第五章:ヴァルテンベルクの星
私のたこ焼き屋「オクト・スマイル」は、瞬く間にヴァルテンベルク領の名物となった。領都の市場は連日大盛況で、私は稼いだ利益を元手に、事業を拡大することにした。
まずは、人手不足の解消だ。私は、領内の貧しい地区に住む、仕事のない若者たちを雇うことに決めた。レオニール公爵から紹介された地区のまとめ役の男性は、私の申し出に驚いていた。
「マダム・オリヴィア。本当に、あそこの子たちを? 手癖が悪い者もおりますが……」
「大丈夫です。必要なのは、働く意欲だけ。あとは私が責任をもって育てます」
私は、ただたこ焼きの作り方を教えるだけではなかった。挨拶の仕方、お客さんへの丁寧な言葉遣いといった接客の心得から、簡単な帳簿の付け方、材料の仕入れ方といった経営の基礎まで、私の知る全てを彼らに叩き込んだ。
最初は戸惑っていた若者たちも、自分の働きが直接的にお店の売上に繋がり、お客さんの「美味しい」という笑顔に変わることを知ると、目の色が変わっていった。彼らは自分の仕事に誇りを持ち、驚くほどの速さで成長していった。
私は単なる商売人ではなく、この冷たく閉ざされがちだった北の地に、活気と雇用、そして若者たちの未来への希望を生み出す存在として、いつしか領民から「ヴァルデンベルクの星」と、少し気恥ずかしい愛称で呼ばれるようになっていた。
一方、私の最大の支援者であるレオニール公爵は、公務の合間を縫って、ほとんど毎日私の屋台に立ち寄るのが日課になっていた。彼は何も言わずに列に並び、普通にたこ焼きを買い、屋台の隅で無心にそれを食べる。
「氷血公爵様が、あんな庶民的なものを……」
「あのお方がいると、変なゴロツキも寄ってこないな」
彼の存在は、悪質な客や役人の介入を防ぐ、無言の、しかし絶大な圧力となっていた。それは、彼なりのやり方で、私の事業と私自身を守ってくれている盾だった。
いつしか二人の間には、言葉を交わさずとも通じ合える、穏やかで信頼に満ちた空気が流れるようになっていた。
そんなある冬の日。ヴァルテンベルクに、全てを凍てつかせるような猛烈な吹雪が吹き荒れた。屋台は臨時休業とし、私は小屋で暖炉の火にあたっていた。
夜更けになって、扉を叩く音がする。開けてみると、そこに立っていたのは、雪まみれのレオニール公爵だった。緊急の公務で、吹雪の中を視察に出ていた帰りだという。彼の体は芯から冷え切っていた。
「まあ、大変! すぐにお入りください!」
私は彼を暖炉のそばに座らせ、温かい飲み物を差し出した。そして、何か温かいものを、とキッチンに向かう。
こんな冷え切った夜には、あれしかない。
私は手早くたこ焼きを焼き、特製の出汁を用意した。鰹と昆布、それにこの地で獲れる干し魚から丁寧にとった、黄金色のスープ。前世で言うところの「明石焼き」だ。
「公爵様、どうぞ。スープにつけて召し上がってください」
彼は訝しげに、だし汁に浸ったたこ焼きを見つめた。
「ソースではないのか?」
「ええ。こういう寒い夜には、こちらの方が体が温まりますわ」
彼が、おずおずとそれを口に運ぶ。ふわりと広がる出汁の優しい香りと、卵を多めに使ったふわふわの生地。じんわりとした温かさが、冷えた体に染み渡っていくのが、見ているこちらにも伝わってくるようだった。
「……温かい」
ぽつりと漏れた彼の言葉は、いつもの「美味い」よりも、ずっと深く、彼の心の内を映しているように聞こえた。
彼は黙々と、しかし、とても大切そうに、最後の一滴までスープを飲み干した。
そして、顔を上げた彼の灰色の瞳は、いつもよりずっと穏やかで、優しかった。
その瞬間、私は確信した。私が溶かしたのは、彼の冷え切った体だけではない。彼の心に張り付いていた、分厚い氷をも、この温かい一皿で溶かすことができたのだ、と。この吹雪の夜は、二人の関係をまた一つ、特別なものに変えてくれたのだった。




