侯爵令嬢の不在証明。
侯爵令嬢ラヴィナ・ファーユは、糾弾されていた。
ルフト第一王子殿下の婚約者でありながら、義妹である聖女を毒殺し、王女殿下を転落させて殺そうとした罪によって。
「ラヴィナ嬢。今回の事件の犯人は、貴女以外にいない」
関係者が揃う謁見の間で、辺境伯の孫であるダーレスト・オーガスはそう断定した。
彼は貴族学校の同級生だが、王命を受けて事件解決の責任者となった青年である。
そんなダーレストに対し、ラヴィナは自分の『不在証明』を主張した。
仮に犯罪に手を染めたとしても、『犯行が行われた時刻に自分が現場にいなかった』と証明できれば、容疑を逃れることが可能なのだ。
「わたくしは、可愛い義妹が死んだ日は王城におりました。王妃殿下に妃教育を受けていたのです。また、王女殿下が階段の手すりから転落した際にも、別の場所で宰相令息と話をしておりました。そんなわたくしが、どうやって二人を害せるというのです?」
王妃殿下は王女殿下の母親であり、宰相令息は王女殿下の婚約者である。
二人に、彼女を殺そうとしたラヴィナを庇う理由はない為、逆にこれ以上ないほど強力な手札だった。
しかしその主張に対して、ダーレストはつまらなそうな目でこう告げる。
「ラヴィナ嬢は今、一つ失言をした。王女殿下が『手すりから』転落したという情報について、現場に居た私と第一王子殿下はその場で緘口令を敷いたのだ。近くにいなかったのなら、何故それを知っている?」
「……え?」
思わず声を漏らすと、ダーレストはさらに言葉を重ねる。
「それにラヴィナ嬢、この場に貴女の味方はいない。残念ながら、どれ程言い繕っても、最初から詰んでいるのだ」
話の方向性が少し変わったように、ラヴィナは感じた。
彼は、国王陛下の近くに控える二人の証人に対して淡々と問いかける。
「王妃殿下、並びに宰相令息殿。ラヴィナ嬢は本当にその時間あなた方と会っていましたか?」
ラヴィナは、ダーレストの言葉によって、これから何が起こるかを察した。
口元を引き攣らせながら二人に目を向けると、彼女たちは『いいえ』と答える。
「う、嘘よ!」
二人の否定によって、ラヴィナの主張は退けられた。
これは最初から、結論ありきで行われた断罪劇だったのである。
そうして国王陛下は、ラヴィナの拘束を命じた。
「ルフト殿下!」
憲兵に拘束されながら、ラヴィナは婚約者に助けを求める。
けれど。
「すまない、国王陛下のご命令だ。それに……ラヴィナ嬢が本当に二人を害したのなら、庇うことは出来ないよ」
憔悴した様子のルフトは、目線を上に逸らしながら、線の細い美貌を悲しげに歪めた。
「二人は嘘の証言をしているのよ!? そこまでして排除する程、わたくしが邪魔なの!? 皆……皆、呪われてしまうがいいッ!!」
ラヴィナは絶叫するが、誰も、その声には応えなかった。
ーーーそして、数日後。
貴族牢に押し込まれたラヴィナの元に、訪ねて来た人物がいた。
入り口の横にある、格子の嵌った監視窓から顔を覗かせたのは……投獄に加担した青年、ダーレスト・オーガスである。
「座ってくれないか? 話があるのでな」
こんな状況でも普段と全く変わらない口調のダーレストは、格子越しに室内の椅子を示した。
今更抵抗する意味もないので、ラヴィナは大人しく指示に従う。
そうして改めて、彼に向き合った。
前髪を上げて固めた朱色の髪と同色の瞳を持つダーレストは、大柄で肩幅が広い。
しかし無表情に近い整った顔立ちと髪型が相まって、執事や文官に近い雰囲気を纏っていた。
彼にはどういう権限があるのか、ラヴィナの監視を命じられている筈の兵士まで人払いすると、改めて口を開く。
「気分はどうだ? ラヴィナ嬢」
「……良いと思いますの?」
「思うね」
用意された椅子に腰掛けた彼の雰囲気が、いつもとは少し違った。
どこか楽しそうなのだ。
貴族学校でも、断罪劇の最中も大概つまらなそうな色を浮かべていた瞳が、今は生き生きと輝いており、微かに笑みすら浮かべていた。
「私は全て貴女の思い通りになった、と考えているんだが」
「この状況が、ですの?」
ふふ、と、ダーレストに対して、皮肉を含んだ笑みを返す。
ラヴィナが二つの事件の犯人なのは事実である。
王女殿下は、ルフト殿下を降して女王となることを目論む、敵だった。
平民上がりの聖女である義妹は、ラヴィナに代わって殿下の婚約者となることを望まれていた。
何もしなければ、ラヴィナは遅かれ早かれ排除されていたのだ。
二つの障害を排除すれば、ルフト殿下が玉座に坐す。
そう思って行動したが。
「結果はご覧の通りですけれど。邪魔者扱いされ、挙句に投獄されているこの状況が、わたくしの思い通りだと?」
「ああ」
ダーレストは、あっさり頷いた。
「その上で、ラヴィナ嬢は私に会いたいのではないか、と思ったのだが?」
「思い上がりも甚だしい……今すぐお帰り下さいな。金輪際、顔も見たくありませんわ」
ラヴィナは、上唇を軽く突き出した後、目を細めた。
ダーレスト・オーガスは、天才と呼べる人物である。
しかし同時にとんでもない変わり者でもあった。
『言ってはいけないことまで平気で口にする』『性格以外には非の打ち所がない』と言われる、そんな青年なのだ。
彼はラヴィナが拒絶しても、当然のように席を立たなかった。
「本当にそうか? この催しはここからが面白いのだと思っていたのだが。私は、貴女と取引がしたい」
「取引……?」
「ああ。まず結論から述べておく」
ダーレストはオールバックの髪のサイドを撫でると、チラリと犬歯を見せて笑う。
「ラヴィナ・ファーユなどという侯爵令嬢は、この世に存在しない」
ラヴィナが反らしていた目を戻すと、彼はこちらをまっすぐに見据えていた。
「何を仰っていますの?」
「こちらの提示する取引条件は『その事実を黙っておくこと』だ」
問いかけに答えずに一方的に告げたダーレストは、さらに言葉を重ねる。
「貴族令嬢は、デビュタント、そして貴族学校入学に合わせて領地から王都に集まるだろう。貴族名鑑に載っている者達がな。私も一度、幼少の頃に目を通したことがあるが……貴女の名は、その時見かけた覚えがない」
「……載っていますよ。何をおかしなことを」
「今はだ。なのに、ルフト殿下はそんなラヴィナ嬢との婚約を発表した。その際、改めて貴族名鑑を見ると名が記載されていた。参照したのは、王城書庫にある原本だ」
ダーレストは、格子に軽く頭を寄せて近づいてきた。
ふわりと柑橘系の香水が匂い、その朱色の瞳がラヴィナの視界に大きく広がる。
「……記されていたのなら、ダーレスト様の記憶違いですわね」
扇も取り上げられている為、拒絶の為に少し体を引いたラヴィナの返答に、ダーレストは首を横に振る。
「あり得ない。私は、今まで見た書物の内容を全て諳んじることが出来る。そして原本のインクは真新しかった。どう見ても十数年前に書かれたものではない……侯爵家が出生を秘匿していたとでも? 何の為に?」
「さぁ……もしダーレスト様の仰る通りであったとしても、わたくしが知り及ぶことではございませんわね」
「不審に思った私は、貴女の狙いを観察していた。入学からずっとな。私には、貴女がいきなりルフト殿下の婚約者として現れたように感じられたからだ。だが、殿下との親しげな様子、幼少の頃の思い出話、会話の端々に滲む呼吸の合い方に不自然さはなかった」
ダーレストは、会話をしているのか独り言を呟いているのか分からなかった。
けれどその肉食獣にも似た獰猛さを備えた瞳は、確実にラヴィナを捉えている。
まるで、その全てを逃すまいと考えているかのように。
「同じく、ルフト殿下の幼少を知る人物らの、貴女への態度も自然だ。これはどうしたことか、と思い、私は一度、侯爵領に赴いたこともある。聞き取りの結果、貴女の存在は侯爵領でも確認出来なかった。 侯爵家の元・使用人ですら姿を見たことがないという。突如として、『ラヴィナ・ファーユ』は王都に現れたのだ」
顔を離して背もたれに体を預けたダーレストは、悠然と足の上で両手の指を組む。
「そうしてこの度、二つの事件が起こり、『ラヴィナ・ファーユ』は姿を消そうとしている。……消え去る前に、聞いておきたいと思った」
ダーレスト・オーガスは、天才と呼べる人物である。
その事は、貴族学校に在籍している時から、ラヴィナも知っていた。
授業を受けずとも、テストは常に満点一位。
教授の間違いがあれば、授業中であろうと、他の生徒を置いてけぼりにする議論を展開する。
剣や魔術の実技においても、教官にすら一度も負けたことがない。
頭脳、魔術、剣技、その全てにおいて人の上を行く〝怪物〟オーガスト・ダーレス。
「ーーー貴女は一体、何者だ?」
そんな男が、ラヴィナ一人に、執着とすら言えるような熱意を向けている。
ーーーふふ。なら、応えてあげようかしら。
そこで初めて、ラヴィナはダーレストに笑みを浮かべてみせた。
淑女の微笑みでも、悪女の仮面でもなく……ラヴィナ自身の、本当の笑みを。
「何者だと思っているかを、聞かせていただけるのではありませんの?」
「良いだろう。ならばこれから起こる出来事まで含めて、私の推測を語ろう。その是非を、最後に聞かせて貰いたい」
「良いでしょう」
ラヴィナの変化に気づいたのか、ダーレストは少し嬉しそうに体を起こした。
「では、始めよう。ーーー『侯爵令嬢ラヴィナ・ファーユの不在証明』を」
ハッピーエンドです。
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次話更新は12時です。