カンツォーネライン ギリシアからイタリアへの船旅
1991年4月10日
アドリアティカラインのフェリーでギリシアのパトラからイタリアのブリンディシへ向かう船上。
廊下にイタリアの鉄道時刻表が掲示してあるのをみつけた私と友人はメモを手に走り寄った。同行の友人が二人で一冊しか買わなかったヨーロッパ鉄道時刻表を日本に忘れてきたせいだ。私が買ってきて私の家に置いてあったのに、眺めて楽しみたいからと言って持って帰ったのに。
できればナポリに行きたいけどちょうど良い列車がなく、夜行でローマかヴェネツィアに行けば宿代が浮く……というような事を友人と額を寄せ合って相談していると、横からニュッと白髪混じりのおじさんの頭が突きだした。イタリアなまり丸出しの英語でどこへ行きたいんだと訊かれる。白い制服を着ているところを見ると船の給仕さんか何かだろう。
私の英語力ではややこしい会話はできないので適当な返事をすると、おじさんはサッと時刻表を見て、早口に何本かの列車の発車時刻をまくしたててくれた。到底覚えきれないし、どこに行くのかさえ決めていないんだからそのまま去るわけにはいかない。
ありがとうと言って、また時刻表に向き合った我々におじさんはもう一度早口説明を繰り返し、それでも時刻表の前から離れない我々を見て、イタリアの民謡っぽい歌を歌い始めた。
なかなか堂々たる歌いぶりである。よく通るすばらしいバリトンなのだが、何やら気恥ずかしいし、落ち着かない。しかたがないので、いったん船室に帰って出直すことにした。
お辞儀をして、離れていく我々の耳に歌声が届かなくなったのは廊下を曲がってしばらくたってからだった。
翌朝――
船酔いでふらつく私を起こしたのは陽気なコーラスだった。
なんだろう? と思いながら簡易寝台につっぷしていた私をかっこよく制服を着こなした若い船員さんが起こしにきた。到着予定時刻までにはまだ随分あったけど、部屋を片づけるとの事。
まだ寝ていたいよ~、とフラフラと荷物を持って廊下へ出た私の眼に飛び込んできたのは、ずらりと廊下に並んで声を合わせて歌う船員さん達。
部屋から枕や毛布を投げ出す人、受け取って廊下の先に投げ渡す人、飛んできた寝具をリネンカートに載せていく人。大勢の船員さん達が目の前の廊下に面した部屋を掃除し、すべての動作がリズムに乗って滑らかに行われている。
そのうえ彼らはみんな選り抜きの合唱団員のように見事な歌声を披露してくれていた。
イタリアじゃあ、船員の採用試験に『歌』があるんじゃないだろうか? と思わせる程、上手い。みんなとっても楽しそうで、仕事をしているというよりミュージカルのワンシーンを演じているみたいだ。
でも船酔いで苦しんでいた私にはちょっとハイテンション過ぎた。
元気だったら全船室の掃除が終わるまでついて回って歌声と寝具リレーの手際を堪能したかったくらいだけど、体調がそれを許さなくて、少し見学しただけで荷物を抱えて座れる場所へと移動した。




