第一章:偽りの断罪、ソースの香りは反逆の狼煙
【登場人物紹介】
◆オリヴィア・フォン・クライネルト(主人公)
28歳のOL「小田みどり」としての前世の記憶を持つ公爵令嬢。元王太子妃。無実の罪で離婚・追放されたことをきっかけに前世を思い出す。大阪人の魂で逆境をものともせず、たこ焼きで辺境から人生を大逆転させていく、たくましい女性。
◆レオニール・フォン・ヴァルテンベルク(ヒーロー)
北の辺境を治めるヴァルテンベルク公爵家の当主。「氷血公爵」の異名を持つ。無骨で無愛想だが、公正で義理堅い。オリヴィアの作るたこ焼きに胃袋を掴まれ、彼女のひたむきさに惹かれ、いつしか溺愛するように。
◆クラウス・フォン・エルムガルド(元夫)
エルムガルド王国の王太子。家柄と美貌でオリヴィアを娶ったが、聖女リリアナに唆され、彼女を断罪し追放する。後に自身の愚かさを知り、深く後悔することになる。
◆リリアナ・ベルンシュタイン(聖女/真の悪役)
平民出身の聖女。可憐な容姿の裏に、計算高く独善的な本性を隠している。王太子妃の座を奪うため、オリヴィアを陥れた。オリヴィアの成功を妬み、妨害を企てる。
きらびやかなシャンデリアが眩い王妃主催の夜会。その中心で、私の夫である王太子クラウス殿下が、美しい聖女リリアナ様を庇うように抱き寄せ、高らかに叫んだ。
「オリヴィア・フォン・クライネルト! 貴様の罪は明白だ! 聖女リリアナ様への嫉妬に狂い、数々の嫌がらせを行ったこと、断じて許しはしない!」
……はい?
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。集まった貴族たちの視線が、好奇と侮蔑の色を帯びて私に突き刺さる。ドレスの裾を握りしめる私の隣で、侍女は真っ青になって震えていた。
「お待ちください、殿下。私には全く身に覚えがございません」
かろうじて絞り出した声は、自分でも驚くほどか細く、そして虚しかった。
クラウス殿下は、そんな私を虫けらでも見るような目で見下す。
「まだ言い逃れをするか! リリアナが、貴様に階段から突き落とされそうになったと、涙ながらに訴えているのだぞ!」
「そんな……」
彼の隣で、か弱い小動物のように震えるリリアナ様が、潤んだ瞳で私を見上げる。その瞳の奥に、一瞬だけ嘲るような光が宿ったのを、私は見逃さなかった。
ああ、そういうことか。
この茶番の筋書きが、一瞬で理解できた。この聖女様が、私を追い落として王太子妃の座に収まりたいのだ。そして私の夫は、この女の言葉を信じ、私を断罪するつもりなのだ、と。
周囲を見渡せば、助け舟を出してくれそうな者は誰一人いない。彼らにとって私は、政略のために王家に嫁いできたクライネルト公爵家の駒。美しく、完璧な王太子妃という飾り物。そこに感情はなく、ただただ、このスキャンダルを面白がっているだけ。
絶望が、冷たい霧のように心を覆っていく。もう、何を言っても無駄なのだ。
そう悟った瞬間だった。
ゴーン、と大きな鐘を頭の中で打ち鳴らされたような、強烈な衝撃が走った。
――『え、ちょ、マジで!? この展開、ラノベで百回は見たやつやん! てか、うわ、イケメンやな王太子! まあ、見る目ないアホやけど!』
――『てか、お腹すいたわー。昨日食べた、道頓堀の「わなか」のたこ焼き、最高やったなァ……』
脳内に、全く別の、やかましくて、能天気で、そして何よりたくましい人格の声が響き渡る。
そうだ。私……いや、わいは、『小田みどり』。享年二十八歳、大阪の食品メーカーで働く、ごく普通のOLやった。たこ焼きとビールをこよなく愛し、仕事帰りの一杯を楽しみに生きていた、しがない会社員。そう、これは、私がハマっていた乙女ゲームか何かの世界で、私はよりによって悪役令嬢に転生してしもたんや!
「オリヴィア! 何か言うことはないのか!」
クラウス殿下の怒声で、私はハッと我に返る。
絶望に染まっていた心が、すっと晴れていくのを感じた。目の前の光景が、途端に色褪せて見える。深刻な悲劇の舞台が、安っぽい学芸会にしか思えなくなってきた。
そうだ。何を悲しむ必要がある?
家柄と美貌だけで選ばれ、愛されることもなく、ただ完璧な人形であることを求められる日々。そんな息の詰まる生活、こっちから願い下げだ。
小田みどりの記憶が蘇った今、私の心に宿ったのは、悲しみではなく、ふつふつと湧き上がる反骨精神だった。
こんなアホな王子と、腹黒い聖女に振り回される人生なんて、まっぴらごめんや!
私は、すっと背筋を伸ばした。涙一つ見せず、まっすぐにクラウス殿下を見据える。
「申し開きはございません。殿下がそうおっしゃるのでしたら、それが真実なのでしょう」
私の毅然とした態度に、クラウス殿下も、周りの貴族たちも、そしてリリアナ様でさえも、一瞬虚を突かれた顔をした。もっと泣き喚き、見苦しく命乞いでもするとでも思っていたのだろう。
「よかろう。貴様との婚約は破棄! クライネルト公爵家もこれに同意している。貴様は、この場で王太子妃の地位を剥奪し、王国から追放する!」
「謹んで、お受けいたします」
私は優雅にカーテシーを決めた。もう未練など、欠片もなかった。
その時、ふと視線を感じて会場の隅に目をやると、一人の男性がこちらを冷徹な目で見つめていた。黒髪に、鋭い氷のような灰色の瞳。他の貴族たちとは一線を画す、近寄りがたい雰囲気を纏ったその男は、確か……北の辺境を治める「氷血公爵」、レオニール・フォン・ヴァルテンベルク様。国の汚れ仕事を一手に引き受ける、王家も迂闊に手出しできない実力者だ。彼はただ静かに、この茶番劇の結末を見届けていた。
すぐに衛兵に連行され、私は質素な馬車に押し込められた。ガタガタと揺れる馬車の中、一人になって、ようやく緊張の糸が切れる。
涙が……出るわけもなかった。
代わりに、ぐぅぅぅ、と盛大にお腹が鳴った。そういえば、夜会では何も口にしていなかった。
途端に、私の頭は一つの食べ物でいっぱいになる。
(……たこ焼き、食べたい)
前世で、嬉しい時も、悲しい時も、いつも私を慰めてくれた、あの熱々で、外はカリッと、中はトロトロの、ソースとマヨネーズと青のりが絶妙に絡み合った、庶民のソウルフード。
この世界に、たこ焼きは、ない。
だったら。
「……絶対に、この世界で作ったるわ」
馬車の窓から見える遠ざかっていく王都の灯りを背に、私は固く誓った。これは追放じゃない。新たな人生の、輝かしい幕開けだ。私の武器は、前世の知識と、大阪人のど根性!
かくして、元悪役令嬢オリヴィア改め、小田みどりの、たこ焼きによる異世界逆転劇が、今、始まろうとしていた。




