第八章:リリアナの刺客と、氷の怒り
王都で燻っていたリリアナの嫉妬の炎は、ついにヴァルテンベルク領にまでその火の粉を飛ばしてきた。
彼女は、自身の数少ない信奉者の中から、金で動くならず者たちを数人選び出し、密かに北の辺境へと送り込んだのだ。
「いいこと? あの『オクト・スマイル』とかいうふざけた店を、めちゃくちゃにしてくるのよ。一番効果的なのは、食材に何かを混ぜることね。食中毒でも起これば、あの女の評判は地に落ちるわ」
リリアナは、天使のような微笑みで、悪魔のような指示を出した。
深夜、領都が寝静まった頃。黒装束に身を包んだ数人の男たちが、「オクト・スマイル」の中央店に忍び込もうと、裏口の鍵をこじ開けていた。
「へっ、聖女様も人が悪いぜ。こんな田舎の店を潰すために、俺たちを雇うとはな」
「だが、金払いはいい。さっさと仕事を済ませて、とんずらするぞ」
男たちが、持参した得体のしれない粉薬の入った袋を取り出した、その瞬間だった。
闇の中から、音もなく複数の影が現れ、あっという間に男たちを取り押さえた。
「なっ、何だお前らは!?」
「静かにしろ。ヴァルテンベルク公爵閣下のご命令である」
冷たい声と共に、男たちの首筋に刃が突きつけられる。彼らは、レオニール公爵が、私の身辺警護のために密かに配置していた、彼の私兵部隊だった。
私が「オクト・スマイル」を開店した当初から、レオニール公爵は、私の知らないところで、常に私の安全を見守ってくれていたのだ。
捕縛されたならず者たちは、公爵の居城の地下牢へと連行された。
そして、彼らの尋問は、レオニール公爵自らが行った。
玉座に腰かけた彼は、いつもの無愛想な領主の顔ではなかった。その灰色の瞳は、絶対零度の氷のように冷え切り、部屋の空気さえも凍てつかせるほどの、凄まじい威圧感を放っていた。これこそが、彼が「氷血公爵」と恐れられる、真の姿だった。
「……誰の差し金だ。言え」
たった一言。しかし、その声に含まれた怒りと圧力に、ならず者たちは震え上がった。
「ひっ……! お、俺たちは何も知らない!」
しらを切ろうとした男の目の前で、レオニール公爵はゆっくりと立ち上がり、腰の剣を抜いた。そして、男の頬を、切っ先でつ、と撫でる。
「もう一度聞く。誰の差し金だ?」
その冷徹な尋問に、叩き上げのならず者たちでさえ、抗うことはできなかった。彼らはすぐに観念し、依頼主が王都の聖女、リリアナ・ベルンシュタインであることを洗いざらい白状した。
報告を受けたレオニールの執務室は、彼の怒気で満ちていた。
敬愛するオリヴィアに、直接的な危害を加えようとしたこと。
彼女が心血を注いで作り上げた店を、卑劣な手段で潰そうとしたこと。
そして、その黒幕が、あろうことか王太子が寵愛する聖女であること。
その全てが、彼の逆鱗に触れた。
「……リリアナ・ベルンシュタイン」
低く呟かれたその名には、殺意にも似た冷たい怒りが込められていた。
しかし、彼はすぐに行動を起こすことはしなかった。王家への報告は一旦保留し、リリアナという女を社会的に完全に抹殺するための、確実な証拠を、静かに、しかし徹底的に集め始めることを決意した。
翌日、私の前に現れたレオニール公爵は、いつもの無愛想な顔に戻っていた。彼は、昨夜の事件のことなどおくびにも出さず、ただ「店の警備を強化する。文句は言わせん」とだけ告げた。
私は、彼のその言葉の裏にある深い配慮と、守られていることへの感謝を感じながら、何も知らずに頷いた。
この時、私はまだ知らなかった。私の知らないところで、私のために、一人の男の氷の怒りが、王都の偽りの聖女へと、その切っ先を向けようとしていることを。そして、それが、私の運命を再び大きく動かすことになるということを。




