第四章:小さな屋台、大きな一歩
あの夜、私の作った「たこ焼き(仮)」を夢中で平らげたレオニール公爵は、帰り際にぽつりと言った。
「……その味を、お前一人のものにしておくのは惜しい」
それは、無愛想な彼なりの、最大の賛辞だったのだろう。
翌日、彼から使いがやってきて、領都の市場で屋台を出してみないか、という提案がもたらされた。もちろん、資金や場所の手配は全て公爵家が持つ、と。半ば強引とも言える、しかし、私にとっては願ってもない申し出だった。
「大変ありがたいお話です。ですが、これは『施し』ではなく『借金』とさせてください。必ず、事業を成功させて返済いたします」
使いの者にそう伝えると、後日レオニール公爵本人から「好きにしろ」という短い許可が届いた。彼の施しにただ甘えるのではなく、対等な事業者として立ちたい。そんな私の意地を、彼は汲んでくれたようだった。そのことが、何より嬉しかった。
かくして、私のたこ焼き屋台の準備が始まった。レオニール公爵が手配してくれたのは、市場の一等地にある、こぎれいな屋台だった。さらに、彼の口利きで腕のいい職人を紹介してもらい、前世の記憶を頼りに、くぼみが並んだ特注の鉄板まで作ってもらうことができた。
屋号は「オクト・スマイル」。タコ(オクトパス)と、食べた人が笑顔になるように、という願いを込めた。
そして、運命の屋台初日。
真新しい鉄板に油を引き、溶いた生地を流し込む。モリダコと、刻んだ香味野菜、そして前世で大好きだった紅ショウガの代わりに、ピリッとした赤い根菜の酢漬けを散らす。じゅわーっという音と、香ばしい匂いが市場に広がり始めた。
しかし。
「なんだ、あの黒くて丸い食べ物は?」
「魔物のモリダコを使ってるらしいぞ。大丈夫なのか?」
領都の人々は、遠巻きに私の屋台を眺めるばかりで、誰一人として近づいてこようとしない。やはり、ゲテモノというイメージが強いのだろうか。
このままでは、開店休業だ。
「(やるしか、ないか……!)」
私は覚悟を決めた。ここで役に立つのが、前世で培った大阪のおばちゃんの魂だ!
「はい、らっしゃいらっしゃい! ヴァルテンベルク名物、たこ焼きだよ! 外はカリッ、中はとろーり、一度食べたらやみつきになる、魔法の味さ!」
今までのおしとやかな令嬢言葉を捨て、威勢のいい呼び込みを始める。突然変貌した私に、周りの人々はさらに度肝を抜かれたようだった。
「さあさあ、そこのお兄さん! 味見だけでもしていきな! タダだよ!」
私は竹串に刺したたこ焼きを、一番近くにいた強面のおじさんにぐいっと差し出した。おじさんは戸惑いながらも、恐る恐るそれを口に運ぶ。
そして、彼の目が見開かれた。
「なっ……なんだこりゃあ!? 外はカリッとしてるのに、中はクリームみたいにトロトロで……この甘辛いソースが、たまんねぇ!」
おじさんの大声が、最高の宣伝文句になった。
「本当か?」「一口くれよ」
人々が、少しずつ、私の屋台に興味を示し始める。私はすかさず試食を次々と提供した。
一口食べた人々の顔が、一様に驚きと喜びに変わっていく。
「うめぇ!」「こんな食感、初めてだ!」「このソース、持って帰りたいくらいだ!」
口コミは、火が付いたように瞬く間に市場中に広がった。さっきまでの閑散とした屋台の前には、いつの間にか長蛇の列ができていた。
私は休む暇もなく、千枚通しのようなピックを両手に持ち、くるっ、くるっと小気味よくたこ焼きを返していく。その姿は、かつての王太子妃の面影など微塵もない、たくましい商売人の顔だった。
列の後方、少し離れた場所から、満足げにこちらを見ているレオニール公爵の姿が目に入った。目が合うと、彼は少し気まずそうに顔をそむけたが、その口元がほんのわずかに綻んでいたのを、私は見逃さなかった。
追放され、全てを失ったと思っていた私。でも、今、私は自分の力で、こんなにも多くの人々を笑顔にしている。
元王太子妃が、楽しそうにたこ焼きを焼いている。その意外な光景は、領民たちにとって新鮮な驚きであり、私という存在を、遠い貴族ではなく、身近な一人として感じてくれるきっかけになった。
この小さな屋台が、私の人生における、そしてこのヴァルテンベルク領における、大きな大きな一歩となった日だった。




