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第九話:最初のヒロインと、最初の死亡フラグ



 物語が、本当に始まってしまった。


 その事実がじわじわと実感に変わっていくにつれて、さっきまで高原の風に多少は冷やされていたはずの頭が、逆に別の意味で熱を持ち始めるのが自分でもわかった。いやだって無理でしょ。いくらなんでも無理でしょ。ついさっきまで「世界の命運とか私が背負うの?」ってだけでも十分オーバーキルだったのに、そこへ来て序盤ヒロインの登場って、もう完全にイベント進行フラグが立ってるじゃん。しかもこの人、ただのヒロインじゃない。最初の大きな事件に直結する、いわば“開始の合図”そのものみたいな存在なのだ。


「……え、ちょっと待って」


 私は目の前の女性――いや、知識の中ではもう名前が出ている、その人を見つめたまま、引きつった笑みを浮かべそうになる口元をどうにか抑え込んだ。


 リゼリア・ヴァン・ルクシア。


 帝国直轄 《霊脈監理騎士団》の特務監察官。


 表向きは“公爵家への護衛配属”。実務上は“霊脈異常調査のための現地常駐監察”。そして本質としては――このフェーンハルト領そのもの、さらに言えばクリス自身が“異常の中心に近い存在”として帝国に認識され始めているからこそ派遣された、冷静かつ有能で、感情に流されずに任務を遂行できる観測者。


 つまり。


 この人がここにいるということは。


「……始まってるじゃん」


 思わず小声で漏れた。


 いや、もう完全に始まってる。序章とか導入とか、そういうふわっとした話じゃない。ストーリー上、ちゃんと歯車が噛み始めてる。しかもこの流れ、偶然でもなんでもないんだよね。世界構造の必然として、ここでリゼリアは来る。フェーンハルト領ではここ数か月、風脈の流れが局所的に停滞し、一部地域では“風が吹かない日”が増え、高原植物の生育周期が微妙にズレ、住民の間でも軽い倦怠感や頭痛が報告されている。どれもそれだけなら自然変動や体調不良で片づけられる程度の曖昧さしかない。でも、それが同じ領域に集中し、時間経過とともにごくわずかに悪化しているとなれば、帝国側が「人為的干渉の可能性あり」と判断するのは当然だ。


 しかもフェーンハルトは、複数の風脈交差点を抱える重要地帯だ。帝都へ繋がる主風路、西方高原の補助霊脈、古代神殿直下の深層流。その全部がここに重なっていて、この土地が崩れれば周辺一帯どころか広域にまで影響が出る。そしてその管理責任は公爵家、つまりアルヴェイン家にある。政治的にも帝国中枢に近く、外交調停役としての立場を持つ伝統あるフェーンハルトの地で不正採掘や霊脈事故なんて起きようものなら、それだけで一気に外交問題へ飛び火する。だから通常の観測官や学者ではなく、戦闘能力まで含めて対応できる霊脈監理騎士団、それも中でも有能で、感知能力が高く、汚染事例の経験もあり、しかも貴族相手に失礼なく立ち回れるリゼリアが選ばれた。


 ……ここまではいい。


 いや良くはないけど、筋は通ってる。問題はその次だ。


 この人は“護衛”という名目で私の側に置かれる。


 でもその中身は、忠誠であり、監視であり、接触開始だ。


 そして。


 その接触が、最初のダンジョンと最初のボスに繋がっている。


「いや無理無理無理無理……」


 頭の中ではすでに警報が鳴りっぱなしだった。だってさ、プレイヤー視点ならまだいいよ? イベントムービー始まったなー、ここでリゼリア来るんだよね、次は地下霊脈回廊の異常調査で、途中であの中ボス戦があって、最後に序盤のボス出てきて――って流れを「あー来た来た」って眺めていられる。でも今の私はプレイヤーじゃない。攻略本を片手に安全地帯から眺める側でもない。イベントのど真ん中に立たされている側だ。しかも剣も魔法もまだ何ひとつ操作してない。チュートリアルも受けてない。ステータス確認画面もない。スキル説明もない。第一、頭が全然整理できてない。


「……終わってない? 私」


 内心で呟きながら、それでも表情だけはどうにか崩さないようにする。ここで挙動不審になったら、それこそリゼリアに“精神状態要観察”とか判断されかねない。いや、もう十分怪しいかもしれないけど。


 目の前の彼女は、そんな私の内心の大惨事など知る由もなく、涼やかな顔でこちらを見ている。その立ち姿はまっすぐで、背筋は一切ぶれていない。騎士装束は華美ではないのに妙に映えるし、黒髪をまとめたその姿には清楚さと実務能力が同居していて、いかにも“綺麗&清楚クール系美女”という感じなのに、単なる属性萌えで片づけられない重みがある。そうなんだよ、リゼリアってそういうキャラなんだよ。綺麗で、冷静で、仕事のできる監察官。でも本質はもっと重い。彼女は誰よりも感情を律して任務を優先する人で、そのくせ内側には、壊れそうなくらい真面目な責任感と、何かを守れなかった過去の傷みたいなものを抱えている。だからこそ序盤でクリスの護衛として近づき、最初は完全に職務として接していたのに、少しずつ“監視対象”ではなく“一人の人間”としてクリスを見るようになる。その過程がめちゃくちゃ丁寧で、プレイヤー人気が高いんだよね。


 そして。


 原作『スターダスト』の方では。


「……あーもう、それ思い出すの最悪なんだけど」


 私は心の中で頭を抱えた。


 このゲームの悪いところ、というか原作のほんと嫌なところは、メインヒロインたちがこれでもかというくらい悲しい結末を迎えるところだ。『Over World』ではかなり再構成されていたし、RPGとして世界観や群像劇に重心が移っていたぶん、直接的な“ヒロイン死亡ルート管理”みたいな露悪さは薄められていた。でも原作『スターダスト』は違う。あれはもう、攻略に失敗したときの落とし方が本気でえげつない。


 リゼリアだってそうだ。


 確か、お兄ちゃんが昔すごい顔で言ってたんだよね。


 ――「リゼリアは最初のボスに殺される運命だから、イベント開始前にデートしまくって攻略する必要があるんだ」


 って。


 今思い返しても本当にクソみたいな発言である。何が“デートしまくって”だ。人の命がかかってる言い方をもう少し何とかしろ。いやまあ当時の私は子どもだったし、その意味を完全に理解してたわけじゃないけど、それでも「このお兄ちゃん、妹の前で何言ってんだろう」とは思った記憶がある。


 ……とはいえ。


 あれは『Over World』じゃなくて、あくまで原作『スターダスト』の話だ。


 RPG版ではルート構成が変わっていて、単純な恋愛フラグだけで死亡回避できるわけじゃない。リゼリアの生死は、地下霊脈回廊での判断、クリスの同行条件、監察任務における信頼値、さらに初期ボス戦前の選択まで複合的に絡んでくる。だから「イベント前にデートすれば助かる」なんて雑な話ではない。ないんだけど――


「それでも最初のボスに殺される候補なのは変わらないんだよね!?」


 叫びたい気持ちをどうにか飲み込む。


 そう。そこが問題なのだ。原作と派生で細部は違っても、リゼリアが“最初の大きな悲劇”の中心に置かれやすいキャラであることは変わらない。彼女は序盤からクリスの身近にいるからこそ、プレイヤーの感情を掴む。そのうえで、その喪失が物語の旅立ちの痛みとして機能するように作られている。最低である。いや、物語としては最高に上手いんだけど、当事者にされた側としては最低としか言いようがない。


 しかもこれ、順当にいけば最初のダンジョンに向かうルートだ。


 フェーンハルトの地下、古代神殿跡のさらに下に封鎖された霊脈回廊がある。領主城がその上に建っているのも、古代からこの地が重要な霊脈の結節点だったからで、封鎖された回廊は長らく“危険はないが不用意に開くべきではない場所”として扱われていた。そこに今回の微細な異常が重なり、監察官であるリゼリアが来た。護衛という名目でクリスに密着しつつ、彼女は領内の異常を探る。そして、調査を進めた先で、第一のダンジョン――地下霊脈回廊へ至る。


 いや待って。


 待って待って待って。


 そこ行くの?


 もう?


 今の私が?


「まだ剣とか魔法とか全然わかんないんですけど!?」


 内心では完全に半泣きだった。


 だってそうでしょ。クリスの身体がすごいのはわかる。設定的にはマナ感知も高いし、剣術も教育されてるし、地頭だっていいし、何なら主人公補正まである。けどさ、それを“私が扱えるか”は別問題なんだよ。スポーツカーをもらったところで、いきなりサーキット走れないのと同じである。身体性能が高くても、中身が昨日まで一般女性だったら話は違う。いや昨日どころか、体感的には数時間前までコンビニでスイーツ持ってた人間なんですけど。


 しかも魔法。


 この世界の魔導行使って、単に「詠唱してドーン」じゃない。マナ流の把握、出力制御、術式の定着、属性偏差の補正とか、地味にめちゃくちゃ繊細だ。ゲーム内だとコマンド一つで済むけど、現実なら絶対そんな簡単じゃない。第一、私、今この体のマナ感知そのものにまだ慣れてない。風が流れてる感じは何となくわかる気がするけど、それを術として使えるかと言われたら、無理。たぶん変なところに火花散らして終わる。


 そんな私の脳内大惨事をよそに、リゼリアは一歩だけ近づき、胸元へ手を添えて端正に一礼した。その所作には無駄がなく、訓練と育ちの良さが滲んでいる。帝国直轄の特務監察官。単独行動可能。貴族対応も完璧。感情を排して判断できる人物。そう、設定どおり。怖いくらい設定どおりだ。


「リゼリア・ヴァン・ルクシアと申します」


 甘く、けれど澄んだ声が風に混じる。


「本日より、貴方の護衛を務めます」


 ――来た。


 その一言に含まれているものを、私は知っている。


 表向きは忠誠。


 実務上は監視。


 本質としては接触開始。


 つまりこれは、“こんにちは”ではなく、“調査対象との第一接触”であり、“物語開始の鍵が回った音”だ。


 うわああああ来たよ来ちゃったよ。


 もうイベントだよこれ。


 断れないやつだよねこれ。


 断ったら断ったで怪しまれるやつだし、受け入れたら受け入れたでダンジョン行き確定ルートだし、どっちに転んでも嫌なんだけど。


 でも、ここで黙り込むのも不自然だ。


 私は必死に口元を整え、どうにかクリスらしい落ち着いた雰囲気を捏造しようとした。いや無理があるのはわかってる。中身大混乱だし。けど少なくとも見た目が完璧なので、黙っていれば何か考え深げに見えるかもしれない。この顔、こういうときだけは便利だなほんと。


「……そうですか」


 なんとかそれだけ絞り出す。


 うん、短い。短いけど今はこれが限界。


 するとリゼリアは一瞬だけ私の表情を観察するように目を細めた。ああやっぱり見てる。状態確認してる。精神観察してる。第一印象の測定してる。やめて、その中身ポンコツなのであんまり精査しないでほしい。


「何か、ご懸念でも」


 静かな声音で問われる。


 ああもう、正面から来るタイプだこの人。


 さすが監察官。曖昧に流さない。感情を読もうとしつつ、必要なら切り込んでくる。原作でもそうだった。最初は淡々としていて近寄りがたく見えるのに、誠実で、責任感が強くて、不器用なくらい真っ直ぐなんだよ。だからこそ、余計につらい。だって知ってるから。その先が。


 私は息を吸う。


 風が頬を撫でる。


 この美しいフェーンハルトの空の下で、こんな綺麗な人にこんな真面目な顔で見つめられているのに、頭の中にあるのは「この人をどうやって最初のボスから生存させるか」という、あまりにも切実で物騒な課題だった。


「……いえ」


 どうにかそう答えてから、私はほんの少しだけ視線を逸らす。


「少し、考え事をしていただけです」


 嘘ではない。


 めちゃくちゃしてる。


 世界規模でしてる。


 ただ、その“考え事”の中身が「あなたが死亡フラグ持ちメインヒロインで、私はまだ操作方法もわからないまま第一ダンジョンに連れて行かれそうで非常に困っています」だとは、さすがに言えるわけがなかった。


 そしてその瞬間、私ははっきり理解した。


 もう逃げられない。


 リゼリアが現れた以上、この物語は動き出す。


 地下霊脈回廊。


 最初のボス。


 クリスの旅立ち。


 全部が、もうすぐ目の前まで来ている。


 しかも私は、その展開を知りすぎるほど知っている。


 だからこそ、見過ごせない。


 だからこそ、怖い。


 私は心の中で深く、深くため息をついた。


 ……とりあえず。


 とりあえず最優先目標、決定。


 世界救済はそのあと。


 聖剣化とか境界創造とか壮大な話はもっとそのあと。


 まずは――


「リゼリア、絶対に死なせない」


 もちろん声には出さず、私はそう固く心に決めた。


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