婚約者である第一王子について。
「ラヴィナ嬢の正体に迫る前に、貴女が何故侯爵家に入ったか、というところから始めようと思うが」
「構いませんわ。ですが先に一つだけ、お願いがあるのですけれど」
ラヴィナは、ダーレストが自分の考えを述べる時、指を立てるのが癖であることを知っていた。
今、その仕草をした彼の手を示して、にっこりと首を傾げる。
「わたくし、貴方の手がとても好きですの。その手袋を外していただけませんか?」
すると、ダーレストは意外なことを言われたように軽く瞬きをした。
それがおかしくて、ラヴィナは口元に手を当てる。
「手が……? 初めて言われたな」
「貴方はダーレスト様ですから。わたくし以外には、誰も言わないでしょうね」
これについては、褒めているわけでもなく、彼の身分が高いからだと言っている訳でもない。
彼は、当然ながら貴族学校で浮き名を流すようなタイプではない上に、顔立ちの良さや傑物であることを補って余りある変人なのだ。
そんな色気のあるやり取りなど、したいと思う令嬢の方が稀有な存在、という意味である。
ダーレストはラヴィナの発言をどう受け取ったのか、『ふむ』と呟いてから、素直に手袋を外してくれた。
改めて眺めてみても、彼の手は指が長く、全体の形が非常に美しい。
決して女性的なわけではなく、無骨に筋が浮き上がっていて幅も分厚い、男性の手だ。
素肌を晒した右手には、ペンダコも剣ダコもある。
成長期からずっと身につけているのだろう、魔術の媒体となる指輪の形に合わせて、中指はその部分だけ少し細くなっていた。
けれどそんな『実用品の美しさ』に、ラヴィナはうっとりするのである。
以前見かけた時と変わりないダーレストの手をじっくり眺めて、ほう、と息を吐いた。
「これで構わないのか?」
「ふふ。ええ、ありがとうございます」
特に照れたような反応もないけれど、どこか慣れない様子のダーレストに、ラヴィナは礼を述べた。
ーーーこういうところは、可愛らしいのですけれどね。
彼はルフト殿下やその従者と友人同士であり、『何故か第一王子殿下とは、不思議とウマが合うようだ』と周りからは言われていたが。
彼が実際に仲が良いのは従者である伯爵令息……ドゥア・ギョフの方である。
ダーレストは変人であり、言動についても率直で歯に衣着せないから疎まれているが、皮肉などとはあまり縁がない。
冗談混じりの言葉に大真面目な返事をしたりするので、ドゥアがそれを面白がっていた。
ラヴィナも学校生活を通じて、多少はダーレストの人となりに触れてもいる。
もし彼に飛び抜けた知性と才覚がなければ、即座に貴族社会から排除されていてもおかしくない程に、彼の本質は純粋なのではないか、と推測していた。
「話を戻しても構わないか?」
「ええ」
ラヴィナが了承すると、改めて指を立てたダーレストは、こう口にした。
「ラヴィナ嬢が侯爵令嬢として姿を見せた経緯については、ルフト殿下の置かれた状況が関係している、と私は見ている」
ルフト殿下は、第一王位継承者でありながら立太子していない。
それは、血筋の問題だった。
より王家の血が濃い王女殿下側、特に宰相派と呼ばれる勢力が難色を示していたのだ。
宰相閣下は有力貴族である。
王家そのものに反抗している訳ではないから国王陛下も強く出ることは出来ず、ルフトと王女殿下は、どちらが玉座を継ぐかという政争を繰り広げていた。
ダーレストは、立てた指を軽く振りながら、言葉を重ねる。
「その上で、あの断罪劇がラヴィナ嬢の意図通り進行した、と私が確信したのは、貴女が連れ去られた時の、ルフト殿下の言動があったからだ」
「何か、特別なことがございまして? 殿下がわたくしを見捨てた、としか考えられないですけれど」
最後にラヴィナが助けを求めた時、ルフトはこう口にした。
『すまない、国王陛下のご命令だ。それに……ラヴィナ嬢が本当に二人を害したのなら、庇うことは出来ないよ』
思い返してみても、特に不自然なことは言っていないように思える。
「ルフト殿下はあの時一度、言葉を詰まらせた。そして『ラヴィナ嬢が本当に二人を害したのなら』と続けた」
ダーレストは指先を顔の横に近づけ、トントン、と目の横を叩く。
「我が友人は何かを誤魔化す時、視線を上に向ける癖がある。その癖が、あの時に出ていた」
「あら、よく見ておられますのね」
「また、ルフト殿下はしばらく前から少々憔悴した様子を見せていた。では一体、何に憔悴していたのか? と、私は考えた」
「ルフト殿下は繊細ですもの。恋人であったフライヤが死に、婚約者が捕まったのですから、憔悴するのも当然では?」
ラヴィナは、からかうようにそう口にする。
「殿下の人柄については貴女の言う通りだが、それにしては悲しみや怒りといった感情を抱いているようには見えず、あの時の様子は、演説前に重圧を感じている時の様子に近かった。さらに、聖女フライヤはおそらく殿下の恋人ではない」
ダーレストはそう否定した後に、軽く目を閉じる。
そういう仕草もサマになっていた。
「あくまでも政略上の関係であり、貴族学校でも、無下に出来ないことから困ったような表情をしているのを度々見ている。また、婚約者であるラヴィナ嬢に抱く感情も、恋情ではなく親愛であるように見えた」
「わたくしは愛されていなかった、と? 悲しいことを仰いますのね」
「いいや、愛されてはいただろう。その感情の種類が恋人同士のものとは違うように見えただけだ。そしてそれは、ラヴィナ嬢も同様だった」
ダーレストにわざと悲しげな顔をしてみせるが、残念ながら彼は目を閉じたままだった。
ーーーそうでなくとも、特に気にせず話を続けたでしょうけれど。
ラヴィナはそう思いながら、さらに言い募る。
「わたくしは、きちんと殿下を愛しておりますわ」
「今もなお、だろう? 見捨てられたにしては執着が過ぎる」
目を開いたダーレストは、人差し指を再度、顔の前に持ってくる。
「ラヴィナ嬢が『本当に』二人を害したのなら庇えない、とルフト殿下は口にした。何故わざわざ、その一言を付け加えたのか……それは我が友人が、『嘘ではないが真実でもない』言葉を吐いたからだ」
ラヴィナが首を傾げると、さらりと黒髪が肩口を流れた。
「よく分かりませんわ。もう少しきちんと説明していただいても?」
「私はあの言葉を、貴女が二人を害していないことを知っているから出た言葉だ、と考えた。結論を述べよう」
ダーレストは、最初に『確信を得た』と口にした通り、断定的にこう告げた。
「―――ルフト殿下は、貴女の共犯者だ。ラヴィナ嬢の振る舞いの意味を知っていたから、策略が露見しないかを案じて緊張していたのだ」
※※※
貴族学校入学前のある日、王城の一室。
ラヴィナは、正面に座ったルフトにこう問いかけられた。
「本当にやるのかい? ラヴィナ」
ルフトは、綺麗な紫の瞳に不安そうな色を浮かべて、そう問いかけてきた。
ただでさえ線が細いのに、表情と合わせてさらに弱々しく見えてしまう。
「やるわよ。だって、このまま聖女と結婚という話になったら、ルフトが困るでしょう?」
ラヴィナはそんなルフトに対して、ティーカップを口に運んだ後、ニッコリと首を傾げる。
「それはそうだけど……もしバレたら、その瞬間に全部水の泡だよ?」
「バレなければいいのよ。その為に『侯爵令嬢ラヴィナ・ファーユ』を用意したのだから、後は上手くやるだけだわ」
聖女が現れた、という報告を、ラヴィナ達は既に聞き及んでいた。
元々、フェリクス王国で権力を得ることに意欲的だった大司教が、この好機を逃す筈がないことも自明である。
フェリクス王国には幾つもの伝承があるが、その中の一つに、こういうものがあるのだ。
『聖女の現れを見よ。厚く遇すれば幸運を、礼を怠れば王国に災いを齎す』。
実際に今まで、聖女の扱いによって王国に幸運や災いが訪れたのかどうかは、ラヴィナの知り及ぶところではない。
けれど、その伝承を『守ろうとする』者が多くいることが、問題なのである。
大司教や頭の固い人々を含む内外の圧によって、いずれ『聖女をルフトの婚約者に』という動きが生まれることはほぼ確実。
その牽制になるのが、『侯爵令嬢ラヴィナ・ファーユ』なのだ。
「時間は稼げるわ。その間に状況がどう転ぶかは分からないけれど……そうね、最悪でも聖女を殺してわたくしが捕まれば、問題ないでしょう」
「……ラヴィナ」
「そんなに心配しなくても、それについては最後の手段よ」
幸い、ルフトの政敵は王女殿下である。
彼女と聖女の婚姻は不可能なので、大司教は必ずこちらに話を持ちかけてくる筈だ。
今回の聖女は元々平民であるという話なので、王家との婚姻ともなれば、貴族への養子入りが必須。
故に、王家に最も近いファーユ侯爵家にラヴィナが令嬢として赴き、婚約者を演じるのが一番手っ取り早いのである。
『聖女の箔』を貴族の爵位で考えた場合、一番下の『男爵』、その一つ上の『子爵』の家では、到底権威が足りない。
さらにもう一つ上、上位貴族と呼ばれる『伯爵』に養子入りして、ようやく及第点。
可能であれば、最上位に位置する『侯爵』か、王家の血に連なる兄弟に与えられる『公爵』の家に入るのが望ましい。
しかし平民上がりで礼儀礼節のなっていない少女が、そのまま貴族社会に放り込まれたら、どんな行動をして、どんな扱いを受けるかは、自明である。
聖女であるという事実から、伝承を信じる貴族子女は、表向き親切にするだろうけれど……貴族社会は、甘くない。
『王妃に相応しくない』と皆が判断すれば、聖教会や高位貴族の後ろ盾があったところで、無意味なのだ。
我が子を王妃に、と望む貴族は国内外に数多いのだから、必ず追い落とされる。
表向きは礼を失しないように、けれど密やかに、速やかに。
「わたくしがどう動くかは、聖女がどんな子か次第だけれど。王妃になれることに舞い上がって失態を犯してくれたら、それが一番ね」
「ラヴィナ。お願いだから本当に、無茶だけはしないでほしい」
「ふふ、ルフトこそ、本当に心配性ね。周りの状況は色々煩わしいけれど、誰が真実に気づけるというの?」
ラヴィナのことを知っているのは、ほんの一握りの者達だけ。
貴族達も他領の内情を深く知っている訳ではないし、ラヴィナがファーユ侯爵令嬢として現れたところで、不自然に思う者も少ないだろう。
それこそ、新旧の貴族名鑑を見比べて確認するような、物好きでもいない限りは。




