第二章:辺境の出会いと、森の珍味
私の追放先として指定されたのは、王国で最も過酷と言われる北の辺境、ヴァルテンベルク公爵領だった。王都から馬車で揺られること十数日。窓の外の景色は、豊かな緑から、次第に荒涼とした針葉樹の森とごつごつした岩肌へと変わっていった。
与えられたのは、領都からさらに離れた森の入り口にポツンと建つ、粗末な小屋だった。申し訳程度の家具と、わずかな食料。持参した資産は、道中で「追放税」なる意味不明な名目でほとんど巻き上げられてしまった。まあ、予想通りだ。
「さて、と」
私は腕まくりを一つして、これからの生活に思いを馳せる。悲壮感はまるでない。むしろ、前世でのキャンプやアウトドアの知識が活かせると、少しワクワクしているくらいだ。
幸い、小屋の裏には小さな畑があり、近くには綺麗な小川も流れている。まずは、食料の確保だ。私は持っていたわずかな金で種芋や野菜の種を買い、畑を耕し始めた。貴族令嬢だったとは思えない手際の良さに、我ながら感心する。これも全て、前世で市民農園を借りていた経験のおかげだ。
日中は畑仕事に精を出し、午後は森へ食料調達に出かけるのが日課になった。キノコや木の実、食べられる野草。前世の知識は、ファンタジーな植物が混じるこの世界でも意外と役に立った。たくましく生きる毎日は、王宮での息苦しい日々と比べれば、ずっと自由で楽しかった。
そんなある日のこと。森の少し奥深くまで足を踏み入れた私は、湿地帯で奇妙な生物に遭遇した。
それは、木の根元に張り付くようにして、ぬめぬめと蠢いていた。大きさは人の頭くらい。ブヨブヨとした胴体から、八本の足のようなものが伸びている。色は薄茶色で、お世辞にも美味しそうとは言えない見た目をしている。
「なんやこれ……」
思わず関西弁が漏れた。地元民に聞けば、あれは「森ダコ(モリダコ)」と呼ばれる魔物で、全身を覆う粘液がひどく、臭くて不味いので誰も食べない厄介者だという。
魔物。そうか、魔物か。
しかし、私の目には、それがどう見ても、まさしく「タコ」にしか見えなかった。
タコ……たこ……たこ焼き……!
「……見つけたッ!」
私の心に、希望の光が稲妻のように突き刺さった。これだ! これを手に入れれば、私の夢である「たこ焼き」が作れる!
希望に胸を膨らませた私は、早速モリダコの捕獲に取り掛かった。長い棒で木の根から引き剥がそうとするが、ぬるりとした粘液で滑ってしまい、うまくいかない。それどころか、怒ったモリダコが足(?)を振り回し、威嚇してくる。
「うわっ、ちょっ、暴れんといて!」
泥だらけになりながら格闘していると、不意に背後から、低く、感情の読めない声がした。
「……何をしている」
「ひゃっ!?」
驚いて振り返ると、そこに立っていたのは、馬上で私を冷ややかに見下ろす一人の男性だった。黒い軍服に身を包み、腰には長剣。鋭い氷のような灰色の瞳。夜会で私を見ていた、あの「氷血公爵」、レオニール・フォン・ヴァルテンベルク様その人だった。
まさか、こんな場所で領主様本人に遭遇するなんて。
彼は、追放された元王太子妃が、泥まみれで謎の生物と格闘しているという奇妙な光景に、さすがに驚いたようだ。眉間にわずかに皺が寄っている。
「貴様、クライネルト公爵家の……」
「オリヴィア、と申します。今はただの平民ですわ、公爵様」
私はスカートの泥を払いながら、できる限り優雅にカーテシーをした。これでも元公爵令嬢の意地だ。
レオニール公爵は、馬上から私と、私が格闘していたモリダコを交互に見た。
「……それはモリダコだ。領民も手を出さない厄介者だが」
「ええ、存じております。ですが、わたくしにはこれが、とても貴重な食材に見えますの」
私の言葉に、彼の氷の瞳が、ほんの少しだけ興味の色を宿したように見えた。
「食材だと? あれの粘液は調理の邪魔になるうえ、ひどく不味いと聞くが」
「そこを何とかするのが、料理の腕の見せどころというものですわ」
私はにっこりと微笑んでみせた。警戒しつつも、このモリダコの存在を隠す気はなかった。むしろ、領主様に「こんなものも食べられるんですよ」とアピールできれば、何か面白いことになるかもしれない。
レオニール公爵は、しばらく無言で私を見つめた後、ふいと馬首を返した。
「……好きにしろ。だが、森の奥には危険な魔物もいる。あまり深入りはするな」
それだけを言い残し、彼は部下らしい数人の騎士と共に、風のように去っていった。
嵐が去った後、私は改めてモリダコと向き合う。領主様のお墨付き(?)も得たことだし、遠慮はいらない。私は持っていた麻袋を使い、数匹のモリダコを捕獲することに成功した。
小屋に戻り、早速処理に取り掛かる。問題は、やはりレオニール公爵も言っていた「粘液」だ。水で洗ってもなかなか落ちない。そうだ、前世ではタコのぬめり取りには塩を使ったはず。
私は貴重な塩を使い、力いっぱい揉んでみた。すると、どうだろう。あれほど頑固だった粘液が、泡と共に面白いように落ちていくではないか。
「やった! これや!」
粘液を取り除き、茹でてみると、ぷりっとした見事なタコ足が現れた。一口かじってみる。
「……うん、うまい!」
少し淡白だが、弾力のある食感はまさしくタコそのもの。これならいける。
タコは手に入った。小麦粉や卵、ネギに似た香味野菜も、この辺りで手に入る。
残る最大の難関は、あの甘辛くて複雑な味わいの「ソース」だ。
私のたこ焼きへの道は、まだ始まったばかり。でも、一番大きな一歩を踏み出した達成感で、胸がいっぱいだった。遠くの森を見やりながら、私は静かに闘志を燃やす。あの無愛想な公爵様を、いつか私のたこ焼きで「うまい」と言わせてみたい。そんな、新たな野望が芽生えた瞬間だった。




