シャバへの復帰
国際会議が終わり、ひと段落が付いたというのに、山田は離脱研に軟禁されたまま放置されていた。
佐野に帰りたいと伝えてはいる。
「会議も終わったし、もう解放してもらってもいいでしょう」
そう言ってみても、「まあまあ」としか返ってこない。
山田は考えた末に提案をしてみた。
「離脱経験のある方々にアドバイスをするとして、二十四時間僕がここに居て、どうなるものでもないですよね」
改まってこう切り出すと、佐野は非常に驚いた表情で山田を見る。
まるで、急に犬がしゃべりだしたかのような顔だ。
さすがにがっくりときた。
「僕にも考える頭が付いています。ついでに話せますので」
「あ、いやあ。何の事かな?」
こいつなら文句も言わず、黙って言うなりになると思っていたなと確信した。
「つまりですね、今の状況、僕は国家権力に拉致監禁されているも同然です。諸外国にこの状況をリークすれば、どうなると思いますか?」
(おお、舌が良く回る)
山田は自分自身に感動していた。必死になれば結構できる。
「で、どうしたいのでしょうか」
急に言葉遣いが丁寧になった。
「そろそろ僕をいつもの生活に戻してください。この仕事を続けるにしても、時間を決めて通うので十分でしょう」
「はあ、まあ」と口ごもってから、佐野はしばし考え込んだ。
「相談してみます」
そう言って佐野は出て行った。
この数日、山田はいつもの仕事が恋しくなっていた。
「ああ、戻りたい。そしてラーメンが食べたい。カツ丼も食べたい」
そう口に出すと、ますます我慢できなくなってくる。
好物のラーメンを、いつも週に二回は食べているのに、この一ヶ月近く食べていない。毎日差し入れられるのは弁当だ。もう飽きた。
カツ丼は特に鉱物ではないが、取調室のイメージがこびりついているのかもしれない。
「カツ丼出してくれなかったもんな。薄い茶しか出てこなかった」
そこに不満が残っているのもある。
数時間後に二人が部屋にやって来て、明日自宅に送り届けると約束してくれた。そして今後の相談が始まった。
腹立たしい事に、彼らは言われて初めて、山田を拘留する無意味さに気付いたのだ。
「まずは今までの報酬を支払います。金額は一日5万円で一か月三十日分をお支払いします。それに国際会議出席手当十万円を加えて、160万円になります」
どうだ、という顔で金額を告げられた。
拉致されてから二十日が経っていた。
十日分多いのを慰謝料と考えると、だいぶしょぼい。訴訟大国なら桁が二つ位違うだろう。
だが国によっては命に関わることも有るのだ。そう思って贅沢を言うのは、やめておいた。
そして次の朝に、車で会社の前まで送ってもらうことで話がついた。
一人暮らしの部屋に戻っても、実感が沸かない気がする。
その朝、いつものフロアまでエレベーターで上がり、自分の席に向かう。
椅子に座り机の上を撫でまわした。
山田は机につっぷし、慣れ親しんだ匂いを嗅いでいた。
「おい、お前、山田か? 今までどうしていたんだ」
大声で話し掛けてきたのは松岡主任だった。
「おはようございます。離脱研で実験の補助をしていました。会社にも連絡を入れたのですが、お聞きになっていませんか?」
そこは手を打っていた。
会社から連れ去られた後、佐野の方から離脱研で二週間ほど働くことになったと連絡を入れていたが、何の仕事かを明らかにしていない。
そのため実験補助で押し通すことになったのだ。
「なぜいきなり、離脱研で働くことになったんだ?」
「初めは人違いだったのですけど、機密にも少しだけ触れたわけです。それで国際会議終了まで外出禁止になってしまい、実験の補助作業をしていました」
この言い訳で、不在だった二十日間を煙に巻くのに、スピーカーの松岡主任は適任だ。
相変わらず流されやすい松岡主任は、あっさり流されてくれた。
「やっぱりな。言わなくて良かったよ。お前が離脱体験者だなんて、ありえないもの」
アハハと気分良さげに笑い、松岡主任は自分の席に戻って行った。これで他の社員にも広まるだろう。一件落着だと山田はほっとした。
その日のランチは、千二百円の餃子・炒飯・ラーメンセットを食べに行った。贅沢だ。
明日はカツ丼に決めている。
山田は幸せを嚙み締めた。
この日から山田の生活は変わった。
週5日の就業日の内三日を会社で、二日を離脱研で働く。
週二日の仕事で月給は会社の二倍。これには口止め料も含まれる。
会社の給料は、国からの補助が入って満額もらえる。つまり以前の月給の三倍だ。これでは生活がゆるゆるになりそうで怖い。
現に給料日の今日、約70万円が振り込まれた口座を見た山田は、今から2300円のランチを奮発しようとしている。
会社から近い、ステーキチェーン店の『プチ贅沢ランチ』だ。
目の前に運ばれた鉄板には、こぶし大のハンバーグとバターが流れる丸ごとのジャガイモが載っている。ご飯は大盛りで、食後にコーヒーとデザートまで付く。
こんなに幸せでいいのだろうか、と泣きそうになった。
大満足で店から出ると、同期の二人が、斜め向かいの立ち食いそば屋から出てきた。
「おいおい、贅沢してんな、山田。離脱研のバイトで潤っているんじゃないの?」
(おいおいはこっちだよ。変な絡み方するな!)
「別に副業しているわけじゃないから、週五勤務で変わらないよ。今日は給料日だから、ちょっとした贅沢だよ」
「ふうん、そうか」となんとなく納得している。
「ハンバーグ、うまかったよ。デザートまで付くんだ。お前らも行ってみろよ」
「なんだ、ハンバーグか。やっぱり山田だな。なんか安心する」
「え? げんこつみたいなハンバーグに、丸ごとのジャガイモだよ?」
山田が戸惑っている内に、彼らは嬉しそうに笑いながら、「じゃあな」と言って歩き去った。
週二日の離脱研での山田の仕事は、立花たち三人の実験サポートだ。
出社すると、まずはその日の実験対象者を確認する。
立花だと嬉しいが、小森だと少し面倒くさいし、綾乃だと憂鬱になる。美人なのに全く嬉しくない。
残念ながら今日は綾乃が対象者だ。
何が憂鬱かというと文句が多い。
疲れるのは嫌。暑いのは嫌。メイクが崩れる。
おまけにグラついた体を支えただけで、セクハラだと言いだす。
「山田さん。私に触りたいって気持ちはわかるけど、ちょっと困るわ」
赤い唇を尖らせて、山田を睨む。
実験終了後、山田はまた佐野に相談を持ち掛けた。
「綾乃さんの時は、女性の世話係を付けてください。ふらついたのを支えただけで、セクハラとか言われたら、怖くて何もできません」
「まあまあ、そう言わず」
「まあまあ、じゃありません。対策してもらえないなら、自衛のために、僕は実験補助を降ります」
唸っていた佐野が、上司と相談してみますと折れた。
その提案は通り、次回からは女性スタッフが付くことになった。
山田はほっとした。
だいたい綾乃は露出高めの服装が多いのだ。
実験用にスポーツウエアに着替えても、何となくあちこちが出ている。
そんな姿で喘いだりされると、目のやり場に困るし、サポートするのもためらわれる。
彼女いない歴年齢の山田には、全く対応不可能だ。




