できれば屋敷側の騎士もつけたい。

 でもそれを言うには、まず私自身が“ただの護衛対象ではない”と示さないと話にならない。


 よし。


 言え。

 ここで言え。

 どうせ黙ってても地獄だ。


 私は口を開きかけて、しかし寸前で一度だけためらった。


 ……なんでこんなことになってるんだろ。


 その思いが、また胸の奥で小さくうずく。


 でも、もういい。


 もうその問いは、あとでいい。


 今はまず、生き延びること。

 守ること。

 それが先だ。


 私は軽く息を吐き、できるだけ自然に、できるだけクリスらしく見えるよう声を整えた。


「護衛の件は理解しました」


 自分でも少し驚くくらい、落ち着いた声が出た。見た目が良すぎると、多少ハッタリをかましてもそれっぽく聞こえるの、ずるいなほんと。


「ですが」


 リゼリアの目が、わずかに細まる。


 私は続ける。


「この数日、領内の風の流れに妙な偏りを感じています。地下に入る前に、まず外周の停滞域を確認したい」


 言った。


 言ってしまった。


 ああもう後戻りできない。


 でも、これでいい。これが第一手だ。


 リゼリアは沈黙した。ほんの一瞬。けれど、その一瞬が異様に長く感じられる。試されている。測られている。いまの発言が、ただの気まぐれか、領主としての観察眼か、それとも何か別のものかを。


 私は表情を崩さないよう、心の中だけで全力で祈る。


 お願いだから乗って。

 お願いだから地下直行ルートだけはやめて。

 お願いだからここで「非効率です」とか言わないで。


 その沈黙ののち、リゼリアはごく静かに口を開いた。


 そして私は、その返答を待ちながら、胸の奥でどくどくと鳴る心臓の音を聞いていた。


 最初のミッション開始。


 目標は一つ。


 回避不能イベントを、死なない形にねじ曲げること。


 それが、転生初日の私に与えられた、あまりにも重すぎる最初の仕事だった。


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