第三章:秘伝のソースは恋の味? 氷血公爵、陥落す
モリダコという名の宝を手に入れた私だったが、次なる壁はあまりにも高かった。そう、「ソース」である。
たこ焼きの魂は、ソースにあると言っても過言ではない。前世で慣れ親しんだ、あのオタフクソースやブルドックソースのような、フルーティーな甘さと、スパイスの効いた複雑な味わい。あれを、この世界にある食材だけで再現しなければならないのだ。
私のソース開発の長い旅が始まった。
まずはベースとなる味の探求から。この辺りの市場で手に入る調味料を片っ端から試した。醤油に近い「ギッシュ」という黒い発酵調味料。リンゴに似た酸味と甘みを持つ「ルビーアップル」。黒糖のような濃厚な甘さの「ロックシュガー」。そして、行商人から手に入れた十数種類の香辛料。
小屋の中は、奇妙な匂いで満ち満ちていた。
「うーん、甘すぎる……」「今度は酸っぱい!」「スパイスが喧嘩してる……」
毎日、鍋をかき混ぜては味見をし、首をひねる。失敗作の黒い液体が、いくつもの瓶に詰められていく。畑仕事の合間を縫っての作業は大変だったが、不思議と苦ではなかった。むしろ、あの完璧な味に一歩ずつ近づいていく感覚が、たまらなく楽しかった。
そんな私の奇行を、時折、遠巻きに眺める視線があった。
レオニール公爵だ。
彼は「領内の視察」と称しては、私の小屋の近くを通りかかり、私が鍋の前でうんうん唸っているのを、馬上から無表情で眺めていく。話しかけてくるわけでもない。ただ、その氷の瞳には、以前よりも明らかに「こいつは何をしているんだ?」という好奇の色が浮かんでいた。
正直、ちょっとやりにくい。けど、ここで諦める私ではない。
そして、来る日も来る日も試作を繰り返したある夜。ついに、その瞬間は訪れた。
ルビーアップルをじっくり煮詰めた甘酸っぱいペーストに、ギッシュのコクとロックシュガーの深み。そこに、数種類の香辛料を絶妙なバランスでブレンドする。最後に隠し味として、焼いたモリダコの足を少しだけ入れて煮込んでみた。
スプーンで一口味見をする。
「…………これやッ!!」
思わず叫んでしまった。完璧、とは言えないかもしれない。でも、まさしくこれは「たこ焼きソース」の味だった。甘くて、辛くて、酸っぱくて、コクがある。全ての味が手を取り合って、一つのハーモニーを奏でている。
私は喜びのあまり、その場でくるくると踊ってしまった。
ちょうどその時、小屋の扉が控えめにノックされた。
「……騒がしいが、何かあったのか」
そこに立っていたのは、案の定、レオニール公爵だった。いつもと違うのは、彼が馬を降り、たった一人でそこに立っていることだった。どうやら、本当に偶然通りかかったらしい。
「公爵様! ちょうどよかった、いえ、ご覧くださいまし! ついに完成したのです!」
私は興奮のあまり、彼を手招きして小屋の中へと招き入れた。そして、あたためておいたモリダコの茹でダコと、ありあわせの野菜で作った生地、そして何より、この完成したばかりのソースを使って、即席の「たこ焼き(仮)」を作ることにした。
鉄板なんてないので、フライパンで無理やり焼いた、丸いとは言えない代物だ。それでも、生地が焼ける香ばしい匂いと、ソースの甘辛い香りが小屋に満ちていく。
「さあ、どうぞ! 熱いですから、お気をつけて」
お皿に乗せた不格好なたこ焼きに、ソースをたっぷりとかける。マヨネーズも青のりも鰹節もないけれど、今の私にできる最高の一品だ。
レオニール公爵は、怪訝そうな顔で、その黒い物体を見つめている。彼は甘いものが苦手だと噂で聞いていた。このソースは、彼には甘すぎるだろうか。
ごくり、と私が唾を飲み込んで見守る中、彼はフォークでそれを無造作に突き刺し、一口でぱくりと口に入れた。
そして。
ピシリ、と。彼の氷の仮面が、わずかに、本当にわずかに、ひび割れたのを私は見た。
見開かれた灰色の瞳が、驚きに揺れている。咀嚼する動きが、一瞬止まる。そして、ゆっくりと、喉が上下した。
「…………美味い」
絞り出すような、たった一言。
だが、その一言には、彼の全ての感情が凝縮されているようだった。
彼の初めて見せる、素直な表情。それは、どんな賛辞よりも私の心を震わせた。
「……おかわり、あるか」
ぶっきらぼうに差し出された空の皿。私は、満面の笑みで頷いた。
「はい、喜んで! たくさんございますわ!」
これが、無愛想な氷血公爵様の胃袋を、私が完全に掴んだ瞬間だった。そして、凍てついていた彼の心と私の間に、温かくて美味しい架け橋が架かった、最初の夜になったのだった。




